No.12 女の子に間違えられて

「えーと。1038……と」

 連絡網を流すため、電話番号が載っているプリントを見ながら、僕は電話のボタンを押した。

 相手は小学校のクラスメイト、御子柴真守くん。親友ってほどじゃないけど学校では普通に話をする友達だ。


「はい。御子柴です」

 真守くんじゃない、若い女の人が電話に出た。


「あ、あの。僕、西川って言います。真守くんはいますか?」

「あ、はいはい。真守ね。ちょっと待っててね」


 ことりと受話器が置かれる音がした。

 どうやらお姉さんみたい。


 ううぅ。電話で知らない人と話したことほとんどないから、緊張したよー。僕、変なこと言ってなかったかな?

 なんてしていると、受話器の先から、お姉さんの声が聞こえた。


「おーい。真守、女の子から電話よーっ。やぁねぇ。もぉ、真守ったら、一体いつの間に向こうから電話してくるくらい、女の子と仲良くなったのよ。やるじゃない。こいつー」


 ……ふぇっ?

 あれ、僕、女の子に間違えられちゃってる?

 確かに六年生になってもまだ声変わり前だし、女の子っぽいって言われるけれど……


「ば、馬鹿っ。西川って、友明だろ。男だって!」

「えぇーっ。別に照れなくてもいいのにぃ」

「だから、もぉ」


 僕に聞こえているとも知らずに、電話の向こうからそんなやり取りが聞こえていた。


 それを聞きながら。

 なんでだろう? 

 僕はドキドキしちゃっていた。




「……女の子、かぁ」

 連絡網を真守くんに伝えて、部屋に戻った僕は、ぽすっとベッドの上に寝転がった。


 学校でも何度か女っぽいってからかわれたことはある。確かに成長期前だから、声だけじゃなくて顔や身体つきも、女の子と違わないかもしれないけど。

 でもからかいじゃなくて、素で間違えられたのは初めて。

 真守くんが照れたように戸惑っていたのが妙に印象的だった。


「実際に、女の子の格好をしたら、女の子にみえるのかな……」

 ふと頭に思い浮かんだら、なんかいてもたってもいられなくなって、僕はベッドから起き上がると、お姉ちゃんの部屋に向かった。

 お姉ちゃんは、一つ年上で中学一年生だ。

 部活があるのでこの時間は、まだまだ帰ってこない。

 それでも、何か悪いことしている気がして、音を立てないようそっと入る。


 同じ小学生同士だったころはよく遊びに入っていたのに、お姉ちゃんが中学生になってからは異性の部屋って感じで入りにくくなっていたけど、前と変わらずごちゃごちゃと散らかっていて、あまり小学生のときと変わりなかった。


 きょろきょろと部屋の中を見回していると、ベッドの上に細かい網目が施された白いキャミソールとミニスカートが、無造作に脱ぎ散らかされているのが見えた。

 お姉ちゃんが何度か着ている、ノースリーブで背中も大きく開いていて、スカートの丈も短いやつだ。

 僕は恐る恐るそれを手にとってみた。


 別々の服じゃなくて、上と下がくっついていてワンピースのようになっていた。

 いきなりこれは難易度高そうだけど、クローゼットの中を漁るよりは罪悪感が少ないかな……


 何気なく考えて、僕はぞくっとした。

 ただ何となくお姉ちゃんの部屋に入ったんじゃなくて。

 今、本気でお姉ちゃんの……女の子の服を着ようとしていた。


 どきどき。

 時計を見る。まだお姉ちゃんは帰ってこない。

 少し着るだけなら……見られなければ、バレることはない。大丈夫。


 僕は思い切ってパンツ一枚になると、お姉ちゃんのワンピースを頭から一気に被った。




「わ……本当に……女の子の服……着ちゃった」


 クローゼットの鏡に、白いワンピースを着た人が映っている。


 着てみると、ちょっと胸元が緩くて逆にお腹辺りはきつい感じだけど、ほとんど問題なく着られた。

 鏡に映るのは僕のはずなのに、普通の女の子のようにも見えた。


 こうしたら、もっと女の子っぽく見えるかな? 

