第8話「追憶Ⅰ」

 第八話「追憶Ⅰ」


 少年は急いでいた。


 その手には、首からかけるタイプでプラスチック製のカード型身分証明書を握りしめている。


 H県成桐せいとう区、西日本有数の都市でありながら瀟洒な町並みを擁する高級住宅街に、燐堂りんどうの屋敷があった。

 広大な敷地に、有名な観光名所よりも更に見事な日本庭園を有する立派な日本家屋、燐堂りんどうは、日本屈指の名家であり、竜士族の当主家である。


 少年は、ファンデンベルグ語で”ギレ研究所特別研究員証”と書かれた身分証明書を握りしめ、その庭園を足早に歩く。


 今月十歳になったばかりの少年は、生まれつきの異質な瞳をきらきら輝かせながら、先を急いでいた。

 一般的な日本人の容姿であるはずの彼を異質に感じさせるのは、左右で違う瞳の光、オッドアイ、彼の場合、右目だけが銀色の光を宿していた。


 上級士族である竜士族はその”証”として、銀色の瞳を顕現させる。


 だが、それらはあくまでも能力を最大限に発現した状態であり、平常時は何の変哲もない黒い瞳であるはずだ。


 しかしその少年は、常時から銀色の瞳、それも片眼のみという変わり種であった。

 彼はその瞳のことで、一族の同年代からはからかわれ、大人達からは蔑まれてきた。

 しかし、彼にとってそんな嘲笑は問題では無い、解ってくれる人が一人でもいれば。


 「……」

 

 先を急ぐ異端の少年は、その口元に隠しきれない喜びがこぼれていた。

 未熟な少年、穂邑ほむら はがね……当時の俺だ。


 「あ!」


 俺は庭園の池の畔で目的の人物を見つけた。


 美しい趣のある日本庭園の池の畔に佇む、黒髪の少女。


 「みや!聞いてくれよ!」


 俺はそう大声を出しながら、子犬のように彼女の元へ駆けていく。


 「こうくん……」


 黒髪で濡れ羽色の瞳を輝かせる幼いながらも美しい少女は、駆け寄ってくる俺に気づくと、彼女だけが使う、呼び方を口にした。


 「合格した!世界のヘルベルト・ギレに認められたんだ!」


 俺は一も二も無く、そう言って飛び上がらんばかりのテンションで少女に話す。


 「そうなんだ、おめでとう」


 彼女は俺の話を聞き終えると、穏やかに微笑みを返した。


 「……」


 先程までの騒がしさはどこへやら、少女の笑顔に見とれて、つい赤くなって黙ってしまう俺。


 「こうくん?」


 雅彌みやびは、俺の反応に、小首をかしげる。


 「あ、えーと、提出した研究レポートが気に入られたみたいで……来週から僕も帝都の研究所に入れるって!」


 俺は我に返ると慌てて話を続けた。


 「来週から……そうなんだ」


 その話の内容に、少し意外そうな反応をする雅彌みやび


 「?」


 「……わたしも来週から帝都の別宅へ行くことになったの」


 彼女の反応に最初、少し違和感を覚えた俺だが、その言葉で一気に頭の中にある事が浮かんだ。


 「それって!」


 「……うん……そういうこと」


 雅彌みやびは、俺の言いたいことを理解し、少し困ったような笑みで答える。


 竜士族の当主家、燐堂りんどう家の息女である彼女は、次期当主として日夜、帝王学を学んでいる。

 その彼女が、東日本にある帝都の別宅へ移動するという事は、いよいよ本格的に時期当主としての執務を学んでいくことを指す。


 だが、ある諸事情から、今回のそれは、別のある事も意味していた。

 そしてその別のある事とは、俺にとって、穂邑ほむら はがねにとって、何よりも重要で、捨て置け無い事であった。


 「九宝くほう 戲万ざまのところに……?」


 俺は遠慮も何も無い、兎に角、それが俺の質問の全てだった!


