第六話 天才とアレとは紙一重
どっぷりと日も暮れて夜が「こんにちは」して来た逢魔が刻。良人と源蔵は化学倶楽部のボロプレハブにいた。
女の子という理由で紅葉は帰宅させられた。これは源蔵が言い出した事だが、真面な事も言うのだ、と良人は感心した。
思考回路がメビウスの輪を通り越してエッシャーの世界にまで遠足している源蔵についていくためには脳内のCPUをクロックアップして向こう側にいかないと会話もままならない、と観念していた良人だったが、彼の事をコンマ数ミクロンだけ見直したのだ。
これは画期的かつ世界遺産に登録しても許される程の暴挙だと思われる。一日は二十四時間だが一時間で三十時間くらい戦えるのではないかと錯覚するくらいだった。
「ふむ、腹が減ったな」
パイプ椅子にもたれ掛かっている源蔵が口を尖らせた。暴君は空腹でご立腹のようだ。
「そのプリンは食べちゃダメですよ」
テーブルの上には対生物探知レーダーと化した哀れなプリンがぷるるんと身を
た・べ・て・とおねだりする美人局の微笑みの様に食欲をそそらせる。
「分っている。それを食べたら地軸が三度傾く程度のささやかさの巨大爆発が起きてしまう。一日が一日で無くなってしまうかもしれない」
源蔵は銀のスプーンを片手にアル中患者の如く腕を震わせている。禁断症状の表れだろうか、と良人は危ぶんだ。
「さらっと地球の危機発言は困りますね。僕は明日が来てほしいです」
ギシアンと喘ぐパイプ椅子の上で、良人は体育座りで膝を抱えた。
ちょぴりセンチな気分が味わえる、お得な座り方だ。
「明けない夜は無いと言われているが、白夜がある地域では昇らない太陽もあるんだ。
「先生って化学が得意なんですよね?」
「教えているのは地理だぞ?」
スプーン片手に震えている源蔵がふふっとニヒルに笑った。
今この瞬間だけ切り取れば、源蔵はごく普通の科学が好きな地理教員だ。
良人はそう感じた。
「行きすぎて向こう側に行っちゃって戻る気も無くなるくらいな
「天才とアレとは紙一重ということだ」
源蔵と会話が成り立っている現在が、良人にはおかしく感じた。
そのうち入り口の扉が開いて正義の変身仮面ヒーローが乗り込んできても正当防衛の名のもとに全てをプリンに染めかねない
「……
ふいにそんな考えが頭をよぎり、良人はつい口に出してしまった。
「全てを抱擁する化学に境界線など無い」
「
「良人君にしては上手いこと言うな」
いつの間にか暗くなった部室に源蔵の迫力ある声が木霊し始めた。日光という天然の暖房器具の入らない冬は人間に厳しい。
たとえ服で重装備にしようとも、足元から冷気は無遠慮に這い上がってくるのだ。まるでアザトースだ。
「先生、聞きそびれましたけど、このプリンは生命体から発する電磁波を感知するんですよね?」
「電子レンジには及ばないがね」
「及んだら困ります」
コンビニ弁当を手に持ったらチンできると考えれば有用かもしれないけどあちこちで電磁波がバチバチ喧嘩してたらその内ビッグバンでも起きちゃって時間がリセットされちゃうかもしれない。そんな事態が起きれば紅葉とはお別れになってしまう。それは嫌だ。
良人はそんなくだらない事に頭の大部分のメモリーをつぎ込んでいた。
そんな良人など眼中に置かない源蔵が説明を続ける。
「地球にはシューマン共振呼ばれる共振周波数というモノがあるんだ。地球上の生物はこのシューマン共振のなかで生きててね、人間のリラックスしたときの脳波のα波は、この周波数と同じ8Hzなんだよ」
「え! 人間電子レンジですか!?」
「電子レンジから離れたまえ」
源蔵が「まったく」とこぼす声を、良人はオーバーワークの頭でぼんやりと聞いていた。体育座りを支えるパイプ椅子がギシアンと嬌声を漏らす。
「電子レンジの磁場で加速されたメビウスの輪はトリプルアクセルを華麗に決めた鶏によって虚無の彼方に葬られてしまったんですよね?」
唸りをあげて回転するHDD並の処理速度しか持たない良人の脳みそが焼けつく寸前までガッツで持ちこたえているせいで完膚無き程に辻褄が合わない呪詛を捻りだしている。
「カーネルおじさんの職を奪うと第七艦隊から苦情が来るぞ」
「電子レンジで人間ポンしたらポップコー――」
「そこまでにしておかないと倫理警察に捕まってしまう!」
良人の頭のてっぺんから一条の煙が吹き出す。諸行無常の鐘の音が鳴り響き、源蔵のデコピンが良人の脂汗の噴きだす小さな額に炸裂する。
「あぁ、空が青い」
源蔵によってシャットダウンさせられた良人は無駄な情報を排出する為にきっかり十秒間真っ白な灰になってから再起動した。
ブルースクリーンから解放され、生まれ変わったかのような清々しさに良人は体育座りを解除し、立ち上がる。
「生きてるって拷問ですけど、深く考えなければブラボーですね」
「哲学っぽく語っているが、意味は無いな」
源蔵は暗くなった部屋を明るくすべく、照明スイッチを押した。
明るくなった部屋に善意の石油ストーブが投入され、冷戦もかくやという空気を暖め始めた。
「よく考えれば、あの注射器の中の液体に含まれているナノマシンじゃ素粒子を弄るなんてできないと思うんですけど」
要らない情報を消去されたメモリの様に快調に動作する良人の頭は、源蔵が述べる
最も小さい物質であるはずの素粒子を、それよりも大きなナノマシンがいじれる道理は無いのだ。
「ナノマシンは対生物探知レーダーにするための機械だ。一子相伝の秘術で生み出された液体が物質を変化させ、それを原材料として機械を練成するのだ」
照明をつけるために立ち上がったままの源蔵が汚いエプロンのポッケに手を入れた。
そしてまたあの
「これが我が一族が
プリンを食べる時よりも真剣な顔の源蔵が、その
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