98話-2、水が煮立つよりも早く

「ん? こんな時間帯に大勢で、どこ行こうとしてんだ?」


「うおっと!? ビックリしたぁ。ぬえさんじゃないですか」


 静寂が濃い三階の宿泊施設を過ぎ、娯楽施設がある二階へ差し掛かった最中。

 不意に、下の階から現れた鵺に声を掛けられ、完全に油断していた花梨が驚き、静寂を霧散させる大声を上げた。


「おっ、ちょうどいい。なあ、鵺。これからインスタントラーメンを食べるんだが、お前も一緒にどうだ?」


 現在、この時間帯でしか得られない背徳感を味わうべく、インスタントラーメンにありつこうとしている人数は、四人。

 対し、封を開けていないラーメンは、五袋。その数を加味したクロが、手に持っていたラーメンの袋を掲げ、何も知らない鵺を誘う。


「インスタントラーメンだぁ? お前ら、正気か? 今、夜中の一時前だぞ?」


「だからこそですよ、鵺さん。この時間帯に食べるラーメンは、さいっこうに美味しいんです!」


「まあ、確かにうめえけどよ。間違いなく太るし、体と胃に悪いぞ?」


「気にしたら負け。食べた分、明日動けばいい」


 ごもっともな鵺の意見を、実行に移すか分からない、希望的観測でゴリ押そうとするまとい


「もう、食う気満々じゃねえか」


「それより鵺さんは、下で何をしてたんですか?」


「ん、寝る前の一服」


 花梨の興味が先行した質問に、鵺は胸ポケットからタバコを取り出し、顔の横まで上げた。


「ああ、娯楽施設の喫煙所で吸ってたのか」


「そっ、寝る前のルーティンってやつだ。んで、たまたまお前らと鉢合わせたって訳よ」


「そっちの方がよっぽど体に悪いよ」


「うっ……」


 強烈で何も言い返せない纏のカウンターに、鵺の肩がビクッと波打つ。


「じゃあ鵺は、一緒に食べないのかしらっ?」


「……いや。その袋を見てたら、だんだん食いたい気分になってきたわ。クロ、めちゃくちゃ美味いの頼むぜ」


「よし来た。なら、一緒に食事処へ行こうぜ」


 りんとほくそ笑んだクロが、先陣を切って階段を下り出し。クワッとあくびをついた鵺も、四人の背中を追って下りていく。

 タバコの残り香が漂う二階を過ぎ、業務用冷蔵庫の稼働音のみが響き渡り、より一層薄暗さが際立つ一階に着くと、クロはそそくさと食事処の厨房へ行き、電気を点けた。


「さ〜ってと、パパッっと作っちまうぞ〜」


「クロさん。何か手伝う事はありますか?」


「私も手伝うわっ」


 遅れて厨房に入った花梨と、特製の髪飾りを頭に付けて、大人の妖狐姿になったゴーニャが、巫女服の袖を捲りながら言う。


「そうか。なら二人は、そうだな。もやしを二袋、キャベツを半玉、ニンジン一本に、ピーマンを三つ持ってきてくれ」


「分かりました!」

「分かったわっ!」


「頑張れー、応援してるぞー」

「おーえす、おーえす」


 料理作りに精通したクロ、花梨、ゴーニャが手伝いに回っているのであれば、自分達の出る幕は無いと悟った鵺と纏が、席に着いて眠気を誘う応援を飛ばす。

 その間にクロは、取っ手付きの銀鍋を五つ用意し。各鍋に水を五百ミリリットル分注ぎ、コンロに置いていった。


「クロさん、野菜を持って来ました」


「おっ、サンキュー。それじゃあ私は、これから野菜炒め作りに取り掛かるから、二人にはラーメンを作ってもらおうかな」


「分かったわっ! もう作っちゃっていいのかしらっ?」


「いいぞー」


 既に半玉のキャベツを洗い終え、半分にカットしていたクロの許可を得られたので、花梨達は「分かりました!」と声を揃えて返し、コンロに火を点けていく。

 その頃には、クロはニンジンをかつら剥きし終えており、短冊切りする工程に入っていた。


「なあ、纏。クロの野菜を切るスピード、とんでもなく早くねえか?」


「ニンジン切るのに十秒ぐらいしか掛かってなかった」


「なー。もうピーマンの種まで取ってら」


 二人がコンロに火を点けてから、もの数分もしない内に、クロは各野菜の下処理が済んでおり。