 多分俺の表情から笑みは消え、恐る恐るながらもかなり厳しい表情になっていたことだろう。


 「……それはまだ先の話よ……当分は……」


 雅彌みやびは不安げな瞳で見つめる俺に、彼女自身も迷いのある声で答えた。


 「安瀬日あしびの家の女の人は、去年、九宝くほう 戲万ざまに嫁いだけど、その後、あまり良い噂は聞かないって言ってた!」


 俺は自身が知る、大人達の間での噂話を出して何かに抵抗を試みる。


 彼女のために、俺なりに集めた情報であったが、今思えばそれは偏に自身のためだったのかもしれない。


 因みに安瀬日あしびとは、十二士族の一家、尖士族の当主家で、一角獣の一族である。


 その安瀬日あしび家の当時二十歳になる娘、安瀬日あしび 磨純ますみは、去年の春に九宝くほう 戲万ざまのところに嫁いでいた。

 しかし、その後の情報を知る者は少なく、消息不明という噂もある。


 十二士族の筆頭で、それを統轄する九宝くほう 戲万ざま

 その男が数年前に九宝くほうを除く各十一士族家に出した勅使は、各家の血を最も色濃く引く未婚の女性の召し上げであった。


 簡潔に解釈すれば、当主筋の子女を自らの后とするので、差し出すようにという事である。

 条件は十歳から二十五歳までで、現在二十歳未満の者は、戲万ざま本人が召し上げる時期を決定する。

 それは、竜士族当主家の息女である雅彌みやびも当然その対象であることを意味する。

 しかし彼女の場合、十二士族の中でも格の違う竜士族、さらには次期当主でもあることから、九宝くほう家と燐堂りんどう家の政略結婚的な要素が絡まり、他の十士族家とは意味合いが多少異なっていた。


 「九宝くほう 戲万ざまは、化け物だって、影では皆言ってる、そんなところにみやを行かせるわけにはいかない!」


 俺は感情的にそう言うと、少し乱暴に少女の手を取った。


 俺には我慢できない、何が?それは……兎に角、色々だ!


