音
東京で暮らして10年。ミュージシャンを目指し続けているが、そろそろ今後を考えなければならない30歳の冬の話だ。良かったら聞いてほしい。奇妙で悲しい出来事を。
バイトが終わって家に帰る。ポストに3通の手紙が入っていた。いずれも、オーディションを受けたメジャーレーベルからだ。結果は分かっている。
(パソコン持ってないって言ったら、わざわざ書面で落ちたって知らせて来やがった……さすが大手。金余ってんな)
そんな自嘲にも似た独り言を漏らして、念のために封を切って確認する。
結果は予想を裏切ってくれた。3社のうちの1社が、プロデューサー付きでという条件でデビューさせてやるというのだ。その文面に、俺は激怒した。人の力に依らないと売り物にならないと言われたのと同じだからだ。
しかし、同時に悩みもした。30歳の職歴なしフリーター。今さら一般社会で生きるには気が引ける。どうすればいい?何が正解なんだ?
差し出しの日付を見てみると3日前。俺がオーディションを受けた日に出してくれたみたいだ。ということは何かしらの可能性を感じてくれたのだろう。実質、夢から目標に変わった業界に携われるラストチャンス。入れば自分の好きにさせてくれる可能性もある。デビュースべきだろう。
―――だが、いいのか?もう若くない。都合のいいように消費されてダメになったら捨てられるのは嫌だ。それなら、インディーズで地道に活動して、ファンに支えられながら地味でも堅実に生きるのはどうだ? いや、そんなのは嫌だ。金がほしい。自分の好きなことで名を売って、金に不自由しない生活がしたいから始めたことだろう?いや………しかし……
そんなことを何度も考えていた。我に返ると温くなった250mlのビール瓶を握りしめていた。床に目を落とすと、空になった緑の瓶が5本ほど床に倒れている。
おかしいだろ? 前提として、デビューしたら必ず成功するという前提の悩みなのだから。今思い出しても殴ってやりたいよ。でも、そんなことを悩んでいた。それほど当時は貧しかったんだ。
気がつくと朝だ。「やばい! 寝なきゃ!」と思い、眠くもないのに布団に入った。だけど、自問自答が止まらない。無理やり、現実にやらなければならないことについて考える。
(後、4時間後にバイトで、その後はレッスンか……何時に終わるか分からないから、マジで寝ないと)
通勤通学時間に差し掛かったらしく、部屋の外では学校に向かう子供の声や自国に電話をする外人の声がうるさい。まるでノイズみたいだ。その音を防ぐべく、耳栓を取りに机の上の雑貨入れに手をのばす。
(マジうるせえ! 売れたらまず引っ越そう)
苛立って思いっきり壁を殴る。押し入れから「ゴトッ」と何かが落ちたような音がした。
(何か落ちたかもな。いいや、めんどくせえ。着替えるときに開けるしほっとこう)
その後耳栓を入れる瞬間に、眠るために、強めのウィスキーを割らずに流し込む。体中に熱がまわり、目に血液が集まっているのが分かる。いつもはすぐに眠くなるのに、今日のアルコールは仕事をしない。
目が覚めると、すっかり夕方になっていた。バイトは遅刻なんてもんじゃない。携帯を見ると着信が8件。すべてバイト先だ。
(やべえ、またやっちまった……今日店長いる日だったか。クビだな)
諦めを呟きながら店に電話をかける。3コール目でホールの馬渕が電話に出た。
「お電話ありがとうございます! サイ○リヤ○○店です」
「お疲れ様です。永井です」
「お疲れ様です……」
「店長います?」
「ちょっと待ってくださいね」
電話口から、馬渕が店長を呼ぶ声が聞こえた後に保留音が鳴る。
(保留にしてから呼べばいいのに)と思った。5年間も世話になっている店をクビになるかもしれないのに冷めていたんだ。
「お電話変わりました、湯元です」
「あ、お疲れ様です。永井です。今日はすみませんでした」
「どうしたんですか?」
「すみません、起き上がれませんでした」
「体調不良ですか?」
「はい」
「無断欠勤はクビですので。 都合の良いときに制服返しに来てください。いつ来ますか?」
「じゃあ明日で……」
「分かりました。お大事に」
そう事務的に告げて、店長は電話を切った。やっぱりだ。半年前に赴任した湯元店長に期待したらダメだ……。職がなくなった。一層今後の身の振り方を考えなきゃ。
窓の外から子供の声がする。もう下校の時間か。寝るときも起きるときも子供の声。家庭を持ってない俺にとっては、名も知らぬ子供に「社会不適合者」となじられている気がしてならない。その声から逃れるたくて布団をかぶる。
(やめてくれ! 黙って帰れよ!)
綿が偏っているせいか、それともそんな機能が最初からないからか収まらない。
「消えろ無能」「所詮いらないやつなんだよ」「勘違いしてんじゃねーよ」
そんな風に罵倒されている気がして、その音を自分の声で掻き消そうと叫ぶ。でも、声が耳にこびりついて離れない。悲鳴にも似た声を上げ続けていると、なじり声の中にノイズが入っていることに気がついた。周波数が合っていないラジオに走るような、そんな機械的なノイズだ。それに気がつくと、外の音と同じくらいの音量で、不規則に鳴っていると気がつく。
(ノイズ? 外から??)
