中野のスリと暗い朝陽

 中野のアーケードが仕事場だ。いつも人が多いし、雨も関係ない。


 JR中野駅北口を降りてすぐ。急ぎ足で会社に向かうビジネスマン、不規則な動きをする暇な買い物客、つまらないことを面白いと信じ込んでいる若者や学生……そういった奴らがごった返している。そして、俺は奴らの財布を盗んで暮らしている。


 こんな生活望んだわけじゃない。ギャンブルにハマり、パチンコや麻雀、競馬、カジノとかに手当たり次第やった結果、暮らす金がなくなってヤケクソで始めただけだ。


 博才はなかったが、盗人の才能はあったようだ。あれから10年。俺は通行人を装って、警戒心の薄いやつの財布を狩る熟練ハンターになってしまった。


 立川から25分で仕事場に着く。月末が近いから、家賃と光熱費を捻出しないと。入り口のところにある大判焼き屋を通るとき、いつも1日の目標を決める。今日は10万だ。その理由は、ここが日常と非日常のターミナルになっていると思っているからだ。


 いつも行列ができている大判焼き屋。並んでいる奴らは恋人同士か、家族か、友達か……誰しもが笑って会話をしている。1日の終りなのか、中野を楽しむ始まりなのか、ともかく幸せそうなのだ。たまに一人で買ってるヤツは除外するけど。それすらも、誰かに買っていくものなのかもしれない。



 それがたまらなくイヤだ。今から、仕事をするというのに、勝負をするというのに、自分と離れた場所で暮らす見ず知らずのヤツから嘲られてる気がする。だからここで目標を立てている。「今に見てろよ」という独りよがりなイラつきと、今日を無事に越せるよう願掛けをしながら、ここで目標を立てている。でも、今日は人が並んでいない。こういう時はゲンが悪い。



 稼業で大事にしていることは「いつも通り」やることだ。いつも通り群衆に紛れてカモに標準を定める。いつも通りすれ違うやつの財布に手をかける。そしていつも通り消えていく。



 こういうのをビジネスマンはルーティンって言うんだろ?俺も一緒だ。現場に入る時は右足から入り、仕事をするときは右手で抜き取り、金は左手で数える。



 そいつが当たり前に出来るように、いつも通りじゃなきゃいけない。俺の体調も街の風景も行き交う人数も……いつも通りじゃなきゃいけない。こういう日は良くない。ゲンというか回りが悪い。



 帰るという選択もある。しかしだ。明日も仕事をしようという気持ちになるとは限らない。やる気があるときにやるというのもルーティンだ。いつも通りになるまで時間をずらすと決めた。



 時間を潰すために、アーケード内にあるパチンコ屋に入る。大小合わせて2店あるが、大規模店の方はライター取材だかで店中ゴッタ返していた。



 歩くのも気を使うほど混んでいるということは、店が力を入れているという証拠だ。こういう日は客も熱くなって、出そうな台を見つけることに固執する。言い換えれば、それに思考を奪われるということだ。僥倖というやつだ。



 薄暗いスロットの島を徘徊する。おもむろに客が立ち上がってどこかに歩き去る。俺は彼が座っていた席を見る。台は次ゲームで大当たりになる画面になっており、下皿にコインと財布がある。トイレに行ったんだろう。この店は規模に比べてトイレが足りない。時間は12時。しばらく帰ってこれないだろう。



 俺は迷わず席に座り、財布とコインをプラスチックの箱に入れる。隣の客が横目で見てきたが、すぐに自分の台に視線を戻した。俺は箱を持ってその場を後にする。小規模店に行き、盗んだ財布から金だけ抜き取って、トイレの個室に捨てた。入っていた免許書を見たら、38歳だったみたいだ。いい年して、自己防衛できないやつは強者の餌に甘んじていればいい。



 パチンコ屋にいる客は、ケチで無防備な奴が多い。何年も同じ服を着て、手作りのおにぎりやサンドウィッチと水筒などを持って、一万円を台に突っ込んで20分で溶かす。時折、台がビカビカっと赤く点滅したかと思ったら、備え付けられたボタンを何度も殴りつけ、台に対して手を振るなどの奇行を始める。全国どこの店にも、こんな奴はいる。



 大規模店に戻り、パチンコの島に行くと「5万入れてんのよ!魚群!魚群!」などと叫んでいる壮年の女がいた。奇行を繰り返し、無事大当たりをしたかと思ったら、自分の実力だと言うようにドヤ顔でタバコを吸い出す。



 そういった奴らは、似たような奴らと仲間になり、大当たりをしたら夢中で感想を言い合う。その横に座って客を装い、ドル箱に入れてある財布を抜き取る。



 近くの公園の公衆トイレで福袋の中身を確認する今度は免許証はなく、病院の診察券しかなかった。ドナー提供に同意すると記し、手書きで「角膜ひとつ50万。腎臓300万、肝臓ひとつ200万。心臓1000万、肺はひとつ400万。これを遺族に渡してください。タバコもお酒も止めました。健康だけが取り柄です。迷惑をかけた家族にお詫びをしたいんです。どうかよろしくおねがいします」とメッセージを沿えていた。



 医療機関をヤクザと勘違いしているのか?パチンコ屋の客は本当にバカだ。本当に遺族に申し訳ないと思うなら、パチンコを辞めるべきじゃねぇのか? たかたが数万の稼ぎが得られるかもしれないギャンブルのために、朝から弁当を作って、わざわざ足を運んで。「5万負けてんのよ!魚群!魚群!」ってなんだそれ?財布の中に10万入っていたから、15万も入れてきたのか?3分の1を2時間でスッたというのか? 15万と言ったらフリーターの月給だぞ?



