第二話 これを囮にするんですか?

「たかがプリンじゃないですか」


 良人が発する呆れの言葉に、餌をくれる人を見つけた鯉の如く源蔵は反応した。


「たかが、じゃない。偉大な、だ」


 シャキンと音が聞こえそうに、源蔵が背筋を伸ばした。汚いエプロンもピシッと伸ばされる。

 その姿勢のまま源蔵は部屋の中を歩き始めた。


「いいかい、プリンの偉大さをちょっとだけ教えてあげよう」

「それ、昨日も聞きました」


 実際は毎日のように聞かされていた。

 良人がツッコムと源蔵は眼球だけを向けてくる。

 そして源蔵は、おもむろにエプロンの前面にあるポケットに手を入れた。


「この白い粉を呑むと都合の悪い記憶は無――」

「ぜひ聞かせてください」

「……よろしい」


 良人はプライドなど存在しないかのような速度でクルリと掌を返した。

 源蔵が取り出そうとした白い粉は、鼻にいれるだけで約三時間ほどの記憶がぶっ飛ぶ、おそらくは別な用途に使われるであろう危険な物だ。

 良人は数回この粉を嗅がされたことがあり、夕方に意識が戻った際、右腕を天に突き出し、両の目から迸るほどの涙を流してたことがあった。その傍ではうんうんと頷きながら良人を見ている源蔵がいたのだ。

 それ以来この粉の危険性を本能が覚えた。


 良人の返事に気を良くしたのか、源蔵がまた部屋を徘徊しだす。


「今回の犠牲者であるプッチンプリンは、世界で最も売れているプリンとギネス世界記録に認定されている。発売開始以降約四十年で累計五十一億個を売り上げているのだ。なんとも素晴らしいことじゃないか!」


 源蔵は虚空を見上げ両手を広げ、良人でない誰かに向かって説明を始めた。

 その様子をしり目に良人は無残な姿のプリンに目を向ける。


 ――プッチンプリンのふたを開けてそのままぶちまけたように見えるけど、カラメルの部分が減っている所から味見はしたっぽいな。


 良人は源蔵を放置して推理を始めた。このまま放っておいてもプリンはこのままにされ、かつ自分が解放されそうにないからだ。


 ――でもスプーン凶器が見当たらないな。


 良人の視線がテーブルを舐めた。テーブルの上には無い。床に落ちている形跡もない。


 ――ということは、犯人が持ち去った可能性が高いのか。


「カスタードプリンに醤油をかけ少し混ぜるとウニ味になるという、魔法の食べ物だ。一度で二度おいしい奇跡の食物と言える。人類の英知だ!」


 ――僕的には素直にウニを食べたい。


 聴衆のいない部屋に響く源蔵の演説に、良人は几帳面に意見を具申する。


 ――犯人は犯行現場に戻って来るっていうのが、刑事ものの定番セオリーだよね。


 良人がそう考えたその時、部屋の入り口のドアがシュパっと開けられた。良人は入り口に顔を向ける。扉があった場所には制服姿の女の子があった。

 紺のブレザーに同色のチェックのプリーツスカート。黒い髪をポニーテールに纏めた眼鏡っ娘。キラリと眼鏡が発光する。

 ことあるごとに眼鏡を光らせる、化学倶楽部部長兼良人のアイドルである山本紅葉だ。

 源蔵も彼女を認め、演説の相手に定めたようだ。


「カスタードプリンに当てる文字は、何だと思う? 紅葉君」

風鈴ぷーりんです」

「さすがだ」

「一般常識ですから」


 源蔵の謎かけに即答した紅葉がツカツカと部屋に入ったが、テーブルの上のプリンだったモノを見て眉を顰めた。そんな様子にも良人の心臓はときめいてしまう。


 ――あぁ、なんて委員長らしい仕草……濡れちゃいそう。


 うっとりと眺める良人をしり目に、紅葉がプリンの残骸を片付け始めてしまう。


「あぁ、紅葉君。それは現場検証が終わるまでは――」

「汚いので片付けます」


 演説を中断した源蔵に対し、眼鏡を光らせた紅葉が一蹴する。源蔵は口の中でもごもごと何か呪詛めいた言葉を呟いている様だった。





 部室には源蔵、良人に紅葉が加わった。テーブルの上はキレイに片付けられ、その代りに真新しいプッチンプリンが置かれてる。よく冷やされていたのか、結露も甚だしい。


「これは私の大事なヘソクリだ」


 源蔵が悲しみたっぷりの視線を、そのプッチンプリンに注いている。どうやら改造した冷蔵庫に隠し戸棚を作っていたようで、そこから取り出してきたブツだ。

 何故か紅葉の指示によるものだったが。


「これを囮にするんですか?」


 良人の常識的な発言に対し、源蔵がふっと笑った。


「これを、対生物探知レーダーにする」


 自信たっぷりな笑みを浮かべる源蔵に良人の「何いってんだコイツ」という視線が暖簾に袖押しの様に突き刺さる。


「対生物……なんですか?」

「対生物探知レーダーだ。良く聞いておきたまえ。試験に出すぞ?」

「先生の担当は地理ですよね?」

「何か問題が?」


 曇りのない純粋な目を向けてくる源蔵に対し、まともに相手しちゃらめぇ、と良人の頭が警告してきた。だが機能停止して源蔵を放置しては更に危険と判断した脳が良人の口を動かす。

 

「先生。そもそもこれはただのプリンでは?」


 スチャっと眼鏡のフレームに手を添えた紅葉が鋭く突っ込んだ。源蔵が「甘いな」と言いたげにニヤリとする。


「紅葉君。私が誰だか忘れたのかい?」

「地理の土地神先生です」

「まぁ、それは脇に置いてだな」

「……それ、要らないのならゴミ箱に捨てておきましょうか?」

「世を忍ぶ仮の姿を捨てないで欲しい」


 無表情にツッコミを続ける紅葉に、源蔵が苦笑いになる。


「紅葉君は厳しいなぁ」

「当然です。部長ですから」


 紅葉の眼鏡が光った。私は顧問なんだが、という源蔵の文句を封殺するくらいの眼光だ。彼もおとなしく尻尾を又の間に隠してシュンとした。


「というかですね、なんでプリンが、その――」

「対生物探知レーダー」


 良人の疑問の声は源蔵によって却下された。源蔵は次の言葉を手ぐすね引いて待ち構えている、ように見える笑顔だ。真夏の縁側に放置されたアイスクリームみたいにふにゃけそうになる常識を立て直すべく、良人はごくりと唾を呑む。


 ――ペースを乱しちゃダメだ。


 良人は軽く息を吸って口を開く。


「そう、その対生物探知レーダーなんですか? どう見ても良く冷えて食べごろで美味しそうなプリンですよね?」

、良く冷えて食べごろで美味しそうなプリンだな」


 源蔵は意味ありげに微笑んだ。そしてエプロンのポケットから一本の注射器と注射剤アンプルを取り出した。

 

 ――あのポケットには何がどれだけ入ってるんだろう。


 良人の疑問など知らぬとばかりに源蔵は注射剤アンプルを翳した。注射剤アンプルの中は紫色の不気味としか言えない液体で満たされている。完全に混ざり合っていないのか、蛇とミミズがくんずほぐれつのレスリングをしているように見える。

 そして良人が注視していると、紫のうにょうにょの中でパチリと目が開いた。それは人間の目ではない。瞳孔が縦長で、色は闇だった。

 闇に魅入られた良人の背中が瞬時に凍った。

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