第20話 魂の粛罪

「・・・・ターム」


ぼそりとミハルの口から元同乗者の名が呟かれる。


「待っててね。みんな殺してあげるからね」


そう口走るミハルの口元が、醜く歪む。


「ふふふっ、一人も残さない。

 一人も生かしておかない。

 皆殺しにしてやる。誰も許さない・・・」


呪いの言葉を吐くミハルの瞳は黒く澱み、悪魔の如く血走っていた。


そんなミハルを見てリーンは悲しむ。


ー  私の判断が間違っていた。

   私が戦争を美化していただけ。

   解っていた筈なのに。

   村民を虐殺する様な軍が降伏なんてしない事を。

   それなのに甘い期待をして。

   その結果、ミハルの心を壊してしまった・・・

   ミハルを壊してしまったのは、この私・・・


なんとかミハルを取り戻そうと、話し掛けたが取り付く暇も無かった。


キャミーもミリアも、ラミルでさえ話す事は出来なかった。

皆が失望の表情で見詰る中、ミハルは全弾を魔鋼弾とする様リーンに意見具申し、

リーンが拒むと喚き散し強行に魔鋼弾に弾種転換させた。


そして、味方が到着するのを待たず攻撃を掛ける様に進言してきた。


「心配?味方なんて要らない。

 私が皆殺しにしてやります。

 一両も残さずに消し飛ばしてやりますから。

 うふふっ!あはははははっ!」


笑うミハルは、昨日までとは別人になっていた。


薄気味悪い笑いを溢し搭乗員と何も話さず、

タームと言う女性の名を呟き、今迄一度も装填した事が無かった同軸機銃を全弾装填させた。


そして時折、狂った様に笑う。


ー  駄目だ。ミハルを更迭しなければ・・・


リーンは苦渋の判断に迫られる。


ー  今、ミハルを更迭したらミハルは本当に狂ってしまう。

   でも、小隊全員を危険に晒すのを防ぐにはミハルを搭乗員から外すしかない


リーンは隊の安全を優先すべきだと判断を下そうか迷っていた。


「小隊長、お願いが有ります」


ラミルとキャミー、そしてミリアがいつの間にかリーンの前に来ていた。


「ミハルの事ね。

 解っているわ。搭乗割から外しましょう」


リーンが漸く決心をして3人に告げると。


「少尉、ミハルをそのままにしてやってください」


キャミーがリーンに反対する。


「私達が何とかカバーしますから」


ミリアがリーンにお願いする。


「あいつを・・・ミハルを外さないでやってください」


ラミルもリーンの判断を翻す様に願って来る。


「みんな・・・そんなにミハルの事を?」


リーンが三人を見詰ると3人が揃って頷く。


「いいわ、解った。私達でミハルを取り戻しましょう」


リーンは3人に自分の本当の願いを言った。





____________





「ターム・・・私が軍隊に入って初めての友達。

 初めて優しくしてくれた大切な友達。

 もう直ぐ、もう直ぐ会いに行くから。

 あなたを見捨てた奴らを一人残らず殺したら、

 あなたを助けてあげられなかった私も一緒に行くから。

 待っててね、カールさんとラバン軍曹と共に」


ミハルは血走った瞳から涙を零してマチハに縋りついた。


 




ミハルの脳裏にあの懐かしい日々が甦る。


配属された初めての実施部隊。

初めて出逢ったその日の事を・・・


「はじめまして!

