チョコよりメジナに愛をこめて5<如月>

 小雪混じりで寒風吹き荒れる堤防道路を釣り具を抱えてノロノロ歩く。

 ププー

 少しフラフラしていたのだろうか。車にクラクションを鳴らされ、私は慌てて道路のわきへと寄った。

 すると、滑るように走ってきた車が、ゆっくりと停車する。

「ハロー、遥ちゃん、釣り?」

 停まった車の車窓から、糸田のお兄さんの瞬さんが顔を出した。糸田とよく似ているけど、瞬さんはどこか軽い。

 助手席には糸田が座っている。

「こんにちは。帰るところです。今日は全然だめで」

 苦笑をしながらそういうと、瞬さんは、そういう日もあるさ、と笑った。

「乗っていく?」

「でも、病院に行くんじゃないんですか?」

「別に急がないから」

 瞬さんの言葉が終わらないうちに、糸田が助手席から降りてきた。

「荷物、貸せよ」

 有無を言わさず、私の荷物をトランクルームに入れると、後部座席のドアを開けてくれた。

「ありがとう」

 お礼を言いながら、後部座席のシートに座る。

「寒いから助かります。でも、遠回りさせちゃってごめんなさい」

「遠回りってほどじゃないよ?」

 瞬さんは振り返って、ニコニコと笑う。笑顔が兄弟だからよく似ていて。その優しげな笑顔に、ちょっとドキッとしたら、なんか糸田から睨まれた気がした。

「おばさん、様子はどうですか?」

「うん。大丈夫。なんか、大磯家にすごく迷惑かけちゃってごめんね」

 瞬さんが車をスタートさせながら、そう言う。

「……どっちかというと、お節介が過ぎて、かえって申し訳ないです」

 私は自分の手を見つめ、うつむいた。小さな親切大きなお世話という気持ちを抱かれても仕方がないほど、ずかずかと糸田家の家庭事情に踏み込んだ自覚がある。

「いや、本当、遥ちゃんとか、大磯のおばさんが、そばにいて助かったよ。うち、男所帯だから、お袋の病気のこと、本当にわかってやれる人間が家族にいないから」

 それは、少しはあるとは思う。おばさんの病気は『子宮筋腫』。いわゆる死病というような重い病気ではないけど、女性にとっては精神的にもデリケートな病気だ。

「……しかし、亮だけ遥ちゃんにお弁当作ってもらっているのは、納得できない」

「瞬兄ぃ!」

「え? 瞬さんは学食があるから必要ないでしょ?」

 私がそう言ったら、瞬さんはムムーっと唸った。

「それに、瞬さんは蛍さんに作ってもらえばいいのでは?」

 私としては、至極まっとうなセリフだったと思う。蛍さんというのは、瞬さんのカノジョさん。十二月に一度、お会いしたが、とっても清楚な感じの美人さんだった。

「アイツは……その……」

 ぶるぶると首を振りながら、瞬さんは口ごもった。何か嫌な思い出があるらしい。

「ねえ、遥ちゃん、亮に作るついでに…」

「ダメだ」

 私が何か言う前に、糸田がピシッと言い放つ。

「絶対ダメだ。そんなふうだから、瞬兄ィは、蛍さんに信用されないんだ」

「信用って言うが、そもそも、この前のけんかの原因は、亮が――」

「わ――、やめろ、その話はっ」

 何かを言いかけた瞬さんを糸田が必死で遮った。

 よくわからないけど、瞬さんの後頭部が何か勝利を確信しているのを感じた。

 兄弟ってのもたいへんそうだなあ、となんとなく思う。

 意味がわからずボサっとしているうちに、瞬さんはうちの駐車場に車を停めてくれた。

「わざわざありがとうございました。」

 頭を下げて車を降りると、当たり前のように糸田がいっしょに降りてきて、トランクルームを開けてくれた。

 荷物を取り出そうとすると、糸田の長い手が先に延びる。

「玄関まで、持って行ってやるよ」

「あ、ありがとう」

 いつもながら、本当にさりげなく手を貸してくれる。私のせいで遠回りさせちゃって、荷物まで持たせてしまって、本当に申し訳ないなあって思った。

「なあ、遥。今度の祝日、ヒマか?」

 玄関近くで、さりげなく糸田が口を開く。

