身代わりと嵐の前






 学園は速やかに封鎖されたようだった。

 と、言ってもそれほど大がかりなものではない。少しでも現王家側に察される行動は慎まなければならない。

 生徒たちは教室待機させられているため、全体的に学内は静かだ。


 わたしは聡士と廊下を歩いていた。

 京介さんは指揮を取っていて別の場所にいる。今、月城家と連絡を取って、到着を待っているところだった。

 下手に月城家に行くより、人の出入りがある学園に集まった方がいいとの判断であった。


 これから、クーデターが始まる。現王家側への反逆だ。

 クーデターがどんなものであるのか。知るはずもないため、わたしには漠然とした不安がある。

 上手くいくものなのだろうか、とか、こんな急で大丈夫なのだろうか、と。


「聡士、不安はないのか」


 聡士にするには、愚問だったかもしれない。

 彼の横顔は静かに、しっかりと前を見ていた。負の感情は感じられない。


「不安はある。……予定では、まだ先のことだったわけだからな。急も急の事態だ」


 昨日、今日、起きたとき、誰も予想しなかっただろう。


 学園には、妙な静けさが満ちていた。こういうのを、嵐の前の静けさと言うのだろうか。

 おそらく、今日中には、国を揺るがす大事が起きる。誰かが死ぬかもしれないことが。


「それでも、やることに変わりはないからな」


 聡士はわたしを見て、少し微笑んだ。

 しかし数秒ほどで、わたしを覗き込むように、顔を傾けた。


「何だ?」

「首、大丈夫だったか?」


 首?

 自分では見えないのに、見下ろす動作をしたが、やはり首は見えない。


「白羽に、操られたとき」


 ああ、と思い出した。

 そんなこともあった。自分で、自分の首を絞めるはめになったのだ。


「忘れていた」

「……普通、忘れられるか」


 聡士が呆れた風に言って、ふいに、手を伸ばした。

 手が、わたしの首に触れる。


「怖くなかったか」

「怖く……? そうだな……聡士が出てきてくれたのがすぐだったから、そういうことを感じる前だったかな」

「それは出た甲斐があったな」


 良かった、と吐息を溢すように、聡士は囁く声音で言った。

 それきり、会話が途切れた。

 今までにない種類の静寂に感じられた。ただ、感覚的な話なので、本当にそうなのかどうかは分からない。


 目が合わない状態のまましばらく経って、わたしが何となく聡士を見ていたら、突然聡士と目が合った。

 彼は、何か言おうと、口を開いた。


「あっ」


 声は近くから。

 静かについてきていた鳴上千里だった。視線を向けると、彼は携帯端末を見ていたようで、


「宗一郎様が到着されたそうです」


 と言った。





 月城つきしろ宗一郎そういちろうは、月城家現当主だ。

 どうも、京介さんと同じ年齢で、まさにこの学園に通っていた当時は同級生であったという。湊と聡士のようなものだろう。

 わたしは、当然、月城家当主その人と会ったことがない。


「まったく、私が茶をしている間にこんな急展開が起こるとは。茶を吹き出すかと思ったぞ」


 現れた人は、なるほど、京介さんと同じくらいの年齢の外見の男性だった。

 ある一室に向かうと京介さんと共に来た、月城宗一郎は予想とは外れた雰囲気の人だった。

 わたしの想像では、厳格そうな人だったのだ。だが実物は、何というか……。

 いや、雰囲気以前の問題か。


「父さん、何だよその格好」


 月城宗一郎と思わしき人は、きっちりしたスーツの類いではなく、作業着のような服装だったのだ。


「変装だ。たった今、私はここに清掃の業者的な人を装い来たからな。車もばっちりだ」


 ぐっと親指を立てる姿に、聡士が見たことのない様子で「ああ、そうか」とぼやいた。


「しかし聡士、話を戻すがな、出来る限りと言っただろう」

「今になっても言うのかよ。どんなことにだって、限度がある」

「おお、開き直りか?」


 月城宗一郎と、聡士のやり取りは完全に親子のそれだった。

 王家の子であると知りながら育てたようには、とてもではないが見えなかった。

 だからこそ、誰も疑うことがなかったのかもしれない。色彩さえ揃えば、顔立ちもかけ離れているわけではなく、やり取りは親子としか言いようがないのだ。


 聡士の頭をぐしゃぐしゃと撫でる様子を、横で見ていると、月城宗一郎がわたしの方を見た。


「おっ、湊君。そういえば、同じ年だったな。聡士とは仲良くやってくれているか?」

「違う」

「違うって何だ、京介」

「湊じゃない。湊の双子の姉で、俺の娘だ」

「娘え?」


 月城宗一郎は思いっきり、調子外れな声を出した。

 部屋内で「えっ……?」という細い声がした気がしたが、わたしはわたしで驚いて、月城宗一郎の後ろからやってきた京介さんをまじまじと見た。

 言ってしまって、いいのか?