 私本日付けをもって本車に配属になりますシマダ・ミハル一等兵です。

 宜しくお願いしますっ!」


ミハルが出来るだけ元気に大声を上げて申告する。

良く晴れた日中の太陽の光が降り注ぐ中で。


3号E型軽戦車の車長、髭面のラバン軍曹が見下ろして言った。


「よー、ヒヨッコよく来たな。えーと、なんて言ったっけ?」


ラバン軍曹が、ミハルの名をもう一度聞く。


「はっ!シマダ・ミハルで、ありますっ!」


敬礼したままミハルは答える。


「はーっ、新兵って感じねー。ほら、敬礼を解きなさいミハルちゃん」


横に立つ同じ一等兵の少女がミハルが、カチコチに固まっているのを楽にさせようと気安く声を掛けて来る。


「私は、本車のドライバー、ターム。同じ一等兵。

 配属は1ヶ月前なんだ。宜しくねミハルちゃん」


そう言って右手を差し出してくる。


「え?えっと、はい。

 宜しくお願いします。ターム一等兵」


まだカチコチに硬いミハルの手を強引に握って、


「ほら、タームでいいよ。同じ階級なんだから」


タームがミハルに微笑んで握手する。


「え?でも、ターム一等兵の方が、先任ですから」


ミハルが戸惑うと、車体に腰を掛けたラバン軍曹が笑いだす。


「ミハルは硬いなぁ。

 オレのクルーは、階級抜きで名前を呼ぶんだ。だから、オレもラバンでいいぜ」


ラバン軍曹の横で、車体ハッチから半身を出している赤毛の女の子も。


「オレもカールでいいぜ。よろしくな、ミハル!」


にっこり笑うと綺麗な白い歯が見えるカールが、自己紹介した。


「は、はいっ。あの、その。

 ラバンさん、カールさん、宜しく・・・です」


ミハルの目に、3人の笑顔が焼きついた。

火の光を浴びる3人の顔が・・・




ー  ラバン軍曹、カール兵長、そしてターム。

   ごめんね、逃げてしまって。

   一緒に苦しんで上げられなくて、生き残ってしまって。

   もう直ぐ・・・会えるからね


血走った目から涙を流し続けるミハル。



ミハルの記憶に、心優しいタームの面影が甦る。


配属させられて右も左も解らないミハルにずっと親切でずっと優しく、ラバン軍曹に怒られても庇ってくれる。

一度操縦席に座ると凛々しく頼もしく車体を操るその姿。

長く美しい金髪、青く澄んだその瞳。

いつも一緒に居てくれて、いつも私の事を想ってくれる愛しい人の姿。


記憶の中でタームの微笑みが自分に向けられてくるように蘇る。


ー  ああ・・・ターム。あなたの事が眼に浮かぶ・・・


記憶が蘇る・・・仲間達との想い出が。




ある夜・・・


「あら、ミハル、珍しいね。ミハルが手紙を書くなんて」


タームがミハルの傍によって覗き込む。


「うん。もしかしたら最期になるかもしれないから」


ミハルは寂しそうにタームを見上げて言った。


「そんな不吉な事、言わないの。で、誰に書いてるの?」


タームが嗜めて、差し出す相手を訊く。


「弟に・・・たった一人残った肉親に・・・」


ミハルが少し笑いながらタームに言うと、


「たった一人残った?

