101話-3、初めて見せる、最初で最後の怒り

「では花梨。そろそろ始めよう、と言いたい所じゃが。変化術で出すのはてんとではなく、天井が無い簡易更衣室にする」


「簡易更衣室、ですか?」


「そうじゃ。そして、その中にはワシも入る」


かえでさんも? なんでですか?」


 疑問が増えていく楓の返答に、花梨が更なる質問を重ねていく。


「お主と辻風つじかぜの立証を疑っている訳ではないが、有り得ないもしもが訪れた時に備える為じゃ」


「んっ……」


「ワシは、お主のやり方を一番に尊重する。じゃが、何事にも備えあれば憂い無しじゃ。のう? 花梨や」


 満月の光に怯えて喚く酒天を、屋外へ出すのであれば、酒羅凶が腕力で強引に酒天の手を引いて出す。

 または、楓が神通力を駆使し、酒天の体を浮かせて出す方法が無難で、かつ手っ取り早いものの。

 花梨の案を第一に重んじつつ、相応の対策は立てさせてもらうと申し出た楓が、口角を妖々しく上げた。


「それは、間違いないと思います。もし何か起こってからじゃ、遅いですもんね」


「うむ、その通りじゃ。しかし、ワシがそうはさせん。大船に乗ったつもりで、酒天を助けてみせよ」


「はい、ありがとうございます! それじゃあ、よろしくお願いします」


「承知した。では、皆の者。小型の簡易更衣室を出すから、少しばかり離れておくれ」


 楓が指示を出すと、周りに居た皆は二歩、三歩と花梨達から離れていき、多少ゆとりのある空間を確保していく中。

 花梨は、皆がいつでも助けてくれると分かり、ようやく安心感を覚えてくるも、一抹の不安を帯びた眼差しをしたゴーニャへ、大丈夫だという意味を込めた頷きを見せた矢先。

 楓が、変化術で簡易更衣室を出したのか。瞬間的にゴーニャの姿は見えなくなり。代わりに、視界一杯が真っ白な生地のカーテンで埋め尽くされ。

 そのまま仰げば、街灯りによって星々が薄く散らばる夜空の中に、一際目立ち青白い光を放つ満月が見えた。


「こんなもんじゃな。さあ、花梨や。一旦この中で、剛力酒ごうりきしゅを飲むんじゃ」


「分かりました。それで、茨木童子の姿になって何も無ければ、始めていいんですね?」


「うむ。更衣室の変化術を解くたいみんぐは、お主に合わせる」


 有り得ないもしもの時が訪れた場合の説明を、特に説明せず割愛した楓の許可が出ると、花梨は「はい、分かりました」と言い、リュックサックから剛力酒入りの赤いひょうたんを取り出した。


「……うん。よし、飲むぞ」


 覚悟を決めた花梨が、息を大きく吸い込み、吸った以上に吐き出した後。赤いひょうたんの蓋を取り、二滴分だけ口に含んで飲み込んだ。

 直後。剛力酒の副作用が体に出始め、ひたいから烈火の炎を彷彿とさせる紅色の長い角が、満月を穿さんと伸び。

 オレンジ色だった髪色は、明るいうぐいす色に染まっていき。爪も長く鋭利に尖り、歯は全てギザギザな牙へと変わっていく。

 そして、変化が終わったと体感的に気付くと、花梨は閉じていた瞼をゆっくり開け、黄金色に眩く輝いた獣の瞳を露にさせた。


 しかし、いくら待てども体から白い湯気は昇らず、意識も遠のいてはいかない。

 そこから更に五秒、十秒経過するも、結果は同じで。握り拳を作っては開き、妙に落ち着いた心を実感した頃。

 辻風と自分が立証した結果は、間違っていなかっと確信を得られ、「よし」と自信に満ちた声を発した。


「楓さん、大丈夫です」


「どうやら、その様じゃな。さあ、心置き無く始めるがよい」


「分かりました。でも、その前に」


 全ての準備が整ったのにも関わらず、全くの関心を捨て去ったような凍てついた目で、夜空に佇む満月を見やった。


「満月。この姿でお前の前に立つのは、これで二度目だね。一度目は、非力で意思も弱くて、間違った選択をした私にも落ち度があるけどさ。そこまでに至った経緯を作ったのは、他でもないお前だ。あれほど最悪な気分になったのは、生涯で初めてだったよ」


 憎き満月に語り始めたのは、己とゴーニャの心に癒えぬ傷を刻み付け、頭の片隅に焼き付いて剥がれぬ惨劇を植え付けた出来事に対しての、率直な怒り。


「けど、あの時とは状況が何もかも違う。私はちっぽけな人間だから一人じゃ何も出来ないけど、今は私達を助けてくれる人達が大勢居る。もう誰も、お前の思い通りにはならないよ。あと最後に、どうしてもお前に言いたい事があるんだ。だから、ちゃんと聞いてね」


 楓以外、誰の耳にも届かぬ怒りと私怨を、満月に向かい放った花梨が、浅いため息を気怠げに吐いた。


「私の大切な家族や親友や仲間。そして、隠世かくりよに居る妖怪さん達に、二度と手を出すな。二度とだ。分かったな?」


 純粋な怒りの感情が籠もった花梨の最終警告に、傍で聞いていた楓は、心優しき花梨をここまで怒らせ、物申させるとは。相手が相手故、同情の余地は一切無い。しかし、ワシに向けられた怒りではないが、久方振りに肝を冷やしたのお。と小刻みに身震いし、左頬に一滴の冷や汗を伝わらせた。

 そんな、天狐をも戦慄させる最初で最後の怒りを見せた花梨は、「はぁ」と言葉混じりの息を出し、いつも通りの様子まで戻っていった。


「すみません、お待たせして」


「気にするでない。ワシも、お主とまったく同じ気持ちじゃ」


 満月に対する怒りは全うの感情であり、同調した楓がほくそ笑むと、安心した花梨も口角を柔らかく上げた。


「ありがとうございます。それじゃあ、今度こそ始めますね」


「うむ。さあ、酒天を助けてやっておくれ」


 全ての準備が整い、決して晴らす事の出来ぬ鬱憤を一時的に取り除いた花梨は、カーテン越しに居る酒天の方へと体を移した。

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