第89話 1日経って、日常
「ぅゎー」
昨夜の1周年記念も無事に終わり、歌ってみた動画の反響も凄いなかで、寧々はすっかりソファの上で伸びていた。
私の膝の上をうつ伏せで横断する寧々は、完全にだらけきっている。
「だらだら寧々だ」
「昨日がんばりすぎてもう今日は無理……何もできない」
何もできない星人とスマホいじいじ星人のミックスになった寧々。
そんな寧々と同じように私も何もできない星人としてだらだらとエゴサ星人になる。
昨日の1周年記念配信について流れてくるツイートのほとんどが肯定的なものばかりで、嬉しくなる。
下切雀が歩んできた1年は間違ってなんかいなかったんだと世界が認めてくれているみたいだ。
「かなた~」
「なに?」
「今日ってお姉ちゃん、仕事だっけ」
「あー、どうだっけ。朝から出掛けてたけど。ちょっと聞いてみるね」
明日家(3)グループで、長月さんに呼びかける。
明日:長月さん今日仕事ですか?
長月:仕事じゃないけど適当に電車に乗って適当な場所で降りて散歩してる
明日:了解です。夕飯はどうします?
長月:家で食べる
明日:了解です
長月:麻婆豆腐
明日:具材ないです
「だって」
「……私も麻婆豆腐食べたいかも」
「買い出し、1人で行きたくないんだけど」
「なら一緒に行こ」
「それならまあ」
ぐでぐで寧々がソファからゆっくりと立ち上がる。
長月さんに『買い物行くんで具材買ってきます』と送ると『ありがとう』スタンプが返ってきた。
今日は麻婆豆腐らしい。
寧々も私も比較的ラフな格好に着替えて、2人でだらだらと用意をする。
エコバッグ代わりとして使ってるトートバッグを右肩に掛けて、2人でスニーカーを履いて、外に出ると冷たく吹いてくる風に思わず「さむっ」と呟いて、隣の寧々に近づいた。
「手つなぐ?」
「うん」
寧々の問いかけに当たり前ように手を繋げるようになったのは、完全に慣れだと思う。
手袋越しに手を繋いで、足取りものんびりとしたもので、だらだら話しながらスーパーへ向かった。
近所のスーパーは、徒歩10分もない距離にあって、店員さんと顔見知りになる程度には愛用しているお店だ。
「麻婆の素ってどこにあったっけ」
「カレールーの近くにあった気がする」
「麻婆豆腐って絹と木綿どっちがいいんだろう」
「絹のほうがいいっぽい……?」
「長月さん用にお酒買っとく?」
「帰り重くなるから今日はいいんじゃない?たぶん、まだ冷蔵庫にいくつかあったし」
「寧々!ステーキ用の肉半額だよ!」
「買おう!」
「デザート系なんか買っとく?」
「アロエのヨーグルト!」
「デザート枠なの?」
と、なんやかんやたくさん買ってしまった。
重くなったトートバッグを2人で持ちながら帰路につく。
「やっぱなんかまだ実感ないかも」
「実感?」
「うん。VTuberを初めて1年経って、昨日あんなにたくさんの人にお祝いされて、私たちの歌ってみたが大好評でって去年仕事してた時のことを考えるとやっぱ実感ないなぁって」
「わかる。なんなら私なんてまだ大学を卒業した実感がないまま働いてるからね」
「それは流石に持つべきかも」
「あはは、まあでも実感なんてのんびりそのうちついてくると思うよ」
「そっか……」
徒歩10分は短い。
買ったものがなかったらもう少し寄り道なんかしてもよかったけど、そうはいかない。
2人でバッグを持ち、すれ違う人たちに仲良しだなという目で見られながら部屋に帰ると長月さんは既に帰ってきてるようだ。
「ただいまです」
「ただいま」
「おー、おかえり~」
長月さんがソファに座って気の抜けた声で返事をする。
「買ってきましたよ。麻婆豆腐の具材とか」
「さんきゅー!」
「帰ってくるの早かったですね」
「散歩って行くのは楽しいんだけど帰るのがだるいからタクシー使った」
「長月さんですね」
「どういう意味?」
軽口を叩きながら、買ってきた材料を寧々と一緒に冷蔵庫に閉まっていく。
「あ、そうだ」
冷蔵庫に食材をしまい、先にお風呂入ろうかなと考えてた私に長月さんの声が掛かる。
「どうしました?」
「これ、寧々と彼方に」
長月さんが中が見えない真っ白な袋を取り出す。
「お姉ちゃん?」
「なんですかこれ?」
「いいから開けてみろ」
顔を逸らす長月さんに、私たちは顔を見合わせて、その袋を受け取る。
あ、冷たい。そして中に入ってた箱の形状を見て、なんとなくそれが何かわかった。
机に取り出して、開くと箱の中にはホールケーキが入っていた。
ホワイトチョコには、チョコペンでメッセージが書かれている。
『1周年おめでとう』
つまり、そういうことだと思う。
散歩なんて真っ赤なウソだったってことだ。
「長月さん」
「あんだよ」
「なんで喧嘩腰なんですか。ありがとうございます」
思春期みたいな照れ方をする長月さんに笑みを返すと、長月さんはすこしだけぽけっとした表情になって「ますます似てきたな」と小さく呟いた。
寧々は目尻に溜めた涙を拭い、長月さんに抱き着く。
「お姉ちゃん、ありがとう!」
「そこはありがとうじゃなくて、大好きって言ってほしかったな」
「大好き!」
「うへへへへ」
今日もなんだかんだ私たちのお姉ちゃんをしてくれている長月さんに、苦笑いを浮かべる。
「でも、ケーキあるんだったら麻婆じゃなくて、お祝い感ありますし、今日買ってきたステーキでも焼きます?」
「いや、そこは麻婆豆腐の口になってるから麻婆で」
「私も麻婆がいいかも」
「わかりました」
麻婆がいいらしい。
息ピッタリな姉妹に笑みを返して、私は下準備を始めた。
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日常回です。
次回更新は、月曜日か火曜日。
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