第54話「悪魔の罠」後編(改訂版)

 第十四話「悪魔の罠」後編


 「…………宮、老婆心ながら申し上げますが、この状況は余り宜しくないのでは」


 王の寝所を退室したばかりの少女の傍に……

 何時いつから”王の部屋前そこ”に待機していたのだろうか?老家臣が控えており、早々に声をかけてくる。


 「……」


 腰まで届く降ろされた緑の黒髪と対峙する者をことごとく虜にするのでは無いかと思わせる美しい”純粋なる闇”の双瞳ひとみ


 それは冷酷非情と噂される”無垢なる深淵ダーク・ビューティー”を象徴する容姿の特徴だ。


 紫梗宮しきょうのみや 京極きょうごく 陽子はるこ


 比類無き美貌の少女は、白く透き通った肌と対照的なあでやかなあかい唇の整った口元を引き締めたまま沈黙していた。


 「これは完全な罠でしょう……尾宇美おうみに到着して二週間、ここに至っても場を用意した光友みつとも殿下も、交渉相手の燐堂りんどう 天成あまなり公もお見えにならない」


 「……」


 老家臣は主からの返答が無くても構わずに進言を続ける。


 諸々の現状報告と今後の方針決定のため王の部屋を訪れた陽子はるこだったが、退室した彼女を部屋の前で待っていたのは、陽子はるこに仕える老家臣、岩倉いわくら 遠海とうみだった。


 現在の状況を危惧した彼は、主であるきょうごく 陽子はるこおもんぱかり、意を決して主を待っていたのだ。


 「……」


 暗黒の美姫は尚、沈黙したまま。


 ――何故ならそれは、側近の老家臣に言われるまでもないこと


 暗黒の美姫、”無垢なる深淵ダークビューティー”と呼ばれるほどの希代の知謀を誇る大国天都原あまつはら総参謀長、京極きょうごく 陽子はるこにとってそれは解りきったことであったからだ。


 「……陛下が、今暫し待ちたいと仰せなのだから、私たちはここで待機する他はないでしょう」


 そして胸に秘めた杞憂とは逆の言葉で答える。


 「ですが……宮はこの尾宇美おうみに僅かの手勢しか引き連れてきておりません、この地は我が天都原あまつはら領の中でも最東端、宮の軍が駐留する斑鳩いかるがよりも”旺帝おうてい”との国境の方が近く……」


 「その旺帝おうていとの停戦交渉に訪れたのだから小勢しか兵を従軍させられなかったのは仕方が無いでしょう、もしもの場合は光友みつとも殿下の北伐軍が直ぐ近くで控えるという手筈だわ」


 「そ、それこそがっ!」


 「…………」


 岩倉いわくら 遠海とうみはそこまで言いかけて言葉を呑み込んだ。


 主である少女、きょうごく 陽子はるこの美しい双瞳ひとみが、物憂げな表情が……老家臣にそうさせた。


 恐ろしいまでに他人ひとを惹きつける”奈落”の双瞳ひとみ


 聡明なる少女の瞳が、そんな危険性はうの昔に察して尚、現状はこれしか選択できないと……


 老いたといえども、天都原あまつはらでは今尚一目置かれる歴戦の将であり、かつての天都原あまつはら十剣である岩倉いわくら 遠海とうみは主の苦しい立場を……その性格を……十分に理解している。



 そして、これは”あかつき”の二大国家である”天都原あまつはら”と”旺帝おうてい”の停戦交渉という大事。

 立ち会いには宗教国家”七峰しちほう”の代表と”長州門ながすど”の君主も同席するという話だ。


 対外的にも大国が国家の威信をかけた協議を反故にすることなど、大国の誇りとして有り得ないことなのだろう。


 当然それは相手国である旺帝おうていにもいえることで、彼女や彼女の側近の老人が危惧するような事は普通なら常識的には起こりようが無いはずではある。


 「……待ちましょう、それが陛下のご意思よ」


 それでも陽子はるこは……その可能性を否定できないでいるのだ。


 いるのだが……



 ――藤桐ふじきり 光友みつとも


 絵を描いたのは”あかの妖怪”だとしても、常識的には破綻した策だ。


 表面的に上手くきょうごく 陽子はるこを謀反人に仕立て上げることが出来たとしても、状況からその真意を理解する者は多く居よう。


 如何いかに王位継承に”京極 陽子じぶん”が邪魔だと言っても、それだけのために、このあかつき中を巻き込むような大規模で大層な策を講じるだろうか?