「祝日……って、建国記念日? ごめん。その日、玲子たちと買い物の約束が…」

 本当は約束したことを後悔している。ただ。彼女たちが私を心配してくれているのも事実で。

「そうか……」

「なあに?」

「ん――メジナ釣りたいなーって」

「いいよ。今日はボーズだったし。土日なら空いてる」

「じゃあ、そのあたりで。天気みてから決めよう」

「いいよ」

 私は軽くうなずいて、ふと嫌なことを思い出した。コウ君の『ひと肌脱ぐ企み』については、さすがに、糸田の耳に入れとくべきだろうと思う。

「ごめん、糸田。私、コウ君に話しちゃった」

「何を?」

「お弁当、私が作っていること」

 怒るか困った顔をすると思ったのに、糸田はキョトンとした目で私を見た。

「何、謝っているんだ?」

「だって、あまり宣伝することじゃないし。それにコウ君、また黒い顔で笑っていたから、ろくなこと考えてないよ」

「俺は宣伝しても構わんけど?」

「え?」

 思わず、聞き返した。

 真っ直ぐ私を糸田の大きな瞳が私をみつめている。

 かーっと、身体が熱くなり、心臓がドキリとした。

「あ、いや。その。大磯釣具店は、料理も出すぞって言ったら客が来るぞ」

 頭を掻きながら、突然、私から目をそらして、糸田はそう言った。

 はい? 意味がわからないよ。うち、弁当屋じゃないし。そりゃあ、釣り舟のお客さんに料理出すこともあるにはあるけど、常時、看板出している定食屋さんじゃないよ?

 でも。

 不意に、腑に落ちる。

 そうか。そういうポジションの弁当扱いだったのか。お店で買うのと同じなんだね……。

 なんだか、訳が分からなくなって。そして。ほんの少しせつなくて。

 茫然とした私の頭を糸田の大きな手がくしゃくしゃと撫でた。

「ばーか。冗談だ」

 冗談って、どこ? 糸田の冗談はいつもわかりにくい。

「遥の弁当はプロ並みだぞ? つーか。コンビニの弁当の十倍は美味い」

 どうやら、味を褒めてくれたらしい。でも。本当に欲しかった言葉には程遠く感じて。なんか哀しくて。

 それでも。

「……ありがとう。」

 お礼を言って、頑張って微笑んだ。

「浩二は、ひねくれているけど、口は堅い。安心しろ」

 糸田が私を安心させるように、にっこりと笑った。

 私が、コウ君のことで心配していると思ったのかもしれない。コウ君の口は、確かに堅い。そんなの、知っている。

「あいつは、俺をからかって遊びたいだけだ。気にするな」

 コウ君の扱いは、親友である糸田のほうが私より慣れている。それに、コウ君は、本当に嫌なことはたぶん、しない。

 たぶん、と、つい付記してしまう程度には鬼畜だけど。

 でも。

 もう、コウ君の企みなんて、どうでもよくなってしまっていた。

「おーい。亮、いい加減にしとけ、行くぞー」

 瞬さんが車の窓を開けて、糸田に声をかけた。

「悪い。遥、俺行くわ」

「うん。おばさんによろしく」

 私がそう言うと、糸田は軽く手を上げた。

「あと二回だけど。弁当、楽しみにしてるから」

 それだけ言って、車に戻っていった。

 お弁当、か。

 美味しいって言ってもらったのに。楽しみだって言ってくれたのに。

 そして、いつも空っぽになって返ってきたお弁当箱は、それが社交辞令じゃないことを証明しているのに。

 私のお弁当、コンビニで買うお弁当の、代用品なのかな……。

 それは、そうだろう。そのために、作ってあげようか? って、言ったのだから。

 当たり前なのに。

 それなのに。どうして涙が出るのだろう。

 私、変だ。

『お弁当を作ってあげる関係に進んでいたら』

 ナギの言葉を思い出す。そうだね。私……。

 そういう関係になりたいのかな。

 玄関の扉に身体を預けながら、風にのって舞う雪をしばらく見つめていた。

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