第184話「陽炎の夢」後編

 第九話「陽炎かげろうの夢」後編


 俺が聞き及ぶ東外とがいんとは――


 そもそもの話、東外とがの最上段位は”かいでん”だという。


 全ての技を会得し、それらを使いこなせるかいでん者の現役は全国でも数人程だという。


 その上に君臨するという噂の”いん”は……


 開祖である初代が編み出したという秘伝の技を受け継ぎし者に与えられるという。


 だが、実際は名目上存在するだけで東外とがの歴史上でも会得した者は無い。


 すなわち、その”秘伝”とやらの存在も怪しいものだと……


 「……東外とがに……興味が?」


 「ていうか、武術をたしなむ者のはしくれとしての俗な知識かなぁ?」


 俺は自身の事は極力誤魔化しつつ、会話を継続するのに影ながら尽力していた。


 また戦闘態勢にでも入られたら厄介極まりないからだ。


 「……で?お姉さん、まだ俺をるつもりなのか?」


 そして、そろそろ本格的な交渉に移ろうとも考えていた。


 そうそう、ちょっとだけ戻るが――


 先ほどの女の言葉に”段位はもう意味は無い”とあったが、俺がそれにさして疑問を持たなかったのは、”妹からのお願い”を快諾した瞬間から実は下調べに余念が無かったからだ。


 ――お目当ての医師が花房はなふさ 清州せいずなのも、


 ――この地に夜盗が度々来襲していた状況も、


 そしてこの女の素性もある程度……


 請け負った仕事の背景を事前に調べるのは鉄則だからである。


 とはいえ……


 予測外イレギュラーな出来事は常に日常に潜む。


 「ええと、どうだ?」


 俺は笑みを絶やさず談笑を装うが、両肩に受けた負傷による激痛で常に額には玉の汗が浮いている状態だった。


 「……………………貴方には邪気は無いみたい」


 ――もっと早く気づけよ……はぁ


 やっとの思いでその言葉を引き出した俺は、負傷による体調不良も相当なものになってきたのでサッサと本題に入ることにする。


 「提案なんだけど、”俺”の庇護下に入る気はないか?」


 「?」


 ――とはいえ、ちょっと急ぎすぎたか?


 この”愛想を何処かに落としてきた女”が、そういう顔になるのも仕方がない。


 そんな俺の言い方だったろう。


 「ええと……最初にも名乗ったけど、俺はこの臨海りんかい領主の三男で鈴原すずはら 最嘉もりよしなんだけど」


 生まれつき身体からだの弱い妹のお願いで名医を訪ねてきたのが事の発端だったが……


 俺自身、噂の”潜り医者”との面会には多少なりとも興味があった。


 そして、妹のお願いを受けてから対象を調べる過程で更なる興味深い情報も入ってきた。


 ――”潜り医師”花房はなふさ 清州せいずには数年前から弟子がいる


 それは若い女で、腕はかなり優秀らしくなおつ……


 師の護衛も兼業するその弟子は、決して治安の良くない旅の先々にて訪問先の村々を夜盗や傭兵崩れの荒くれ者達から何度も守ったという、そういう興味深い情報が耳に入ってきたのだ。


 ――なに者だ?その弟子って……


 どうやらその者が賊の撃退に使用したという武術が無手によるもので、そして武門の源流足る東外とがの流派から神童と呼ばれていたひとりの女が数年前から行方知れずという……


 そういう諸々の情報が俺の中で絶妙に一致した時から、俺自身の興味は依頼された医師本人よりも、その弟子に向いていたわけで。


 ――噂の破格な個人的武勇は本日、既に確認済みだ!


