自己放火
その年の気象が特別に木くず火災を起こしやすくしていたのか、それとも建設リサイクル法の施行で木くずの現場が増えていたのか三度目の火災が起こった。
「また火災だぞ」仙道が受話器を握ったまま言った。
「今度はどこですか」伊刈が立ち上がった。
「倉本駅の近くの民家だそうだ」
「民家?」
「詳しいことはわからん。消防の話だと民家の裏庭に積み上げた木くずが炎上してるらしい。広嶋って長距離トラック運転手の家だそうだ」
「技監、ほんとに広嶋すか」長嶋が声を上げた。
「知ってるのか」仙道が長嶋を見た。
「俺の知ってる運転手の広嶋ならシャブの前がありますね」
「きっとそいつだな」
「面倒かけるやつはいつまでも面倒かけますねえ」
長嶋が心配したように火災を起こした現場は覚醒剤常習者の広嶋の自宅だった。狭い敷地に小さな古屋敷と自分で見よう見まねに建てたような外階段の二階屋があり、その隣の裏庭にダンプで十台程度の解体物が持ち込まれていた。消防車二台が駆け付けて放水したものの、もともと木くずが少なかったために全焼してしまい、消し炭状態になっていた。
「ここはほかの現場みたいに自然発火するような条件じゃないですね。木くずも少ないし高さは数メートルしかありません。民家が密集してるから風も吹き込まない」遠鐘が分析した。
「つまり失火か」伊刈が言った。
「消防の話では、たぶんタバコかそれとも放火だそうです」長嶋が言った。
「放火はしないだろう。家に燃え移った可能性だってある」伊刈が言った。
「シャブ中すから自分で点けたかもしれないすね。所轄が広嶋を探し出して尿検査するそうっす」
「広嶋は家に居たの」
「ここのばあさんの話だと朝は居たんだそうっす」
「逃げたってことか」
結局広嶋の所在はわからず所轄も検査を諦めた。
広嶋の留守中にもかかわらず火事場への木くずの搬入が再開していると留守を預かっている母親が連絡してきた。母といっても見たところ七十代の老婆だった。
「ほんとによう、ばかせがれがえらいことしよりましてよう」母親は泣きそうになりながら伊刈たちに訴えた。
「ばあさん、せがれさんから連絡はあるかい」長嶋が聞いた。
「さあてねえ、いるようないねえようなねえ。倅はどうでももういいんだけどよ、孫がしんぺえでよう」
「お孫さんはいくつだい」
「高校だよ。ちいとも行かねえけんどもなあ」
「お孫さんはどこだい」
「さあなあ、単車ででかけたっきりだわ」
「無免許っすね」長嶋が小声で伊刈に言った。
二日後、再び広嶋の自宅で木くずが炎上したと消防署から通報があった。今回は消防署も警戒していたので消火が早かった。
「どういうことなんでしょうか」喜多が裏庭に無造作に棄てられた木くずの残骸を見て言った。
「処分代もらってるんじゃないかな」伊刈が言った。
「たぶんそうっすね」長嶋が同意した。
「それにしても火事の後にすぐまた木くず投げますかね」喜多がが呆れたように言った。
「証拠ざくざくありそうですよ」遠鐘が木くずをより分けながら言った。「民家の解体物ですよ。小学校の教科書とかあります。ノートに名前も書いてあります。朝霞二小、埼玉ですねえ」
「あんまりやりたくないけど小学校に電話すれば親の連絡先がわかるな」伊刈が言った。
「ほんとにあんまり電話したくないですね」遠鐘が応えた。
「ほかの証拠はないかな」伊刈が言った。
「ちょっと待ってください。年賀状もありますね。ただこれさっきの子供とは名前が違います。あと電気の検針票」遠鐘が言った。
「遠鐘さん僕の分も残しておいてください」喜多がゴミの流し込まれた穴を降りながら言った。
証拠調査から解体された住宅二軒を特定するのは容易だった。そこから埼玉の朝霞建設が請け負った解体工事だとわかった。ところがそこからが複雑だった。朝霞建設が施工したのは新築工事で、解体工事は基礎工事会社の相楽基礎が下請けに入っていた。しかし相楽基礎も施工しておらず、一人親方の古谷が請け負っていた。さらに古谷も施工しておらず、同じ一人親方仲間の太良尾が請け負ったことがわかった。呼び出しに応じて現場の確認に来たのは古谷と太良尾だった。二人とも坊主頭の大男で、態度がいくらか大きい古谷のほうが親方のようだった。
「俺らは別に不法投棄はしてねえよ。ダンプが勝手に投げたんだろう」古谷が迷惑そうに言った。「相楽さんが片して来いっていうからよ、今回は俺らが片すわ」
「どんなダンプに頼みましたか」伊刈が尋ねた。
「さあねえ覚えてないねえ」
「朝霞建設も相楽基礎も法律違反だってことわかってますか」
「知るかよ。片せばいいだろうよ」古谷が面倒くさそうに言った。片せばもらった金額以上の出費になる。相楽基礎から貰えるあてはなかった。二人の親方が翌日すぐに目立つ木くずを持ち帰ったのでとりあえず現場はきれいになった。
性懲りもなく広嶋の自宅裏庭の穴への木くずの搬入がさらに続いた。こうなると広嶋を捕まえるしかなくなった。伊刈は毎日調査にでかけ、そのたびに留守をしている母親の泣き言を聞いた。その話し振りでは広嶋本人だけではなく高校生の息子までくすりに手を出しているようだった。実家に帰った広嶋の妻からDVを理由に離婚訴訟が提起されたこともわかった。
