乙女と遠縁
王宮の廊下――自分の部屋に近いわけではなく、かといってどこに用があってその部屋の近くであるわけでもない壁際に、ジゼルは立っていた。
時おり人が通るが、邪魔にならないように端には寄っているので気にしない。
普段着の暗い色合いのドレスで、黒に近い灰色の髪はまとめて後ろに流していた。
袖は手首まであり、控えめなレースがあしらわれている。装飾品はいつもの通りない。
斜め前にある窓から見えるのは、太陽の光が降り注ぐ明るい外。
どれほどの青空が広がっているのだろうか、と他愛もないことを考えたのはわずかな間だけで前を、壁に視線を注ぐことになりながらもジゼルがずっとその場にいるのにはわけがある。
「お姉さま!」
待ち人
ジゼルは目を左に向けた。
廊下の先からは、蜂蜜色の髪を揺らしながらジゼルの方へ小走りに来る小柄な少女の姿があった。
桃色の可愛らしいデザインのドレスに、首もとを飾るきらきらした宝石をあしらった首飾り、蜂蜜色の髪の上では耳の上辺りに留められている真珠の髪飾りに光が反射しきらめく。
「ジュリア、走っては駄目よ」
「ごめんなさいお姉さま!」
後ろに伴っている侍女も走る少女に似たようなことを言っていたが、肝心の本人は結局ここまで小走りで来てしまったのでジゼルも軽い口調で注意しておく。
はしたないと見られてしまう行動は彼女のためにも、くせにならないようにしなければ。
ジゼルの前までやってきた華奢な少女こそはジュリア・ノークレス。ノークレス家現当主の娘。次女だ。
お姉さま、とジゼルのことを呼ぶが、もちろん本当の姉ではなく他に習って染み付いてしまった呼び名にすぎない。
それでも、妹や弟のいなかったジゼルには嬉しくも照れもある。
元気の良い口調で謝罪を口にしたジュリアの頬は、うっすらと薔薇色に染まっていた。
ジゼルは自分より少しだけ目線の低いジュリアの様子に微笑み、その話はそこまでとしておく。
「まだ都にいたのね」
「はい! 帰る前にお姉さまに会いに行く許可をもらって参りました。お姉さま、ずっと待っていてくださったのですか?」
「ジュリアが来てくれるから、道に迷わないようにと思って」
「わたしはそこまで子どもではありませんわ、お姉さま」
ぷくと頬を膨らませる様子もまた可愛らしい。
「冗談よ。早く顔を見たかったの」
「お、お姉さま、嬉しいです!」
感情表現の豊かなジュリアがジゼルに抱きついた。
「お嬢様!」
侍女が仕える主人のはしたない行動に声をあげる傍ら、ジゼルは微笑みを深くしていた。
かつてジゼルはシモンズ家と並ぶ地位権力を持つノークレス家の人間だった。
「ノークレス」の名字を持っていた。
しかし、呪いが明らかになりそれは変わった。ジゼルが変わることを望んだ。
家を継いだ長兄が「ノース家」を作り、同じような長さの時間を繰り返し死に生まれ、家から離れたいと思ったジゼルに異なる名前を与えた。
都にノークレス家の屋敷とは別の場所に一人では立派な家もくれた。
ジゼルは地下神殿に行くのに便利なように王宮に「ノークレス家の娘」として十分な部屋を与えられており、さらにその後形ばかりの将軍位を賜り、本格的に王宮にいることになっていたからほとんど使っていないけれど。その場所があるということに、兄の心遣いを思い出す。
兄は決して、「化け物」となってしまったジゼルを疎まず敬遠せず、気にかけてくれていた。
ノースという名字を与えてくれたのは、言わずともノークレス家からとったのだ。
ジゼルのかつての家族は死んだ。
父母兄姉。百年を越えた今皆死んだ。
現在ノークレス家の当主をしているのは兄のひ孫にあたる。兄の血を継ぐ彼らは一定の年齢で真実を知り、ジゼルを家族として扱ってくれる。
使用人は別とするがそれは仕方ない。この現状がすでに奇跡のようであるのだ。
そのこともあり今もなおジゼルはノークレス家自体には住むことはない。
ジュリアを私室に通し、テーブルクロスをひいた丸いテーブルと揃いの上品なデザインの椅子に座っていてもらった。
この部屋の調度品は質素になりすぎないくらいに最低限であるが、こうして稀に人を通すことがあるこの部屋の家具はそれなりのものが使われている。
そのため、どこからどう見ても高位の貴族令嬢のジュリアが椅子に座ろうと、背景と合わせて見ても不自然さはない。