 そういえばミハルの家族の事、聞いていなかった・・・

 というか、教えてくれなかったよね。

 教えてくれないかしら、あなたの家族の事を」


タームはミハルの横に座って見詰る。


「言っちゃいけないって言われてるんだ。

 言えば弟、マモルをどうされるか解らないんだ」


ミハルはタームの視線が痛くて顔を背ける。


「ミハル。

 私にだけ教えて。

 あなたの事を知りたい、知っておきたいの」


タームがミハルの肩にそっと手を置いて訊く。


その優しさに耐えられなくなった。


「私。

 私ね・・・ヤポンから来て、父母は軍の研究所に勤めていたの。

 父も母もその研究所の爆発で死んでしまって、弟と2人なんだ。

 身寄りも無いこの国で弟を生かす為に軍に入らされて。

 もし、私が死んでしまったら弟はこの国でたった一人になってしまう。

 そう想ったら堪らなくて・・・私、私!」


ミハルはタームに抱き付いて泣いてしまった。


そんなミハルをそっと抱くと。


「あなたを死なせはしない。

 どんな事があっても、ミハルだけは死なせはしないから」


タームは優しくミハルに自分の決意を教えた。


「そうだ、どんな事になろうとも、お前だけは生き残れ」


「オレ達がミハルを守ってやるさ。絶対だ!」


いつの間にかラバン軍曹とカール兵長が傍に立っていた。


「みんな・・・ありがとう」


真剣な仲間たちの言葉に、涙を流して嬉しそうにミハルは三人を見た。




ー  私の事を知って、皆が約束してくれた。

   私を護るって、私だけはどんな事があっても生き残らすと・・・


ミハルはマチハに縋り付いた手を離し、ぐっと握り締める。


そして運命の日に有った事を思い出す。


辛く悲しく・・・やりきれない・・・思い出を。


昼間なのに前方の荒れ野には薄暗い靄が流れている。


まるでこれから起きる闘いを暗示しているかのように・・・



戦闘前、第2連隊の各車が配備に付いた。


軽戦車ばかりの大隊の中で隊内無線が鳴る。


「こちら中隊長だ。いいか皆良く聞け。

 ラバン軍曹の車両を護れ、いいな!

