No.27 ハッピーエンド
「高瀬くんって意外と悪いことするんだね」
「何が?」
声音に責める色合いはない。あくまで世間話なのだと判断し、とぼけて見せると、神田はクスクスと笑った。
「屋上、入れるなんて知らなかった」
「…へえ。まあそうだろ。普通は知らない」
「鍵を持ってないと?」
「そう言うことだよ」
会話を続けながら、屋上を選んだことを少しだけ後悔する。強い風が吹いていてじわじわと熱を奪っていく。神田は俺よりも大変そうで、栗色の長髪やスカートが風にはためく。楽しそうな表情をしているが、女子には少し酷な場所で時期だった。出来るだけ手早く用事を済ませてやりたかった。
まあ、戻ったとしても周りの誤解を解くのに手を焼きそうではあるが。彼女の手を引いて連れ出した先ほどのクラスの色めき立った雰囲気が思い起こされてげんなりした気分になる。
「なあ、神田」
我ながら声が硬い。フェンスの向こう側に目をやっていた彼女はこちらに目を向けた。
「どうしたの?」
「お前は前も屋上に来たことがあるんだが」
「…そう、だっけ?」
すう、と大きめの目が細められた。
「さらに言うと、その時はお前が俺をここに連れてきた。お前が鍵を開けた。…不思議だよな。ここを俺に教えたお前がここを知らないなんて」
「……」
楽しげな表情はかき消えて冷たさを帯びた。油断を感じさせない鋭さでこちらをじっと見ている。
ああ、やはり。グッと拳を握りしめて問うた。
「お前、誰だ?」
にぃ、とソレの口は笑みを形作った。
***
「弟…?」
自分でも随分と訝しげな声が出たものだと思う。確かめるように繰り返した言葉はすぐに肯定される。
「そう、弟。と言っても俺たちは双子だけど。さらに言えば一卵性。だから、ほら。そっくりだろ?」
小首を傾げて問われると頷かずにはいられない。あまりにも似ていた。他の奴らが気づかないくらいには。
でも、とまだ信じきれない自分がいた。弟がいるなんて聞いたことがない。彼女は天涯孤独の身の上ではなかったのか。
「なんで弟のあんたがいるんだ。神田…お姉さんはどうした」
「姉さんならここだよ。僕だよ」
「悪いが問答は好かない」
「やだな、そのままの意味だよ。僕が姉さんんだ、これからは」
意味がわからずに眉をひそめた。こいつは何を言っている?
淡々と話すその様子に嘘を言っている印象は受けない。やけに落ち着いていると思うほどに。
「姉さんはもう学校には来ない、来させない。…あんたにも会うことはない」
「来させないって」
「僕が姉さんの代わりに生きるんだ。もう彼女を人目にさらす気はない」
「人目に」その意味に思い至り、カッと脳に血が上った気がした。まだだ、まだ、本当だとは分からない。考えが合っているのかも。ジワリと握りこぶしの中に汗がにじんだようだった。努めて冷静になろうと深呼吸を繰り返し、慎重に言葉を返す。
「監禁、か。犯罪だぞ」
「世間一般的にはそうかもね」
「…何の恨みがあってそんなこと」
「…恨み?…ふ、ふふ、あはははははは!」
突然笑い出した神田弟にギョッとする。腹を抱えて盛大に声を上げて、体を揺らして。
何がおかしいのか分からない。先ほどから全ての行動が不可解で怖さを覚えた。何が分からないものは怖いものよ、とは神田姉がお化け屋敷から出た後に言い訳のように呟いた言葉だったか。
しばらくして目元に浮かんだ涙を拭いながら、彼は荒い息の間に話を再開した。
「はぁ…お腹痛い。で、何だっけ?恨み、だっけ?」
「そうだ。お前は神田を恨んでいたからそんな酷いことをしているのではないのか」
「はっまさか。逆だよ、逆」
「逆…?」
「僕は姉さんを愛してるからね」
ギラギラとした目で弟が言葉を紡ぐ。
