大魔女の卒業試験
佐藤ぶそあ
第1話
カランカロンと、入り口の扉につけられた鈴がなった。
「はいよ、いらっしゃい!」
宿屋の女将は洗い場から大きく声を上げた後、扉の方へ視線を投げた。
昼は食堂、夜は酒場を兼ねる宿屋だが、昼飯時は一刻ほど前に終わっている。案の定、入り口には大荷物を背負った少女が立っていた。泊まりの客だ。
女将は洗い物をする手を止めて、厨房から出た。亭主が起きていれば彼に相手をさせるのだが、残念ながらその亭主は酒場として営業を始めるまでの間に仮眠をとっているところだった。
「でっかい荷物だねえ。一人なのかい?」
物珍しげに食堂の中を見回していた少女へ、女将は声をかけた。
少女が少し言いにくそうに口ごもる。
「えーと、一人は一人ですけど、その、もう一匹小さいのが……」
その返答で、女将は客の素性に見当をつけた。
そういうつもりで少女を見れば、服は黒で統一されているし、小さな頭にのった三角帽も黒色だ。背負い袋からは、これ見よがしに箒が突き出ている。
女将の知っている魔女たちとはあまりにも年恰好が違いすぎるので気づくのが遅れたが、これだけ条件がそろっていて、しかも今この時期に宿を取りに来るとなれば間違いない。
「お嬢ちゃん、もしかしなくても魔女だろう」
女将の言葉に少女は驚いた顔をした。
「な、なんでわかったんですか?」
「明日はヴァニエリウスの箒があるからね。ウチには他にも四人ほど魔女が泊まってるよ」
ヴァニエリウスの箒と呼ばれる飛行競走が開催されるようになって、もうじき二十年だ。この町の人間は魔女を見慣れている。女将のような宿屋経営者ともなれば、顔なじみとなった魔女も一人や二人ではない。
「長年の経験から来る観察眼って奴さ。職人だけが使える一種の魔法だよ」
冗談めかして、女将は片目を軽く閉じて見せた。この間、酔客へ向けてやってみた時はすこぶる評判が悪かったが、少女は目を輝かせて女将を見返してきた。
「すごいんですね!」
「まあね」
女将は気分よく返したが、まあ、これくらいなら近所の鼻たれ共でも見抜くだろう。
「で、そのもう一匹はどこにいるんだい。使い魔だろう? 鴉かい。それとも梟かね」
見たところ、少女の肩にも荷物にも、鳥はくっついていない。外で待たせているのだとしたら、なんともお行儀がいい。少女より先に宿屋へやってきた魔女たちは皆、使い魔を肩に乗せたままずかずかと入ってきたものだ。もちろん、何度も利用している者ばかりなので、勝手が分かっているということでもあるのだが。
「いや、鴉でも梟でも無いんです。というか、鳥じゃないんですけど」
「鳥じゃないのかい?」
女将は思わず聞き返した。
この町に来る魔女が連れている使い魔は鳥ばかりだ。女将はあまり詳しくはないが、空を飛ぶ魔法と鳥の使い魔は相性がいいという話を、以前に客の魔女から聞いた覚えがあった。
「はい。宿屋さんは食堂も兼ねてると聞いたので、一応隠れてもらってるんですけど」
少女がすまなそうな顔で女将を見た。
女将は慌てて笑顔を作る。
「ああ、いや、気にすることはないよ。使い魔は野生の動物と違って、ちゃんと主人の言うことを聞くんだろう。毛とか羽とか、あと糞とか。そこら辺の始末をしっかりしてくれるなら、あんたと同じ卓で夕飯を食べてもらってもいいくらいさ」
「ほ、本当ですか」
少女の緊張が、ふっと緩んだのが女将には分かった。いくら魔女とは言え、この少女は見たところ十五歳にも届いていない。一人旅など初めてなのだろう。
「よかった。ベルがあんまり脅すから、町ってもっと怖いところだと思ってた」
少女はそう言って、被っていた三角帽のつばをちょいとつまんで持ち上げた。
「ほら、ベル。出ても大丈夫だって。挨拶、挨拶」
女将がその仕草につられて帽子の下を覗き込むと、金色に光る二つの目玉と目が合った。
「ゲロロロ」
ベルと呼ばれた少女の使い魔は、小さく口を開けて、申し訳なさそうに喉を鳴らした、ような気がした。ともあれ女将は、深く考えることをやめて、酒杯二つ分はありそうな大蛙に対して悲鳴を上げた。
