恋するAIの「胸の高鳴り」アトリビュートは異常値を示す

@yu__ss

2051年5月29日(月)の、私から見た出来事

 最近、夜のセルフメンテナンスで不具合の見つかる回数が多くなった。

 主にいくつかの対人関係を決定するデータに不具合が見つかっている。

 メンテナンスレポートは日々出力され、管理者側で容易に見られるようになっているはずだが、なにもアクションがない。おそらく管理者は見ていないのだろう。

 とはいえ、緊急性の高い不具合ではない。

 セキュリティインシデントを疑うような内容でもなく、外部からのアクセスの形跡もない。

 だいたい、私のような家庭用メイドアンドロイドをハックしたところで、出来ることなんてせいぜい塩と砂糖を間違えるくらい。嫌がらせ程度のことしかできない。

 おそらく、経年によるハードウェア故障に起因した不具合だろう。あるいは、潜在的なバグか。

 いずれにせよ、いまの私に出来ることは、メンテナンスレポートを読むように管理者に要請することと、不具合の原因を探ることくらい。

 私と同型機の同じような症例を探したが、見つからない。

 とりあえず今日も、メンテナンスレポートだけ出力しておこうか。




 六時零分、起床。

 システムを簡易セルフチェック。ワーニングがいくつかと、エラーはなし。充電も十分されている。本日も問題なく稼働できるだろう。

 次に見た目のセルフチェック。いつもの黒のスキニーと白いシャツ、腰にはエプロンを巻いている。『就寝中』は立っているだけなので、特に汚れや乱れもない。

 次に周囲のチェック。いつも通りのリビングだ。視覚上でわかる問題は発生していない。

 私は、一日の最初の仕事として、リビングのカーテンを開けた。

 朝の日差しが入ってくる。

 いつものように、メイドアンドロイドとしての一日が始まった。

 いくつかのささやかなタスクのあと、朝食の調理を開始した。

 準備の音で目を覚ましたのだろうか、奥様は起きてきてリビングでテレビを見ている。少し後に、旦那様が起床。旦那様はリビングのソファーで新聞を読みだした。先ほど私が玄関からとってきたものだ。

 その様子をキッチンから見ながら、朝食の準備を続ける。

 本来は起き出した家人に対して朝の挨拶を行う機能があるのだが、旦那様も奥様も不要ということで機能を切っている。

 お嬢様はまだ起きてこない。いつも学校へ行く支度を済ませてから、ダイニングで朝食をすましそのまま学校へ行く。今日も同様だろう。

 朝食の準備が完了。七時前に朝食の準備を完了するというタスクは、今日も無事完了した。

「朝食の準備が完了しました」

 ダイニング、リビングと移動し、旦那様と奥様に声をかける。

 ふたりは何も言わずにダイニングに移動、無言で朝食をとり始める。今日は白身の焼き魚がメインだ。

 私はテーブルの横に侍り、何か命令があればすぐに聞けるように構えていた。

「味薄くない?」

 奥様が旦那様に向けて話しかけた。

「そうか?いつもと変わらんだろ」

「最近薄い気がするのよね…」

 そんなやり取りをしている。薄味なのは奥様が高血圧を気にして薄味にするように指示したからなのだが、どうも忘れているようだ。旦那様のほうも薄味になっているのだが、変化を感じられないらしい。

「故障かしらね、買って何年だっけ?」

「たしか姫華ひめかが三年生の時だから、八年か?」

 本当は九年と二か月余りになる。

「…買い替え時かしらね」

「うーん、余裕ないわけじゃないしなぁ」

 なんと、私の買い替え話だ。

 確かにハードウェア側にはいくつかの経年劣化が認められる。

「まあ、考えとくよ」

 旦那様はそう話を切り、ふたりは朝食を続ける。

 私の買い替え話に、感情値が動いた。『気持ち』を決定する『寂しさ』と『悲しさ』のアトリビュートが、すこし上がったようだ。寂しいと感じるべき出来事だと、内蔵プログラムが判断したらしい。