「今、湊は家にいる。学園入学約一ヶ月前、目が覚めなくなったきりずっとだ。おそらく、白羽の手によって異能を使われた。異能を使われれば痕跡が残る。湊に、痕跡があった」

「それはまた、初耳だ。水鳥家は何かしたのか? それゆえの見せしめなら分かるんだが、私が知る限りでは『夫人の件』以降、やらかしていないだろう」

「湊が、白羽悠からのある申し出を断った可能性がある。使われた異能の細かなところは分からないが、眠っていること以上に異変はない。白羽悠の独断での、脅しの類いだと推測出来る」

「不幸中の幸いというところだな。なるほど、しかし、双子の姉とは。双子とはこんなにもそっくりなものなんだなぁ。だが、湊君の姉なら、水鳥家当主の子どもではないのか?」

「色々あってな、俺が引き取った」

「へえ。色々の示すところは何となく想像出来る。双子だからな。……今、ここで言っても良かったのか」


 今、ここで。

 わたしははっとして、部屋の奥を見た。奥には、森園環奈とその従者がいる。他に会話する声がない中、話が聞こえていなかったはずはない。彼女は目を見開いており、わたしを見ていた。

 湊と見えていたであろう、わたしを。


「宗一郎、これが、『理由』だ」


 どういう顔で、湊の顔でいるかどうか分からなくなっていたわたしの肩に重みが加わった。

 京介さんが、月城宗一郎を真っ直ぐに見ていた。月城宗一郎は真正面からその視線を受け、「……これはまた、予想外のことを言う」と呟いた。


「今後の今後に繋がる話は後だ。今すぐに話すべきことを話すぞ」

「そうだった、そうだった。クーデターだな」


 どんでも軽く、月城宗一郎がぽんと言った。


「ま、急も急とはいえ、奇襲にはちょうど良かろうよ」


 続けても、軽く。


「現状を踏まえて、成功する見込は」

「まず、元々下準備はし続けていた。加えて最近、白羽に疑われているかもしれないという話を聞いていたから、警戒体勢ではあった。ま、こういうのは勢いが大切だ。結論から言うと、今すぐ動けるし、成功なんてさせるしかない」

「お前、そういうところがあるよな。……よくこれまで秘匿し続けていられたな」


 出会ったばかりで何だが、わたしの月城宗一郎の印象は、何となく雑で軽いイメージになりつつあった。

 そんな人が、聡士の正体を十六年秘匿し続けていた。

 月城宗一郎は、笑った。


「ははっ、コツがある。いかに死ぬ気でやるか、背水の陣だな。ばれれば全てが終わる。私は確実に死ぬだろう。見せしめにされてもおかしくはない。そして子も死ぬ、月城家以下分家、全体が死ぬ。だが、聡士を差し出すわけにはいかない。そうすることは『間違い』であり、将来的に聡士が隠れ続けることも『正しくはない』。だから、『そのとき』が来るまで決してばれさせない」


 笑いながらの話の内容は、すさまじく重かった。


「心構えに関しては、今回も同じだ。成功させなければ自分自身を始め、全てが死ぬ。零か百、全てを失い地獄を見るか、この重苦しくも不自由な現状を打破できた世を得るか」


 ──月城宗一郎は、十六年前にすでに覚悟を済ませた人なのかもしれない

 彼は、当時まだ赤子だった聡士に何も教えず、目の色だって、本人にはどうとでも誤魔化して、本人も他人も知らないまま、隠させ続けることが出来たはずなのだ。

 だが、そうはせず、彼に育てられた聡士も今、確かに自らの意思を持って目を隠さず、立っている。


「とは言え、他の家にいつ言うか、もしくは言わないかということにはずっと悩んでいてなぁ。この前、お前に言う決断をしたことは間違いではなかったな」

「普通、当主に話は持っていくものだろうがな」

「仕方ない。慶造けいぞうさんは取っつき難い。京介に通した方が賢いと思った。お前は友達だから、快く力を貸してくれるだろうし、無理でもせめて他言はしない優しさをくれるだろう、と」

