乙女と寿命
ジゼルが馬を駆り向かった場所に、クラウスらしき姿が見えた。一か八かで来てみたのだが……。
その場所は、街などの平坦な道ではなく坂道の上り、それも緑はなく岩肌が剥き出しの山だった。
ジゼルの左手は崖、落ちればまっ逆さまに遥か下の地面に叩きつけられよほど運が良くなければ死ぬだろう。
山の中ではそこまで高いものではないが、山といわれるくらいには高い。高さと崖を気にしなければ、街並みと海が遠くに見える素晴らしい景色がある。
クラウスらしき人影がいるのは長い道途中の休憩所となっている場所だ。ジゼルも何度かだけ来たことがある。
まだ影にしか見えないが、見えた姿は一つで間違いないとジゼルは思う。
一気に細くなり、馬で行くより自分の足で行った方が危険がなさそうな道を前に、すでに繋がれている馬がいた。クラウスの愛馬だ。
ジゼルも馬から降りてそこに馬を置いていくことにした。
馬を繋ぐと日に焼けないようにと渡され、ドレスの上から身につけたマントについた大きなフードを深く引き直してさっきまでのものと比べると細い道に臨む。
もう少し。
こんなドレスで来るものではないな、と今さらの後悔をしながらもジゼルは通常よりも疲労を感じながらも細い道から解放されたところで立ち止まり一息ついた。
風が吹いて、ドレスの裾が煽られること煽られること。
裾を払い顔を上げると――嗚呼やはり海がよく見える。
被っていたフードをとると視界が広くなり、どこまでも広がるような海に目が引かれた。
良い眺めだ。晴れているからなおさらに。
その遥か遠くに向けていた視線を近くに戻すと、紺碧の髪が揺れていた。
改めてそちらを向いたジゼルは息を慎重にはき、止めていた足を進めはじめた。
ぼんやりしていたのか、クラウスがジゼルに気がついたのはすぐ後ろまで行ったときだった。
「――ジゼル」
「何もわざわざここに来ることはないでしょうに」
直前に姿を消したと聞いただけあってクラウスの服装は『お見合い』に相応しいものだった。
ここに探しに来たジゼルもジゼルだけれど言わずはいられず言いながら、振り向き驚いた表情をしているクラウスの近くで立ち止まった。
「どうしてここに」
「それは言葉通り山の中腹の『ここ』にいることかしら、それとも『この地』にいること?」
「それはどっちもだろう」
どちらも。
「『お見合い』から逃げたそうね」
「逃げていない。計画的な見合いを潰す方法の実行だ」
そうきたか。
中々考えていそうと思ってしまいそうな言葉の羅列をもらうが、全然そんなことはない。単に場を放棄してきただけではないか。逃げると言われるのは心外らしい。
それより、この先どう話の流れを持っていこうかとジゼルが当たり障りのない会話を続けて行こうとしていると、ぽつりとクラウスが一言溢した。
「ジゼルにしか逢いたくなかった」
ジゼルは目を丸くした。
が、考えていたことも放り出して一転して笑いそうになった。
「……ふふ」
「なんで笑うんだ」
「だって可笑しいわよ、可笑しいわ」
大いに可笑しい。
「あなたのことだろうから他の家に嫡男がいるかどうかはさておき、その他の子どもの数は把握していないと思ったわ。名前もね」
でもそうか、ノークレス家からだとも聞かなかったのなら分かるはずはないか。
「相手の名前は聞いたのよね?」
「聞いた」
「『セレナ』と言われたのでしょう? それは私の元々の名前よ」
どこからか風に巻き取られて運ばれてきた花びらが、ジゼルを掠めていく。
それが元の名前と言うのならば、今の名前は偽りの名と言えるかもしれない。
周りと共に生きていけないのだと、はじめて死に生まれ直した二度目に思い知った。
そしてセレナ・ノークレス、生まれた折に親にもらった名前を捨てた。セレナは死んだ。呪われた身は普通の人とは言えない、セレナではない。
「ジゼル・ノース」が生まれた。現在までくるとこちらの付き合いの方が長く、けれど元の名前を忘れたことはなかった。誰が呼ばずとも、忘れない。
「ジゼル・ノース」これもまた呪いの証だった。自分で作ってしまった証。その名前が特別な響きに聞こえる日が来るとは思いもよらなかった。
――「ジゼル」
全て浮かぶ声の持ち主は。
話をしなければならない。
「クラウス、話があるの」
「嫌だ」
「……どうして?」
「それで言うと、見合いの相手はジゼルだったことになるから俺は喜ぶべきなんだろうが、今ジゼルが言おうとしていることは俺に悪いことだろう」
「どうして言い切れるの」
「顔を見れば分かる」
顔は自分では見られないからジゼルには分からない。
クラウスの目を注意深く覗き込めば見えるだろうか。でもできない。
引きずられそうになっては、ジゼルの話はできない。
「表情では話の内容までは分からないわ」
「悪い話だということが分かれば十分だ」
