シーバスと俺の魔女5<秋>
部活が終わると、俺は剛から逃げるように演劇部の部室に向かった。
剛は、俺と大磯の関係を知りたがり、練習中から、何度も話しかけてきた。
残念ながら、釣り仲間という以上の関係はどこを掘ってもみつからない。でも、素直にそういうのは、何となく悔しくて、「大磯は親友の浩二の幼馴染」という情報だけくれてやる。
もちろん、間違いではない。ただ、大磯との付き合いは浩二を通してのものではなく、親父同士の交流がきっかけだ。
もっとも、彼女の顔も知らない時期に、浩二は俺に言った。
「オレの幼馴染、お前と気が合うと思うぜ……波止場に行ってみな、あいつ目立つから、きっとわかる」
その時は、その幼馴染が女の子だと知らずに聞いていたのだが。
「よう!」
演劇部の部室に行くと、浩二が待っていた。
演劇部の練習も終ったらしく、他の部員はもういなかった。
浩二は、誰が見ても二枚目というわけではないが、わりと精悍な顔をしている。
演劇部は男子が少ないので、主役を演じたりもするが、本人曰く本来は『助演でイイ味の役者と言われる』タイプらしい。
変わり者だが、彼女もいる。童話のお姫様のように、控えめで優しく、しかも可愛らしい子だ。
大磯のセリフを借りるなら、「鬼畜なコウ君には、もったいない神女のような子」である。
「用事って、何だよ」
俺がそう言うと、浩二は突然、俺に向かって手を合わせた。
「頼む。ハルを説得してくれ」
ハルというのは、大磯のことだ。浩二は、大磯のことをハルと呼んでいる。
「あいつに演劇部に入ってくれるように、お前から説得してほしい」
「ハイ?」
俺は狐につままれたように、浩二の顔を見た。
「なんで、そんなことを俺がしなきゃならないわけ?」
「……オレが頼んでも絶対聞こうとしないから」
ぼそり、と、浩二が呟く。
「あいつ、お前に言われたら、考えてくれるだろう?」
俺は頭が痛くなった。
「大磯は、演劇に興味ないと思うけど」
冷静にそう言うと、浩二は悔しそうに首を振る。
「あいつ、滅茶苦茶、演技力があってさ。見た目だっていいだろ。その気になりゃ、マジでプロになれる才能があるって」
演技力があるっていうのは、間違いないとは思う。いつにない艶やかな目で見つめられた、あの瞬間を思い出すと、今でも息が止まりそうになる。
「直接、本人にそう言ったら?」
「……メンドクサイって言われた」
つい笑いが込み上げる。
「だろうな。諦めろ」
俺がそう言うと、浩二は頭を掻いた。
「あいつ、水泳選手としては全く才能ないぜ」
ブツブツと呟く。浩二は小学生のころ、大磯と同じスイミングスクールに入っていたから、まるっきり知らない訳ではないとは、思うが。
「お前さあ、他人を自分の価値観で動かそうとするの、悪い癖だぞ」
つい、説教口調になる。
浩二は、人間観察能力に優れていて、人間関係がもつれた時などは、非常に良い解決策を提示してくれる頭の良い男だ。
ただし、自分がもつれさせた人間関係は、全く修復できない。自分がからむと、他人が見えなくなるタイプだ。
「あいつは、水泳選手になりたくて水泳部に所属しているわけじゃない。投げ釣り用に身体鍛えているだけだから」
それが全てではないにしろ、本人から聞いたことがある。
「それに、演劇部に入るなら、陸上部も黙ってないぞ?」
大磯は、運動能力が高く足がすごく速い。陸上部は常に勧誘し続けているという噂だ。
大磯の適性は、水泳より陸上ではないかと、俺も思う。
「だーっ。あの、釣りバカめ」
憎々しげに、浩二は足を踏み鳴らす。
「あの顔で、ミミズの親戚を量り売りしているのって、本当、魔女にしか見えん」
ミミズの親戚……。イソメのことか。浩二は、いわゆる虫エサを見るのも大嫌いだ。
「家業だから仕方ねえだろ」
「女子が、にっこり笑いながらアレを触るか?」
「……別に、構わんけど」
「がー。そーいや、お前はそーゆー奴だった」
どういう意味だ。こいつ、本当に釣りに対して、偏見がありすぎだ。
「だいたい、そんなことのために、人を呼びつけるな。そんなの、ただの口実で、剛が大磯に気があることを俺に見せつけるためだけに、仕組んだことだろう」
少しイラついた俺の言葉に、浩二はニヤニヤと笑った。
「やっぱ、亮は鋭いね。ハルとはずいぶん違う」
大磯の言うとおり、企んでやがった。
「親友としては、お前に警告しておかないといかんなあって、思ってさ」
「ご親切にどうも」
俺は、首を振る。浩二は単純に面白がっているだけだ。別に俺を応援しているわけじゃない。
「……しかし、あそこまで露骨で、剛のファンは黙って見ているわけ?」
いつも逃げ腰の大磯の様子からみて、かなり熱狂的なファンがついているはずだ。
「永沢のファンは永沢応援モードに入っている」
「なんで?」