「他家の人間を信用し過ぎだ」

「誤解するな、水鳥家のお前を信用したのではなく、『お前』のみを信用していたんだ。いやしかし、睨まれて断られるとは厳しい反応だったぞ」

「お前は、それほど俺のことを分かっていなかったということだ」


 京介さんが息をついた。


「そうそう、ところで、だ。連絡をもらってから人員は動かし始めて、準備し始めたんだが……。一応聞くが、京介、そっちが出せる人数はどれくらいだ?」

「水鳥家に仕える者九割」

「……は?」

「動かせないのは、当主の近辺のみだ」


 月城宗一郎は、呆気に取られた顔をしていた。

 二人の会話を見守っていただけのわたしは、理由が分からず、何気なく横を見た。

 聡士も、驚きの出た目をしていた。


「聡士、何にそんなに驚いてるの」

「……当主に話を通してないはずなのに、九割動かせるっていうのは、あり得ないだろ。全体九割って、もう当主しか出来ない範囲だ」


 言われてみると、そうか。

 今日、京介さんの一存で決めた協力。それも、水鳥家当主には話は通さない様子だった。その状態で、水鳥家全体が動かせるはずがない。


「いや、京介、お前は単なる当主の弟だよな」

「立場としては弟だな。だが、単なるかと言えば、現在の水鳥家では実はそうではない」

「話が見えんぞ」

「宗一郎、知らないだろうが、狂った兄貴の代わりに本家を裏から回してたのは俺だ。仕方なくしていたことだったが、それが報われる日が来たというわけだ。やると決めれば、俺は本気でクーデターをする。それは何も現王家に対するものだけじゃない」


 月城宗一郎が、少し目を見開いた気がした。


「……これは、頼もしい限りだ。何だか楽しみになって来た!」

「不謹慎だぞ」


 なぜか大いに楽しそうになって、月城宗一郎は笑い声を響かせた。

 そうしてひとしきり笑い、最後に京介さんの肩を叩いて、彼は視線をずらした。部屋の奥へ。


「後は、こちらも一応。森園家の当主、森園環奈」

「……はい」

「お前さんはどうする。加わる気はあるのか?」


 白羽を除き、最上位貴族最後の一家。

 クーデターへの参加の有無を尋ねられ、森園環奈は。胸元で手を握り締め、口を開いた。


「森園家も、加わります」


 問うた側の月城宗一郎は「ふむ……」と考え込む。

 人手が増えるのは、良いことではないのだろうか?


「数が増えるに越したことはない。だが、正直、お前さんが森園家を纏められているのかというところが気になるな」

「未だ未成年だからな」

「そこを抜きにしてもな、──率直に言うと頼りない。森園家とお前さんを襲った悲惨な事実のせいであろうとは、承知の上だ」

「宗一郎、躊躇なく人の嫌なところを突くところは相変わらずだな」

「本当のことだろう? とにかくだな、復讐の機会にするつもりなら止めておいた方がいい。暴走されても困る」


 厳しい言葉だった。

 家族を奪われた森園環奈に、復讐をするつもりなら、参加してくれない方がましだと言っているのだ。


 森園環奈は俯き気味になった。


「わたしは──わたしは、確かに、家族を奪った彼らを恐れ、憎んでもいるのでしょう」


 手を、強い力で握り締めていることが端からでも分かった。

 彼女は、息を吸い、下気味に向けていた目を──上げた。


「……しかし、わたしは、またなにかを奪われることを最も恐れています。今森園家にいる者を、わたしの行動一つで、また彼らに奪われるかもしれない。その世の中が変わるのならば、わたしは、彼らを守るために、加勢するべきです。前当主も、そうするべきだと言うでしょう」


 凛とした芯が感じられる声だった。

 いつも弱気で、儚げな雰囲気が、そのとき確かに霧散したように見えた。


「従者である私が発言することをお許し願います。──私共森園家に仕える人間も、かつて奪われた命に悲しみと、憤りを感じて参りました。ですが、今立ち上がるのであれば、私共は失われた命の報復のためではなく、環奈様のために戦います」


 森園主従の揃っての言葉に、月城宗一郎は、ふっと笑みを漏らした。


「それならば、是非に力を貸してもらいたい。全ては、ふざけた現状を打破するため。さあ、そうと決まれば動き始めてくれ。さあ、さあ」

「は、はい」

「同時に早急に作戦の確認をする。プランなんて、一年中二十四時間頭の中で捏ねているからな。好きなものを選べるぞ。と言っても、急だからパターンなんて限られているが」


 ホワイトボードはあるか?と、月城宗一郎は首を傾げた。







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