 どんな事が有っても彼の車両を護り抜け、いいな!」


「了ー解っ!」


各車の車長が了解する。


更に、


「こちらロール大隊長。大隊各員に告げる。

 第3中隊ラバン軍曹を護れ。

 いいか、この戦いは彼の車両を護りきれば勝負は関係ない。

 我々の勝ちだ!」


「連隊各員に告げるこの無謀な作戦に出陣した勇士各員に告げる。

 この戦はラバン軍曹の車両を護りきれれば、我々の勝利だ。

 軍中央の罵鹿共に目に物を見せてやれ。

 人をモルモットにする人非人に反旗を翻すのだ。

 各員の健闘を祈る!」


<<オーレ、オーレ、オーレ!>>


各車から、歓声が挙がる。


「だとよ。ミハル」


カール兵長がミハルを見て、にやっと笑う。

あの綺麗な白い歯を見せて。


「皆が力を合わせてミハルを護っているんだ。安心しろよ」


ラバン軍曹がミハルに笑いかける。


「そうよ、ミハル。私達が守ってあげる。

 約束だから、私の大切な友達を死なせはしない。

 きっときっと護ってみせるから」


そう言って振り返ったタームは、真剣でそして優しくミハルを見詰た。


「うん。ありがとう。

 どんな事があっても一緒だよ。一緒に生き残ろう、ターム」


ミハルが真剣な瞳でタームを見返すと美しい青い瞳で頷いた。


中隊長の声が響き渡る。


「さあ、行くぞ!野郎共!戦車前へ!」


各車が前進を始めた。

絶望的な闘いへと。




ー  あの日、あの時に見たみんなの笑顔が忘れられない。

   とても死に行く前の顔とは思えない・・・。

   それなのに・・・ああ、それなのに。

   私の前で次々に皆死んでいった。

   あの無謀な戦いの中で・・・


ミハルの黒く澱んだ瞳に、あの闘いが甦る。



「大隊長!」


ラバン軍曹の叫びが聞こえる。


M2型軽戦車5両の内2両を撃破したミハルが炎上する敵戦車に気を取られていると、

左に回りこんで来た他の車両に狙われているのを知ったロール大隊長車が、

ラバン軍曹達の車両を護る為に盾となって撃たれて撃破されてしまった。


「くそっ、許さねえぞ。よくもロール少佐を!」


ラバン軍曹が血走った目で、大隊長車を撃破したM2をキューポラから眼で追う。


「ターム!追えっ、奴を逃がすなっ!」


ラバン軍曹は我を忘れて追撃を命じる。

タームは車体を旋回させてM2を追う。


「ミハル!撃てっ!」


揺れる車体に身を預けて、必死に37ミリ砲弾を装填する。


「連隊長車、被弾!行き足止まりましたっ!」


カール兵長が振り返って車長に報告する。

連隊長の乗った、ソロム重戦車がキャタピラを切られて斯座している。

だが、誰も脱出せず砲撃を続けているのが照準器で見えた。


次の瞬間その前面装甲に大きな穴が開き、


「ああっ!連隊長車がっ!」


カール兵長の叫びと共に、ミハルの目に砲塔が爆発で高く吹き飛び撃破されるのが映った。


「畜生っ!帝国軍めっ!」


ラバン軍曹が叫ぶ。


「味方残存車両4両!」


タームが辺りを見回して、ラバン軍曹へ報告する。


「くそっ!囲まれる前に脱出するぞ。ターム退けっ、退くんだ!」


ラバン軍曹がもう此処までと思って、


「カール!司令部へ報告しろ。撤退するって言えっ!」


「了解!」


カールが無線で連絡しようとしたが、


「軍曹!大変です。無線が繋がりません!」


カールが血相を変えて振り返った。


「何だとっ!無線が妨害されているのか?」


ラバンもカールと同様に血相を変える。


「ターム!急いで退却だ!

 司令部へ連絡しなければ敵がこのまま市街地へ突入してくるぞ。

 市民に知らせなければ、とんでもない殺戮が始まってしまうぞ」


ラバン軍曹がタームを急かす。

ミハルの照準器の中に一両の大型戦車が飛び込んでくる。


「車長!左舷10時の方向に、敵です!」


ミハルの報告にラバンは確認を急ぐ。


「くそっ、退路を断つつもりか。

 あいつが連隊長を撃ったんだな。・・・まて、あいつは・・・」


ラバンがキューポラのレンズに近付き、もっとよく観測しようとする。


「くそっ、なんてこった。あいつは魔鋼騎だ!紫色の紋章を浮かばせてやがるっ!」


ラバンの声に、ミハルは照準器をそのKG-1重戦車へ向けた。


前面装甲板に紫色の光を放つ紋章が見える。

そのKG-1が砲撃し、味方の2号軽戦車が吹き飛んだ。


「畜生っ!あいつに皆殺られてしまう。

 ターム急げ、逃げるんだ。オレ達の砲では側面も抜けない」


タームが急いで回避運動をとる。

ミハルは照準器で迫る重戦車を捉え続けた。


「駄目です、逃げ切れません。

 このままでは敵の本隊の方へ追いやられてしまいます」


カール兵長がラバンに叫ぶ。


その叫びにラバンは、


「みんな、済まないな。下手な指揮を執ってしまった。許してくれ」


そう謝ってから、


「ターム。味方の方へ少しでも近寄れ。

 譬え撃破されたとしても脱出し、味方陣地へ帰れるようにな」


ラバンは誰を救うか、忘れていなかった。


「はい!全速であの重戦車をすり抜けます」


タームはそう叫ぶと、一瞬だけ振り返りミハルを見た。

ミハルもタームに気付き顔を見るとタームが微笑んだ。


そして前に向き直り気合を込める。


きますっ!」


アクセルを思いっきり踏み込み、KG-1目掛けて突入を図る。

ぐんぐんとKG-1へ迫る3号E型。

それに気付いたKG-1の砲が、旋回する。

ミハルは敵の重戦車が、こちらに狙いを定めたのに気付く。


「軍曹、カール兵長、ターム。

 ご一緒出来て光栄でした。ありがとうございました!」


ミハルは覚悟を決めて、決別の挨拶を言う。

途端に軍曹が叱り付ける。


「馬鹿野郎!お前だけは、ミハルだけは殺させはしない。

 お前だけでも生きて帰るんだ。それがオレ達の約束だろ」


「そうだ、オレ達が守るって決めたんだ。そんな言葉を吐くんじゃねえっ!」


カール兵長もミハルを叱りつける。


「後、100メートル!すり抜けます!」


タームが必死に接近を試みる。


希望が見えたかに思われた。

その時・・・KG-1の砲が火を噴いた。


((ガッ バアーーーンッ))