窓を開けて通りを見るも、下校中の小学生がふざけあっている姿しかなかった。彼らが持っているのはカバンだけだし、あれだけ大きいノイズが出ているならば、本人たちも大騒ぎだろう。
しかし、当人たちに焦った様子はない。じゃんけんで負けたやつが、電信柱から電信柱まで荷物を運ぶ遊びに夢中になっているだけだ。その間も、ノイズは鳴り続けている。
(気持ち悪い……どっから鳴っているんだ?)
子供の声がなくても不規則に鳴るノイズ。俺はだんだんと怖くなった。
(ダメだ! ちょっとおかしくなってるみたいだ。 早めに行こう)
レッスンに向かうために着替えるようと押し入れを開けたときだ。金属でできた何かが転がり出て、右足の先に乗っかった。痛みを覚えるわけではないが、指先に伝わる突然の意外な重みに驚愕する。
腰を抜かしながら恐る恐る見てみると、それはラジカセだった。
カセットテープへの録音機能がついた年代物のラジカセ。上京したてのときに中古で購入し、単1電池があればどこででも音楽を聞けるし、録音できるしで購入したものだ。ノイズだと思っていたのは、録音環境が整っていないのに、ラジカセ機能だけで撮った当時の音源だった。
時代の入れ替わりで、カセットテープからCD-R、SDカードに変わり、録音機材も変わったからしまいこんでいたんだ。先般までなっていたノイズは、コイツから発生していたみたいだ。落ちたキッカケで再生ボタンが押されたのだろう。
(懐かしいな……あの頃はバンドを組んでいたっけ。 リュウ、元気かな)
懐かしさで聞いていたら、ノイズがクリアな雑踏の音へと変わる。マイクが割れるほどの音圧で引いていた相棒のリュウのギターと、それに負けない音量でがなっていた俺の声が止んだからだ。どうやら上京したてのころにやっていた路上ライブが終わったようだ。録音ボタンを切り忘れたようで、移動していてもリュウと俺の会話が録音されている。
「なぁ永井。 話があんだけど」
「あん?なによ?」
「……違うやつ探してくんねぇかな?」
「は!? なんでだよ!」
「ゴメン。聞かないで。とにかく出来ねーわ。ゴメン」
「おい、ちょっと待てよ!」
ゴツゴツとぶつかる音がする。どうやら走っているようだ。ゴツゴツとぶつかる音に、車が走る音、街に流れるアナウンスが混じっては消えている。
「バタン」という音の後、急に静かになる。どこかに置かれたようだ。
―――――――「ゴメン。永井。ゴメンな」―――――――
ややあって、リュウが俺に謝っている声が聞こえた。リュウの部屋に着いたみたいだ。
「俺、もうギター弾けない」
「記憶が無くなっていく体になるんだって」
「今は大丈夫だけど、多分、お前のことも忘れちゃう」
「もう親父とおふくろの名前も忘れちゃったし」
「俺、ダメみたい」
「ふたりでB'zになろうって東京来たけど……ゴメン。俺、松本さんには成れそうもない」
「でも、お前は稲葉さんも超えられるし、すげぇやつだって知ってる」
「本当は面と向かって言いたいんだけど、お前の顔を見たら言えなくなる」
「だから、俺が裏切ったって思っていてくれ」
「次に永井の隣でギターを弾く人。永井は意地っ張りで、考えを変えないから大変だよ、でも、誰よりも音楽を作る才能がある人だから、見放さないでね」
「永井、本当にゴメンな。俺、お前が大好きだよ。夢、叶えてくれよ」
テープはそこで切れていた。気がつくと、俺は泣いていた。自分の部屋だから、ラジカセにすがりつくような姿勢で思いっきり。どれくらい泣いただろうか。俺はスマホを手に、手紙にあった電話番号にダイヤルした。
これが30歳の冬に起きた話だ。あのときに会ったプロデューサーは、俺のやりたいことを汲んでくれて足りない部分を補うというやり方でプロデュースしてくれた。
デビュー前にリュウの実家を訪れ、ご両親にリュウの今を訪ねたら亡くなったという話を聞いた。海が見えるリュウの墓に、あいつが好きだったラッキーストライクを備えたとき、自分の中で何かが解けた気がした。
今の俺はやりたいことを高いクオリティでやらせてもらっている。
これだけ聞くと、亡くなった元相棒の思いを聞いて奮起したスターの話に聞こえるかもしれない。苦悩を乗り越えて成功する美談に終わるかもしれない。どこにも悲しみも奇妙さもないと思うだろう。
しかし、俺は言っていないことがある。
あの日見つけたラジカセが、いつから家にあったかも知らない。もう一度聞こうと巻き戻しても、中にカセットテープは入っていなかった。今後を思い悩む俺に、リュウがラジカセに形を変えて、背を押しに来てくれたのだと思っている。
だから、このラジカセは今でも俺のところにある。
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