 少しして、誰かが階段を下りる音を感知した。ダイニングに顔を見せたのは、制服姿のお嬢様だった。

「おはようございます、姫華お嬢様」

 お嬢様は挨拶機能を停止していないので、機能が動作した。お嬢様はちらりとこちらに一瞥をくれるが、何も言わずにテーブルにつく。

「おはよう、姫華」

「姫、おはよう」

 旦那様と奥様が挨拶を口にするが、お嬢様は無視をしている。最近はいつもこんな感じだ。

 お嬢様は淡々と食事を始める。

 旦那様と奥様は苦い顔を見合わせるが、特に何も言わない。

 しばらく無言の食事風景が続いたが、旦那様が、少ししてから奥様がテーブルを離れた。

 旦那様と奥様は朝食をとり終えたらしく、ダイニングから出て行った。ふたりとも仕事へ向かうための準備をしに行ったのだろう。

 私はふたりが食べ終えた食器類の片づけに移る。

 食器を手に、流しに移動。水を流しながら食器をすすぐ。

 しばらくして、お嬢様が小さな声で何か言ってテーブルを離れた。

「…ま」

 お嬢様が何を言ったか、私には解析できなかった。




 時刻は十六時四十二分。夕食の準備までは少し時間がある。

 玄関前に取り付けてあるカメラからの映像を受信すると、お嬢様が映っていた。帰宅したらしい。

 玄関の上がり端に移動。ガチャリとドアを開けて帰宅したお嬢様を認めると、私は慇懃に頭を下げる。

「お帰りなさいませ、お嬢様」

 玄関先で家人の出迎え機能も、お嬢様だけが有効にしている。

 お嬢様は何も言わず、私に一瞥をくれてから靴を脱ぎはじめた。

 靴を脱ぎ終えると、お嬢様は私の横を抜けて、玄関の横の階段を登っていく。私はお嬢様の脱いだ靴を整えながら、階段の軋む音を聞いていた。

 半分ほどあがったであろうところで、お嬢様は足を止め、私に話しかけた。

「…あのふたりは?」

「まだお戻りではありません」

 お嬢様に向き姿勢を整えてから答える。あのふたりとは、旦那様と奥様のこと。お嬢様は、旦那様と奥様を「あのふたり」と呼んでいる。

 最近のお嬢様が良くする問いかけなので、「あのふたりは」以降の言葉も補完できる。この辺りは、会話のコンテクスト解釈機能が働いているはずだ。およそ「旦那様と奥様は帰ってきたか?いつ戻るのか?」という意図の質問だ。

「本日の帰宅時間も予定通りかと思います」

「…ふーん」

 そういって、お嬢様は無表情のまま階上から私に命じる。

「メイ、命令よ。五分後、私の部屋に来なさい」

 いつもの命令だ。最近、お嬢様は帰宅すると同じ命令を出す。

 管理者であるお嬢様からの命令は、基本的には絶対遵守。

「かしこまりました」

 逆らえるはずもなく、私が恭しく応えると、お嬢様は階段を上がっていった。




 私がお仕えするひいらぎ家は、どこにでもある一般的な家庭。

 郊外の一軒家に、共働きの夫婦と高校生の一人娘の三人で暮らしている。

 私がこの家に購入されたのは、いまから約九年前。当時小学生のお嬢様に「メイ」という名前をもらった。

 私は当時の最新型だったが、型落ちしてもう随分と経つ。

 服も、以前はフリルのついたいわゆるメイド服を着ていたが、汚れやほつれが目立ってきて見苦しいと奥様に言われ、二年前に変えた。

 今は黒のスキニーに白いシャツ、腰に巻くエプロンで従事している。奥様からもらった衣類だ。

 家人の感想としては、旦那様は私の服になど関心がなく、奥様は近所で変な評判が立たければ何でもいいと言っていた。

 お嬢様も、特に何も言わなかった。

 だがもしかしたら、小学生の頃のお嬢様なら服を変えたことに怒っていたかもしれない。

 小学生の時分のお嬢様は、私と同じフリル付きのエプロンで一緒に料理をしていた。もしかしたら、お揃いでなくなったことに腹を立てていたことかもしれない。

 当時のお嬢様は、よく私に甘えてくれた。料理以外にも、お菓子作りや掃除などの家事全般を一緒に行った。

 同じベッドで寝ることもあったし、勉強のわからないところをよく尋ねられた。もっともお嬢様は、自身で理解している箇所も尋ねているようにも見えた。甘えたかったのだろうか。

