呪われた乙女は、御曹司に求婚され続ける
久浪
呪われた乙女は求婚され続ける
呪われた乙女
──ジゼルは呪われている。
「将軍ー!」
馬に乗るジゼルは、軍服で馬に乗り、駆けていた。
後頭部でまとめた髪は、雨を降らす雲よりも濃い灰色の長く、緩くウェーブした毛先が揺れる。
ジゼルは、張り上げられた声に反応し、広いばかりで植物の緑全くない荒れ地の右手を見る。
茶色の馬に乗った軍服姿の男が手を上げていた。
ジゼルが見たと分かるや、腕を動かし最後に自らのより右手を示した。あちらに行くということだ。
「了解!」
受けたジゼルもまた声を張り上げはしたものの、了解の意を合図する。
と、同時に右手に持っている剣でさっきから近づいていた黒い塊を突き刺す。的確に、今までのことで判明している弱点を刺す。
昔この地で封じられた神は未だに地上にあり、封じられている。
実はジゼルは『代々』その堕ちた神の封じのために神々に祈り続けるという役目を負っている。
しかし今馬に乗っている理由は祈るためではないものの、それに関係がある。
堕ちた神はたしかに『封じられている』のだが、完全に封じることは難しく漏れている力があるのだ。
その力が及ぼしている影響があり、かの神が地上を侵す際に自らより産み出した魔物という存在が時折どこからともなく現れ、人々を襲う。
それがこの『黒い塊』だ。
四つの足があり、牙があり、鋭く長い爪があり、目のようながあるそれは一見すると獣のように見える。
しかしそれらは獣にない害を持つ、堕ちた神の生み出した手下でありその力そのものでもある。
ジゼルはこうして国にときどき現れるそれらを馬を駆り、討伐しに来ている。もう100年以上になるか。
裏では堕ちた神を封じ続けるために祈り、表では溢れる力により生み出される魔物を退治する日々も慣れたもの。
そうだというのに、しばしば「時」というものは少しばかり変な風に形を変えてこのように目の前に現れる。
たとえば、まさにジゼルの目の前に立ち乞うてくる、上背のある男。
場所は華やか賑やか活気ある首都より遥かに遠く離れた地だ。
ジゼルは一旦馬を降り、見える魔物がいなくなった荒れ地を見渡していた。そこに、近づいてくる蹄の音がしたのだ。
「俺の嫁になってくれ」
ジゼルの目の前にいるのは一人の男だった。
男の闇夜のような完全なる黒ではない色の髪に、蒼の輝きを持つ鋭めの目つきは今は和らいでいるが、顔全体の作りからして鋭い容貌を持っていることに変わりない。
身につけている衣服は彼が本来身につけているべきそれではなく、汚れ見える旅装束と取れる服装。腰には今しがた収められたばかりの剣は装飾など施されておらず、実用一筋に見える。
それに対するジゼルは、かなりの長さがある髪が風で靡き視界にちらついたことに若干の鬱陶しさを感じ、その髪を思いっきり後ろに払っておく。
それから、男を見て首を
「クラウス、なぜここにいるの?」
「もちろん、ジゼルに会いに来た」
「あぁそう。それよりここがどこだか分かっているの?」
「見たところ魔物討伐後の多少荒れた地だな」
「そうね」
濡れた剣を一度振り鞘に収めながらジゼルが正解だという相づちをうつ。浅い息が口から勝手に出た。
首都ではなく人が住むような場所でもないここに、分かっていて来たのだ。
呆れてしまうのは自然な反応だろう、しかしすでにジゼルは呆れるのに飽きた。
ジゼルたちは手分けしてこの地に出た魔物を退治していたわけだが、腕は否応なしに立つようになったものの、本業の軍人ではないジゼルが一人で一つの場所を任されたということではない。
飛ばしてきたため途中で引き離してしまったようだった。乗馬の腕前も否応なしにそれなりになっているのだ。
かなりの距離駆けて止まったときには一人であったのだけれど、馬を駆って誰よりも早くジゼルに追いついたのは部下ではなかった。
しかしながら、その自らが率いてきた兵よりもよほど立つ腕の名残を見てとりジゼルはやれやれと思う。
「とりあえず引き上げようかしら」
「反応が薄すぎるだろう、ジゼル」
「そう? ずっとここにいたいのなら止めない……わけにもいかないからやっぱり離れるわよ」
「そういうことじゃなくてな」
後ろからかけられる声に足を止めることはなく、ジゼルは馬の手綱を引き来た方に向く。
周りに転がる物体を器用に避けるが物体から広がる溜まりは避けようがなく、踏んで歩きはじめる。ブーツに液体が飛ぶ。
汚れはもうついているから、戻ってからまとめて落とす他ない。落ち難いから棄てるはめになることも想定している。
歩く地面にすっぱりと深い切り傷残し転がる大きなものたちはすべて人を襲うことしかしない、害しか与えない得たいの知れない
まったく厄介なものを生み出してくれるものだ。
本当に元は地上に祝福を与えてくれていた神々のうちの一柱だったのだろうかという疑惑が浮かんでくる。
元々災厄の神だったのではないか。
「――クラウス、あなた覆いをしていないじゃない!」
魔物が出す息――瘴気は人に毒だとされている。
