かちこみ
伊刈のチームはパトロールの途中、週に一度は行司岬の灯台を訪れた。展望台からは太平洋に面した犬咬市の平野部、不法投棄多発地帯の丘陵地帯、ゲリラを撃退した扇面ヶ浦を一望にできた。今が戦国時代ならここに要塞を築いたことだろう。もっとも戦国時代の海岸線は遥かな沖合いにあったらしい。最近になってここからの眺望に大きな変化があらわれた。扇面ヶ浦を吹き上げる強風を利用した風力発電機のための巨大な白い柱が一度に五本も建ったのだ。不法投棄多発地帯がウィンドファームに変貌しようとしていた。産廃処分場や残土処分場の建設に反対してきた環境団体は今度は風力発電にも反対していた。白いプロペラは自然の景観を破壊し、バードストライクで野鳥が死に、さらには低周波が住民に健康被害を及ぼす恐れがあるというのだ。そんなになんでもかでも反対している人たちは生活ゴミを一切出さず、産廃を出す工業製品を買わず、電力を使わない現代のディオゲネスになろうというのだろうか。確かに白いプロペラは展望台から見晴らす景観を大きく変えてしまいそうだ。しかし稜線を台無しにしている高圧線と鉄塔よりはましだ。風力発電機の計画はあと数十本もあるらしかった。海没民有地を使った洋上風力発電も計画されていた。この地域が国内有数のウィンドファームになるころまでに不法投棄問題を解決しておこうと、伊刈は変貌しつつある景観を俯瞰しながら思った。
「長嶋さん、ゲリラ基地にこっちからカチコミをかけませんか」伊刈はUターンゲリラがなかなか収まらない白いプロペラの足元の地域を見晴らしながら言った。
「ゲリラ基地ってどこすか班長」
「埼玉ですよ。プロの穴屋の現場では栃木ナンバーのダンプが多かったけど最近のUターンゲリラは半分以上埼玉のダンプじゃないですか」
「確かにそうっすね」
「所沢、深谷、府中、あきるの、八潮、吉川、そんなところがゲリラの基地になってるみたいだよ。八潮はこのあいだ行ったから今度は所沢を偵察してみたいんだ」
「所沢ならダイオキシン報道で有名になったとこっすね」
「お茶の葉っぱとほうれん草を間違えてテレビ局が裁判で負けたとこだ」
「でも所沢のどこに行くんすか」
「どこだっていいんだ」
「どういうことっすか」
「所沢のゲリラの巣に犬咬から調査に行ったって噂が回ればいいんだ」伊刈が考えていることはいわゆるデモンストレーション効果だった。いまや犬咬の伊刈と言えばダンプが逃げ出すビッグネームになっていた。
「効果がありますかね」
「爆撃を終わらせるのに高射砲で一機ずつ撃墜しててもきりがないよ。いっそ敵の飛行場を爆弾で潰してしまったほうが早いだろ」
「それはそうっすけど誰かに案内を頼まないといきなり行ってもムリっすよ」
「それならあてがある。埼玉環業グループの竹澤社長に案内役を頼んでみるよ」
「知ってるんすか」
「県庁に紹介してもらう。竹澤社長は本業そっちのけで廃棄物業界の優良化のために全国を走り回っている自称業界の風雲児だからね。協会の役員とか国の委員とかもやってるし行政の世話を焼くのが好きらしいんだ」
「風雲児っていうか変人なんすね。役所が好きな産廃屋なんていませんよ」
「その変人がいるんだな」
「班長も変人じゃ負けてないっすけどね」
「それ褒めてんの」
「そういえば所轄の署長がね、班長にすごい感謝してましたよ。おかげで不法投棄が減ってよかったって。ほかの署長からも褒められてるそうっすよ」
「もしかしてそれって所轄の手柄になってんのかな」
「そりゃあキャリアっすからねえ。そういうところは上手っすよ」
「まあ、それでもいいか」
伊刈が変人だと評した埼玉勧業グループの竹澤社長は所沢の案内役を快諾してくれた。関越道を北上し所沢インターを降りるとすぐに埼玉同友社の看板が目に飛び込んできた。
「六甲建材に自社処分場跡地を譲渡した風見環境とは兄弟会社ですね」遠鐘が看板を指差しながら言った。
「そうなの」伊刈は意外そうだった。
「最初はここの自社処分場だったのを風見環境が承継して、それから六甲建材に渡ったんです」いつの間に調べたのか遠鐘はやたら事情に詳しかった。
「懐かしいなあ。六甲の事件なんて大昔のことに思えるなあ」
「一年間いろいろありましたからね」