◆
「ユア、だから駄目だって言ったろう」
「だってベルには羽も毛もないし……」
「そういう問題じゃない。蛙ってだけで無条件に駄目な人だって多いんだよ」
ベルはゲロロと喉を鳴らした。人間だったらため息をついているところだ。
「叩き出されなかっただけ御の字だ。女将さんが心の広い人でよかったよ、本当に」
ベルとユアは、先ほどの宿屋の一室にいた。
女将は大声で悲鳴を上げはしたものの、意識を失ったりはせず、ちゃんとベルたちを部屋へ案内した。
その後は逃げるように立ち去ったが、それでも、食事はユア一人で食べにくるか、部屋まで持って帰って食べてくれと釘を刺すのは忘れていかなかった。
商売人とはかくあるべきだと、ベルは心の中で感心している。もっとも、ベルに感心されても、女将は露ほども嬉しくないだろうが。
「いいかい、ユア。外は婆様と修行していた森とは違うんだって、旅をしてる間中、何回も言っただろう。僕の言ってたこと、ちゃんと覚えてる?」
ずっと背負っていた荷物を下ろして、ユアは寝台に身を投げ出している。うー、と唸って、体を起こした。
「覚えてるわよ。人前でベルとしゃべらないこと。名前を訊かれたら魔女名を名乗ること。それから礼儀正しく行動すること、でしょ」
一つずつ指を折りながら答えたユアに、ベルは満足気に頷いた。
「うん、正解。どれも破ったからって命に関わるわけじゃないけど、いろいろ常識を疑われるからね。ちゃんと守らないと」
一つ目と三つ目は人としての常識。二つ目は魔女としての常識だ。
ユアは今、ベルと普通に会話しているが、魔術の心得のない者にはただの独り言にしか見えないだろう。
魔力ある者との会話は世界対話の初歩の初歩だが、そんなことは魔術を使わない人にとっては関係ないのだ。
世間に対する魔女の露出は、ここ数十年、特に王宮の定めた徒弟制度以降の三十年ほどで、大きく増えてきてはいる。だが、それでも普通の人から見た魔女の認識というのは箒で空を飛ぶ人、という程度のものだ。
なんとなれば、空を飛ぶ、というのはもっとも分かりやすく人の目に見える魔法だからだ。大きい火を起こすなら油で間に合うし、世界の神秘に触れる技はそもそも心得のない者には理解の範疇外だ。空を飛ぶことが魔力流動という魔術の一属性の、さらに一面でしかない、という事実は、魔女たちの中だけでの常識だろう。
この国で開かれている「ヴァニエリウスの黒三角」と呼ばれる魔術競技会は名前どおり三つあるが、一番有名なのは明日開催されるヴァニエリウスの箒に間違いない。
「そうだった、のんびりしてる場合じゃなかった」
ベルは、ユアにというよりは半ば自分に向けてつぶやいた。ヴァニエリウスの箒は当日現場に行けばすぐ参加できるという類のものではない。
「受付に行かなきゃ。今日の十七刻までで締め切りだよ。ユア、急がなきゃ」
この宿屋へ入る前に見上げた時計塔の文字板は、確か十五刻をいくらか回っていたはずだ。
なんだかんだと宿屋に入ってからも時間が過ぎているので、そろそろ十六刻になっていてもおかしくはない。
「大通りをまっすぐ行って、噴水のある広場でしょ。案内板に書いてあったもの。ここからだと歩きでだって半刻かからないわよ。いざとなったら箒で飛んでいけばいいんだし……」
「明日の競技開始まで、この町は飛行制限がかかってるよ。案内板に書いてあったはずだけど?」
「……急ぐわよ、ベル」
「受付に箒を持ってくること、っていう一文はさすがに見落としてないよね」
「あ、当たり前じゃない」
ユアはそそくさと立ち上がり、荷物から箒を引き抜いた。あれは絶対見落としていたに違いない。ベルは肩をすくめることができない蛙の身を少し残念に思いながら、ユアの頭へと飛び乗った。
もちろん、三角帽子の中へ隠れるためである。
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