第17話 灯夜の過去
「館長さん。
「彼自身が許可したんだ。私の知る範囲のことであればお答えしよう」
机の上で両手を組む
「とりあえず掛けたまえ。少し長い話になる」
「では、失礼します」
沙羅は一言断り、応接用のソファーへと腰掛けた。
「何から話そうかな」
「……では、久世くんの腕についてお願いします。昨日私を助けてくれた時には、白衣の賢者という方からの貰い物だと言っていましたが」
「
「……腕を貰うなんて、久世くんの身に一体何が起こったんですか?」
「そもそも
「そうなんですか?」
沙羅にとっては意外な事実だった。灯夜はそんなことは一言も言っていなかったし、てっきり生まれも育ちもこの街なのだと勝手に思っていた。
「昨年の初夏の頃だったかな。灯夜くんの御両親はお仕事の都合で海外に赴任することになってね。日本に残ることを選択した彼は、お姉さんの住むこの真名仮市へとやってきたんだ」
「そんなに最近のことだったんですか」
灯夜が自身についてあまり語らないこともあり、沙羅にとっては全てが新鮮だった。灯夜がこの街にやってきて一年も経っていなかったことは驚きだ。
「……事が起こったのは彼がこの街にやってきた一か月後。学校が夏休みに入っていた頃だ。彼はある事件に巻き込まれて……両腕を失う重症を負った」
「……何があったんですか?」
「君は
「名前はニュースで聞いたことがあります。確か魔術師の世界では有名な犯罪者なんですよね。数年前に捕まったと聞いていますが?」
魔術犯罪者が一般向けに報道されることは稀だが、「
「そう。銀狼は魔術師殺しの通り名で呼ばれ、その爪と牙で、200を超える魔術師を殺害した第一級の魔術犯罪者だ。三年前、重症を負った銀狼がロシアで発見され、魔術師協会によって身柄は確保されたがね」
「その銀狼と、久世くんの巻き込まれたという事件に関係が?」
話の通りなら、銀狼が捕まったのは灯夜が大怪我をする二年前ということになる。この二つの出来事がどう関係してくるというのだろうか。
「捕まったとはいえ、銀狼の力は強大でね。拘束された状態にも関わらず、さらに数人の魔術師を殺害したんだ。そんな銀狼の力を抑え込むために、魔術師協会は一計を案じた。それぞれが強大な力を持つ銀狼の四肢を、バラバラに封印することにしたんだよ」
「四肢を封印?」
「銀狼の胴体を魔術師協会の地下深くに、四肢を世界四か所の高濃度マナ発生地域に封印することで、その力を無力化することに成功したんだ」
「ということは、この真名仮市にも?」
「その通りだ。真名仮市には、銀狼の右腕が封印されていた」
驚くべき事実に沙羅は一瞬身震いしたが、同時に灰塚の言葉にある引っ掛かりを覚えた。
「いた、ということは過去形ですか?」
「その通り。昨年、銀狼の右腕が封印を破って逃走する事件が起こったんだ。それこそが、灯夜くんが両腕を失った原因だよ」
「右腕だけが逃走したんですか?」
「四肢を封印したといっても、何も物理的に切断したわけじゃない。あくまでも、空間操作系の魔術で別々の場所へと分けただけなんだ。脱出の機会を伺っていた銀狼は意識の全てを、利き腕であり、自身最大の武器でもある右腕に集中させ、二年もの歳月をかけて封印を破ったんだよ」
「……化け物ですね」
強大な力もそうだが、腕一本だけでも脱出しようというその執念こそが真に恐ろしい。
「当時は大混乱だったよ、何せあの銀狼の右腕だからね。私も捜索隊として駆り出されていたし、当時から警備部に所属していた瑠璃子くんも、不眠不休で捜索にあたっていた」
「
「……だが、悲劇は起こってしまった。瑠璃子くんの追い詰めた銀狼の右腕が、たまたまその場に居合わせた灯夜くんを襲ったんだ」
少しの間を置き、灰塚は話しの核心を口にした。彼にとっても衝撃的な出来事だったのだろう。その表情は幾分か暗い。
「魔術師殺しと呼ばれた者の腕だ。生身の人間である灯夜くんはひとたまりもなかった。こう言ってはなんだが、腕だけで済んで幸いだったと思えるほどさ」
「……それで、どうなったんですか?」
「辛くも、灯夜くんを襲ったことで銀狼の腕には隙が生まれ、その瞬間に瑠璃子くんが行動不能にまで追い込んだ。彼女はそのまま灯夜くんの救命措置に入ったが、両腕切断という大怪我だ。途中からは私も協力して二人で治癒魔術をかけ続けたが、それでも追いつかない程の出血量だった……そんな時だよ、彼が現れたのは」
「もしかしてそれが」
話の流れからして、考えられる人物は一人しかいない。
「そう、白衣の賢者だよ。彼は灯夜くんの元へと駆け寄ると、迷うこと無く自信の左腕と灯夜くんの左肩を魔術で結び、そのまま魔術を使った移植を始めたんだ」
「いくら魔術でも、そんなことが可能なんですか?」
「魔術の世界でも前例のない出来事だったよ。あくまで私見だが、最上級の魔術師である白衣の賢者が、魔術紋を刻んだ自身の腕を、この真名仮市で移植したからこそ可能だったんだと思う。いずれにせよ、彼の移植魔術のおかげで、灯夜くんは再び左腕を手にすることが出来た」
「でも、そんなことをしたら白衣の賢者さんは」
「想像通りだよ。彼は左腕を失った」
自らの腕を与えるなど、善意というレベルで片づけられる話でない。よっぽどの事情でも無ければ、そこまでのことは出来ないだろう。
「そこから先は、灯夜くんの右腕の話が関わって来る。君が見たことがあるのは、左腕だけかな?」
「やっぱり、右腕にも秘密があるんですね?」
沙羅は昨晩、瑠璃子が灯夜に対して「右腕は使わなかった」のかと尋ねていた時のことを思い出していた。
「一度お茶にしないかい? ずっと話し続けていたからね」
灰塚は椅子から立ち上がると、ティーセットが収納されたアンティーク調の棚を示す。ティーセットの他には電気ポットやコーヒーメーカー、茶菓子なども豊富に置かれている。応接用であると同時に、どうやら灰塚の趣味の一環でもあるようだ。
「ありがとうございます。では、紅茶を」
「かしこまりました」
笑顔で頷くと、灰塚は手際よく紅茶を淹れ始めた。紳士的な振る舞いや服装の印象も手伝い、その姿はお洒落なカフェのマスターのようにも見える。
「館長さん、凄く様になってますね」
「今でこそ図書館の館長に落ち着ているけど、将来は自分の店を持ちたいと、密かに考えていてね」
灰塚は心底楽しそうにそう語った。
「その時は、是非とも通わせていただきます」
「お客様第一号は君に決まりだな」
言うと同時に灰塚の手の動きが止まった。紅茶を注ぎ終わったようだ。
「さあ召し上がれ。素人なりの自信作だ」
「良い香り」
紅茶の注がれたティーカップが差し出され、品のある香りが沙羅の中へと広がっていく。その香りだけで、沙羅は灰塚の紅茶の虜になりつつあった。
「美味しい」
一口含んだ瞬間に、ストレートな感想が飛び出した。
「お口にあって何よりだよ」
幸せそうに紅茶を飲む沙羅の姿を見て、灰塚は微笑みを浮かべた。
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