乙女と真実
目が覚めたけれど起こったことは夢ではなかった。
ジゼルが見たのは身体にははじめから何もなかったみたいな白い肌が続く腕、肩、胸、腹。
黒く這う模様は一筋たりともないため全てが夢であったかのよう。
しかし呪われていたことを示すのは寝ていた場所、気がつけば百年以上の時を過ごしていた部屋だった。
見慣れすぎた寝室で目覚めたジゼルは横に流れる髪を見て恐る恐る触れた。
曇天よりも黒に近かった髪は色が抜けおちたがごとく金色に変わっていた。こちらが元々だ。
ノークレス家の子どもに生まれ受け継いだ髪色をもう取り戻すことはないと思っていた。神様はここまで細部まで似せた身体をくれていたのか。
模様に加え髪色という目に見えて呪いを知らしめるそれらがなくなった。夢も見なかった。
呪いがなくなった。堕ちた神も地下神殿からいなくなり、恐らく消えたと教えてくれたのは神官長だ。
起き上がっても支障はなくむしろすっきりした感覚があるジゼルは、部屋で神官長と話をすることになっていた。
クラウスも無事で今は安静にしているということ。そんな彼に負担をかけるわけにはいかない、ジゼルはすべてを聞くことを望んだ。
「神官長……どうしてクラウスが〈神降ろし〉をすることになったのですか。神殿が隠していた方法を、なぜ彼に」
ジゼルが抱いていた恐れ。その影響があった。
今生きている人で唯一呪いの模様とそれが広がることが意味すること、ジゼルの予感……他の人も知らないことを含めてジゼルが本当に死んでしまった後、封じはどうなるのだろうかと相談したことがあった。
ゆえに呪いの証である模様のことを誰かに聞いていたふうだったクラウスが誰に聞いたのか、一人しかいなかった。神官長だ。
ジゼルがどうして神官長に相談したのか。
神殿ならば何か対策を知っているのではないかと思ったのだ。
時が少しずつ迫りいずれは来る時に備え誰かに言う必要があった。それが当時は神官であり良き関係を築いていた現神官長だった。
王宮とは何とか連携をとってもらうしかないと。なに、まだ時間はあるから徐々にと。
けれど結果として思い当たる方法はないと言われた。
〈神降ろし〉、かつてジゼルが行わせられたそれが何度頭に過ったか知れない。
当然だ、他に方法は知らず実際の成功例がある方法だ。でもあれは駄目だから……方法には入らなかった。
大勢の人が死ぬ可能性があるから。
かつて神々がどのような基準で選んだのか、ジゼルは死ななかったけれどまた適切な人材を探し出せるまで同じことを繰り返すなどおぞましい。ただの運試しでは済まない。
「ジゼル、実はなあの方法には成し遂げられるはずの条件があったのじゃよ」
「条件、ですか」
「さよう。君がかつて成功させたことは偶然ではなかったのじゃ」
なぜジゼルは成功したのか。
かつてはあれだけの死人が出たのにどうしてクラウスはその方法に踏み切り、成功させたのか。
そしてクラウスはどのようにして神殿と繋がりを持ったのか、事が終えられた今神官長は全てを語りはじめた。
神殿が119年前に行われた〈神降ろし〉を禁忌として隠すことにした理由はそもそも何なのか。
神を降ろすという行為が神々を絶対的な信仰、敬う対象にする神殿からすると許しがたい事だった。
百年より遥かに大昔、何百年と遡る時〈神託〉といい神々の言葉を聞き政をしていた時代の行動を応用し、王宮が用いた方法を即時消すべきとした。
119年前当時までは神殿と王宮の関係は密接で、〈儀式〉に使う貴重な銀色の砂は催事ごとに神々への感謝を捧げる儀式のために王宮にもあり、当時は道具も神殿を通さずとも手に入ったのだ。
これが一つ。
しかしもう一つの理由として、編み出された〈神降ろし〉がみだりに実践されるようなことになればこの世に異なる災いと混乱が広がるとして禁じたのだ。
「そもそも〈神降ろし〉などと言うからいかん。いかにも不敬であろう?」
神官長がそう言い名前に文句をつけるが、現象を表すには最適だっただろう。
「しかしわしは考えておった。君と出会い君の感じている恐れを聞いて、このままではまずいとな。何か手を打たねばならん」
堕ちた神の封じのことについてだ。ジゼルが施している封じは一時的なしのぎに過ぎず、いずれはどうなるか分からないと相談したこと。
だが神官長が手を尽くし調べても何も解決方法は見つからなかった。
〈神降ろし〉と呼ばれる術が特別であるだけで、神殿とて神々に祈りを捧げるもので神官が特別な力を使えるといったものではない。〈神降ろし〉が異例で他に特別な方法が存在するわけでもない。
それでも神官長はどうにかしなければと神に仕える身でありながら、神殿に禁忌とされた唯一の方法〈神降ろし〉を検討し続けていた。
「条件とは一体何なのですか」
