プリン、丑三つ時に死す。〜地理教師は化学がお好き〜
凍った鍋敷き
第一話 凄惨な現場
私立南岩高校。
関東の南の方にある私立高校だ。
そこは、進学校に落ちたそれなりに優秀な生徒と、進学校へ行けなかったそれなりの生徒が集まる高校だ。
よって、ある程度不思議な倶楽部も出来上がる。
この化学倶楽部のように。
ロの字型に四角い校舎から外れること百メートルの地点にある、プレハブ小屋。百人乗っても大丈夫かどうか怪しい強度だが、崩れずに形を保っている。
いつ廃棄されていてもおかしくないそこが、化学倶楽部の根城だ。
「しつれいしまーす」
そこに化学倶楽部所属の一年生
錆錆の外見に相応しくない滑らかな車輪の音を奏で、ドアはスッと開く。
内部は
床は大理石の模様のタイルが張られ、壁は無気力にリラックス出来るようにと薄い緑の壁紙が張られている。
部屋の中央には折り畳みテーブルが四つ組み合わされ、パイプ椅子十脚が「どうにでもしてくれ」とやさぐれ気味に置かれている。
壁には大きな窓。窓が無い壁は本棚とガラス製の実験器具がみっちり詰まった棚で占領されていた。
良人の視線の先では、細身の男性が冷蔵庫の前で腕を組んで首を捻っていた。
ストライプのYシャツに黒のスラックス。汚れて元の色が判別不可能なエプロンを付けた化学倶楽部顧問の
彼は良人に気がつくと口を開いた。
「あぁ、良人君。良いところに来た」
源蔵は南岩高校で地理を教えている教師だ。
六四に分けた柔らかそうな髪、丸目でやや童顔の源蔵は、スーツを着ていないと生徒にも勘違いされてしまう。
生徒にからかわれつつも好意的にみられている先生だ。
顔に似合わず時代がかった口調が源蔵の人気の秘密でもある。
意外性というものは何時の時代も人を引き付けるのだ。
「先生、何してるんです?」
腕を組み、冷蔵庫の前で何やら思案顔の源蔵に良人は声をかけた。
「プリンが無くなっているんだ」
源蔵が冷蔵庫に視線を戻した。良人は呆れのため息をはく。
「またプリンを隠してた、と」
「好物だからな」
丸顔の先生がフンスーと鼻から息を出す。
「この前も
「……私の自腹だというのに」
自慢げな源蔵の顔がややしょげた。
「予算の流用は不可です」
「その予算も私が捻出しているんだが」
源蔵がふぅと息を漏らすのを横目に、良人は持っていた鞄をテーブルに乗せようとした。
「あれ……」
良人が置こうとしたテーブルにはこぼれたプリンの無残な姿がある。
プッチンプリンだろうか、透明なプラスチックの入れ物が傾き、唾を誘う甘い香りの黄色の物体がべちゃーっとテーブルに転がっている。
まるで殺人現場に広がる赤い模様の如きカラメルの黒が痛々しい。
というか、もったいない。
「あぁ、そこにはモノを置かないで欲しい。現場を保存するのは捜査の基本だ」
源蔵が顔を向けてくる。良人は惨殺されたプリンを見た。「凄惨な現場だろう」と源蔵の声がかかる。
「えぇ、買ったお店の方がみたら嘆くくらいには」
「なんてむごたらしいことを……」
悲痛な顔の源蔵が歩いてくる。本気でプリンの死を悲しんでいる目だ。
――食べてもらうという使命を全うできなかったプリンに哀悼の意でも捧げているんだろうなぁ。
この地理の教師はプリンに目が無い。猫まっしぐらレベルなジャンキーだ。
「昨日の夜帰るときには冷蔵庫にあった筈なんだ。さっき見たらこんな姿に……」
拳を握りしめた源蔵が悲しみの視線をテーブルに落とす。思わず良人も仏となったプリンを見る。
「犯行時間は昨晩から今日の昼にかけてだろう。プリンの乾燥具合からそう推測できる」
源蔵が顎に手を当てた。エプロンさえなければ様になっていると思ったが、地理教師なのだと思い出す。
「今日は十二月二十四日。これがなにを意味するか、良人君分かるかい?」
良人に向けてくる源蔵の目が怪しく光る。
「彼女のいない僕には黒いサンタクロースが来て欲しい日です」
「……シングルベルとは。夢が無いな」
「現実は辛いんです」
「プリンのようには甘くはないか。世知辛い世の中だ」
源蔵が世を儚むように頭を振った。先生だって独り身でしょ、と良人は心で愚痴る。
良人には彼女というものがいない。平均よりは上の外見だがここ化学倶楽部に所属しているというだけで変態扱いされてしまうのだ。
そんな扱いにもめげず、良人が化学倶楽部に所属してるのは訳がある。
――あぁ、紅葉先輩と一緒にいられたらなぁ。
山本紅葉という、眼鏡をかけた委員長属性を醸し出す三年の部長がいるのだが、良人は彼女が目当てだった。
良人は生まれながらに委員長属性には奴隷のように従ってしまう度し難い残念な性癖を持っていた。
つまりは彼女の虜になっているのだ。
化学倶楽部に部員は十人いるが幽霊ばかりで実質は良人と紅葉の二人だ。二人っきりという甘い空気を妄想していたがここに源蔵という現実がのさばっていた。
源蔵は毎日ここ化学倶楽部に顔を出す。むしろ授業がない時間はここにいることが多いほどだ。
彼の為に化学倶楽部があると言っても良い。
「翌日の十二月二十五日。この日は『プリンの日』だ」
「……クリスマス、じゃないんですか?」
源蔵と良人の視線が交差する。
「カボチャをかぶって奇声を発しながらお菓子を求め集団で黄泉路を練り歩く趣味は持ってない」
「黄泉路は違います」
「禍々しい祭りだ」
良人のツッコミを無視した源蔵は大きく頭を振った。
実は毎月二十五日を「プリンの日」として "制定" し、日本記念日協会に申請して認定を受けている。れっきとした記念日なのだ。
由来は、「食べると思わずニッ(弐)コ(伍)リするから」という、こじつけも良いところだが、記念日は殆どが駄洒落かこじつけだ。
胸を張って『プリンの日』を楽しむといい。
「まぁ、そんなことは良いんだ」
源蔵が額に人差し指を当てた。地理の教師の癖に無駄に切れる頭を使って何かを企んでいるのだろう。良人はその事をよく知っていた。
地理の時間にもかかわらずエプロンのポケットからビーカーとフラスコを取り出す変態教師として学校内では超有名人だった。
「これは、プリンをこよなく愛する私への、挑戦だ」
童顔に黒い気配を纏わせて、源蔵は呟いた。
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