ジュリアを座らせたジゼルはジュリアが慌て侍女が手伝おうとするのを止め、あらかじめ用意してもらっていたお茶とお菓子をを運んできた。
それからあとのことは侍女に任せさせてもらうことにしたジゼルは、ゆったりとジュリアと向かい合って座った。
「ありがとうございますお姉さま」
「いいえ。あなたが顔を見せにきてくれているのだから」
「そんな……わたしがお姉さまに会いに来たかっただけです」
ジュリアは照れたようにまた頬を染めた。ジゼルが紅茶を勧めると一口飲んで「美味しいです」と笑顔になる。
本当にできた子だと、我が兄の血を継いでいるということ抜きでジゼルは思う。
今いくつなのだろうか。
最近身の回りの人の年齢を認識していないことを思い出した。
改めて見るとジュリアも可愛らしい、とは昔からであったが成長して子どもに対する可愛いではなく、なんだろう庇護欲をそそるだろうとはこういうことを言うのだろうか。
「ジュリア、あなた今でいくつになったのかしら」
「十五です! お姉さま」
すぐにはきはきと快活に答えてくれる。
「十五……」
ふむ。離れすぎているということもないだろうか。十歳差か。と考えはじめたのは一つのこと。
元々それは近いうちにノークレス家の現当主に手紙を書くか会いに行くかして話をしてみる予定だったけれど、ジュリアが会いに来てもいいかということでここで探りを入れてみることにする。
「婚約者はいたかしら」
「いいえお姉さま!」
「差し支えなければ教えてほしいのだけれど、お慕いしている方はいる?」
「はいお姉さまです!」
「そういうことではないけれど……」
一問一答みたいになりかけていたので、一旦切る。
お菓子に伸ばしていた手を引っ込めて背筋をぴんと伸ばしてジュリアがこちらを真っ直ぐに見つめているものだから、ジゼルは苦笑して気にせずどうぞという仕草をする。
「婚約者もいない、か」
「どうされましたかお姉さま?」
「そうね……お見合いの話はあるの?」
「いいえ、まだそのような話はお父さまからもお母さまからも聞いていません」
首がふるふると横に振られ、柔らかそうな髪が揺れる。
ジュリアの姉はもう結婚しているはずだが、結婚したのはここ最近だったような気がする。祝いの品を贈った。
ノークレス家の十五歳の令嬢。持ち込まれる縁談は多いはずで、すでに話はきているに違いない。
今愛娘のために条件をつけて絞っているところだろうか。
紅茶を口内にわずかに流し、目の前で小さなお菓子を美味しそうに食べているジュリアを見ながら予想する。
自分が何もしなくともこの子もいずれは結婚するのだなぁ、と変な感慨を抱く。
ジゼルはノークレス家に五番目に生まれ、女子としては三番目の子だった。
末っ子であったジゼルは生まれたときから病がちで、些細な変化で体調を崩すことの他に持病を患っていた。
ゆえにそんな「一度目」のとき、世の良家の令嬢たちが結婚を考える年頃になっても、病気があるためそう簡単に嫁がせるわけにはいかないと、母は頭を悩ませていたのだったか。
そののち神が災厄そのもののような力を振り撒き、荒らし、地上は地獄絵図に変わるのだが、それより少し前のことだ。
ジゼルは結婚には興味がなかったから、なるようになればそれでいいと部屋の中で否応なしに上達した刺繍をしていたのだった。
今では思い出したようにする程度だが身体が変われど腕は不思議と受け継がれ、上達した証として真っ白なテーブルクロスを、見事な花が彩っている。
そんなことを思い出してしまってから、ジゼルはティーカップをそっと卓上に戻してジュリアに話を振る。
「あなたたちはまだ都にいる?」
「はい! もしかして遊びに来てくださいますか? お姉さま」
「ええ。可能ならできるだけ早く、あなたたちが領地に戻る前に。だから伝えておいてくれる?」
「はい! お待ちしています!」
ジュリアと彼女の父親と意見を聞きながら良いようなら数日前の話をしてみよう。
そう思い、この場ではそれ以上進めなかった。
ジュリアが嬉々として話す、会っていなかった期間に起こった不思議と尽きる様子がない話に飽きることなく耳を傾けていた。
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