第10話「追憶Ⅲ」

 第十話「追憶Ⅲ」


 三年前、あの日の出来事が、全ての始まり……

 

 いや、俺には、穂邑ほむら はがねという男にとってはもっと前からではあるが……


 それでも、事が動き出したのは確かに三年前のあの日だった。



 俺は眼前の巨大な鉄塊を見上げて思う。


 三年の時を経てか……


 あの事件が、現在のこの臨海中央公園の状況へ繋がる元となったのは明らかだ。



 その表面は、深淵に潜む泥のように淀んだ鉛色。


 その風貌は、唯唯、貪欲な大食漢の魔王。


 首無しの鉄騎士、無骨な鉄塊。


 殺戮の限りを体現するであろう両腕は、直立していても地面に到達するほど。


 鈍く光る強靱な四本の鉤爪を携え。


 胴体の前面を殆ど占める巨大な鉄の顎は、鋼の虎の所以である。



ーープシューーーーーシューーー !


 内部の複数箇所から、空気圧をはき出す鋼鉄の巨人。


 「BTーRTー04べーテー・エルテー・フィーア鋼の虎シュタールティガー、通称”ブリトラ”……」


 それを見上げる俺の表情は、どうだったろう?


 恐怖?絶望?焦燥?……いや、現実がどれであっても答えはひとつ。


 何故なら俺の口角は確かにあがっていたのだから……


 「ほぼ完成といえる状態なのだよ、穂邑ほむら はがねくん、このヘルベルト・ギレが終生を賭けて創造した、現代に蘇った神代の魔神が!」


 呆然と見上げる俺に、ギレ老人のテンションはこれ以上無いくらいだ。


 「もちろん、君の貢献も多大であったぞ、制御周りのソフトウェア関連に君の発案した波動による力場の供給……そして」


 ヘルベルト・ギレはニヤリと嗤う。


 「君の右目、竜士族の証、その竜因子があってこそ、君の犠牲があってこその、今日の魔神誕生なのだ!」


ーー!


 老人の言葉に、その場の人物達がざわついていた。


 鬼の姫神ひめがみ峰月ほうづき 彩夏あやかと目付きの悪い少女、吾田あがた 真那まなは、思わず俺を見る。


 竜の美姫、燐堂りんどう 雅彌みやびは、美しい眉間に影を落とし、巨大な鉄塊を嫌悪の瞳で睨んでいた。


 「我が研究の粋、ブリトラ、最も優れた因子である竜士族の四種の原種から構成されるその動力は無限の力を生み続ける」


 得意そうに講釈を口にしながら俺を見るギレ。


 「我はその四原種の三種までをヨーロッパ、アフリカ、アジアで手に入れたが……最後まで不明であった”火焔竜”の因子がこんなところで見つかるとはな……まさに灯台もと暗しというのか?この国では」