「そういえばもう一年だなあ」
なじみの社名が並ぶ所沢のドライブは意外と刺激的だった。埼玉同友社の工場を右手に見ながら国道を西に数分走ると埼玉勧業グループの焼却炉の煙突が見えてきた。伊刈たち一行はパトロール車を埼玉勧業グループの駐車場に入れ、工場長の轟木の運転するワゴン車に乗り換えてくぬぎ山の視察にでかけた。
「あの看板嘘なんですよ」轟木は道路の右手に見えてきた産廃の処分場らしき施設を見ながら言った。「許可なんかないのに許可番号まで書いてあるんだから所沢ってすごいところですよ」轟木の自慢とも自嘲とも取れる言葉に伊刈は場違いな闘志が燃えてくるのを感じていた。どうやら単なる視察では済みそうになかった。
轟木の車は所沢インターの直前の農道を左手に曲がった。
「左手にあるの産廃業者ですよね」小規模の処分場を見つけて伊刈が言った。煙突やベルトコンベヤはなく保管と簡単な破砕程度をやっている様子だった。
「一般廃棄物を主にやっている業者です」轟木が答えた。
「社名に見覚えがあります。産廃もきっとやってますよ。犬咬まで持ってきています。ちょっと寄ってみましょう」伊刈は車を降りると平気な顔で施設に入っていった。他のメンバーも後に続いた。作業員がいたので伊刈は犬咬市の立入検査証を示した。
「何か問題が?」作業員はびっくりして手を止めた。伊刈たちを所沢市の職員だと勘違いした様子だった。
「今日は正式の検査じゃないから安心してください。施設を拝見していいですか」
「社長がいないとなんとも」作業員は困惑していた。
「そうですか。ちょっと見たところ一般廃棄物が多いみたいですね」
「ええそうです。うちは一廃がメインです」
「どうして一廃を場内に下ろしてるんですか。一廃は積替保管できないでしょう」
「はあ...」作業員は何を言われているのか理解できない様子だった。現場の作業員のほとんどは法律など一行も読んでいないものだ。ただやれと言われた作業を終日やっているだけなのだ。さすがに山の中に棄ててこいと言われれば違法だと気付くだろう。よっぽどひどい作業でなければ処分場内の業務を違法だと気付く作業員はまずいない。
「市の環境事務所から何か言われたことあるかな。それとも県庁からでも」
「さあ特に何も聞いてませんねえ。俺は仕分けをしろってから分けてるだけですよ」
「一廃の無許可積替保管ってことになるんだけど、まあ正式の指導は社長がいるときにしましょう。今日のところは口頭指導だけにしておきますよ」
「お願いします」作業員はわけもわからずとりあえずぺこりと頭を下げた。
「そのかわり施設をざっくり拝見しますよ」
「はあわかりました」
伊刈はずかずかと施設を見て回った。産廃も一廃も区別なく同じ場所に降ろしてブレンドしてしまっているようだった。両方の許可を持っている業者にはよくあることだ。産廃と一廃を混ぜてしまえばその後の委託処理が適正にできなくなる。産廃の業者に出せば一廃の委託違反、一廃の業者に出せば産廃の委託違反、市の清掃工場に出すのも違反になる。だが一廃とも産廃とも言えない二廃(事業系一般廃棄物)というボーダーラインの廃棄物もあり、法律どおりにはいかないと伊刈も割り切っていた。100%法律を守っている会社などないのだから実質的な問題がなければ大目に見るというのが廃棄物処理の現場の現実だった。
「畑の向こうに見えている三つの山が所沢では有名なアウトロー保積のトリオです。近付かないほうがいいと思います」轟木は車を畑の中のあぜ道に進ませながら言った。確かにネギ畑の先に灰色の鉄板で囲われた廃棄物の保管場が三つ見えた。どの保管場も塀の上まで産廃を積上げている。これだけで保管基準違反になる可能性がある。法律は飛散流出しないようにという抽象的な規定しかない。どの自治体でも塀より高く積まないように許可条件でうたっているはずだ。もっともその程度のことで轟木がアウトローというはずがない。産廃業界でアウトローの意味は二つしかない。一つはヤクザが経営している場合、もう一つは不法投棄をやっている場合だ。
「真ん中の朝霞土木は犬咬にも自社処分場を持ってる会社です」喜多が言った。
「森井町の自社処分場団地の最上段、進入路の左手にある自社処分場だろう。行ってみるか」伊刈が答えた。
