第9話「研究所」

 常に太陽と雪が存在する、人もヴァンパイアでさえも、簡単には近寄ることが出来ない場所。

 そんな白夜の世界に、アルベルトの研究所は在った。


 母さんの日記に挟まれていた地図は、かなり大雑把おおざっぱに描かれており、世界地図にある1つの大陸の中心辺りに、赤い×が印されているだけで、特に緯度経度が記されている訳でも、目標物が描かれている訳でもなかった。


 果たして、こんな地図で着けるのか?

 かなり不安を感じるものの、今はそこに行くしかない。

 かつて、グリーンランドと呼ばれた大陸に。


 一気に飛んで行けば楽なのだが、軍のレーダーに引っ掛かって、一戦交えるのも面倒だ。

 さらに、父が夜の無い世界に研究所を作ったのは、ヴァンパイア側にも隠したかったからではないかと考え、時間は掛かるが、陸路と海路の両方を使う事にした。


 鷹也にとって、軍の基地が在る危険区域を幾つか避ける為、アジアを経由して北欧へと入った。

 そこから、少し多めに謝礼を支払って漁船に乗せてもらい、3日ほど掛けて、ようやく上陸。

 それは、出発してから3週間が過ぎた頃だった。


 此処まで来れば急ぐ必要はないと、沿岸部にある宿で一泊して、日が昇る前に大陸の中心を目指した。


「このしるしまでの距離は、だいたい500km、1日50km歩いても10日か……」


 内陸部は舗装ほそうされておらず、車は使えない。

 残された移動手段は、徒歩か犬橇いぬぞりかになる。

 最初は、犬橇にしようかと思ったが、買うのもレンタルするのも高く、さらに別で犬10匹分の餌代が掛かる。

 また、犬橇でも早く着ける訳でもないので、徒歩にすることにした。


 10kmほど、歩いただろうか?