 ヘルベルト・ギレの言葉に、彩夏あやか雅彌みやびを睨む。



 「どういう事なの!」


 彼女は厳しい口調で雅彌みやびを問い糾す。


 「……あの鉄屑は、はがねの……はがねの右目を、竜眼りゅうがんを奪い取って存在しているのよ」



 ヘルベルト・ギレの発案した無限動力、その出力は現状のあらゆるものを上回る、そしてその動力の源は上級士族、特に竜士族のあかしである竜眼りゅうがんであった。


 竜士族の源流は四種類の竜から成り立つと言われている、”古代竜こだいりゅう””光竜こうりゅう””暗黒竜あんこくりゅう””火焔竜かえんりゅう”がそうだ。


 しかし、現在で、その因子を純粋に引き継ぐ者は、殆ど皆無、一説には既に絶滅したとも言われていた。


 ヘルベルト・ギレは、自身の研究に絶対不可欠なその因子を探し続け、ついに最後の一種をこの国で見つけたという事の様だ。


 そして、それが俺の……穂邑ほむら はがね竜眼りゅうがん……ならばと……


 あとは三年前、あの件に多少なりとも関わった者ならば、簡単に答えは出るだろう。



 「まさか……あなた……それを!」


 彩夏あやかは、ギレ老人の言葉と雅彌みやび自身の言葉から、一つの答えに辿り着いていた。


 「この国におけるファンデンベルグ帝国の研究は、九宝くほう 戲万ざま閣下の意向でもある、それを反故にすることは、責任ある一族の長としてできない……ちがうかしら?」


 雅彌みやびは氷のように表情を変えずに、ポニーテールの少女に言い放った。


 「!っ、この!冷血女!」


 鬼姫の瞳に瞬時に怒りの炎が灯る!


 「彩夏あやか!」


 俺は強い口調でポニーテールの少女の行動を制した。


 「はがね!」


 雅彌みやびに対しての攻撃動作は一旦止めたものの、俺の名を叫んだ彼女の声は、到底納得できないという意味合いを大いに含んでいた。


 「違うんだ……彩夏あやか、そうじゃないんだ」


 彼女から見て、被害者であるはずの俺は、加害者の雅彌みやびを彼女の代わりに必死に弁護する。


 「みやは知らなかった……それがどういう事か、具体的に……誰が対象なのかも、彼女に罪は無いし、誰もそう思っていない」


 「……」


 自身を必死に庇おうとする幼なじみとポニーテールの少女のやり取りを黙って見る雅彌みやび


 彼女は、彼女らしくない頼りなげな瞳で立ち尽くしていた。


 悔やんでも悔やみきれない、やり直すことができたらと願う過去の日、でも、そう出来ても、それでも、所詮同じ選択肢しか存在しないであろう過ぎ去りし日の……運命の日。



 燐堂りんどう 雅彌みやびという少女の後悔の念は、その時の俺さえもが及びのつかない強さであることを、俺はまだ知らなかった。





 「少し……用事が出来てしまったの……」


 濡れ羽色の瞳を伏し目がちにしながら、黒髪の美少女は電話で告げる。


 「……わかった、気にしないでくれ」


 電話の相手、穂邑ほむら はがねは、少しの間の後、明るい声でそう答える。


 「……ごめんなさい」


 謝る雅彌みやびは、少しばかりの罪悪感から、うまく会話が出来ずにただ謝罪した。


 実は彼女は特に用事など無い、彼女は今日、はがねとの約束の前に、九宝くほう 戲万ざまと面会した。


 その人物に会うのは、帝都に居を移してから何度目かだが、彼女はそれが嫌で仕方が無かった。


 特に何をされると言うわけでは無い、ただ単なる顔合わせ、簡単な食事と世間話。


 それでも彼女は、その男の得体の知れない雰囲気と、狂気を孕んだ恐ろしい眼光、今、この場で何をされても従うことしか出来ない自分の立場にどうしようも無く絶望するのだ。


 そして、仮に、立場上の事が無くても、彼女はこの男に抗える自信が無かった。


 竜士族最強の雅彌みやび、”黄金の要塞””黄金竜姫おうごんりゅうき”と言われるほどの彼女でも、その男、九宝くほう 戲万ざまは圧倒的すぎたのだ、明らかに常軌を逸しているのだ。


 この男に会った後、いつも彼女は、改めて自身の不自由さを、嫌と言うほど思い知らされて鬱になる。


 いつもそうだ、いつもそうなのだが、今回はさらに彼女を苦しめる出来事があった。


 戲万ざまから竜士族の当主代理への依頼、いや、実質の命令があった。


 同盟国ファンデンベルグとの共同研究組織から竜士族の一人を貸し出して欲しい、研究のためどうしても竜士族の協力が必要だと。


 被験者はチラで選別済みだから、後は当主の許可が欲しいという要請だった。


 戲万ざまの話では、ただのサンプル的な協力で、特に危険なことはないと言うことらしいが、戲万ざまから直接当主代理である雅彌みやびに、話が来るところを見ると、それも大いに怪しい。