 15万持ち歩いていて、このメッセージだ。あのババア、どんだけパチンコにすがってるんだよ。持ち金の3分の1突っ込んで、あのドヤ顔。ダメだ。笑いがこらえられない。



 さっきのスロットバカもそうだ。20万入れてやがった。大方イベント回りしているスロプロなんだろう。財布の中身が全財産じゃねぇのか?税金も年金も払わず、安いギャンブルで時間を潰す未来がないバカども。彼らへの嘲笑が止まらなかった。身体障害者用の公衆トイレの個室。昼2時。笑い声が響く。しばらく止まらなかった。。



 当初の目標額の3倍にもなる30万。これが今日の上がりだ。ゲンを担ぐために入ったパチンコ屋が偶然にもイベント日で、予想を上回る稼ぎを手に入れた。うまく行き過ぎているのも良くない。いつか絶対にツケを払わなければならない。運の調整が必要だ。ツケは自分でコントロールするもんだ。



 昼3時。早めに支払いを終わらせ、小規模店でスロットを打っている。今日は10万まで負ける。残りの10万で生きればいい。人様の金だから、平然とした顔で3枚目の諭吉をサンドと呼ばれるシュレッダーにかけ、500枚のコインに変える。そのとき隣に座っているやつから肩を叩かれる。



 振り返ると女だった。肩まで伸ばした髪を茶色に染め、ゆるいウェーブをかけた20歳くらいの若者。幼さと美しさが同居している顔立ちで、スラっと伸びた四肢をデニムとTシャツでというラフな格好で包んでいる。女はスマホを操作し、俺に見るように差し出してきた。「天井付近でお金無くなっちゃいました。出たら返すので、お金を貸してくれませんか?」と書かれている。



 彼女のスマホを操作し「いくら?」と問い返すと、女は1万と返した。もしも投資分帰ってこなかったらどうするのかと問うと、なんでもすると言う。若い女のなんでもする。これほど魅力的な取引はない。帰ってこなくても風俗にでも売り飛ばせばいい。その女に一万を貸し、女についていく。女が打っていた台を見ると、なるほど天井まで200ゲーム近く。一万で足りるな。




 女は一万をサンドに突っ込み、顔を青くしながらレーバーを打ち下ろしていく。今さらながら怖くなったのだろう。天井までいっても最低保証枚数のみで、天井の恩恵を活かしきれる確証はない。それどころか、天井まで数10ゲームで当たってしまい、クソみたいな出玉で終わることも多々ある。




 天井まで50ゲーム。俺は「もし、天井まで行かないで当たっちゃったらどうしよっか?」「天単もありそうだよね。神様だって仕事しないときもあるし」などと煽ってやる。女は泣きながらレバーを下ろす。残り20ゲーム……天井準備のため、台が慌ただしくなっていく。残り10ゲーム、9ゲーム、8ゲーム、7ゲーム――残り6ゲームで液晶に「1」が揃った。



 少なくとも天井までいけば可能性はあったかもしれない。もう一度勝負が出来るほどのコインが出たかもしれない。そういう台だ。しかし、それ以外で投資枚数を超える枚数を得るには奇跡的な展開以外はない。



 そして、ギャンブルに、少なくともパチンコ屋にはタラレバはない。だから、この女はこうやって泣いている。見も知らぬ男にホテルに連れ込まれて、これから起こる未来を想定して、嫌悪して泣いている。とりあえず女にシャワーを浴びるように言う。女が消えた後に、知りあいの女衒に売りたい女がいると連絡する。女衒は、2時間後にホテルへ来ると返した。そのうちにシャワーの音が消えた。



 黒いワンボックスに女が乗り込み、女衒が携帯で振込を済ます。支払いはビットコイン。彼女の人生は1億nemで買われていった。俺は何年かに起こる幸運に感謝していた。女を売り飛ばして入ってくるであろう金を想像すると、嬉しすぎて笑いをこらえられない。ニタニタしながら、帰路に歩みだすと、背中に固く、鋭い衝撃が走った。



 痛みをこらえて何が起きたのかと振り返ると、バカなスロット男がバットを左肩に担いで、右手にナイフを持って立っていた。やはり、俺はルーティンを間違えた。思いがけない幸運に調子に乗ってしまったんだ。



 行き過ぎた幸運は不運を呼ぶ。それは変わらない。唯一間違えていたとすれば、ツケは自分で管理するってことだ。ツケは取り立てられるもので、管理するなんて傲慢だったな。



 そう思った瞬間に、首に冷たくて熱いものを感じた。鼓動が早くなり、流れ出した涙が止まらない。眠いわけじゃないのに、目が重たくなる。



「やけに暗い朝だな」と思ったが、それ以降のことは忘れた。

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