「やめたほうがいいですよ」轟木は顔を曇らせた。
「せっかく来たんだから」伊刈は諦めるつもりはなかった。
「それじゃあ、私は遠くで待っててもいいですか」轟木は腰が引けていた。よほどのスジワルなのだろう。
「いいですよ」
伊刈は離れた場所に車を停めてもらい、チーム四人だけで朝霞土木に入っていった。近付いてみると意外に奥行きのある保管場だった。おそらくかつて残土が産廃で埋め立てられた土地だ。開けっぱなしの門扉をすぎると、プレハブの事務所の脇に土佐犬が入れられた檻が四つあり、伊刈たちの招かれざる来訪を出迎えていっせいに吠え立てた。土佐犬は犬の中で唯一猛獣として指定され国際条約で輸出が禁止されている。飼い主に命じられれば人を噛み殺すことも厭わないドーベルマンもかなわない世界最強の犬だ。ヤクザはこの犬が大好きで産廃の現場では見かけることが多かったが四匹は滅多に見なかった。土佐犬を見ただけでオーナーの素性が知れた。カタギがおいそれと飼える犬ではないのだ。事務所から留守番をしている若い男が出てきたが、どうしていいかわからずそのまま棒立ちになっていた。年齢はまだやっと高校を出たばかりといったところだった。あるいは高校を中退したのかもしれない。伊刈は稼動中のユンボに近付いた。ちょうど犬咬の地元ナンバーを付けたダンプが産廃を積みこんでいるところだった。白ナンバーで社名の表示もない一発屋のダンプだった。ダンプの運転手が自分で積み込み作業をやっている様子だった。
「何やってんの」伊刈は犬咬市長印を押した立入検査証を示しながらユンボの運転席の男に言った。もっとも運転席から検査証の文字までは見えなかったに違いない。
「今降ろすところなんすよ」男はあわててユンボの運転席から飛び降りるとダンプに飛び乗り、積み込みかけの産廃をダンプアウトして逃げるように走り去った。伊刈たちが犬咬から来たことには気付かない様子だった。
土佐犬が相変わらず吠えたてる中、伊刈は事務所に近付いた。立ち入りを受けるのは初めてで要領がわからないのか、若い男は愛想を言うでもなくただ固まっていた。
「隣は操業していないの?」伊刈は若い男に尋ねた。隣の保管場にはうずたかく産廃が積上げられ、塀越しに産廃が崩れ落ちてきそうなほどだった。明らかに積み逃げ状態だった。どうせ逃げるなら積むだけ積んでから逃げる。これが積み逃げだ。
「夜逃げしたらしいすよ。うちも迷惑してるんすよ。あれをうちのだと思う人もいるし」隣のことを聞かれてとたんに男の口が軽くなった。
「どうして夜逃げなんか」
「なんでも山梨の処分場に騙されたとか聞きましたよ」
「ランドクリエーションのことかい」伊刈が聞き直した。
「ああ兄貴がそういう名前言ってたかもしんないすね」
「山梨じゃ有名なアウトローだよな」
「そうなんすか。俺ゴミのことよくわかんないんで。入ってきたダンプの車番だけひかえとけって言われてるんすよ」
アウトロー保積トリオを後にした伊刈たちは轟木の案内で近くの蕎麦屋で昼食をとることにした。小さな店で開けっぱなしの吐き出しの入り口から道路の埃が入ってきた。蕎麦屋の窓からさっき朝霞土木にいたダンプが猛スピードで走り去っていくのを目ざとい喜多が目撃した。
「都心とは反対方向だったすよね」長嶋も苦笑いしていた。
轟木の運転するワゴン車はいよいよテレビの報道ですっかり有名になった「くぬぎ山」のど真ん中へと向かった。武蔵野の面影を残す広大な雑木林だった。そこに広がっていたのは期待を裏切らない光景だった。吹き出物のようにあちこちで樹木が伐採され小規模の焼却場に転用されていた。その数は優に百か所を超えていた。この小型焼却炉がダイオキシン類の汚染源として騒がれている元凶だった。丈の高い雑木が茂る林の大半はそのままなので煙突が何百本も林立する様子が一度に俯瞰できるわけではなった。車を走らせていると雑木林の中から忽然と焼却場が現れては消えていくのだ。小型焼却炉よりもむしろ目についたのは廃棄物の保管場だった。もともとは焼却場だったのだろう。廃棄物が多くなりすぎて炉が邪魔になってしまったのだ。その多くが積み逃げ状態だった。その中でも特に目に付いたのは高圧線よりも高く積み上げられたまま放置された産廃の大山だった。山の半分に醜く焼け焦げた痕があった。火災を起こしたのだろう。