「血筋じゃよ、ジゼル」
〈神降ろし〉の前身である〈神託〉、神の言葉を聞くことができるのは現在の王の血筋であるというのだ。
古来は王家と神殿という分別はされておらず、王家が神に仕える一番の者でもあった。
やがていつの時代か王家と神殿という形に割れて、神殿の責任者にも王家の血筋の者がいたはずであるが神殿の責任者とは世襲制ではない。今は途絶えたと考えられている。
「王家の血筋の人間がかつて神様のお言葉を聞くことができたように、神様に身体をお貸しすることができるという推測を立てたのじゃ」
ジゼルは王族ではない。
ノークレス家の人間であった。これが重要だった。
ノークレス家含め他二つの家は王族に続き位が高く、また貴族の中では別格と言える力を持っている。
現在はそのくらいの認識であるが、元を辿ると三家は王家から『別れ』て、できた家であるというのだ。さらに特に高い身分であるがために何度か王族との婚姻関係を持ち血を混ぜている。
古来の王家の血筋の人間。
「だから、クラウスも」
「そうじゃ」
クラウス・シモンズ。三家の一つシモンズ家が嫡子。彼も例外なく王家の血を持つ人間であるということ。
「しかしなあこれが判明したからというて王族や貴族の中の貴族に今、人材を出せとは言えんじゃろ?」
「……それらは推測でしかなかったわけですからね」
「その通り。証拠がなかった。いくらジゼルがそうであったといえどもしかすると運であった可能性もあるかもしれんじゃろう?」
119年前多大な死人が出たということは神官長の示した推定条件を王宮側が知らなかったということ。
王宮との関係が冷めきっている今言うにも苦労、信じてもらうことも出来ないだろう状況。言うことにさえ躊躇したという。
やはり推測でしかないのに言えるかというと、言えないだろう。死なせてしまうかもしれない。
かといって立てた推測からして、他の人間で試せば、先が知れているのでやるわけにはいかない。
「やはり停滞せざるを得なかった、というときだった。――クラウス・シモンズが神殿に来たのだよ」
三年前のこと。三家の一つシモンズ家の嫡男が突然神殿に現れた。
「民が来ることはあるが王宮とは昔から距離ができ続けもう今は貴族が、それも高位も高位の貴族が来ることはまずないからのお。驚いたことこの上なかったわい」
神官長は当時のことを思い出したのか笑った。
「何用かと見当がつかんものでな、ひとまず会ってみると第一声で言いおった。『ジゼル・ノースの呪いを解く方法はないか』とな」
神のことであれば神殿。
関係が希薄であろうと何だろうと関係ないとばかりの様子であったと。
「話を聞くに本気のようで、わしらにも心当たりと呼ぶべきものはあるにはある。このまま行くとシモンズ家の嫡男を預かるような形になったわけじゃろ? 少し迷うてな心当たりを話す前に様子を見ようと考えておったが、こちらの様子を悟ったか迷いはクラウスが晴らしてくれた。どんなことでもする、とは呆れるほどに真っ直ぐな男じゃったなあれは」
ジゼルは真っ直ぐなあの蒼の瞳を思い出した。
「クラウス・シモンズはわしが考える全ての要素を持つ者じゃった。条件を含め話しはしたものの、しかし条件は推測に過ぎん。クラウスにも命がなくなるかもしれないと伝えた。そうすると『死なないから問題ない』と根拠のない自信を言ってきおった」
わざわざ死ぬとの直接的表現も避けたのに。
「では次来るかどうかも分からない好機。互いに利用することとなったわけじゃ」
そうして話がついたのが、同じく三年前。
「しかしそれから三年、それほどまでの時間がかかったのは準備のためじゃ」
まず欠かせてはならないものがあった。あの天上の神々に祈り力を乞う人間の居場所を教えるかのような円、模様を描くこの世のものとは思えぬ美しい輝きを放つ砂。
希少な石を砕いたもの。宝石よりも貴重なものなので採る量も少なくさらに何段階も手間を加えるため莫大な費用と時間がかかる。量産しないのだと神官長は明かした。
王宮との縁も希薄になった関係もある。
「ここだけの秘密じゃが、行事儀式で使い回しすることもあったくらいじゃ。言い訳ではないがわしが始めたことではないぞ、なにせ時経っても清らかなものに見えるからのお。全ての準備をするために神殿のわしより若いくせして古い固い頭と考えの者たちを静めることを選ぶか、秘密裏に進めるか二つの方法があった。
結果選んだのは秘密裏に進める方じゃ。凝り固まった考えの者たちの反対が必至、119年重なりねじれたことでもある。何年かかるか分かったものではない。少しずつでも進めることを選んだのじゃ。クラウスにも分かってもらった」
神官長に絶対的に従い同意する一部の神官たちも加わり、そうして着実に準備は整えられていくことになった。