 竜士族の当主である雅彌みやびの父は病弱で、何年も前から執務が行えず、実質当主とは代理の雅彌みやびと言うことになっている。


 ファンデンベルグ帝国は信用できない、ましてや九宝くほう 戲万ざまは論外だ。


 士族の長としては、一族の者を守る義務がある、しかしそれは拒否の出来ぬ依頼でもある。


 実際は命令、断れば竜士族全体に影響してくる問題にまで発展するのは想像に難くない。


 会食のテーブルの下で、血の通いが鈍くなり白くなるほど拳を握りしめた彼女は、首を縦に振るしか選択肢は無かったのだった。



 帰宅した彼女は直ぐに自室に駆け込む、そうして部屋に閉じこもり、膝を抱えて震えた。


 戲万ざまと会った後はいつもそうであったが、今回は、同胞を見捨てた無力で非常な自分に対する激しい自己嫌悪で体を震わせていた。


 誰とも会いたくない、何もしたくない、何も考えたくない、ここに来てからは、はがねに会うことはそれの唯一の救いではあったけど……今日はその直後、勘のいい彼は、こんな私の状態を見抜いてしまうかもしれない。


 いえ、それ以前にこんな顔を見せたくない、彼女は考えた挙げ句、今日、はがねに会うのは出来ないという結論に至っていた。




 「大丈夫だって、大した用事があるわけでもなかったしな、って会いたいって言っておいてそれはないか、ははは」


 彼は、気まずそうな彼女を気遣い、努めて明るく振る舞っている。


 「うん、それじゃあ……」


 そう言って電話を切った彼女は少しの罪悪感に苛まれながらも、彼とはいつでも会える、まだ大丈夫、まだもう少しは、はがねと過ごせる時間はあるはず……と何度も心の中で繰り返し、九宝くほう 戲万ざまの事を記憶から消そうと必死に自分に言い聞かせていた。



 ーープッ


 電話が切れると、俺は、少し、寂しさを含んだため息をついた。


 「最後に……雅の顔を見ておきたかったんだけどな……」


 俺は誰に言うでも無くそう呟く。


 そして、すぐに思い直す。


 勇気を絞り出すために、最後に雅彌みやびに会おうと思っていたけど、寧ろ逆効果だったかもしれない、彼女を見ると決心が鈍っていたかもな……そう考えたらこれで良かったのか。 俺は何とか良い方向に取ろうと考える。


 そうして、暫く沈黙したあと、彼女の声の名残を残す携帯を見つめた。



……さよなら雅彌みやび


 俺は、そう心の中で呟くと、楠木の下を後にしたのだった。





 「穂邑ほむら はがねだな」


 簡潔な質問の声が夜の路地に響く。


 闇から響いた声の主は、存在をはがねに全く感じさせること無く、俺の背後に立っていた。


 「……」


 俺は無言で歩を止める。


 ーー雅彌みやびと会えなかった日の夜、俺はそこにいた。


 帝都の有名な繁華街、不夜城と呼ばれるその街の路地裏。


 午後十一時を回っても全く人通りの途切れない歓楽街も、一本筋を入れば途端に殺風景になる。


 居酒屋や夜の店の勝手口が並ぶその小道には、空になった酒瓶のケースやゴミ箱などが煩雑に置かれていた。


 カサッカサッ……


 何の音かと思ったが、立ち尽くした俺の右手に下げられたコンビニ袋が恐怖で小刻みに震えている音か……。


 コンビニエンスストア”セブンマート”は、俺の住むアパートからはここを通れば近道で、俺は自宅での研究の合間に、よくこの道を利用していた。


 「ゆっくりとこっちを向け!」


 背後から刃物のようなモノを突きつけられた俺は、震える頭をコクリと縦に振り、その声に従う旨を伝える。


 震える体、俺は恐怖していた。


 そもそもは全て自分でお膳立てした事……でも、それでも、今日、この日の計画は、俺にとって一世一代の……失敗できない大事だ……。


 そして……そして、これで本当に俺は、穂邑ほむら はがねは死ぬ……。


……ふぅ


 静かに目を閉じ、心の中で深呼吸した後、俺はゆっくり謎の男の指示に従う。

 その時、俺の再び開いた銀色の右目には、覚悟を決めた煌めきが確かにあっただろう。


 ゆっくりと体を回転させて後ろを向くーー


 ガツッ!