その事実を何とはなしに思い出したジゼルは同じく馬を引いて横に並んだクラウスの口元が無防備なことに気がついて慌てる。
「来るのならきちんと覆いをなさいよ」
「とれた。それにジゼルはしていないだろう」
「私はいいのよ」
こちらは慌てたのに、当の本人はこの反応だ。
ジゼルはいいのだ。魔物の元である堕ちた神が封印してある場所に行き、封じてあるとはいえ魔物を地上に生じさせる力を漏れ出している本体の近くにまで行くのだから。
それに呪われた身で寿命が縮まるということを気にしても仕方ないからだというのに。
まったく……と一つまた呆れて足を止めるとクラウスは少し遅れるが誤差の範囲で、素晴らしい反射神経を発揮して同位置で止まる。
賢い馬は逃げないので、手綱を離して少しあった距離を詰める……
「屈んでくれる?」
詰めて手を伸ばしたがしかし目的を達成できそうにない。
こんなに背が高かっただろうかと首を傾げるのは置いておいて目的のためにジゼルが仕方なく言うと、ここだけは素直にクラウスは上体を屈めた。
改めてジゼルが手を伸ばすと、首もとを飾る用途に変わっている、にしては少々彩りない布をぐいと引っ張りあげて口元だけでなく鼻まで覆い隠してやる。
少々息苦しくても仕方ないだろう。
仕上げに小さく祈りをほぼ口の中で呟く。
ことあるごとに神々に祈りを口にする国民性なのだということで、今は神々に祈ることにより悪いものである魔物の瘴気を避けてもらおうという意図である。
堕ちた神を封じ続けるために定期的に神々に祈りを捧げるジゼルにとっては、息をするように自然な行為でしかない。
「いいわよ」
黙ってされるがままのクラウスに言った。
まだ若いというのに、若いからこそ身体を大事にしないのだろうか。
やれやれとついでに全身を眺めるとなんと酷いものではないか。どこに行っていたのか服装に各地のどこという統一性が見られず、文化が混ざりあったみたいな独特の服装になっているし汚れに汚れている。
この地でついたばかりであろう液体が一番派手なものになるだろう。
「――どうしたのよ」
束ねられてもいない長い髪が布の下からはみ出して風に揺られている上から、下の靴に目が至ろうかとしていたとき、視界は見ていた布の色一色に染め上げられた。
覆いを直して元の通りにした距離が今度はあちら側から詰められ、なくされたのだと悟るのに時間はかからなかった。
汚れ云々は別に自分も汚れているから今さらどうってことないが、
「久しぶりだからだろう」
「そんなに久しぶりかしら?」
「……酷いな」
「?」
「ジゼルが俺のために祈ってくれたからお返ししようと思っただけだ」
クラウスの低い声による祈りが微かに耳に届いた。
ほぼ呟きの大きさのそれはすぐに終わり、ジゼルが離れた身体の持ち主を見上げる。
「ありがとう」
「どういたしまして」
別にいいのに、と思う。でもそうしてくれることには少し嬉しさを覚えた。
蒼い目と視線がぶつかる。
他の部分が覆われているとことさらに鋭さ際立つ目が細められ静かだから、足を止めた目的は果たしたはずのジゼルもしばらく目をはずさなかった。
けれどすぐに今どういう状況でここにいるのかを思い出す。
「そうだわ。そもそもここを離れるのよ、行くわよ」
「おう」
宙に垂らしていた手綱を握りなおした。
ジゼルが再度向かいはじめた先にはさっきまでは地に転がる黒い塊以外は何もなかったのに、小さな豆粒程度の人影が見える。
あれこそ連れてきた兵士たちだ。
現れていた魔物はすべて討伐し終えたようだ。今いるものを退治したならもういないだろう。これであとは首都に戻るだけ。
「あぁそうだ。あなたが家を出たから見かけなかったかと手紙が来ていたから帰りなさいよ、クラウス」
ジゼルは横を行く男について唐突に思い出したことがあって、伝えておかなければと「友人」の息子に思い出した言葉をかけ、馬に跨がった。
「気が向いたらな」
「ついでに私が責任をもって連れて行くから大丈夫」
「一緒に来てくれるのか?」
「一緒に謝ってほしい?」
「誰に謝るんだ」
「あなたの父親でしょうに。それと母親。心配しているでしょう」
どうだっただろう。うん、いつかは忘れたけれどたしかに手紙も来たし家に訪ねて行ったときも聞いた気がする。
心配……していたしていた。
背を向けた方向も、身体の正面を向け再び馬で駆けはじめる方向もたいして景色は変わらない。
何をない地。人里に至る前の地、荒れ地だ。
その地には春を語る華やか鮮やかな花はひとつもなし。芳しい香りもあるはずなく、あるのは人やただの生き物とは言いがたい『異質なもの』から流れる血とは認識し難い液体と奇妙なにおいのみ。
ジゼル・ノース、堕ちた神を封じを安定させるために天上の神々に祈り続け、今は国軍が将軍の肩書きを「形だけ」持ち自ら駆けてきた国の端に現れていた魔物討伐がたった今終わったところであった。
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