乙女の違和感
涙が止まり、自分がどういうことをしているのかじわじわと自覚してきたジゼルは戸惑った。
感情が滅茶苦茶になった状態に任せるのはほどほどにした方が良い。
流れのままに抱き締められている状況にどうすればいいのか、しばし判断できなくて考え、固まること少し。
さしあたって、握りしめていた服から静かに手を離す。
皺ができているだろう、どうしようか。よく見えないので確認しようがないので次に心を決めて胸を押す。
「あの、クラウス、離れてくれる……?」
申し訳ないが。
上手い言い回しが出てこず、聞きようによればとても突き放した言い方であろうが、ジゼルは何とかそう言った。
すると若干離れてくれて、互いの身体の間に隙間はできたのでほっとして見上げると、不満そうなクラウスがいた。
「……もう少しだけ、離れてくれる?」
「なんで離れてほしいんだ」
なんでとは。
どうしてだろう。高ぶっていた感情が収まり少し頭が冷えると状況がなんだか落ち着かず、離れてもらって安堵した。抱擁くらいされたことはあるのに。
かといって、別に急にクラウスに嫌悪感が湧いたわけではなく……。
「落ち着いたから。ありがとう」
そこで考えることを止めて、ジゼルは結局そう言った。微笑んで、お礼はとってつけたものではなく本心からだった。
「…………あ」
しかしクラウスの行動に戸惑う声を出すこととなる。
微笑んだジゼルの顔にクラウスが手を伸ばして、触れる。
途端に意識的にではなくぴくりとジゼルは反応してしまい、どこからかくる羞恥から目を逸らすためにクラウスを見る。
「クラウス?」
返事はなく、近く一番煌めく蒼の瞳が暗いからか普段とは違う色を帯びていた。
ジゼルは焦る自分がいることを感じ、頬に触れる手を掴んだ。
「――クラウス、」
掴んだはいいが、何か言わなければならないという考えに頭と口が追いつかずどうにもならない。「えっとね」と平素では言わない繋ぎを意味なく口に出しながら考える。
そして導き出してみせた。
「そう、私の呪いを解くという細かい方法を聞きたいのだけれど」
ただし決して無駄話ではなかった。
口にして、これは必ず確認しておかなければならないことだと思っていたのだと実感する。
急にジゼルの頭はさっきまでとは異なり冷え、表情も目線も自然に引き締まっていた。
呪いを解くとは、ジゼルに作用している堕ちた神の力をどうにかするということだ。人ならざる「神」の力を。
その方法が簡単なものだという考えは起こらず、一体どんなことを考えているのかと予想がつかない。
クラウスは一度は「誰であろうと犠牲にできる」と言ったが、ジゼルが混乱の最中で確認したところ「かっとしていた」ゆえに口走ったことだと言われた。
掴んだクラウスの手から力が抜けてするりと離れていった。ジゼルはその先のクラウスをじっと見上げている。
「ああ方法な……」
呟き目を宙のあらぬ方へ向けたクラウスは何かを考えている様子だった。
不安にはならない。信じると決めた。
けれど過程は大事だ。ジゼルはクラウスの発言を信じているけれど、生半可な方法では不可能だとしか考えられないから……。
クラウスがジゼルに目を戻す。
「その前に頼みがある」
「なに?」
「地下神殿に封じてあるという神の様子を見たい」
「頼み」にジゼルは一度ゆっくり瞬いた。
「いいけれど、今から行くの?」
過去にジゼル以外の人も入ったことがあり、入り口はジゼルにしか開けられないもののその他に支障はないことは証明済みなので、ジゼルは頷く。
今から行くのもジゼルは断らないが、さっきの今で早くないだろうか。
「できれば」
クラウスが真剣な表情で言うので、ジゼルも分かったと再度伝える。
ということで椅子から立ち上がろうとジゼルはした。が、
「少し待っててくれるか」
「? ええ、分かったわ」
押し留められて、疑問が浮かびつつ腰を浮かせかけた椅子に戻る。
「すぐ戻ってくる」
尋ねる暇もなくクラウスは部屋を出ていった。
パタンと閉じられる扉の動きを見ていたジゼルは、一人きりになった部屋で遅れて首をかしげる。何をしに行ったのだろう。
「……まぁ、急ぐことでもないもの……」
独り言を溢し、声なくては静かな場に一人身を委ねておくことにしたジゼルはそっと目を閉じる。
激流のごとく流れ込んで、元の流れを変えてしまった短期間での出来事。まだ何も変わってはいないけれど、ジゼルの心には大きな変化がもたらされていた。
意識しなければ、いっぱいいっぱいになってしまいそうだ。
地下神殿に様子を見に行く。行動が急だとはいってもジゼルの中には嬉しいとの感情がじわりと生まれた。まだはじまりの行動ではないかと、浮かれすぎてはいけないと戒める自分もいながら、抑えようがない。