「俺さ、姉ちゃんが好きなんだ。家族愛、じゃあないんだよね。恋愛感情だよ。間違いなく。何その目、びっくりした?まあ聞きなよ。狂ってしまいそう、だなんて陳腐な表現だと思っていたけどさ、案外的外れじゃないみたいだね。ああでも恋って言うほど綺麗ではないかも。だって俺は姉ちゃんを犯したいもんね。ふふ、大丈夫。そんなに殺気立たないでよ。まだ手は出してないよ?どうせなら姉ちゃんにも俺を好きになって欲しいし。…おかしい?俺たち双子だもんね。顔もそっくり。でも俺は俺自身のことは嫌いなんだ。こんな不気味なもの見たくもない。俺みたいなのが姉ちゃんに触れるって考えただけで吐き気がするよ。だからずっと触れたかったのに我慢してた。ああそう。“ずっと”。いつからそう思ってたのか姉さんに言った時の顔は忘れられないよ。あんな可愛いの人目になんて晒せるわけないよねぇ?ああそれにしても、地獄みたいな日々だったよ。目の前にいるのにずっと遠くにいるみたいだった。…だけどさ!俺気づいたんだ!俺が姉ちゃんと同じになればいいって。だから言動も見た目もばっちり同じ。これなら姉ちゃんに触れられる。嬉しいよ。あんたみたいなのからも離れさせられるし」
それは愛の言葉だった。彼の姉に向けた感情を愛と呼ぶならば、紛れも無い愛の言葉。姉とそっくりな見た目で声で話すその姿に鳥肌が立った。この狂った感情がたった一人彼女に向けられている?なんて地獄だ。
「いつかバレるぞ」
苦し紛れに言ったセリフは自分でもわかるほど白々しく聞こえた。
「バレないよ。あんたさえ黙っておけば」
「黙っていると思うのか」
「今のままじゃ黙ってないだろうね」
にこりと笑って認める姿はどこまでも得体が知れない。
「でも、さ。今姉さんは僕の手の上なんだよ?あんたが余計なことしたらどうなるか、流石に分かるよね?」
喉が低く鳴った。いっときの感情に身を任せて彼女を危険に晒すわけにはいかなかった。
睨み続ける俺に奴は目をすがめた。
「分かってもらえた?じゃあ、さ。もう僕に、いや、
「…ああ」
満足そうに頷き神田弟は屋上の出入り口に戻る。扉をくぐる直前、奴は俺を振り返る。
「あとさ、一つ聞きたいんだけど」
「…なんだ」
「どうして僕だって分かったの」
「勘だ」
「へぇ。野生の勘って奴だ。怖いね」
もう興味など一切消えた。そう言いたげに奴は去った。追いかける気にはなれず、フェンスにもたれかかって空を見上げた。灰色の重苦しい空。それでも俺には青空に等しい気分だった。
「…はは」
つい笑いが溢れる。口元に手を当てて押し殺すようにして笑いの波をやり過ごす。できることなら声高らかに叫びたかった。
やったぞ!
と。
神田姉の姿を思い出す。小生意気な表情でスマホをかざす姿。「ねぇ?この写真みんなに見せたらどんな反応するかなぁ?」ニヤニヤと粘着質な言い方で躊躇いもなく俺を脅したあの日を忘れることはきっと永遠に来ない。
だが、今後はもうあいつが来ることはない。あの悪魔はもっと恐ろしい弟に囚われて二度と日の目を見ることはない。見ることがなければいいと願っている。あの悪夢はもう来ない。悪夢に浸り続けるのは次からはあいつで、できることなら神田弟に感謝の意を伝えたいくらいだった。まあ、弱みをまた作ろうとは思わない。
ああ、本当に今日はいい日だ。
あと一年と少しは神田の姿は見るが、もう中身が違うなら怖くなどなかった。確かに見た目こそめまいがするほど似ているが。先ほどの神田弟の嫌な笑いさえも本当にそっくりで、吐き気がするかと思ったほどには似ているが。
安心しろ。
そう神田弟に心の中で語りかける。
お前は俺と姉が仲良いと思い込んでいたようだがそんなわけはない。俺がわざわざ自分を再び苦痛の中に放り込むようなバカな真似なんてしないさ。
願わくは永遠にあの姉弟がどこかで共に暮らし続けますように!
なぜ俺が弟の正体に気づいたか。その質問に答えてやれなかったことにも申し訳なく思う。
答えは簡単。
俺が女装癖を持っているからだ。
自分の悪夢の原因と、解決を知った理由が同じところにあるという事に運命を感じずにはいられない、と思うのは流石に浮かれすぎだろう。
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