 「っ!」


 振り向いた直後!


 俺の銀色の右目から火花が飛び散った!


 そして目の中に焼けた鉄棒をねじ込まれたような激痛が、脳を痺れさせる。


 「……ぐっ、わぁぁーーーー」


 生まれて初めて味わう最悪の衝撃!


 一瞬硬直した体から炎の津波のように広がる激痛に、俺は少し遅れて絶叫していた。


 喉が焼けるくらいに散々喚き散らし、震える両手で右目を押さえ……


 右目を……?


 「うっ、く……!」


 両手で押さえた、そこに、あるべきモノが無い。


 押さえた両手から溢れる鮮血、俺の右目はえぐり取られ、本来あるべきその場所には大量の血に浸かる唯の空洞があるだけだった。


 狂いそうになるような激痛と衝撃で、俺は膝をつき、地べたに這いつくばる。


 「……」


 無様に転がる俺に、俺の右目を奪った男がナイフを引き抜き近寄って来た。


 「……あ……あ、が……や……やめ……」


 不確かになる地べたからの視界に、薄笑いを浮かべて近寄る……金髪の男。


 ーーなんて……愉しそうに嗤うんだ……


 俺はその光景を、命乞いをすることも忘れて見上げていた。


 「やめろ!」


 突如、違う男の声が響く。


 「命令では右目を奪えばそれでいい……それ以上は任務外だ」


 暗闇から浮かび上がるように出現した細身の男は、ナイフの男にそう命令する。


 少しこけた頬にカミソリのような鋭い眼光……ぼやけて滲む視界、それでも、その男の肩に縫い付けられた、頭蓋骨にアーミーナイフの突きたったデザインのワッペンが印象的だった。