落ち着かなければ、とジゼルは目を閉じ続けていた。
「ジゼル、待たせた」
「……クラウス。いいえそんなことないわ」
次にクラウスの声に遠ざかりかけていた意識を呼び戻されたジゼルは今度こそ椅子から立ち上がり、部屋の外へ出た。
結局クラウスは何をしてきたのだろうか、と道すがら聞こうと思っていると、
「神官?」
廊下には灯りがあった。違う。灯りを持つ神官がいた。それも五人。
とっさに後から出てきたクラウスの方を確認する。
ジゼルの部屋に神官たちが訪ねてくることなどない。そこですぐに関連付けられたのはさきほどの、クラウスが部屋を出ていったこと。
「クラウスが……?」
「呼んだ」
少し思考が追いつかない。
それ以上足を動かすことはなく部屋から出たばかりの位置で止まるジゼルは視線を移し、神官たちへ。
ジゼルから目を逸らさない神官たち。疎む色もない。
全員がそうであることにも不思議な感覚が禁じ得ないが、それよりもクラウスが? との点がうまく結びつけられない。
そういえば神官長と接点があるようだったことが思い出される。また、揺るぎない口調で呪いを解くと言ったことも。
クラウスがその術をもつのかどうかジゼルは考えてはいたが……。
「まさか、神殿と……」
「当然だろう。神の……はいはい神様な、神様のことなら専門は神殿だろうからな」
途中で神官の一人かもしくは全員の物言いたげな視線で言い直したクラウスは、それ以外は言葉通りに当然だろう、という態度だ。
当然と言われてみると釈然とする。
神々のことであればこの世で最も詳しいのは神殿、神官たち。彼らに頼ることは道理にかなっている。
しかし神殿が協力しているとはジゼルは思いもよらなかった。
神殿は119年前の出来事で王宮と関係が希薄になり、貴族たちとも関係は薄くなっているはずだ。表面だけの最低限の関係。
ジゼルに関しても、神殿にとっては許しがたい〈神降ろし〉の方法をどのような過程であれ行い神を身に宿すという不敬を行った人物だ。
稀すぎる例外は除けど、加えて堕ちた神に呪われた身の上とあり関わりたくないとの態度だったはず。
クラウスはどのような方法を使ったのだろうとジゼルは不思議でたまらない。
神官長があのような人柄なので、そこから繋がり神殿で何かの動きがあったのだろうか。
とにかく神殿がとなれば百人力だろう。それに穏便な方法があるという証拠だな、とジゼルは一つの安堵を得る。
神殿は俗にまみれた王宮とは異なった意味で犠牲を厭う。少なくとも以前使われた方法は使われないと確信できた。
「じゃあ、行きましょうか」
細かいことは後でクラウスに尋ねることと共に考えるとして、ジゼルは地下神殿へ案内をしはじめる。
時刻は夜、王宮は人々が寝静まり昼間の人の行き来は全くないとさえ言える。
最低限の人は起きていることだろうが歩いていく先は人が寄り付かない、途中からは立ち入り禁止にもなっている域だ。
着替えなくて良かった。
時刻がどの程度過ぎたか把握していないけれど、今日出てきたばかりの道を辿る中で衣服を思い出した。地下神殿に行くときの純白の服だ。
いつもは純白の服を身につけ一人で廊下を歩き、他に開ける者はいない扉を開き、下に長く続く階段をひたすらに降りて、入り口に辿り着く。
それが今複数人で向かっていることに違和感がある。
そして着いたのは、堕ちた神が封じられている空間と一枚隔てた入り口の前だ。
ぴたりと隙間なく閉じられている石の扉を開こうと手を触れさせたジゼルは神官はここにも入るのだろうかと考えが浮かぶ。
堕ちた神、悪しき力の元があると言っても過言ではない場は神官が毛嫌いするべき場だ。
そう思い立ったが、ここにいる時点でジゼルの思い浮かべる神官像とは異なっているか、と気にせず扉を開いていく。
石の扉は見るからに重そうなのだが、ジゼルが軽く押しただけで途中からは何の抵抗もなくひとりでに開ききる。
「封じられている堕ちた神は奥に、けれどそんなに近づきすぎないで――」
かの神の封じは長年経ち弱ってきているからどのような影響を与えられるか図りかねる、と考えその場に最初に足を踏み入れるジゼルは注意を促していた。その途中。
口許に肌触りの良い布があてがわれ……驚きに息を吸うとくらりと目眩に似た感覚に襲われて一気に強くなる。身体が支えていられなくて傾いた気がしたけれど、
「ごめんな、ジゼル」
謝罪の声は、薄れる意識の中に溶けていった。
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