「ここは保積だったんです。積んだまま逃げてしまったんですよ。そのあとすぐに火が出まして」轟木が説明した。そのときはまだダイオキシン問題が沸騰する以前だった。それでも火災はテレビで報道された。今だったらずっと大きな問題となっていたことだろう。
「野村商事の焼却炉があるんですが見ていきますか」轟木が伊刈を見た。
「もちろんです」伊刈は即答した。
野村商事は犬咬市の隣の成毛市に最終処分場を持っている業者だった。「許可をくれなければここで死ぬ」と県庁に三日三晩座り込み、脱水症状で救急搬送されるという武勇伝を残した野村社長は既に引退していた。後継者の時代になっても血は争えなかった。
「犬咬市役所の者です」伊刈はこの日初めて身分を名乗った。「ちょっと中を見せてもらうだけですから」伊刈は同意を得ることもなくずかずかと場内に入っていった。留守をしていた作業員はただびっくりするばかりだった。
一日五トンの処理能力がある中型の焼却炉が一基あるだけのシンプルな施設だった。敷地のほとんどは産廃のヤードになっていた。分別せずにただ受け入れた産廃をそのまま積み上げているだけだった。
「再委託しているみたいだ」伊刈は轟木を見た。
「見てわかるんですか」
「たくさん見てますからね。どう見ても焼却炉の能力を上回る産廃を受け入れているようです。昔はどんな感じでした」
「以前はもっと山が大きかったかもしれません」轟木が呆れたように言った。
「それじゃその頃の物は犬咬に来てたかもしれませんね」
「不法投棄ってことですか」
時刻は午後三時を過ぎていた。伊刈はくぬぎ山の視察を切り上げた。
「せっかくなので埼玉勧業の施設も視察させてもらえますか」
「もちろんです」
埼玉勧業グループ所沢工場は建設系廃棄物処理施設だった。良質の木材、段ボール、大柄な鉄くずやアルミくずなどの有価物を抜き取り、残った混合廃棄物は破砕後に長大なベルトコンベヤによる手選別、風力選別、磁力選別などを組み合わせて徹底的にリサイクルしていた。最後には砂しか出てこなかった。これが竹澤社長自慢のフルリサイクルラインだった。最新式というよりは旧式設備の継ぎ足しだった。
「帳簿検査もやりましょうか」伊刈が申し出た。
「帳簿ですか」轟木はちょっと当惑した顔をした。「それは社長に聞いてみませんと」
「サービス検査ですよ。問題があったとしても指摘はしませんよ」
「そうですか」
電話で竹澤社長の同意が得られたため伊刈たちはいつものように廃棄物関係書類と会計書類をすべて持ってきてもらってオーバーフローのチェックを始めた。サービスのつもりだったのに、いざ検査が始まるとみんな気合が入ってしまい、時間を忘れて決算書や会計帳簿を丹念に点検していった。途中で竹澤社長から伊刈に電話が入った。
「税務調査のようなことをやってるそうですね」電話で検査の様子を聞いたのか竹澤は心配そうに伊刈に愛想を言った。
「手抜きをするとかえって失礼ですからしっかりやらせてもらいます。問題はないと思いますが数字を作るのに時間がかかります。結果を待っていてください」
手際よくやるつもりでも帳簿検査は三時間かかってしまった。終わったのは夜の七時だった。
「徹底した手選別のラインはこれまで見た施設の中で一番すばらしいです。リサイクル率は95パーセントですね。でも施設の能力よりも受注量が多いようです。処理能力に対して受注量が百五十パーセントでした。土間選別で有価物を抜き取っている分、破砕機の処理能力よりも受注が多くなっているんじゃないですか。一般的な建設系施設よりも作業員がかなり多いので生産性は高くなかったです。場外に木くずチップを積み上げているのもちょっと気になります」伊刈は検査結果を講評した。
「日本中の自治体がこういう検査をやったら不法投棄はなくせるかもしれないですね」轟木は本心から感動したように答えた。
翌日、竹澤社長から伊刈に電話があった。「工場長が褒められたと言って喜んでいました」どうやら社長には褒めた話しか伝わっていないようだった。
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