 国の……個人の信望を著しく損なうかもしれない賭けを、この規模で行っては取り返しが付かなくなるかも知れない。


 下手を打てば、末代まで”痴れ者”と罵られるばかりか、たとえ”天都原あまつはら”を手に入れられたとしても外交上”四面楚歌”に陥る可能性すらある。


 ”策”というものは……


 戦場ではどのような奇策も謀略も存在を許される。


 しかし、国政に限って建前は重要だ。


 謀略はあくまでも水面下で……信義無くしては国家は成り立たない。


 なればこそ、今後の”藤桐 光友かれ”の評価は地に落ちてもおかしくない。 


 実行すれば実益が極めて高いとしても、常識では選べない選択肢だろう。


 ”常識”では……


 だが、”藤桐 光友かれ”は常識を覆すことが出来る希な……

 ある意味では”英雄”ともいえる人物だ。


 「……」


 陽子はるこはそういう考えを巡らせたものの、安易に結論に至れていなかった。


 そして――


 これほどの大国を巻き込むような壮大な構想を基にした謀略を成せるほどの才気と人脈を持った人物など”あかつき”中を探しても……


 ――鵜貝うがい 孫六まごろく


 しかいないだろう。


 謀略の首謀者は必ずその結果の利益の先に居る。


 なら、赤目あかめになんのメリットが在るのか?


 陽子はるこは現状で思いつくことは出来なかった。


 そもそも”赤目あかめ”は最嘉さいか臨海りんかいと交戦中でそれどころでは無いはず。


 しかし現実には……

 ほぼ確実に蠢いているのは鵜貝うがい 孫六まごろくだろう。


 陽子はるこちらも――


 確実と言えるまでは結論に至れていなかった。


 その僅かな迷いが……

 王佐の責務が……


 そしてきょうごく 陽子はることしての矜恃が、この場での”自己保身”を踏みとどまらせていたのだった。



 「宮、幸い明後日は世界が”近代国家世界あちら”側に切り替わります。今回は六大国家会議の臨時代表に宮が選ばれた事ですし、直接、”旺帝おうてい”の燐堂りんどう 天成あまなり公とお話しされては……」


 「…………」


 老家臣の言葉を少女は沈黙で否定する。


 それもそうだろう。


 ”あかつき”の大国が集って平和裏に世界の方針を決定する”近代国家世界”では、”戦国世界こちら”側の自国の都合、つまり個別案件を持ち込むのは慣例上、御法度とされていたからだ。


 「では……連絡の取りやすい”近代国家世界あちら”側に切り替わり次第に、王太子殿下に状況確認を取りまして…………」


 「…………」


 それではと、次案を提案する老家臣にも陽子はるこは渋い表情で返す。


 これが仮に藤桐ふじきり 光友みつともの巡らせた壮大な陰謀であるなら、例え連絡を取ってもそれに真面目まともな答えが返ってくるとは到底思えないからだ。


 「で、では……六大国家会議に初参加される臨海りんかい……鈴原殿にご相談を、会議の席では無理だというのなら、宮、臨海りんかいには”あの者”も潜入ひそませております故……」