物凄い衝撃と音。


破片と煙が車内を舞う。

砲塔後部左舷を貫通した75ミリ砲弾が、そのまま薄い砲塔後部から飛び出し空中で炸裂した。


「ぐあっ!」


「あっ!」


ラバン軍曹とミハルが、苦痛のうめきを上げる。

わき腹をやられたラバン軍曹が苦悶の表情で、


「ターム、止まるな。このまま突っ走れっ!」


車体が停まっていない事を悟り苦悶の声で命令する。


「ミハル、ミハル。大丈夫か?」


ミハルの身を案じて声を掛ける。


わき腹から血を噴出すラバン軍曹に振り返り、


「私、右腕をやられました。軍曹は?」


苦痛の声をあげ左手で右手を押えて答えるミハルに、


「腹をやられたよ。もう直ぐ味方陣地だ。

 それまでの我慢だ・・・ミハル」


答えるラバン軍曹を見上げたミハルの目に、

軍曹が血まみれで苦悶する姿と大きく裂けた砲塔側面が目に入った。


「ミハル、軍曹!すり抜けました。

 後少し、後少しで帰れますよ!」


カール兵長が2人を励ます様に声を掛けた時。


砲塔を旋回させた重戦車が、後部を見せる3号に75ミリ砲を放った。


((ガッ!バキンッ!バリバリバリッ))


