くだらなひ日常。

夢獏。

第1話 籠る話。

今先生は篭っている。

どこに。

厠にだ。



時は明治、多くの海外文化や日本文化が入り交じりモダンという洒落たものが出来た時代。とある物書きの小間使いとして、この家で生活しているのが私であり、この物語の語り部である。



「先生、そろそろ文学に勤しみませんか?」

眉毛を八の字に下げ、呆れたように声をかける私の顔は情けないものだろう。だが、そんなことはいざ知らず先生は一向に厠から出てくる気配がない。気配がないどころか怒鳴り返してくる。

「煩い!俺は今闘っているのだ!この便意と腹痛という敵と!文学などに現を抜かしている場合ではないのだ!」

「文学などって…。」

そう、先生はお腹が痛いらしい。しかしそれだけで小一時間、いやもう少しで二時間ほど厠に閉じこもられては流石に文句のひとつも言いたくなる。これで倒れているのなら医師を呼んで慌てるところだが、怒鳴る元気もあるし、ペンを走らせる元気もある。ただ、走らせている論題が『便意について』では小説家としては少し素っ頓狂な気もする。

「俺は痛みが大の苦手なのだ!なのにこいつといったら落ち着く気配も見せやしない!」

「こいつと言っても身体の中のことですから、僕らにはどうも出来ませんよ。どうせ便秘じゃないですか?──」

「便は出た!たっぷり出た!なのに何故かまだ腹痛が治まらんのだ!」

私の言葉が終わらぬうちに被せてくるあたり、かなり切羽が詰まっているのだろう。我が家の唯一の癒し、またきち(猫)ですら先生の声にびっくりしてオドオドしている。

「では、寝床に入りましょう。そうして休んでいるうちに腹痛も治りますよ。」

このままでは私が便意をもよおした時、対処が出来まいと取り敢えず退出を促す。しかし先生は頑として動かない。

「布団に入ったところで治るものでもなかろう!ぐるぐると腹の中を駆け巡るこの痛みの原因を突き止めぬ限りここは動かん!」

「厠に居たって同じことですよ。なんなら冷えて更に酷くなりますよ?」

「なっ…──」

先生の声がピタリと止まる。すると扉の向こうから衣擦れの音が聞こえ始めた。静かになったかと思うと扉が勢いよく私たちに向かってくる。ガンッと鈍い打撃を感じれば目の前が真っ暗になり、その場に尻もちを着いてしまった。

「布団は!敷いてあるのか!?おい!」

無意識とはいえ仕掛けてきた本人は私よりも、自分の痛みを優先してくる。カチンと来ることもあるが筋金入りなのは今に始まったことではない。

「ありますよ。一応腹痛のお薬もおいてあります。」

「薬は要らんが布団はありがたい!」

そう言い終わるのが早いか先生は自室にドタドタと戻っていった。

しばらくの間の論題は『便意と腹痛について』から動きそうにないことを、私は溜め息とともに受け止めた。





『便意と腹痛について』

私はここに述べる、何故便意と腹痛はこんなにも融通が効かぬのかと。私が便を出し切ったといふのに腹痛は止まらずに痛み続ける。便意も便意である。時ところ構わず、早く出せと言わんばかりに押し寄せてくる。

私は思ひ、君たちにも考えていただきたひ。便意を自由自在に操れればこんなことにはならぬのではないかと。

接待や見合い、デェト、そんな大事な時に便意をもよおすのは失礼ではないのかと。少し頭の中で考えるだけで、時間をずらせたらこんなにも素敵なことは無いじゃないか。腹痛が起こる前に便を出し切ることだって可能ではないか。


(中略)


進歩著しい医学界に、早急に便意の操れるようにしていただきたひと願うとともに、腹痛を減らすような技術も高めていただきたひ。


(注意。この文章はいち物書きの個人意見であり、信憑性や今後の医学になにかしらの影響を与えるものではありません。)

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くだらなひ日常。 夢獏。 @tkr1011

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