 僕は意味もなくくるくる回ったり、色々なポーズをとってみたりしてみた。

 外から見えてしまうかもしれないのに、わざと窓際に立ってみたりもした。

 けど次第にそれだけじゃ満足できなくなった僕は、ワンピース姿のまま部屋を出て、そっと階段の上から下を窺った。


 お母さんはパート。今日は遅番で帰ってくるのはまだ先だ。

 いまこの家にいるのは僕だけ。

 それでもどこか隠れるように、慎重に階段を下りていく。

 足を動かすとスカートの布地が太ももに触れる。そのたびに、今本当にスカート穿いちゃっているんだというむずかゆい気持ちでいっぱいになる。


 階段を下りたすぐ先は玄関だ。

 お姉ちゃんが私服のとき履いているサンダルが並んで置いてあるのが目に入った。

 まだ時間に余裕はある。

 少しだけなら、こっそりと外に出られるかな――


 さすがにそれは……と思っているのに。

 僕は謎の誘惑に抗えず、合鍵を手にすると、お姉ちゃんのサンダルを履いて、玄関を出てしまっていた。




 ぱたりと扉を閉めて鍵をかける。

 心臓が信じられないくらい、ばくばく鳴っている。


「そ……外に、出ちゃった……」

 家の中とは明らかに違う空気。風が冷たく感じるけど、身体が火照っているのでちょうどいい感じ。

 わずかな風でも、太ももの半分くらいまでの長さしかない短いスカートが気になる。

 でも体操着の半ズボンよりずっと長いわけだし……大丈夫のはず。


「い、家の前で立っていると僕ってばれちゃうから……家から少し離れたほうが……いいよね?」


 僕はそんな言い訳をしながら、女の子の服を着たまま、ついに家から離れて道路に出てしまった。


 少し先の通りに出ると、家に帰る人とか買い物に出かける人とかが、たくさん歩いていた。

 今から逃げるように家に戻るのは不自然。もう手遅れだ。

 だから僕は、できるだけ距離をとりつつも、なるべく平然と歩いてみた。


 それでも挙動不審に見えたかもしれない。

 でも誰も、僕のことを疑った目で見ようとする人はいなかった。


 男の子が、キャミソールに短いスカートという、女の子が着るワンピース姿で歩いていたら変な目で見られるはず。

 それがないってことは、みんな僕のことを普通の女の子だと認識しているんだ。


 そう思うと、ぞくぞくとした気持ちが沸き起こってきた。


 誰にも怪しまれないまま、家の近所を一周してみた。

 もう少しだけ外をうろついてみたいけれど、そろそろ帰ったほうがいいと思って、家の前まで戻りかけて、僕は電柱の影に隠れた。


「ど、どうしよう……」

 家の前で近所のおばさんたちがお喋りしている。

 その間をすり抜けて、今の格好で僕の家に入ることはさすがにできない。


 少し時間をつぶすため、また家から離れる。

 大丈夫だってわかっていても、この格好で家から離れるほど、どんどん不安な気持ちが増えてくる。

 どこかの家に入って時間を稼げたら……なんて思いながら歩いていたら、ふとすぐ近くの家の表札が目に入った。


『御子柴』


「……あ。そういえば、真守くんの家ってこの近くだったっけ」

 遊びに行ったことはないけれど、あまり聞かない苗字だし、きっとこのお家なんだろう。


 元はと言えば、真守くん(というか、そのお姉さん?)のせいなんだし。

 僕は思い切って、玄関の呼び鈴を押した。




「友明……どうしたんだ。って、おま! そ、その恰好……っっ」

「えへへ。来ちゃった」

 いつもの僕だと思って扉を開けて真守くんの驚いた顔を見ながら、僕は照れ隠しに笑った。

 あ、来ちゃったに着ちゃったをかけてみたわけじゃないよ?


「え、えっと、そういう趣味があるんじゃないよ? その、真守くんとお姉さんのやり取りが聞こえたから、ノリというか勢いで……」

「だからって、その格好で」


 なんてやり取りをしていたら、家の奥から女の人の声がした。

「真守ったら、玄関じゃなくてあがってもらったら……って、あら。もしかしてその子?」

 電話のお姉さんだ。

 高校生くらいかな。僕のお姉ちゃんより年上に見える。


「あ、あの……」

 お姉さんにこの格好を見られた途端、今更だけど、急に恥ずかしくなってきた。

 僕、何やっているんだろう……って。

 