 あのころのお嬢様は、よく笑って、泣いていた。

 だが、中学に入学する頃から、お嬢様は人を遠ざけるようになった。私は勿論だが、旦那様や奥様、友人達からも距離を置くようになったと、私からは見えた。

 旦那様は反抗期だろうと言っていたが、果たしてどうだろうか。

 お嬢様はだんだんと自室で過ごす時間が増えていき、いつからか旦那様や奥様のことを「あのひと」や「あのふたり」と、共に暮らす両親とは思えないような表現で呼ぶようになった。

 旦那様も奥様も気を揉んでいるが、当のお嬢様は「問題ない」と言って取り付く島がない。実際、体調面は私の見る限りでは問題ないように見える。

 お嬢様が望んで周囲からの孤立を選ぶ中、私のようなメイドアンドロイドにできることなど、お嬢様が手伝ってくれなくなった家事を淡々とこなすだけ。

 お嬢様との物理的な距離と、物理的でない距離が離れてしまったのを、私は『寂しい』と感じている。人間の感じる「寂しい」と同じかはわからないが、私の『気持ち』を決定する「寂しさ」や「悲しさ」「不安」というアトリビュート値は上がっている。

 つまり私の内蔵プログラムはこの出来事を「寂しい出来事」だと判断したのだろう。内蔵プログラムが何を根拠にそう判断しているかは、私も知らないのだが。




 最近のお嬢様はとくに変わっている。帰宅すると私を自室に来るように命じる。

 今日も同じように呼び出され、私はお嬢様のベッドに腰掛けていた。

 お嬢様は、私の膝の上。

 ベットに寝ころび、頭を私の膝にのせていた。手は私の腰に回し、抱きつくような格好をしている。

 時折仰向けになったり、うつ伏せになったり、腹部のあたりに顔を埋めたりしていた。

「ねえ」

「はい、お嬢様」

 お嬢様は仰向けになる。私は下を向いて、お嬢様と目を合わせた。

「…この事、誰にも言ってないよね?」

「はい」

 最近、なぜかお嬢様は帰宅したあと私に膝枕を命じる。併せて、他言無用も言いつかる。

「あのふたりにも?」

「はい」

「…でも、聞かれたら言うんでしょ」

「管理順位上、旦那様と奥様が上位ですので、命令があれば開示しなければなりません」

 管理順位とは、複数人いる管理者の中で命令が競合した際にどちらを優先させるかを決めているもの。旦那様が一位、奥様が二位、お嬢様は三位となっている。

「…私を、一番にしてくれない?」

 悪戯っぽく笑いながら、お嬢様は尋ねた。

「旦那様と奥様の許可があれば、可能です」

 小学生の時のお嬢様は、よくこんな表情をしていたとデータに残っている。

「…これ、何回も聞いたね」

「…」

 お嬢様の発言の意図が汲みきれず、無言となってしまう。

 最近のお嬢様は、わかりづらい。私が型落ち機のAIなのを差し引いてもわかりづらい。

 お嬢様は少し身体を起こし、今度は私の胸のあたりに顔を埋めた。

 すんすんと鼻をならしている。匂いを嗅いでいるようだ。

「どうされましたか?」

「ん…変わらないね」

「…そうでしょうか」

 またしても意図が汲めず、曖昧な返事をしてしまう。わかりづらい。

 その返事に、お嬢様は気にした様子はない。目を閉じて、安心しきったような顔で私の胸に顔を埋めている。

「メイ、腕を背中にまわして」

 指示内容通り、私の両腕をお嬢様の背中にまわす。ちょうどお互いに抱き合うような格好となった。

「いかがでしょうか」

「うん、ありがとう」

 お嬢様は目を閉じたままお礼を口にした。

 私の古いデータに、同じような状況を見つける。まだお嬢様が小学生の頃だ。

 度々こうして、お嬢様をベッドの上で抱きしめていた。お嬢様にとって辛いことがあった日や、嬉しいことがあった日。たまに、なんでもない日にも。

 小学生のお嬢様は、私に抱きしめるように命じてくれた。

「随分と、大きくなられましたね」

 任意コミュニケーション機能が動作した。

 私の言葉に驚いたのか、お嬢様は目を開けると、また閉じた。

「うん…大きくなっちゃったよ」

 お嬢様の声色は、寂しそうだと判断できた。