何かに殴りつけられたかの様な衝撃と、轟音。


炎と煙、そして・・・血が車内を充満する。


4人は声を上げることも無く・・・気を失った。




どれ程、時が経ったのか・・・


ミハルは自分の名を呼ぶ声で気が付いた。


「・・・ミハル。ミハル。大丈夫?ミハル、ミハル!」


「うっ、ううっ。ターム?どうしたの・・・私達?」


「くっ、ミハル。

 早く脱出して。敵の歩兵が来る前に・・・」


漸くミハルは気付いて目を開ける。

霞む目をごしごしと拭くと、その手に血がこびり付く。


「あ、私、やられた。こんなに血が付いているもの」


呆然と車内を見回すと、煙の中に背もたれに身体をそり返し、

紫色の顔をしたカール兵長が口から血を吐いた状態で動かなかった。


その身体の一部が辺り一面に飛び散って血を滴らせていた。


「カール・・さ・・ん?」


ミハルはありえない物を見るような顔で、カールに声を掛ける。


「ミハル。早く、早く脱出しなさい。

 早く味方へ知らせて、敵が市街地へ攻め込む前に!」


タームが苦しそうに言うのを、


「タームも一緒に。一緒に脱出して帰ろうよ」


ミハルはふらふらと立ち上がって操縦席を覗き込むとそこには。


「足・・・足をやられたの私は歩けない。ここに残るから。ミハルは走れる?」


ミハルの目に右足を切り裂かれ、カールの血を全身に浴びたタームが映った。


「ターム!そんなっ。

 嫌だよ、タームを置いて逃げるなんて出来ない」


ミハルは絶叫した。


「ぐっ!ミハル。

 オレ達の約束だ、お前は生きろ。帰るんだ弟の元へ!」


まだ息の有るラバン軍曹が苦しみに耐えながらミハルを生きて返そうと命じる。


「い、嫌っ。嫌です。

 私一人で帰るなんて。

 軍曹も、タームも、カールさんも一緒に!」


「馬鹿野郎、オレ達はもう助からない。

 せめてお前だけは生きてくれ、必ず生き残れ。

 これは命令だミハル一等兵、味方へ連絡しろ。

 敵が市街地へなだれ込む前に防衛線を築けと。

 いいな、頼んだぞ」


ラバン軍曹はミハルに命令し、口を噤む。


「軍曹!」


ミハルの問い掛けに、もう軍曹は口を開かなかった。


「ミハル早く、早く行きなさい。

 敵の歩兵がもう直ぐそこまで来ている。

 早く逃げて・・・弟君に会えたら。

 いいえ、絶対に帰って。


 約束よ、必ず生き残って。

 それがこの連隊全員の願い。

 こんな無茶な戦いで死んでいった人達全員との約束だからね」


タームは苦痛に喘ぎながらミハルに約束を迫る。


ミハルは泣きながら誓った。


「解った。解ったから。

 約束する、絶対生き残る。みんなの願いを守るから」


ミハルはタームの手を握って約束した。


「ありがとうミハル。

 楽しかった・・・今迄一緒に居られて。

 ・・・さあ!早く脱出しなさい。

 後を振り向かず。さあ!」


タームは想いを振り切る様にミハルを急かす。


「ううっ、ターム、タームっ!」


ゆっくり後ずさるミハルに、


「早く行きなさいっ、何をぐずぐずしているのっ!」


タームは初めてミハルを叱り付けた。


「うっ、うっ、タームっ。ご、ごめんなさいっ!」


その一言で、漸く踵を返し側面ハッチからミハルは脱出した。


車体から飛び出し、味方陣地の方向へよろよろと走るミハルの姿を前方スリットから見詰たタームが。


「さよなら、ミハル。さよなら妹。

 私の大切な友達・・・これからはいつも・・・あなたと一緒。

 あなたを護っていてあげるから・・・」


タームは涙を流してミハルに最期の別れを言った。


霞む目に記憶が映し出され続ける。

地獄の戦場が・・・地獄のその日の記憶が・・・


ー  私は敵の重戦車と歩兵に追われて逃げた。

   足元を機銃で撃たれ、何度も土に塗れ、突っぷして。

   死の恐怖に追われて必死に逃げた。

   仲間を置き去りにして、誰よりも大切な友達を見捨てて・・・・


ミハルはマチハの傍で屑折れて膝を付く。

既に涙は枯れ、復讐を誓ったその瞳は黒く澱み、

記憶の中と同じ様に奥歯をかみ締めて怒りに震える。



ー  そして、私は味方に助けられた。たった一人・・・・

   私だけが・・・生き残ってしまった・・・




病院のベットで士官に尋ねられた。

あの日起きた悲劇の真実を訊く為に・・・


「お前の名は?誰の車両に乗っていたのだ」


「は・・・い。私はミハル。シマダ・ミハル一等兵です。

 ラバン軍曹の3号軽戦車の砲手を務めていました」


「ラバン・・・そうか、軽戦車大隊第3中隊だな」


そうメモを取って引き上げようとする士官に、


「中尉殿、教えて下さい。

 何両帰ってきましたか?何人生きて戻れましたか?」


ミハルは半身を起こしたまま中尉に訊く。


中尉はミハルに背を向けたまま、


「・・・一両も。

 一人も生きて帰れなかったよ。君以外は・・・な」


そう言うと、背を向けたまま立ち去って行った。


「うわっ、うわあああぁっ!」


その返事を聞くとミハルは泣き叫んだ。


なぜ?

何故なんだと。

どうしてこんな目に遭わねばならなかったのかと。


「ターム、ラバン軍曹、カール兵長。

 皆、みんな。

 私を置いて逝ってしまった。

 私一人だけを置き去りにして・・・どうしてっ、どうしてなのっ!」


ミハルは涙が枯れるまで泣き続けた。


そして、病院を退院したミハルは戦車師団付きのまま各部隊を転々とした毎日を過ごす事となった。


ある日、戦車隊が師団に補充されて若い戦車兵がミハルの前で喋っていた。


「ねえねえ、聞いた?あの話」


「うん聞いた聞いた。酷いよね」


「此処の前の連隊、壊滅したんでしょ。

 ・・・やだなあ、誰も生きて戻れなかったって」


2人の少女戦車兵がミハルに気付かず話す。


「そう、それ。敵は脱出した生存者まで捕虜にしないで殺したんですって」


ミハルはその言葉に身体をビクリと震わす。


「後で味方が生存者確認の為に調べたら、

 若い女の子は犯された上に殺されたって話でしょ。何て卑劣なんだろう」


ミハルは耳を疑った。


「そうみたいね。私も聞いたんだけど、陣地に近い所で撃破された車両の話」


ミハルは体を震わせて話し込む若い戦車兵を見た。


「うん、金髪の戦車兵と、車長の軍曹の話ね。可愛そうに。

 もし私だったら舌を噛み切るわ。そんなケダモノに犯される位だったら。

 その車長も立派だよね。

 死が迫っているのに最期まで乗員を助ける為に闘ったっていうじゃない。

 私もそんな車長に恵まれたいなあ」


「ほんとよね。乗員が穢されるのを助ける為に死を選ぶ。

 立派よね。でも、2人供殺されちゃったんでしょ」


2人の少女はそう言い合いながら歩いて行った。


ミハルはその車両がどの車両を指しているのかが解った。


ミハルの心はひび割れ、砕け散る。


「あああっ、ターム。ラバン軍曹!