 お姉さんがさらに近づいてきて、落ち込む僕の手を取った。


「ねぇ。キミ、あたしの部屋に来ない?」

「え?」

「あ、真守は後でね」

「えっ、えっと、えぇぇっ?」

 訳の分からないまま、僕はお姉さんに引っ張られるようにして、部屋に連れ込まれてしまった。



 お姉さんの部屋は、僕のお姉ちゃんの部屋よりずっと女の子らしい部屋で、ちょっと居心地が悪かった。さっきからずっと、じろじろと見られているし。


「あ、あの……その……」

「うんうん。可愛い服♪ すごく似合ってる。でもやっぱり男の子だよねぇ」

 お姉さんに言われて、僕は少しがくっとしてしまった。

 みんなから変な目で見られなかっただけで、やっぱり女の子の服を着たからって、女の子になれるわけじゃないんだ。


 でも、そんな僕に向けてお姉さんが悪戯っぽく笑った。

「ねぇ? もっと女の子っぽくしてあげようか?」



「まずはウイッグ。演劇部だから色々持ってるの。ショートカットの女の子もいるけれど、キミの髪型だと、やっぱり男の子だからね」

「うっ。肩や背中に髪の毛が掛かって、くすぐったい……」


「はい。次はこれ」

「えっ、ぶ、ブラジャー……っ?」

 最近、お姉ちゃんの洗濯物の中に交じり始めて、柄にもなくドキドキしちゃっている下着だ。

 

「でも僕、胸ないのに……」

「逆よ、逆。胸を作るために着けるの。中にこれを入れてね。……あ、なんでこんなものをあたしが持っているかは、聞かないでね?」

「は……はい」


「あと、コルセットも着けてみようか。女の子らしいくびれが出来れば、胸だけじゃなくてお尻の丸みも強調できて、ずっと女の子っぽく見えるよ」

「うう。くるしい……」


「最後はお化粧。まだ小学生だから必要ないけど、一応ね。まつげをちょっといじって、色付きリップに、ほんのりチークを……」

「え、えっ、えっと……」



「はい。出来上がり。ほら、見てごらん」

 ようやくお姉さんから解放され、今度は鏡の前に立たされた。


 え?


「……うそ。これが……僕?」


 だって、どう見ても女の子だよ?

 控えめだけどそれなりに出来た胸の膨らみと、きついコルセットのおかげで、身体つきが本当に女の子みたい。さっきから着ているワンピースが、前よりずっと似合っている。

 鏡に映るちょっとお化粧した僕の顔は、背中の上くらいに掛かる髪の毛を含めて、どうみても普通の可愛い女の子だ。


「うん。可愛いわよ。ともちゃん」

「う、うん……」

 にこっと笑ったら、鏡の中の美少女が同じようにはにかんだ。うわぁ。なんか癖になりそう。


「真守~、もう入って来ていいわよ」

「……へいへい。あ――」

 お姉さんの部屋に入ってきた真守くんが、僕を見て固まった。


 そして無言でお姉さんの部屋のクローゼットを開けて中を覗き込もうとして、お姉さんにぽかりと殴られた。

「って、あんた、何してるのよ」

「いや、だって。これ、ドッキリだろ? 最初から可愛い女の子を呼んでいて、友明と入れ替えたって」

「えっと。ごめん。本当に、僕なんだけど」

「ま、マジか……。ヤバい。何かに目覚めそう」

 何かって、何?


「――ねぇ、ちょっと出かけてみない?」

 お姉さんは悪戯っぽく笑うと、ショック状態の真守くんを置いて、僕を外へと連れだした。



「どう? 改めて女の子の格好で外を歩く気分は?」

「うん。ドキドキするけど……楽しいかも」


 ここに来るまでは、バレないかなって不安だったけれど、今は大丈夫。

 むしろ可愛い女の子になった僕を、もっとみんなに見てほしい。

 知り合いに会ってもし僕だと分かっても、「友明って、実は女の子だったの?」って、逆に勘違いされそう。えへへ。




「あれ? 友明。その格好……あたしの服……」

「お、お姉ちゃん……」


 誰かに見てほしいなんて思ってたら、いきなり、部活帰りのお姉ちゃんと鉢合わせしてしまった。

 そして、あっさりばれちゃった! さすが肉親。実は女の子説も通用しないしっ。


 ど、どうしよう……

 男の子なのに、お姉ちゃんの服(しかもキャミソールにミニスカート)を勝手に着て外を出歩くなんて……変態だ。


 ……終わった。



「えぇぇ。なにこれ、滅茶苦茶可愛いんだけどっ!」


 ……え?


「でしょ。ねぇ、今度は弟くんに、制服着せてみない?」

「あ、それいいかも!」


「えっと……」

 お姉ちゃんとお姉さん。

 たぶん初対面のはずなのに、なんか意気投合しているし。


 怒られなかったのは良かったけど……なんかこのままだと、色々おもちゃにされちゃいそうな気がしてきた。


 でも、ま、いっか。



 僕も真守くんと同じように、何かに目覚めたかも。

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