 陽が昇り、少し暖かくなってきたかと思ったその時、突然、伸ばした手が見えなくなるほどの吹雪が起こり、一瞬にして、辺り一面を真っ白な暗闇に変えた。


「マズイな、一旦、戻って天候が良くなるのを待つか?」


 沿岸部の街まで戻ろうと、手に持っていた方位磁石を胸の高さ(見える位置)まで上げて見ると、さっきまで正常だった針がクルクルと回り、役に立ちそうにない。


「この吹雪、磁気でも帯びてるのか? こうなったら仕方ない、雲の上に出て一気に飛ぶか!」


 鷹也は、蝙蝠のような翼を広げ、一気に上昇する。

 しかし、幾ら飛んでも、この白い闇の世界から抜け出られない。


「おかしい……そろそろ、雲が無い空域の筈なのに、どういうことだ?」


 東西南北、どちらに飛んでも迷ってしまう危険を感じた鷹也は、一旦、降りて考える事にした。

 しかし、今度は幾ら下降しても、地面にも到着しない。

 鷹也は、降りるのを諦めると、クスクスと笑い出した。


「そうか、父さんの仕掛けた罠か! 困ったなぁー、どうやって辿り着けばいいんだよ!」


 まるで問いかけるように、父の残したメモをポケットから取り出して見た。


 ――父さんと君だけが、研究所に入れるようにしてある。


「ん? 少し、見える範囲が広がったか?」


 さっきまで、伸ばした手が見えないほどの白いもやであったが、今は普通にメモが読める。

 さらに見下ろせば、微かに地面が見えたので、飛ぶのを止めて地上に降りてみた。

 すると、周りの白いもやが一瞬で晴れ上がり、目の前に真っ黒な一軒家ほどの大きさの四角い柱が現れた。


「こ、これが研究所?」


 恐る恐る柱に近づくと、壁面の一部が無くなり、新しいあるじを招き入れようとしている。

 鷹也がその中に入ると、消えた壁が再び現れ、ゆっくりと雪下に沈んで行き、そして再び、地上は白い闇の世界に包まれる。


「エレベータか?」


 30秒ほどで動きが止まると、四方全ての壁が消え、研究所が姿を現した。


「な、なんだ、此処は……」


 研究所という名前の割には、広い空間があるだけで、何も無いに等しい。

 その大きさは、予想を遥かに上回る高さと広さで、屋根付きの球場が1つくらいは入りそうだった。

 鷹也が一歩踏み出した時、目の前に突然、人型のホログラムが現れた。


「初めまして、と言うべきかな? 僕はアルベルト、君の父さんだ。これを観ていると言うことは……恐らく父さんは、既にこの世に居ないのだろう。君には、人間として平穏に暮らして欲しかった。義姉さんなら、きっと君を幸せにしてくれた事だろう。代わりに、お礼を言っておいてくれ」


 父の顔は、確かにカイルの言った通り、肌と髪の色が違うだけで、父だと言えるほど俺に似ていた。

 否、俺が似ていると言うべきだな。

 透き通るような白い肌に、肩まで伸びた黒い髪、瞳の色は少し赤い茶色だった。


「もう、先に言えそうにないな」


「そうか、義姉さんは亡くなったのか……」


「え?」


「僕が返事をしたことに驚いたかい? 実際に話しているのは僕ではなく、僕の記憶や思考を入れたAI(人工知能)だ。学習能力も付けているが、答えられない事も在るとは思う。では、歩きながら、此処の説明をしようか?」


「その前に、俺以外が此処に近づいたら、どうなるんだ?」


「迷わせはするが、特に何もしていないよ。何かをする必要がないんだ、正確には、君だけに何かをしてるんだよ」


「???」


「雪が君を包んだだろ? あれは解りやすく言えば、乗り物でね。あの中で、君が歩こうが飛ぼうが、たとえジェット機のような大きな乗り物に乗っていたとしても、移動しているように思えて、実はずっとあの中に居るんだ」


 AIは、人の表情も理解できるようで、


「ちょっと理解に、苦しむかな?」


 そう言って、悪戯っぽく笑った。


「しかし、何もしなくて大丈夫なのか?」


「あぁ、仮に、君以外が入口を見つけ、そこを攻撃したところで入口を壊すことは出来ても、研究所内に入ることも、研究所を壊すことも出来ないんだ。そこに研究所が、在る訳じゃないんだよ。つまり……グリーンランドに、研究所は存在しないんだ」


「はい? 解った、否、解らないけど、もう、いいや」


「それでは、改めて此処を案内しよう」


「案内と言っても、何も……」


「無いように見えるだろうが、此処には何でも在る」


 AIは左側を指差すと、突然、そこに大きな建物が浮上する。


「あぁ、下に隠しているのか」


「否、浮上したように見えただけで、実は構築してるんだ」


 此処に入ってから、理解に苦しむことばかりで、頭を抱えていると、


「解りやすく言えば、君は積み木で遊んだことはあるかい?」


「あぁ」


「あれの非常に細かくなったものが、結合していっていると思えばいい」


「そんなので、崩れないのか?」


「正確に言えば、積み木とは違う、どちらかと言えば元素に近い。どんなものでも、元素が結合して出来ていて、君だってその内の1つだ。簡単には、崩れないだろ? 本当に凄く細かくしているから、たとえ、君が何かを壊したとしても、それは結合が外れただけなので、すぐに再生できる。さらに言えば、僕が死んだ後に出来た物でも、設計図を渡してもらえば、何でも創ることが出来るんだ。だが、動物と植物は創れない」


「ここに居て困るのは、食べ物だけか」


「否、種さえ持ってくれば、農園を此処に創り、ロボットが管理することも可能だ」


 何もかも理解不可能な世界だが、カイルが『アルベルトは、歴史に名を残す賢王に成れた筈だった』と、言い切った事だけは理解できた。

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