 だが、本当の意味で俺が興味を惹いたのは……


 盗賊団や強盗団という複数人相手から複数人の保護対象を何度も守り抜いたという事実で、どれほど武勇があろうとそれは一個人では不可能な芸当だ。


 俺が考えるに、その偉業には最低でも二つの条件が必要不可欠だろう。


 ひとつは単純に人員の頭数……


 多数の襲撃者から多数の民間人を保護するには、同時進行で事を成せるだけのある程度の役割分担が必須である。


 私兵を持たない医者の弟子という立場の個人としては現地調達……


 つまり、戦闘経験がほぼ皆無の村人を即席的に指揮していたということになる。


 これはその人物に統率力という才能の片鱗を感じさせる話だ。


 そして二つ目はより重要で……


 現在いまに至るまで国家が手を尽くしても、出現時間も根城も掴めなかった組織的な犯罪集団はゲリラ戦を常としているからで、それは言い換えれば情報戦に精通している集団ともいえる。


 数的不利を埋めるためのゲリラ戦法のプロにさらに寡兵の素人集団で打ち勝つ!


 物理的に数の上で不利ならば不利なほど情報の重みは増すのだ。


 つまりそういう輩相手から貴重な情報を入手して、逆手に取るというような……


 そんな情報戦に卓越した偉才がその人物には備わっているという可能性。


 これこそに俺は注目したのである!


 俺には個の蛮勇よりもなによりも、その能力の方がよほど興味深く、だからこそ――


 「俺には個人的な部下がいないんで、ぜひ……ええと?」


 ――それは”たるべき日”の為に対する人材集めの一環であった


 たるべき日。


 そう、我が人生で鈴原すずはら 最嘉もりよしという人間はどこまでやれるのか?


 この乱世で生き残り、より充実した人生を送るには?


 俺が真っ先に着手し、必死に磨いてきた個人的能力は確かに必須だ。


 だが、どう生きるにしても、個人の能力なんて高が知れている。


 この先は特に……


 優れた能力を多く手中にすることが飛躍の第二段階で間違いないだろう。


 故に俺はこの時期近くから部下候補の人材集めに着手しようと、常日頃から考えていたのだった。


 「有り体に言えば臨海りんかいの庇護下に入る気はないかってことだよ。そうすればこの集落も安泰だろうし、どうだ?ええと……」


 俺はさらに詳しい内容を伝えつつ、隙無く”絡め手”も織り交ぜて交渉する。


 「ええと……」


 そして、狡猾な交渉を口にしながらも要所で拙さを演出し、油断も誘い……


 「…………花房はなふさ……清奈せな……姓は師にもらった」


 「……へぇ」


 本人の自覚無く女自身から動くようにと誘導して、後に女が振り返った時の為を見越して、この時の決断の正当性を確保する。


 思い返せば――


 この時の俺のやり口は彼女にとって的確ではあったが、同時に相当に”いやらしい”ものだったろう。


 「清奈せな……花房はなふさ 清奈せなさんか?良い名だ」


 痛みで額に玉の汗を浮かべながらも俺は嘘くさい笑顔を浮かべたまま頷く。


 当時の俺は本当に――


 自分本位で自らの願望の為だけに動いて……


 いや、それは現在いまも大差ないか。


 「それで清奈せなさん、どうだろう?これなら全員満足な食事も治療に必要な物資支援も得られるし、なにより今回のような夜盗の襲撃を心配することもない」


 ――本当に……”いやらしい”提案だ


 俺は妹からの依頼をきっかけにして、個人的欲求のために下調べを入念に、ここに来た。


 放浪の名医、花房はなふさ 清州せいずはその信念故に他の医者達とぶつかり続け、医学界から追放されたという。


 金に執着が無く、貧民にも無料で医術を施す人望厚い人物だと聞いたから、相当に立派な人物だったのだろうが……


 それは商売として医療に携わる大多数の医師達にとっては目障り極まりない行為だったろう。


 尊敬に値する人物だが世渡りは極めて下手。


 当時の俺にしてみれば、才能の無駄遣いも甚だしい愚か者としか思えない人物だ。


 まぁ、だから……


 潜り医者となってから全国を転々と地方の貧民を救済して周り、この臨海りんかい領の……極貧の村落には深く関わり過ぎた挙げ句、無為に死んだ。


 自らの手の届く範疇を知ること無く、他者の不幸に寄り添い続けるなんてほんと……


 ”お人好し”を拗らせ過ぎてるとしか思えない。


 だが、そのおかげで俺は貴重な戦力を手に入れられた……



 当時の俺は本当にそう考えていたものだった。



 「…………」


 「は?……ええと」


 妹の使いで思わぬ拾いモノをしそうだと、内心でほくそ笑んでいた俺は……


 またも不意を突かれたといえ彼女の接近に気付かずに、両手を掴まれていた。


 ――あんな苛烈な闘いを制するとは思えない小さく華奢な手の平……


 「ええと?ちょい痛いから、あんま触れられると……」


 ――女に殺気は……もうない……が


 ガコッ!