 ごめんなさいっ、ごめんんさい。

 一人だけ生き残ってしまって、ごめんなさいっ、

  ごめんなさいっ、ごめんなさいっ、ごめんなさい・・・・」


ミハルは事実を知り、ただ泣き悔やむしかなかった。

あの約束の為に死を選ぶ事も出来ず。




ー  そう、あの日にタームとした約束。

   生きて帰る、マモルの元へ。

   連隊全員の願い・・・

   その約束を破る事になろうとも私は許せない。

   タームを殺した者達を、タームを見殺しにした者共を。

   必ず一人残らず殺してやる。

   私からあの優しいタームを奪った者共を。


   カールさんの仇は討ち果たした。

   あの魔鋼騎KG-1は撃破したわ木っ端微塵に。

   後はラバン軍曹とタームの仇を討つ。

   譬えこの身が神の御許へ召されなくとも、

   悪魔に堕ちたとしても、必ず仇を討ってやる!


((ギリィッ))


奥歯を噛み締める音がする。


ミハルは薄く笑いながら復讐を誓う。

その魂は既に汚れ、悪魔に売ってしまったかのようだった。


右手に填めた宝珠の色は、碧く澄んだ色からどす黒く変わり、

紋章は邪な魔女の鉾を現す蛇が絡みつく槍の紋章に変わり果てていた・・・





「ミハル・・・どうしてそこまで堕ちてしまったの。どうしたら、あなたを救えるの?」


リーンは変わり果てたミハルの姿に悪鬼に堕ちた者の姿を重ねてしまう。


「あなたを救えるのなら、どんな事でもするのに・・・」


リーンはそう言うと、ミハルに近付き、


「ミハル、これ。着替えなさい」


そう言って新しい戦車兵服を差し出す。


「あ?・・ありがとう・・ございます」


視線を合わさずゆっくりと立ち上がり、

クーロフ大尉のジャケットを乱暴に脱ぎ捨て、リーンから上着を受け取り袖を通すと。


「明日の朝まで、一人にして置いて・・・」


そう言って、すたすたと林の中へ行ってしまうミハルに、リーンは更に失望を濃くする。


何気なく乱暴に脱ぎ捨てられたジャケットに目を向けると、ジャケットのポケットから写真が出ていた。


それを抜き取ってみるリーンの眼に写った物は。


「学校の先生?この人がクーロフ大尉なのかしら?」


写真には大男のクーロフと共に、小さな子供達が一緒に笑っている姿が写っていた。






心の中で叫ぶ声が聞こえないのか。


ー誰かっ、誰かっ!助けてっ!私を止めてっ!


ミハルの魂は、黒く澱みきっていた。

悪魔に魂を握られているかのように。


だが針の穴の様な小さな部分に微かな光が残っていた。


ー  お願い、誰か助けてっ。

   本当は誰も殺したくなんてないの。

   もう誰も悲しませたくないの。誰も泣かせたくないの。

   誰かっ誰か私をっ!私を目覚めさせてっ!


針の様な小さな穴が助けを求めていた。



林の中の岩場で、一人横になったミハルは黒く澱んだ瞳を閉じる。


ー  明日には全てを終らせてやる。

   私の復讐。私の終末。

   何もかも全て。ふふふっ、あはははっ!