 「家同士が決めた事よ、それに、たとえそれが本当でも、あなたに何が出来るの?」


 しかし返ってきたのは当時の俺が予期しない言葉。

 黒髪の少女は冷静に、熱くなった少年の俺を諭す。


 「それは……」


 お笑い種だ、その時の俺は……本当に恥ずかしくなる。


 悪の魔王から、お姫様を救出する勇者の気持ちでいた、高ぶった少年は、そのお姫様本人に拒否され、現実を突きつけられ,みるみる意気消沈していったというわけだ。


 「でも、考えれば何か方法が、銀の勇者だって、強大な魔王を知恵と勇気で倒したんだ、一生懸命考えれば僕にもみやを!」


 そして見苦しくも俺はそれを続けた。

 彼女が最も苦しんでいた事情に俺は自身の感情のみで……土足で踏み込んでいたのだ。


 大人だと誰しもが解る在るはずの無い可能性、お気に入りの小説から架空の物語の勇者を例えに出してそれに必死にすがる俺は、滑稽極まりない。


 いや、自身をフォローするとしたら、本当の挫折を知らぬ無垢な少年そのものであったともいえる。


 「……」


 駄目だな……それは本当に言い訳だ、ただ身勝手だっただけ、その一言で全てが片付く。


 現に、彼女はその盲目的な想い、一見、雅彌みやびを想う少年の純粋すぎる必死さを、少年自体がそう信じて疑わなかった想いに彼女は少し苛立ちを覚えていたのだろう。


 「九宝くほう 戲万ざまに勝てるの?」


 だから、彼女にしては態と意地悪な物言いをする。


 「私にも、ううん、一族の中でも、そんなに強くない、そんな半端な能力でどうしようって言うのよ!」


 彼女は感情的になった、そして多分思わずそう口走ってしまったのだろう。


 本当は思ってもいない事、彼女自身決して口に出したく無かった言葉、他の竜士族の者達とは違い彼女が今まで決して口にしなかった言葉。


 ーーそれは俺が言わせたのだ。


 俺の半端な能力、それは穂邑ほむら はがねの隻眼だけの竜の証。


 俺が傷つくであろうその言葉を、彼女は態と選択してぶつけて来たのだ。


 「……」


 俺にとってそれは言われなれた嘲笑、別に気にすることでも無い。

 ただしそれは彼女以外からの言葉であれば……だ。

 その時の俺は、今度こそ、うちひしがれ黙ってしまった。



 「……だから子供なのよ、こうくんは……」


 黙り込んでしまった俺に、雅彌みやびは正視出来ない様子で、下を向いて呟いた。

 彼女の濡れ羽色の瞳は、後悔と罪悪感の海に沈んでいた。


 「十二士族家の当主の間での問題だわ、九宝くほう家の世継ぎを授かれば、竜士族としても……」


 俺と同じ歳ながら、次期当主としての自覚を見せる少女の決意した言葉。


 俺はただ、彼女を凄いと、比べものにならないと、さすが雅彌みやびだと、ただ、格の違いを感じてうちひしがれていたのだ。


 だから、濡れ羽色の瞳が寂しげに揺れていたことを見逃していた。


 大事な相手なら尚のこと、それを察する努力を怠った俺は決して年齢を言い訳にはできない。


 俺と同じような純粋な感情を見せることの出来ない雅彌みやび


 今思えば彼女は、自分の事を想い、何とかしようと未熟なりに頑張っている俺に対してお礼の一つも言えない立場と、それに従うことに甘んじることを良しとしなければならない自分に葛藤していただろう……。



 九宝くほうは十二士族を統括する一族、それはこの国の支配者を意味する。


 つまり、九宝くほう 戲万ざまの子を産むと言うことは……くそっ!考えたくも無いことだが、それは次世代の王を産むと言うことになるのだ。


 それは竜士族にとっても決して悪い話ではない。

 ただ、竜士族を含む各一族が、躊躇するには理由があった。


 相手が問題であった、九宝くほう家では無い、九宝くほう 戲万ざまが問題なのだ。


 九宝くほう 戲万ざまは、九宝くほう家十一代目の当主だが、その男は既に齢百歳を越える。

 士族は、生まれ持った能力の代償なのか、一般人に比べて出生率が極めて低い、それは上級の者になるほど顕著で、支配階級の十二士族にしても、ほんの百年前までは十六士族であったのが、子孫を残す事が出来ず、現在の十二士族にまで減ってしまったのだ。


 九宝くほう家はその最たる例で、鳳凰の一族といっても、今は、九宝くほう 戲万ざま、只一人になってしまったのだ。


 戲万ざまには今まで百人以上の妻と妾がいたらしいが、その全てが子をなせず、または死産した。


 強力すぎる能力の血統は、母胎に多大な負担をかけるというのが理由らしいが、奴はそのためにより強靱な母胎を求めた。

 を除く十一士族の、それも当主家の娘を差し出すよう命令を出したのもそのためであった。


 戲万ざまは齢百十二歳、しかしその風貌はどう見ても三十代から四十代、いや、直接面識がある者の話では、実年齢の方が信じられないと皆が口を揃えるらしい。


 それが鳳凰の一族の能力なのかは不明だ、しかし曾ての鳳凰の一族にそう言った例は……少なくとも俺が調べた限りでは、皆無であった。



 「……」


 兎に角、その時の俺は、無力な自分を改めて思い知り、黙り込むしか出来なかった。


 「ごめんなさい、こうくん、でも、もうこの話は止めましょう、今日はこうくんの記念すべき日なのだから」


 そんな俺に雅彌みやびは、まるで俺の姉のような優しい笑顔で言った。


 本当に情けない話だ、一人で引っかき回して、最後は助けようとした相手に慰められる、これでは同年代の雅彌みやびに弟扱いされていても仕方が無いだろう。


 「でも…」


 それでも引き下がらない当時の俺に、いや、子供の俺でも実は解っていた。

 彼女を困らせるだけと解っていても、それでも納得いかなかったのは……結局……


 「こうくんは本当に銀の勇者が好きなのね」


 雅彌みやびは落ち込む俺の気持ちが切り替えられるように、話題を変えた。


 そもそも竜士族の中でも隻眼の竜眼りゅうがんしか無い俺は、大した実力ではなかった。

 しかし、炎の技である”竜炎りゅうえん”だけは、人並み以上で、俺が放つ炎は銀色の炎、”ギンエン”と呼ばれることもあり、何かと見劣りする俺の唯一の誇りでもあった。


 そんなことから、穂邑ほむら はがねという未熟な少年は、その小説の主人公が銀の焔を操る聖剣で大活躍するのを自身と重ねて、幼少からその物語に心酔していた。


「うん……だから、みやを……僕が」


 しつこく食い下がる俺、それでも納得行っていないのは……結局……自分のプライドのためだったのだろう……。


 「ねえ、なにかお祝いがしたいわ、何がいい?」


 そして……


 そして雅彌みやびは……彼女はというと……


 俺の言葉と表情を優しく受け流し、微笑んでそう質問したのだった。


 第八話「追憶Ⅰ」END

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