「ハルは、女子にも人気あるし。永沢が本気なのは誰が見てもわかる。ま。ハルが永沢にその気が全くないのも、まるわかりだからな」
「そういや、藤村って子も来たが、ずいぶん剛にお熱だな。」
「ハル、藤村を連れて行ったのか?」
浩二は眉を寄せた。俺が頷くと、浩二は口を歪めた。
「せっかく、永沢の労をねぎらって、ハルに届けさせようと思ったのに」
ブツブツと、呟く。
やっぱ、こいつ、俺の恋路を応援する気は全くない。本当にこいつ、俺の親友だろうか。
「永沢も、藤村相手に疲れるみたいでな」
浩二は、首を振った。
「あいつ、性格いいから、無下にできないみたいでさ。劇の練習以外でも結構つきまとわれてて、気の毒だ。藤村はそのうち永沢ファンに絞められるかもな」
「そういや、大磯も、心配していた」
俺がそう言うと、浩二は口の端を歪める。
「ハルが気付くってことは、相当ヒドイって、わかるだろ?」
それこそ、酷い言いようだが、大磯の恋愛的センサーは相当にニブイ。
「そもそも、お前の脚本が、劇甘だから、役に入り込みすぎたんじゃないか?」
俺がそう言うと、浩二はムッとした顔をした。
「俺は、芝居と現実の区別がつかない奴は嫌いだ」
きっぱり、切り捨てる。
「だいたい、姫と王子のラブロマンスなんて、おまけのシーンだ。そんなところでのぼせ上られても、オレは嬉しくない」
おまけね。思わず苦笑する。
「やっぱ、六条御息所なのか? 大磯は気が付いてなかったけど」
「……読んだのか?」
少し照れくさそうに、浩二が俺を見た。
「ああ。大磯に見せてもらった。あいつ、お前が魔女に推薦したってぼやいてたぞ」
「ヒロインに推薦したのに、なにが不満だ?」
「ヒロインじゃないし、ラブシーンでもないと、自己暗示かけてたな」
俺の指摘に必死に抵抗していた大磯の姿を思い出す。
「……あいつ、読解力もないのか!」
思わず、叫ぶ浩二。
「それは……違うと思うぞ」
大磯の名誉のために、つい口を出す。
「そもそも、いくらストーリーのメインテーマとはいえ、嫉妬でライバルの女を呪い殺そうとする女を、喜んで演じろというのも、無茶じゃないか?」
大磯は「みんなの注目を浴びたい!」ってタイプではない。ただ、浴びても気にしないだけだ。
女性の釣り人は珍しいから、いつだって釣り場では注目を浴びているが、本意ではない。
「しょうがないだろ。俺があいつを魔女に推薦しなかったら、ハルが魔女になる可能性はほとんどなかったと思うし」
王子と姫は投票で決まったらしい。浩二が推薦しなかったら、おそらく魔女も投票だっただろう。
「姫は藤村じゃなく、ハルになっていたかもしれない」
そうなったら、作品が台無しだ! と浩二は首を振った。
「……おまえのその思い入れを、大磯に少しは説明してやれば?」
なかば呆れながら、俺は、用が済んだなら帰るぞ、と浩二に告げる。
「亮、少し想像してみろよ。ハルが姫で藤村が魔女だったとしたら、王子が姫に夢中になるのは当たり前すぎるじゃないか!」
「……それは、お前の好みの問題だ」
浩二の熱弁を俺は聞き流す。きりがない。
「どうして、あいつ、それがわからないかな?」
「……そもそも、大磯はヒロインを望んでないって、お前もどうして気が付かない?」
「永沢が王子では不満なのか? あれほど完璧な王子はそうはいないのに」
ブツブツと俺の話を全く聞かない浩二。
「お前がやれば良かったのか?」
突然、叫ぶ浩二。
「何、言ってる?」
……頭が痛い。クラスが違うだろーが。
それに悔しいが、俺に変わって大磯のやる気が変化する訳がない。
「しかし、お前だと王子っていうより、戦国武将だよな」
浩二が何か妄想している。もはや、違う国のひとだ。
何かのアイデアに取りつかれた状態のこいつとコミュニケーションとるのは難しい。
「帰るぞ」
俺は、ブツブツ言っている浩二を置いて、演劇部の部室を出た。
「おい、待てよ」
浩二が慌てて、追いかけてくる。
「言っとくが、誰が王子をやっても、大磯は乗り気にはならないと思うぞ」
そもそも、魔女も姫もやりたくないだろう。
あいつは、どっちかというと大道具とか裏方が大好きなタイプだ。積極的な女の子がみんな、演じるほうをやりたいと感じるわけではないと思う。
「そういえば、ハルは、藤村にお前への伝言は頼まなかったんだな」
突然、浩二が思い出したように、そう言った。
「ん? ああ。それがどうかしたか?」
そういえば、浩二が何か企んでそうだと伝えたかったと言っていたな。
そもそも、伝言と剛への届け物それ事態が、企みだったわけだが。
「ふーん。」
「何だよ?」
「お前ら本当に律義で、似た者同士だな」
ニヤニヤ笑いながら浩二はポンポンと俺の肩を叩いた。
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