 再三の献策を否定された岩倉いわくらわらにもすがる思いでひねり出した進言に、少女の華奢な肩が初めてピクリと反応した。


 「最嘉さいか……に……」


 「そうです!鈴原殿なら……なにかと宮にお心をかけられている、の御仁ならば、どうにか宮のお力になって頂けるかと」


 「…………」


 京極きょうごく 陽子はるこは再び口を閉ざした。


 しかし、明らかに先ほどまでとは違い、見た目にも彼女の心が波立っているのが解る。


 「宮……ぜひ鈴原殿に!」


 それは僅かな雰囲気と表情の変化ではあったが、陽子はるこに誠心誠意仕えてきた老家臣にとっては、主の心情を察するにたる反応であった。


 「いえ……やはりこれは私の決断することでは無いわ、真実がどうあろうと、大同盟というさいは投げられたのよ」


 僅かな沈黙の後、少しだけ自虐的な笑みを浮かべた口元で彼女はそう呟いていた。


 「宮……」


 その表情の、魅惑の瞳が奥に潜んだ穏やかな光りを確認して、老家臣、岩倉いわくら 遠海とうみは少女の”その人物”へ向けた秘めたる愛情を理解していた。


 実際、これまでに京極きょうごく 陽子はるこは鈴原 最嘉さいかの自分に対する気持ちを利用し、良いように酷使してきた。


 しかし、陽子はるこ最嘉さいかに持つ感情は、勿論ただの損得勘定では無い。


 それは彼女自身自覚しているし、当の最嘉さいかも勿論理解してくれているであろうと……


 彼女は密かに期待してもいる。


 現在いままさ臨海りんかいは正念場、”赤目あかめ領”侵攻という失敗の出来ない戦いに身を投じた。


 それを、自分でも確証の持てない”陰謀”という都合で邪魔するわけにはいかない。


 最嘉さいかに対する傍若無人な振る舞いも……彼女には彼女なりの想いがあった。


 今回のように唯々危険で、確たる証拠も見返りも無く……


 更にはそれが例え現実のものになったとしても、”あかつき”の覇権を競う大国同士の争いに現状の臨海りんかいのような小国を真面まともに巻き込むようなことがあっては……


 あのしたたかな”食わせ物”の鈴原 最嘉さいかでさえも、京極きょうごく 陽子はるこの事になっては……


 ――冷静さを失うかもしれない


 ――自国の判断を誤るかもしれない


 彼女は自身の生命よりそれを危惧していたのだった。


 そういう愚かな判断を最嘉さいかが行わないと信じたいし、そうあって欲しい。


 しかし……


 「…………」


 ――”京極 陽子わたし”の為には、それを見誤るほどに……彼の心を自分が占めていたら……


 「っ!……とかくりんかいには今回の話は関係ないわ」


 彼女は一瞬で”相反する感情”を心の内に抑え込み、まことに常識的で正常な判断を口にしていたのだ。


 ――


 言葉の後、黒髪の希に見る美少女はその場を後に歩き始めた。


 そして、老家臣も黙ってそれに従う。


 「……」 


 岩倉いわくらは、もう何も言えなかった。


 いや、そもそもこれは主が言うように、きょうごく 陽子はるこが決断できることでは無い。


 未だ天都原あまつはらの王権を握らぬ彼女は、国の最高決定を覆すことなど出来ないのだ。


 きょうごく 陽子はるこが大国天都原あまつはらの頂点たろうとする事も、世界を統べようとする事も……


 ――”だからこそ世界は……人が統べるに値する世界に再編成されなければならない”


 陽子はるこの想いは全てその言葉に集約されるのだろう。


 「……」


 岩倉いわくら 遠海とうみは主である少女の後に付き従いながらも、何時いつしか拳を強く握っていた。


 ――確かに杞憂かもしれん、しれんが……


 ――もしそうなら、なんたる恥知らずか!なんたる卑劣か!


 堂々たる”外交”でも”戦”でもなく、卑劣窮まる”謀略”のみで……

 それを解っていても、そうするしか出来ない状況に……


 人としての矜恃に付け入る……


 予見しても避けることの出来ない悪意の謀略……


 ――それは最早、駆け引きなどという代物では無く、運命を弄ぶ悪魔の所業ではないか?


 もう知る者の方が少ない昔に、大国天都原あまつはら最高の剣士が一人であった英雄、岩倉いわくら 遠海とうみは、年月を刻んだふしくれ立った拳を握りしめ決意を新たにする!


 ――我が主を害する者は何者であろうと、この我が廃する!!


 と……


 第十四話「悪魔の罠」後編 END

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