黒く沈んだ記憶の中、ミハルは眠りにつくのだった。



「「ミハル、ミハル。どうしたのよ。何を迷っているの?」」


懐かしい、優しい声が耳元で囁く。


「あ、うん。あのね、何処へ行くのか解らなくなったの。

 どうしたらタームに逢えるのか解らなくなったの・・・」


ミハルの目の前には優しく微笑む、タームの顔があった。


「え?私。ここに居るじゃない。いつも一緒だよって約束したじゃない?」


タームはミハルの頭を撫でて笑う。


「違うっ、タームは私から離れてしまった。

 奪われてしまった。

 奴等に殺されてしまったのよ。

 憎い憎いっ、タームを私から奪い去った者達が憎いっ!」


ミハルは優しく撫でてくれるタームの手を振りほどいて叫ぶ。


「タームの仇、ラバン軍曹の仇。

 私からみんなを奪った者共を許せない。

 殺してやる、みんな殺してやるっ!」


ミハルは悪鬼の形相になってタームを見詰る。


「そう・・・許せないの。

 じゃあ、ミハルはどれだけの人を殺せば許せると言うの?」


タームは優しくミハルに訊く。


「うっ、そ、それはあの男達全員を・・・」


ミハルはタームの質問に戸惑って答える。


「そう・・・なんだ。

 私を助け様としてくれた若い戦車兵も?

 亡くなった軍曹に栄誉の敬礼をしてくれた、あの車長も?」


タームの言葉に、ミハルの黒い魂にひびが入る


((ビシッ))


「え?それは・・・でも、タームを見捨てた!」


ミハルの黒い魂は、タームの言葉に抗う。


「ミハル。見捨てられたのではないわ。彼等もあなたと同じ。

 故郷に人質を取られているって言っていたでしょ。

 彼等もこの戦争の犠牲者。

 助けられる者を救えなかった罪の意識で壊れてしまいそうなの。

 悪い人達ではないわ」


タームが再びミハルの髪を撫でてくれる。

その優しい手から温もりが溢れ出す。


((ビシッビシッ))


「そ、そんな・・・そんな。

 私は一体誰を憎めばいいの?誰を仇と思えばいいの?」


ミハルはタームに救いを求める。



「誰も・・・誰も憎んではいけないの。


 何も恨んではいけないの。


 きっと何時かは闇は終わりを告げ、光り輝く時が来るから」



タームはミハルを抱締める。

微かに残された光を救う為に。


((ビシッビシッビシッ))


タームの魂に抱締められて、ミハルの黒い魂はひび割れ続ける。


「ターム・・・私のターム。

 今何処に居るの。

 会いたい、逢いたいよ。逢いに行きたいの。

 私もタームの傍に行きたいの。

 こんな汚れた世界から抜け出して、もう人殺しをしないですむ世界へと!」


ミハルの涙がタームを濡らす。


「そう、それがミハルの本当の気持ち。

 私が愛した優しい天から授けられた本当の姿」


タームの言葉がミハルの魂に光を灯す。


「ミハル。あなたは強くなれる。

 もっともっと強くなれる。

 この世界を救える位に。

 私は信じているわ。

 あなたの中に眠れる力を。

 いつか気付く事になる大いなる力と強さを。

 ミハルがリーン姫と共に、この世界を救ってくれる事を!」


タームがミハルを見て確信した様に頷く。


「リーン?どうしてそれを?」


ミハルはタームが知らない筈のリーンの名に不思議がる。


「ミハル。

 私は救われたの、天国に来れたんだよ。

 人を殺したのに幸せの国へ来れたのよ。

 だから、ミハルもきっと来れる。その優しい魂のままなら」


((ビシッビシッビキンッ パッキーーンッ))


闇に覆われた魂が解放の瞬間を迎える。


「ああっ、私も行きたい。タームの元へ。神様が居られる天国へ・・・」


ミハルの魂は救済を求めて、手を指し伸ばす。


「きっときっと来れる。

 私は待ってるわ、ミハルが天国へ来れる時を」


タームの姿が光に包まれる。


「ああっ、ターム。待って、行かないで!」


差し伸ばすミハルの手を握ったタームが。


「大丈夫。

 ずっと一緒に居るわ。

 ミハルが苦しんだ時には、またきっと救いに来る。

 約束だもの、あなたを護るって・・・生き残らせるって。

 ずっとずっと約束を果たす、その時まで・・・」


ミハルの前から光となって消えて行ったタームに、

手を差し出してミハルはその名を呼ぶ。


「タームっ!タームっ!タームぅぅっ!!」






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