「クラウスには神殿に留まり、神官に混ざってもらい信仰心を高めてもらっておった。
さきほど条件があると言うたが、道具やらは抜きにして個人の条件は血筋だけではなくてな。信仰心がいるとわしらは考えていた。信じる者とそれほど信じない者とでは神様の恩恵は違うというのが神殿の考え。祈らない者にはまず祝福はないことと同じじゃ。成功率を上げてくれるかもしれんじゃろう」
まさに神頼み。
クラウスは神を冒涜しているまではこの国に生まれたからにはさすがにないものの、神に一々祈る――頼ろうとはしない性格だった。
三年、いなかっただろうか。出てきた三年の歳月に、ジゼルは思い出そうとする。
ジゼルはひどく薄情に映っただろうなと思う。いくら時の流れから目を逸らしていたかったとはいえ、今となればひどいものだ。
思い出してみると、クラウスが家から出たが見なかったかとの内容の手紙がデレックから来たことを思い出した。
考えるとあの手紙は……一年くらいは前だった気がする。
クラウスと久しぶりに会った魔物討伐の日、準備が整ったためにクラウスは神殿から出たばかりだったのか。
神官長がお茶会に、神官長が来るまでもないことに来ていたのは予兆だったのか。
ジゼルは思いもよらなかった。
「君にも言わなければ事は為せんから言うつもりじゃったが、少しばかり早くなった」
地下神殿へ繋がる扉を開かなければならないのでジゼルの協力は必要だった。
クラウスが激昂した流れでジゼルに呪いを解こうと言った日から、ジゼルが地下神殿に籠っている間にクラウスから事情を聞いた神官長は予定を早めることにしたと。
そして地下神殿から出てきたジゼルが神官長と話したあと、クラウスがジゼルを説得し、
「方法をごまかすくらいならすぐにやろうとクラウスが言いおってな」
方法はと尋ねたジゼルに地下神殿に行きたいと言ったクラウス。〈神降ろし〉をすることも何も言わなかった。
「わしも〈神降ろし〉をすると言えばジゼルは反対するじゃろうと思うてな、せめてさも別の方法があるかのようにすることは用意しておったんじゃが……」
ジゼルの意識を奪うことは元からの計画だった。ジゼルが方法に立ち会おうとすると予想したが実行するのは〈神降ろし〉なので、止めに入られないためにも神殿特製の強い薬でジゼルは強制的に退場させられた。
「君が現れたときは驚いた。神々が君を起こしたのかのお」
違う。強いて言えば起こしたのは堕ちた神の方だ。
少なくとも全てが終わるまでジゼルは眠ったままだったはずだったから、神官たちも含めあのように戸惑っていた。
もしもジゼルの力が一つとしていらなかったら何も言わずに為してしまうつもりだったのだろうか。
そして為されたことは。
――クラウスが神を殺した。
彼が過激な発言をした中には真実も混ざっていたのだ。「神を殺す」と。もしかすると言ったこと全て本当に思っていたことではあったのかもしれない。
「……クラウスは、堕ちた神を殺してしまったのですね」
「そうじゃな」
「神殿にはさすがに隠し通せないはずです。どうなさるおつもりですか?」
「有りのままを話す。全ては終わったことじゃ、なにわしも王宮との関係改善せねばならんと色々と騙し騙し神官長にまで登りつめたが、後に任せて引退しても構わんと思っておる。わしが為すべきと神様に課された大きなことはこれだったのかもしれん。今では壁に当たったところでクラウス・シモンズが来たのは神々が寄越してくれたと思えてならん」
嗚呼、この神官長が神官長になれた時点で神殿で変化があった証だったのだ。彼は神殿においては変わっていた部類だったから。ジゼルが相談したことを考えてくれていた。
神殿を変える必要があると神官長にまでなった。
「……終わったことで申し訳ありませんけれど、堕ちた神の封じが解けてその意味での失敗もあり得たと思います」
「君は本当に様々な可能性を逃さんな。その通り。しかしそれもまたクラウス・シモンズを信じることにした。神様以外にこれほどまでに信じることになったのは彼しかおらんよ」
そう、全ては終わった。
ジゼルは全てを聞き終えた。
「ジゼル、君の長かった役目は終わった。何と礼を言い、謝罪するべきか」
「いいえ神官長。私こそどのような感謝をすればいいのか分かりません。時間を共有していただき、ここまで動いていただいて……」
ジゼルの呪いは解けた。
堕ちた神はもうこの世にいない。
もう堕ちた神の力が地に災厄を振り撒く心配もない。封じが解けるとも。封じのために祈ることも。
ジゼルの長い長い役目は、終わった。
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