第9話 幕間2 僕と冬島さんと相沢さん
「……何してるんすか」
トイレから戻った僕が遭遇したのは、居室の端なのをいいことに、椅子の上であぐらをかいて左右に回転する相沢さんだった。
「回ってるんです」
「見れば分かります」
僕の冷静なツッコミに、相沢さんは机を掴んで回転を止める。
僕はその後ろを通って自席へ。
「仕事中に何してるんすか」
「回ってたんです」
違う、聞きたいのは過去形じゃない。
「なんで回ってたんすか」
「いや。考えごとしてたんですよ」
「そっすか。回転する必要はないっすよね」
「当たり前じゃないですか」
「そっすね」
適当に返事をしつつ、引き出しにしまってあるチョコレートを大袋から取り出して一つ食べる。
「俺にも一個」
「いっすよ」
手を差し出されたところを、あえてキーボードの上に鎮座させる。
「そういうの、逆パワハラって言うんですよ」
言いながら、別に気にした素振りもなく相沢さんもチョコレートの包みを解いて口に運んだ。
「いいから感謝してください」
「はい、すいません」
コーヒーを飲み、背もたれに体を預けて少し休憩。その間も相沢さんは画面に向かっている。
僕はスマホの電源を入れてチャットツールを開くと、詩穂とゲーム友達からの雑談の返信をして、相沢さんから送られて来ていた変なスタンプは無視した。
ふと視界の端で見た相沢さんも、気づけばスマホを見ている。と、普段は僕にいたずらをするときばかり歪んでいる口元が、薄く笑んでいるのに気付いた。
「彼女さんですか?」
これは相沢さんの弱みを握れるかもしれない。そう期待したのもつかの間、
「新作のホラーゲームが、良い感じに気持ち悪いんですよね」
「違う、聞きたかったのはそうじゃない」
だいぶ斜め上の回答が返ってきてがっかりする。
「ご期待に添えず申し訳ない……」
そんなくだらないやりとりを続けて、十分が経過していた頃――
「――あの、利田さん……」
「うわっ!? あ、あぁ。冬島さん」
不意に背後から声をかけられて、今日何度目かのドッキリを成功させてしまう。
「あ……ええと、ごめんなさい」
冬島さんも慣れてきたのか、だんだん事務的な謝罪になってきている。
「いえ、で、何かご用っすか?」
そう言いながら、PCをロックから解除しようとして。
「あれ?」
キーをいくら叩いても、パスワードが入力されない。
「壊した」
横で相沢さんが縁起でもないことを言い、冬島さんも不安げに僕を見つめている。
「あれぇ、おかしいなぁ。これはちょっと……ヤバいかも?」
一応デスクトップの背面を確認しようして、なんとなくキーボードを持ち上げた拍子にケーブルがついてきて、パソコンに繋いでいた先端(USB端子)が持ち上げた勢いで視界内に出現した。
「おい」
隣を見ると、相沢さんが指先で机をぺちぺち叩いて笑い、僕もつられて変な笑いが漏れてしまう。
「てってれー♪」
「てってれー♪ じゃない。ピースすんな」
ついタメ口でツッコミを入れてしまう。
「ふっ、ふふふ……、相沢さんってそういう方だったんですね」
口元に手を当てながら同じく笑う冬島さんに、相沢さんはすっと真顔になって。
「誤解です」
「いやどの口が言ってるんすか。あっ、勝手にチョコ取らないでください」
「冬島さんもどうぞ」
「あんたのじゃねーだろ! あ、冬島さんどうぞ」
「ふふ、いただきます」
小さなブロックチョコを、半分かじるあたり女の子だなぁって思う。
現在進行形で、広げたビニル個包装をキーの隙間に差し込んでくる人とは大違いだ。……エアコンの温風に煽られて、僕のキーボード上でそれがピロピロと揺れている。
「よし、帰りますね」
「えっ!?」
満足気な相沢さんは、いつの間にかPCの電源を落としていた。僕はすかさず阻止を試みる。
「相沢さん、夜はまだ始まったばかりですよ」ちなみに現在夜八時半。最近なんだか親しみを感じるようになった時間帯。
「そうですか、長い夜を楽しんでください」
あっさりとかわされて、相沢さんはさっさと帰ってしまう。
「相沢さんって、あんなに面白い方だったんですねぇ」
残された冬島さんが感慨深そうに言った。
「普段からあんな感じです」
キーボードを繋ぎ直し、風に揺れるピロピロをゴミ袋に捨てた僕はメール受信ボックスを開く。
相沢さんからメールの返信が来ていた。
『確認しました。指摘あるので確認しておいてください』
まじかー……。思わずため息をついてしまう。
「いつ確認したんでしょうかね。これ出したの夕方でしたよね」
「そうっすね。まさか回ってた時……?」
「え、『回ってた』ってなんですか?」
「いやこっちの話です。で、何かご用でしたっけ」
純粋な冬島さんに、椅子で回ってましたとは言えない。
「あっ! ……えっと、忘れちゃいました。えへへ」
口元を両手で覆って照れ笑い。
「また思い出したら言ってください」
「はい、ありがとうございます。チョコごちそうさまでした」
小さくお辞儀をして、冬島さんが席に戻っていく。
「さて、僕も帰ろうかなぁ。確認は明日やればいいや」
大きくあくびをしてから席を立つ。
支度をしてドアに向かうところで冬島さんと目が合い、小さく手を振り合ってから僕は職場を後にした。
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