 銀鍋に入れた水が沸騰する前に、空いたコンロに鉄鍋を用意していて、少量の油を引いていた。


「うっし、こっちの準備は完了っと」


「うへぇ、流石はクロさん。こっちは、水がようやく煮立ってきた所ですよ」


「そろそろラーメンの入れ時かしらっ?」


「う〜ん。泡がもう少し大きくなったら、入れ時だね」


 ただ待つ事しか出来ない姉妹を尻目に、クロは火が通りにくいニンジンから炒め出し、厨房内に油が弾ける景気の良い音を鳴らしていく。

 すると、油の匂いがぶわっと漂い始め、花梨やゴーニャだけではなく、席に居る鵺と纏の食欲までも刺激していった。


「やべえ。音を聞いてるだけで、どんどん腹がへってくんな」


「魔性の音」


 食欲を湧かせるだけではなく、早く食べたい欲まで芽生えさせる音に、二人分の『ぐぅ』という腹の虫の音が混ざり込む。


「さってと、やっと沸いたや。ゴーニャ、ラーメンを入れていっちゃお」


「分かったわっ」


 待ちぼうけを食らっていた花梨とゴーニャに、役目を果たせる時間が来ると、二人は袋の封を開けていき、各銀鍋にラーメンを入れていった。

 全て入れ終えると、あらかじめ用意していた菜箸を持ち、吹きこぼれが起きないよう、コンロの火を調節しながらラーメンをほぐしていく。


「なあ、クロ。今、野菜炒め作ってんだろ? 味付けはどうすんだ?」


 野菜を全て鉄鍋に入れて、火が均等に通るよう鍋を振っていたクロへ、暇を持て余していた鵺が問う。


「ん。ラーメン自体の味が濃いから、塩コショウだけにしようと思ってるぞ」


「塩コショウだけかー。それも悪くねえんだけど、ちょっとだけニンニクを利かせてくんね?」


 悪魔の囁きとも取れる鵺の願いに、ニンニクが好きで目がない花梨、ゴーニャ、クロ、纏の目が、一斉にカッと見開いた。


「ニンニクかー、盲点だった。せめて、野菜炒めを作り出す前に言って欲しかったぜ」


「ラーメンばかりに気を取られてから、すっかり忘れてたや」


「ニンニクが入ってたら、もっとおいしくなりそうよねっ」


「間違いない」


 一度聞いてしまえば、無視出来ない罪深き欲求が生まれ、やがてはラーメンを食べたい欲までも蝕み、大きく膨れ上がっていく。

 そして、その抗えない欲求に負けたクロは、観念したようにため息をつき、鉄鍋を振っていた手を止めた。


「もう我慢出来ん。業務用のすりおろしニンニクを出すから、各自好きなように入れてくれ」


「おっ、そっちの方が断然いいなあ! サンキュー、クロ」


「ねえクロ、ご飯が余ってたら少し欲しいな」


 鵺の抑制を壊す一言により、現在の時刻は深夜一時前だという事を忘れ、暴走モードに入った纏が、挙手をしながら皆にトドメの一撃を放つ。

 当然、効果てきめんだったようで。花梨、ゴーニャ、クロは丸くさせた目を、鵺を面を食らった顔を纏へ向けていた。


「まさかと思うが……。締めで食べるのか?」


「違う。スープの中に入れて食べる」


「うわぁ。すりおろしニンニクを入れたスープと、絶対に合うじゃないですか。想像しただけで、ヨダレが……」


「お、おいひっ……」


 纏の悪魔染みた発想と、花梨の想像力を掻き立てる後押しに、妄想の世界へ旅立ったゴーニャが、緩み切った表情でニンニクが利いたラーメン雑煮を頬張っていく。


「……もう、ダメだ。余ったご飯を温め直してくる」


「やった。ありがとうクロ」


 当初は、シンプルな夜食を楽しもうとしていたが、一人の提案により凶悪性が一気に増し。

 やがては、夕食よりガッツリとした物に変貌してしまうも、その欲に屈して溺れた一同は、厨房の奥に行ったクロの帰りを待つ事にした。





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次回の更新は2/2になります。

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