第19話 そして彼は右腕を得た

「では、そろそろ話しの続きをしようか」

「お願いします」


 ティーブレイクを終了し、再び灰塚はいづかの口から灯夜とうやの過去が語られようとしていた。お茶によるリラックス効果もあり、沙羅さらも先程までよりも幾分か落ち着いている印象だ。


「……白衣の賢者による魔術を使った移植は無事に成功し、灯夜くんの肩と白衣の賢者の左腕は綺麗に繋がった。別人の腕を移植したんだ、当然腕の長さや太さは異なって然るべきなのだが、伝説の名は流石だったよ。接合した瞬間に白衣の賢者の左腕は、これまでの灯夜くんの腕と遜色そんしょくない見た目へと変化したんだ。最終的には接合の境目までも分からなくなり、まるで灯夜くんが腕を失った出来事自体が無くなってしまったかのようだった。白衣の賢者本来の左腕が現れるのは、魔術紋まじゅつもんを発動した時だけだから、日常生活の中で灯夜くんの腕に疑問を抱く者はまずいないだろう」


「確かに、普段の彼の腕には何の違和感も感じません。昨晩の出来事が無ければ、別人の腕だと言われても、とても信じられなかったと思います」


 昨晩目にした色白で魔術紋の刻まれた左腕が、白衣の賢者の物であったということを沙羅は改めて理解した。


「灯夜くんの左腕は回復したが、状況は未だに切迫していた。切断された右腕からも激しく出血していたからね。せっかく左腕を得たというのに、このままでは命そのものを失いかねない状況だった。そんな状況で、移植を終えた直後の白衣の賢者が、灯夜くんを救う一つの方法を提示したんだ」

「……どうやって久世くぜくんを救ったんですか?」

「あの場にいた誰もが驚いたよ。彼の提示した方法とは、取り押さえたばかりの銀狼ぎんろうの右腕を灯夜くんに移植することだった。

「そんなことって……」

「もちろん私を含めてその場にいた全員が異を唱えた。特に瑠璃子るりこくんの取り乱しようは見ていられなかったよ……彼女は生徒である灯夜くんを巻き込んでしまったことを深く後悔していたからね。これ以上彼を危険な目に遭わせたくはなかったのだろう」

「雨音〈あまね)先生が……」


 沙羅には当時の瑠璃子の心境が理解出来る気がした。いかに助ける方法を提示されようとも、そんなイレギュラーな方法に灯夜の身を委ねることは出来なかったのだろう。


「しかし、その場では他に方法が無かったし、迷っている間にも灯夜くんの命が危うくなる。最終的にはその場にいた全員が白衣の賢者の提案を受け入れたよ」


 灰塚の表情は穏やかだった。当時の選択が間違いでは無かったと思えているからこその表情だ。


「全員が納得したことで、灯夜くんに対する銀狼の右腕の移植が行われることになった。だけど、肝心の白衣の賢者は移植で腕を失った直後ということもあり、かなり消耗していてね。魔術を使う余力が彼には残されていなかった。魔術式そのものは彼が所有していた魔術書に記されていたから、その場にいた誰かがそれを元に移植魔術を行うこととなった」

「もしかして、それを行ったのは」

「そう、瑠璃子くんだよ。実際あの場で白衣の賢者の術式を体現できる魔術師は彼女しかいなかった。彼女自身は銀狼の右腕を使うことに不安を抱いていたとは思うが、灯夜くんを救うためならばと、自ら名乗りを上げたよ。本当なら私が代わってあげたかったが、私の魔術師としての資質は白衣の賢者の術式と相性が悪く、それも出来なくてね」


 沙羅は無言で頷き、話しに聞き入っていた。


「彼女の魔術師として実力はもちろん、白衣の賢者の術式も非常に優れたもので、移植魔術は無事に成功した。魔術式には外見書き換えの式も組み込まれていたようでね、接続後の右腕は元の灯夜くんの腕そのものだったよ」

「副作用のようなものは無かったんですか?」


 素人考えとはいえ沙羅の疑問は的を射ていた。その場に居た誰もが移植を反対した理由は、灯夜への悪影響を懸念してのものだ。


「後から分かったことだけど、先に移植した白衣の賢者の左腕が中和剤となり、銀狼の右腕からの悪影響を相殺する仕組みでね。そこまで織り込み済みで、白衣の賢者は最初に自分の左腕を移植した、ということのようだ」

「……凄い人ですね。白衣の賢者」


 例え同じ力を持っていたとしても、自分ではとても真似出来ないだろうと沙羅は思う。


「君はさっき、何故白衣の賢者がそこまでするのかと聞いたね。あくまでも想像の域を出ないが、どうやら彼も長らく銀狼を追っていたようでね。ロシアで銀狼を追い詰めたのも彼だったらしい。そんな銀狼の右腕が逃走し、一般人である灯夜くんを傷つけた。灯夜くんへの治療は彼なりの罪滅ぼしだったのかもしれない」

「だとしたら、とても責任感の強い人だったですね」

「真相は本人のみぞ知るところだが、当の白衣の賢者はあの後忽然と姿を消してしまってね。あれだけ自然にいなくなるんだ、伝説になるのも頷けるよ」


 そう言って灰塚は苦笑する。熟練の魔術師である灰塚をもってしても、あの日の出来事は不思議としか形容出来ないのだから。


「結果的には灯夜くんは助かり、彼の右腕に収まるという異例の形であるが、銀狼の右腕も再度封印された。十分すぎる結果だが、同時に灯夜くんの人生を大きく変える出来事になってしまったのも事実だ」

「……そうですね」


 ある日突然事件に巻き込まれて両腕を失い、代用として繋がれた両腕が特殊な存在の物だったとしたら? 平凡な日常を送っていた高校生にとっては重すぎる出来事だ。


「灯夜くんだけじゃない。瑠璃子くんもあの事件以来変わってしまった。結果として灯夜くんを救うことが出来たとはいえ、銀狼の右腕という危険な代物を彼に背負わせてしまったことに、彼女は自責の念を感じている」

「でもそれは雨音先生のせいでは」

「その通り、彼女に責任は無い。だけど、白衣の賢者の術式に沿っただけとはいえ、直接移植魔術を行ったのは彼女なんだ。生来の心優しい性格と責任感の強さもあり、彼女は灯夜くんの人生に大きな責任を感じているのさ」

「……だから、あんなに久世くんのことを心配して」


 事情を知った今となっては、あの時の二人の姿が少し切なく思える。


「幸いだったのは灯夜くんがとても前向きだったことだね。彼自身、命が助かっただけで幸運だったという認識だし、瑠璃子くんのこともまるで恨んではいない。それどころか、今ではその両腕を自在に使いこなし、この街を守るために使ってくれている」

「強いんですね、久世くん」


 沙羅の中の久世灯夜という少年の印象は大きく変わっていた。重い過去を背負いながらも、それを微塵にも感じさせず、事件で得た力を使って街の平和まで守っている。それは誰にでも出来ることではない。


「これが、昨年灯夜くんの身に起こった出来事の全てだよ」

「……久世くんがいれば大丈夫ですね。今回のレイスの件も」


 灯夜の右腕の話が始まって以来、沙羅は初めて笑顔を見せ、灰塚もそれを見て頷いた。


「ああ、彼ならきっとやってくれるよ」



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