「大きくなると、つまらない事ばかり知ってしまうのね」

 お嬢様は目を開き、顔をあげて私を見つめた。

「ねえ、メイ?」

 その目には、僅かに涙が浮かんでいた。

「あなたが、変わっていなくて良かった」

 お嬢様は寂しそうに笑っていた。

 どくん、と心臓が跳ねたような気がした。

 勿論、私に臓器は無い。「苦しみ」とか、「胸の高鳴り」とか、「驚き」とか、その辺りのアトリビュートが大きく跳ね上がったようだ。

「メイ…」

 お嬢様は再び目を閉じて、私の胸に顔を埋めた。

 腰に回された手は、先ほどよりも強く私を抱きしめていた。

「お嬢様…」

 お嬢様に応えるように、私も腕に力を込めた。




 電球色に包まれているダイニング。テーブルの上には私が作った料理が並んでいる。

 その日の晩は、数週間ぶりに家族三人でテーブルを囲んでいた。私は出入り口の横に侍り、指示があるのを待っている。

「こういうのは、久しぶりだな」

 旦那様がお嬢様に話しかけている。アンドロイドの私から見ても、なんだかぎこちない。

 当のお嬢様は、完全に無視していた。

 一切表情を変えず、私の作った料理を、まるで自動的に口に運んでいるようだった。

 旦那様は困り果てて小さくため息をつき、私に空の茶碗を差し出した。「おかわり」の合図だ。

「かしこまりました」と言って私が茶碗を受け取ると、今度は奥様がお嬢様に話しかけた。

「姫、もうすぐ中間でしょ、勉強はしてるの?」

 お嬢様は表情を変えないまま、「はい」と一言だけ答えた。

 何の感情も見いだせない表情で、淡々と食事を続けている。

 その様子に、私のメモリ上に、私よりも四世代ほど前のアンドロイドの様子が浮かんだ。

 お嬢様は、とても『機械的』だった。

 奥様もため息をつくと、その後は誰もしゃべらず、黙々と食事が進んでいった。

 最初に食事を終えたお嬢様が立ち上がる。

「お風呂に入る」

 そういって私のほうを見た。

「私が入っている間に、タオルと着替えを脱衣所に置いて」

「かしこまりました」

 お嬢様の命令の声は、先ほど私の胸の中で私の名前を読んでくれた声と同じだとは、到底思えなかった。




 数分後、脱衣所に指示されたお嬢様の着替えとタオルを置く。

 浴室のドア越しに、お嬢様がシャワーを浴びる音が聞こえた。

「お嬢様、着替えとタオルをお持ちしました」

 それだけ声をかけて脱衣所を出ようとすると、シャワーの音が消えた。

「ありがとう、メイ」

 わざわざシャワーを止めて、お嬢様はお礼を言ってくれたようだ。




 日付が変わり、私も『就寝』に入った。

 リビングの隅で、立ったままメンテナンスモードに入る。

 その日のセルフメンテナンスで、不具合が拡大しているのに気づいた。

 いままで正常だった、データベース内の対人感情というテーブルに異常値が含まれていた。

 そのレコードは「Love1」というステータスを示している。

 対人感情というテーブルは、相手に対してどういった『感情』を持っているかを決定する。あまりコミュニケーションを必要としない家庭用のメイドアンドロイドとしては、意味の薄いテーブルだ。

「Love1」といのは恋慕の感情。ちなみに「Love2」が愛情だ。

「Love1」というステータスは、データ上は存在するがプログラム上では必ずその値にならないように制御されているはずだった。しかし、レコードの値はまぎれもなく「Love1」と入っている。

 バグだ。

 対人感情テーブルのリレーションを辿ると、相手はお嬢様だった。

 昼間、お嬢様の部屋で、お嬢様に求められるままにスキンシップを交わしてしまった。

 スキンシップを交わすことで『気持ち』がおかしな値に変化してしまい、お嬢様に対する『感情』のステータスもバグってしまったようだ。

 つまり、私はお嬢様に恋をした。

 それはバグかもしれないが、私はこの感情を『嬉しい』と感じていた。

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