 「っ!」


 一瞬、彼女の指先に力が入ったかと思うと、脱臼していただろう俺の両肩は――


 「つ……!?あ、あれれ……おおっ!」


 見事に元の位置に戻され、少しの熱を感じるものの痛みもかなり和らいでいた。


 「……………………この先、村を守って頂けるのですか?」


 ポツリと、変わらず感情薄い表情かおのままであったが、今までとは違う丁寧な口調でそう問われる。


 「……」


 人をあやめる才能ことに長けた危険人物とは到底思えない純粋な……瞳。


 俺は瞬間、その瞳に”チクリ”と、


 これまで感じなかった罪悪感を覚えていた。


 「どうなのです?」


 「あ、ああ……勿論そのつもりだよ」


 一瞬だけの気の迷い。


 「わかりました。でしたら貴方に……以後は最嘉もりよし様に従います。我があるじ


 だが、望んでいたその応えを聞いた瞬間、俺は……


 「……それは助かるよ」


 当初の目的通りに事が運んだことに、とてつもなく大きな一欠片ピースを手に入れた事に、従来通りの俺が再び心の奥底でほくそ笑んだのだった。



 そして彼女は……


 「花房はなふさ 清州せいず様は……医は……仁術と……」


 「……」


 「そう在るべきと、教えて下さいました」


 「……」


 「殺伐とした世界で生きてきた私は、その世界を実現させるため微力を……ですが」


 「……」


 武にしか身の置き場が無かった人間が、その武とはある意味で真逆の世界に安息を求めた。


 だが、その安息を護るには……


 多くの他者の安息の為には……


 ――さらに大きな武が必要になるというジレンマに……か?


 俺は彼女が初めて見せた素の表情から、その言葉から、女の半生を解釈したのだった。


 ――しかし”仁術”……ね


 他者よりも常に優れる為だけに己がわざを磨き続ける武の見果てぬ世界を抜けた先で、今度は絵に描いた餅の如き理想論である天下万民平穏の夢を見る滑稽な女。


 「……」


 しかし――その瞳をるに真剣そのもので……


 熱い想い、方法もやり方も考えつかない、ただ熱いだけの想いで生きるしかない哀れな女は、なまじ有能なだけにこうして利用される運命から逃れられない。


 まるでそれは……


 猛暑の残照消えさらぬ時分、低地にユラユラと浮かびあがる儚い陽炎かげろうの様な夢。


 ――


 ――関係ない


 この先、きっと俺には必要な人材モノだから。


 「俺に力を貸してくれるなら、清奈せなさんの望む未来は確約するよ」


 実際その時期ときの俺は、その女の才能を手に入れることが出来るという事実に、些細な心の葛藤は取るに足らないものとして流したのだった。


 卓越した情報収集能力、統率力、名医譲りの医療技術。


 さらには恐ろしいほどの武の才と……


 いいや、それよりもなによりも――


 「あるじは……この戦国世界を……どうお考えですか」


 女からは最後だろう質問にも、俺はどこか意識を別の所へとやったまま――



 予想外な幸運――


 僥倖というに相応しい異質の”武”との邂逅。


 俺が思考に思考を重ねて完成を保留してきた……


 渇望せし究極の返し技カウンター!!



 それは努力と才能だけではあと一歩辿り着けなかった、俺が目指すわざの極地。


 ――”虚空完撃こくうかんげき



 その奥義へ必要なかけを……


 今回偶然にも手に入れたという、そういう高揚感をひた隠しながら――


 「……」


 女の望むだろう回答を選別し、俺は……


 「終わらせる必要があるものだと、考えている」


 当時は心に無い言葉を口にしたのだった。


 第九話「陽炎かげろうの夢」後編 END

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