「本人はともかく高校生の倅は早く保護してやりたいな」伊刈が言った。
「そおっすね。まだ将来がありますからね」
その矢先裏庭で三度目の火災が起こり再び消防車が出動した。消防は警戒を続けていたので今回も放水までの時間が早く小火で消し止めた。
「消防の話じゃ、もう自己放火に間違いないだろうってことっす。広嶋がこっそり帰って火を点けたんすね」長嶋が言った。
「それって事件になるの」
「家じゃないすから放火事件にはならないすね。せいぜい野焼きっすね」
「なんでそんなことを」伊刈には理解できなかった。
「シャブで頭がいかれてますからね。何考えてるかわかりません。たぶん裏庭が狭いんで燃やしてしまえばまた入ると思ったんじゃないでしょうかねえ」
「燃やせば目をつけられて逮捕されるのわかんないのかな」
「それがいかれてるってことっすよ。広嶋はいつも深夜の長距離運搬をやったあと朝帰りなんで所轄が待ち伏せてパクるそうっす。高校生の倅も補導します。広嶋は二度目なんで検査が黒なら三年は入りますね」
「倅は?」
「措置入院でしょうねえ」
「しょうがないか」
広嶋は翌朝あっけなく逮捕された。尿検査は黒、さらにトラックのダッシュボードから使い残しの覚せい剤と注射器が押収された。倅も補導された。尿検査は白だった。しかし毛髪から僅かだが反応が出た。
ようやく裏庭事件も一件落着と思っていたらまたしても妙なものが広嶋の裏庭に持ち込まれた。火事を起こした産廃の穴の縁に一斗缶が百缶積まれていたのだ。
「これなんだろう」喜多が言った。
「廃油だと困るな」伊刈が蓋を開けようとした。
「班長、あぶないっすよ」長嶋が伊刈をとめた。
「大丈夫だよ」伊刈が皮手袋をして一斗缶をそっとあけると中にはピンク色の粉末が入っていた。他の缶も中身はみな同じだった。
「これ消化剤じゃないですか」遠鐘が言った。
「消化剤?」
「消火器の中身ですよ。成分はたぶん硫アン(硫酸アンモニウム)とかですよ」
「肥料の硫アンか?」
「そうです。肥料と同じ成分です。サンプルを持ち帰って大室班長に分析を頼みましょう」
「なんでこんなものを」
「火事になったら消そうと思ってもらう約束してたんじゃないっすか。全くバカにつける薬はないっすね」長嶋が言った。
「穴がピンクに染まってますよ。誰かが使ってみたんですね」遠鐘が言った。
「だって広嶋は逮捕されたのに誰がやったんですか」喜多が言った。
「そっかそうだよなあ」長嶋が言った。
「これだけの量の消火剤だとこれも不法投棄になるんじゃないですか」喜多が言った。
「消火器を扱ってる業者なんて市内にそうないです。消防に聞けば排出元は特定できると思いますよ」遠鐘が言った。
調べてみると市内で家庭用消火器を扱っている業者は農協を除けば犬咬安全しかなかった。伊刈は犬咬安全を訪ねて水谷社長に面会した。
「おっしゃるとおりうちが出したものです。古い消火剤は昔は肥料メーカーに売れたんだけど今はフィリピンなんかに輸出されてんですよ。ただ輸出費がかかるんでね、ほしいという人がいればただであげてます。色はついてますが無害です。そのまま肥料として使えるんですが最近の農家は気味悪がって使いません。もったいない話でね」水谷はあっさりと認めた。
「広嶋に渡したんですね」
「違いますね。三塚という男ですよ」
「三塚? 年恰好は?」
「背が高い中年男でしたねえ」
伊刈は長嶋と顔を見合わせた。三塚の兄に違いない。かつての大者穴屋がこんなけちな仕事をするとは思いがけなかった。
「回収してもらえませんか」
「三千缶片すなんてとてもムリですよ」
「三千缶? 現場にあるのは百本です」
「三塚には三千缶渡しましたよ。うちの倉庫にあったもの全部ですから」
「あとはどこへ」
「さあねえ」
不安に思った伊刈は高岩町で三塚がかつて開いていた大規模現場に向かった。案の定崖際に三千缶の一斗缶が積まれ一部が潰されて崖下に流し込まれていた。
「あいかわらず乱暴な手口だ」伊刈はまるで春先に芝桜が咲いた河川敷のようにピンク色一色に染まった崖を見下ろしながら言った。
「遠目には芝桜でも咲いてるみたいですね」喜多も伊刈と同じことを思ったようだった。
「ずいぶんロマンチックなこと言うじゃないか」長嶋がからかった。
「ちょっと調子に乗りました」喜多が舌を出した。
「水谷はただで三塚にくれたと言ったけど金を払って出したんでしょうね」長嶋が言った。
「金はもらえるし火災防止にはなるし、一石二鳥だと思ったんだろうな」伊刈が応えた。
「撤去させますか。色は気味が悪いですがそれほど害になるものでもなさそうですが」
「とにかく三塚を探そう。何考えてるのか聞いてみないとな」
「あいつは言うこと聞かないでしょうねえ」長嶋が諦めたように言った。
長嶋の予想通り三塚は現場に現れなかった。しかし一斗缶はいつの間にか消えていた。持ち去られたのかもしれないし埋めてしまったのかもしれなかった。
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