クラウスな頑なに話を突っぱねようとしてくるが、ジゼルだって引き下がれない。話をするために今日ここに来たのだから。
ジゼルはまっすぐクラウスを見上げもう一度言う。
「クラウスお願い、聞いて」
「…………そう言われれば俺が無視できないと、分かって言っているのか?」
そんなことはないけれど、無視できなくなる要素があったのか。クラウスが揺らいだように思えた。
「……そうだとしたら?」
「かなり酷いからな」
ジゼルが困ってしまうとクラウスに伝わってしまって観念したか、ため息をつかれる。
短くなった髪をかきあげ、一度空に視線をずらしたクラウスが、じっと待つジゼルに目を戻す。
「聞く。話してくれ」
「ありがとう」
礼を言うなら、しないでくれたほうがありがたいとクラウスはぼやいた。
ジゼルは聞こえないふりをして、息をちょっとだけ吸った。
ありがとうクラウス、聞こうとしてくれて。
話してみれば、短い話。
言うのには、少しだけ勇気が必要になった話だ。
「私がかつては短い命を繰り返していたことは知っているわよね」
そんなに前ではなく、つい最近まで。
「細かく言うと、二十年と数年が回数を重ねるごとに少しずつ削られていきながら生きていたの」
一度目は二十五、二度目は二十四……最初を越えられず、それどころか減っていく年数。
そして六度目となり最後となる今世は、数えて十八になった。
「今回私の呪いは解けたけれど、この身体は本来ならあと数年の命だったはず」
堕ちた神が消えた時点で身体にはびこっていた力も消え去ったが、それまでに受けていた影響はどうなるのか。
この身体は一体いつまでもつのか通常の寿命が見込めるのか。分からない。
ジゼルはこの全てを言って、最終的に告げようとする。
「だから、」
「短命かもしれない。だから結婚はできないって?」
そうだ。
ジゼルがクラウスに何も言うことなく王宮を出てきた理由だった。
クラウスが以前からジゼルに求婚の言葉を向け、ジゼルはかつてはそれを流し断っていた。
呪われていたときのジゼルが、万が一誰かと結婚したとしよう。
途中までジゼルはその人と歳を重ねるだろう。けれど、必ず途中でジゼルのそのときの生は終わり死んだはずだ。
ではそのあとジゼルが生まれ直したあとはどうなるのだろうか? きっと最初はよくてもそこから歯車が狂いはじめるのだろう。
そしてジゼルは最後には置いていかれる。
送る時間が噛み合わない。辛い未来しかない。ゆえにジゼルは取り合っていなかった。
だが呪いはもうない。ジゼルは本当の意味で時間を共有し誰かと歩むことができる。歳を重ねていくことができる。
クラウスがもしも次求婚してきた場合、ジゼルは……。
でもジゼルは身体の不確かさに気がついてしまっていたから、考えたかった。自分は何をするべきなのか。
クラウスに改めて会う前に答えを出して整理しておきたかった。
そして決まった。
こんな身体の人間を妻に迎えてどうする。ふさわしくないだろう。
クラウスに言おうとしたことを引き取られて、ジゼルは口を閉じて彼を見つめる。
穏便にいきたいところだ。
ジゼルの予定では話して、そして――
クラウスが口を開いた。
「なるほどな、親父殿が嫌に強く言っていた意味が分かった。短命は理由にならない」
「ならない……って」
「ならないに決まっているだろう。元々呪いの細かいことを知らなかった俺は、短命だけだと思っていたことを忘れていないか」
「それだって、本当ならおかしかったわ」
「なんで。大体な、『かもしれない』ということは根拠がないんだろう?」
その「かもしれない」が大事なのではないかとジゼルは思うのに、一つ思い出したことがある。
クラウスは言い方はあれだが、推定でしかない条件でもいいからと賭けて〈神降ろし〉をしたのだ。そういう人柄。
言い切ってしまわれて、ジゼルは言い返す言葉が無くなってしまう。
懸命に頭を動かし、急遽攻め方を変えることにした。
「……私に置いていかれてもいいの?」
「一緒にいられない方が嫌だ」
「お茶飲み友達としてなら遊びに行くわ」
「そんなもので俺が満足するとでも本気で思っているのか? ……こんな問答たくさんだ、もういい」
縁が切れるわけではない、との方向にジゼルが持っていこうとしていると、クラウスが切るようなことを言い、笑った。
出した言葉と同じで、投げやりで力ないようで――怒っている。
何の前触れもなかったけれど、はっとしたジゼルは身体が勝手に判断して身を引いた。
それでも伸ばされる腕の方が早かった。容易く手を掴まれ引き寄せられる。
身を屈めたクラウスと正面から、さっきより距離が近く顔を合わせられる。
駄目だ。その目で覗き込まないで。
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