 「フォルカー隊長……」


 ナイフの男は不満げに、後から現れた鋭い眼光の男の名を呼ぶ。


 「帰還する!」


 フォルカーと呼ばれた男は、這いつくばる俺を一瞥し、部下を従えて闇に消えていった。



 ーーーーーーーーーーーーーーー。

 ーーーーーーーー


 「……」


 俺は気がつくと乾いたにおいのするアスファルトから散乱するゴミ箱を眺めていた。


 帝都の有名な繁華街、不夜城と呼ばれるその街の路地裏。

 俺は、あまりの激痛とショックで暫く気を失っていたようだ。


 それが五分なのか十分なのか、俺には知る手立てが無い。


 「うう……ぐぅ……!」


 意識を取り戻した俺は、再び、悪夢のような激痛に襲われる。


 顔の右半分は乾いた血糊と新たに流れる血で溢れ、顎までに流れ込み、口の中は鉄の味が充満している。


 「……!……はっ!」


 起き上がろうとしても起き上がれない、出血のためか意識が再び途切れがちになっていく。


 「…………」


 駄目だ……ここで死んでは……竜士族の穂邑ほむら はがねは死んでも、只の穂邑ほむら はがねは死んではいけない……


 くっ……なんのための四年間だ!……俺は……死ねない……まだ死ぬわけには……いか……な……


 必死の抵抗も虚しく意識がどんどんと遠くなっていく。



 「ーーーーーい」


 「おーーーい!」


 意識が薄れゆく中、対照的にノイズでガンガンする耳に、女の高い声が聞こえた。


 「……」


 どう見ても……返事なんて出来る状態じゃ無い……だろ……この女……


 俺はその状態でも、心の中で非常識な女に文句を言っていた。


 「おーーい、生きてるの?死んでるの?」


 俺は何とか、地面に伏したまま、左目のぼやける視界で、頭上から響く声の主を目線だけで追った。


 「……」


 ぼんやりと浮かぶシルエットは、アスファルトの道にしゃがんだ、ポニーテールの少女らしき影。


 「変な感じね、あなた、一般人なのに士族っぽい雰囲気もする……何者?」


 血まみれの俺に全く動じること無く質問する女。


 彼女が俺を一般人と間違うのも無理は無い、今の俺は竜士族の証である竜眼りゅうがんを失ったのだ。


 片目のみの半端者と嘲られていても、士族は士族、それを失えば、竜士族の俺は、穂邑ほむら はがねは死んだも同然だった。


 「彩夏あやか様、奴を見つけました!」


 ふいに女の背後から大人の男の声が聞こえる。


 「……そう、早かったわね、えらいわ」


 ポニーテールの少女はそう言って立ち上がった。


 「……」


 去り際にチラリと這いつくばる俺を見た。


 「……ま、いっか、こんな所で死にかけてるような弱い男に興味ないし」


 大して気にした様子も無く呟いて、ポニーテールの女は去って行った。



 「……うっ……く……」


 ……このままじゃ死ぬ……だめだ、俺はまだ死ねない……

俺は何とか立とうとするが、既に体が思うように動かない。


 自身の血に塗れ、羽をもがれた蝶のように虚しく藻掻くだけだった。




 帝都の有名な繁華街、不夜城と呼ばれるその街。

 夜が深くなっても全く人通りの途切れない歓楽街で、野次馬を集めながら、ポニーテールの少女とその取り巻きの屈強な男達の一団は、一人の男を囲んでいた。


 人目を引く長身、肩まであるしなやかな黒髪を無造作にかきあげて後頭部で括っている、切れ長の瞳と鼻筋の通った彫刻のような容姿が、身なりをそれほど気にしていない風の男を、それでも様にしていた。


 男の名は、阿薙あなぎ 琉生るい


 「あんたねー、あんたのせいで私はこんな帝都くんだりまで来なきゃならなくなったのよ!」


 開口一番、文句を言うポニーテールの少女。


 外側を囲むように居並ぶ、物騒な雰囲気の黒スーツ姿の男達も、誰もが厳めしい表情で男を睨んでいる。


 「……」


 当の阿薙あなぎ 琉生るいという男は無言だが、その佇まいには全く隙が無い。


 「本当なら地元の海でリゾート三昧だったのに、何の因果か、箱根の山を越えてこんな所まで……中二の夏は一度きりなのよ!まったくとんだ夏休みだわ」


 かまわず愚痴を続けるポニーテールの少女。


 「……俺を狩るのか?」


 そこで男は初めて口を開いた。


 「お爺ちゃんから言われてるのよ、一族の掟を破って抜けるような輩は殺せってね」


 ポニーテールの少女はそう言ってウィンクする。


 「峰月ほうづき 羅門らもん……当主、直々の命か……」


 そう少女の答えに、呟くと阿薙あなぎ 琉生るいは長いリーチの両手を前に、ゆっくりと構えた。


 ーーー!


 一瞬でその場の空気が変わった!


