情報蒐集家霧氏の散策
@mairymairo
第1話
電話が鳴った。
大助は開いていた雑誌を置くと、サイドテーブルの電話を取った。
「俺だ……そうか、わかった」
この電話ではあまり長話をしたくない……手短に返事をして電話を切った大助は、もう雑誌を開く気にもなれず、これからのことを思って窓の外に目をやった。
電話が鳴った。
霧氏はちょうど、派手なネオンサインが点滅するキャバレーの脇を通り過ぎたところだった。
「はいもしもし」
『霧氏か? 俺だ、すぐきてくれ!』
聞き覚えのある声は、ここから二ブロックほどいった先の雑居ビルで、診療所を開いている西條のものだ。
「すぐまいりますよ」
霧氏は電話を切るなり雑居ビルに向かって足を速めた。
この街を、日本の九龍砦と呼んだのはだれだったろう。
大通りに面した部分は洒落たブティックやカフェが並んでいるが、一度裏通りに入れば猥雑な風俗店とその客を当て込んだ食い物屋が立ち並ぶ街……九龍砦ほどではないが、そこには確かに不法入国者や身元の怪しい人間が住みついていた。
それでもこの街の治安が守られているのは、西條のような親身になってくれる医者がいたり、大助が率いる極道組織『火村組』がこの街を縄張りとしているからだ。
そしてこの街は客は歓迎するが、それ以外となると……。
霧氏は雑居ビルを見上げた。
明かりのついた三階の窓に、人影が見える。
高層ビル用のガラスを使ってあるから割れる心配はなさそうだが、影の動きを見る限り状況は切迫しているようだ。
大急ぎで薄汚れた階段を駆け上がり、診療所のドアを開ける。
西條は窓際に追い詰められており、ミニのワンピースを着た女が点滴台を振り上げて、今まさに殴りかからんとするところだった。
霧氏が違和感を覚えたのは、けっこう大きな音を立ててドアを開け、西條は霧氏に気づいたのに、女はまったく気づかない様子で西條に向かっていること……。
「霧氏、こいつ、止めろ!」
西條の怒号で我に返り、女を羽交い絞めにする。
「はい、ごめんね」
かなり電圧を下げたスタンガンで女を気絶させた。
声もなくその場に崩れ落ちた女を抱き上げ、診察用のベッドに寝かせてやる。
「いや、これはまた……先生、情熱的な女を誘ったもんですね」
「ふざけんな、馬鹿野郎。こっちは殺されるかと思ったんだぞ」
腰を下ろした西條は、机の上の煙草を取り出すと火をつけた。
「先生が誘ったんじゃないとしたら、なんでこの
「運ばれてきたんだよ」
西條が忌々しそうに言う。
「通りで倒れたってな、通行人がここへ運んできた」
「それ、ちょっとおかしくありませんか」
間髪を入れずに霧氏は尋ねてきた。
「この街の中で倒れたっていうなら、初めに気づくのはあちこちの店の呼び込みさんでしょう。それを通行人が……しかもその人は先生のことを知ってるわけで……」
「ちょ、ちょっと待てよ。それじゃこいつ、俺を狙って……」
「さあ、そのあたりはまだわかりませんけど」
霧氏は大袈裟に肩をすくめてみせ、思い出したように付け加えた。
「クスリ……とかそっちの疑いはないんですか?」
「あ、そうか。そうだな。いちおう調べてみるか」
「クスリとかやってなくてあんな点滴台振り上げられるくらいなら、スタンガンなんて利くとは思えませんしね。そのあたりは先生にお任せします」
西條は女と霧氏を交互に見た。
「で? お前はこれからどうするんだ」
「そりゃもう……お仕事に取りかからないといけないでしょうねえ」
ため息まじりに煙を吐き出した西條が、乱暴に煙草を揉み消す。
「なにかわかったら、俺にも教えてくれ」
霧氏は軽く手を挙げて診療所をあとにした。
酔客や店の呼び込みの声に女の嬌声、食い物屋から漏れてくる料理の匂いなどが入り混じる雑踏の中を表通りに向かって進んでいく。
「よう霧氏、先生んとこなにがあったんだ」
顔なじみのホームレスが声をかけてきた。
「ああ、いつものです。酔っぱらって暴れて、ね」
「そうか」
段ボールを敷いて座り込んでいるホームレスの脇を抜け、深夜にもかかわらず交通量の多い表通りを渡り、公園近くにあるアパートへと帰りついた。
錆の浮いた鉄筋の古い安アパート、その一階の角部屋の鍵を開け中へ入る。
わざと煌々と明かりをつけ、身を屈めて六畳二間の奥の部屋にある押入れの床下にある鉄扉を持ち上げた。
霧氏がここに住み着いてから、こつこつと拡げた地下室は今では十分な仕事場になっている。
「さて、と」
自分に喝を入れるようにつぶやき、パソコンの電源を入れた。
忙しなくキーボードを叩きクリックすれば、モニターが九分割されあちこちに設置されている監視カメラの映像が映った。
霧氏は自分の特技として、様々な監視カメラや盗聴器、デジタルのデータを入手する術を知っており、それで得た情報を生活の糧としている。
「……彼女が初めてカメラに映るのがここ……ふん、街へ入るまでは普通か……それなら……おや?」
分割されたモニター画面の左上には、このアパートの入り口が映っており、そこに数人の男が立っているのがわかった。
「……やっぱりね」
霧氏が小さく笑ったとき、凄まじい爆発音が響いた。
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