 空気はまるで気体から液体に変わったように重く、息苦しくなる。


 「なんて殺気だ!」


 「これが……陸奥みちのく悪路王あくろおう……」


 少女の後ろに控える黒服の男達は口々に驚きと焦りの声を漏らす。


 「……」


 ただ、その中心で男をみるポニーテールの少女のみが変わらぬ表情のままであった。


 「ふう……」


 ポニーテールの少女は暫くそれを眺めた後、ため息をひとつ吐いた。


 「向こうの路地に、血まみれで倒れてる男がいたのだけど……阿薙あなぎ、あんたそいつを何とかしなさい、そうすれば今回は見逃してあげるわ」


 彼女の後方、路地の方角を、肩越しに右手の親指でくいっと指さす少女。


 「!」


 脈絡の無い突然の提案に、当の男だけでなく彼女の部下達もざわめいた。


 「あ、彩夏あやか様!」


 部下の黒服の男をうるさいなという表情で無視して、彼女は続ける。


 「趣味じゃ無いのよ、阿薙あなぎは嫌いだけど、こういう状況も……私らしくないでしょ」


 多勢に無勢、自身がその多勢側である状況を指して言う少女。


 「……その男と何か関係が?」


 疑問を口にするターゲットの男に、少女は鋭い視線を向けた。


 「わかった……なんとか対処しよう」


 阿薙あなぎ 琉生るいはその視線を誤魔化すようにそう言うと、構えを解いて路地裏の方に去って行った。




 「あ、彩夏あやか様!これは一体!」


 「彩夏あやか様!ご当主様にはなんと報告するのですか!」


 彼女の采配に不満のある部下達が口々に吠えた。


 ガンッ!


 道路脇、外灯の鉄柱を鋭い中段蹴りでねじ曲げる少女。


 「……!」


 有無を言わせぬ迫力で有象無象を黙らせたポニーテールの少女はふと路地裏の方角を見た。


 「知らないわよ!何か気になるのよ、あの血まみれ男……」


 ひとり、ポニーテールの少女は、彼女に似合わぬ戸惑った表情で呟くのだった。




 その翌日、燐堂りんどう家の別宅で燐堂りんどう 雅彌みやびは報告を聞く事になる。


 ーー穂邑ほむら はがねは彼の竜士族の証である、右目を失い、失踪した


 それが何を意味するのか、”被験者はチラで選別済み”


 なぜその人物を確認しなかったのか?


 彼女は呆然と立ち尽くす。


 解っている、彼女はそれを確認するのが怖かったのだ。


 竜士族の当主代理でありながら、自らが見捨てる相手の素性を知ることに耐えられそうになかったのだ。


 そして……そうした彼女の弱さは、翌日、最悪の結果を告げられることになった。


 まるでそれが罰だとでも言うように。


 「公には彼が従事していた研究中の作業での事故により大けがをした事で処理するそうです、自己責任であることですし、ファンデンベルグ帝国も、勿論、我々も一切の責任を負わない事になっております。」


 彼女に報告する人物は、通常の事務処理同様、淡々と話す。


 「……」


 「で、雅彌みやび様、彼の処分ですが、竜士族の誇りたる竜眼りゅうがんを失うような不始末……雅彌みやび様?」


 そこまで報告したところで、竜士族の部下の男が主の異変に気づいたようだ。


 燐堂りんどう 雅彌みやびは物言わぬ人形のように、虚ろな瞳でその場に立ち尽くしていた。


 部下の男は、分からぬようにひとつため息を吐いた後、主に向き直る。


 「雅彌みやび様、低能力者であったものの……それでも従弟いとこの事に、心を煩わすお優しさは尊敬致しますが、解っていますね」


 そう言って、一族の長に相応しい決断を催促する。


 「…………とするわ」


 雅彌みやびはどこか心が無い表情で頼りなげに呟いた。


 「雅彌みやび様!」


 部下の男が、更に主としての毅然とした決断を求めた。


 「……穂邑ほむら はがねを一族から追放処分とする」


 その日、竜士族当主代理、燐堂りんどう 雅彌みやびは、そう命を下した。




 あの日の決断は、今でも……三年たった今でも、思い出せば、いや、忘れることが出来ずに、胸が張り裂けそうに苦しくなる。


 しかし、それが当主としての勤め、竜士族当主代理として雅彌みやびが初めて下した決断。

 

 「私が決断したのよ、それが燐堂りんどうの者の勤めだから」


 黒髪の美少女は、睨み付けるポニーテールの少女に毅然とそう言い放っていた。


 第十話「追憶Ⅲ」END

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