95話-4、天狐の神楽

 列に並んでから、約十分以上が経過し。ようやく賽銭箱の前まで来られた花梨達は、後ろの列を待たせまいと、各自持っていた五円玉を賽銭箱に入れる。

 素早く丁寧に二礼二拍手一礼した花梨は、目を瞑りながら手を合わせ、これからもゴーニャ、まとい姉さん、クロさん、ぬらりひょん様、ぬえさん。そして温泉街に居る皆さんが、元気よく過ごせますように。と願いを込め、先に参拝を終わらせたクロ達の元へ歩いていった。


「ぬらりひょん様、参拝終わりました」

「私も終わったわっ」

「すごくお祈りしてきた」


 ほぼ同時に参拝を済ませたゴーニャと纏も、花梨の横に付き、待っていたぬらりひょんに報告する。


「よろしい。では、かえでの神楽を見に行くとしよう」


「確か、横の通路から行けるんだっけか?」


 花梨達を待っている間に、ある程度の場所と行き方を教えてもらっていた鵺が、本殿の横にある通路へ顔を向ける。


「そうだ。普段は封鎖されていて、一般客の進入は出来ないようになっている。奥には御神体が祀られていて、妖狐神社でも特に神聖な場所となっているから、くれぐれも粗相の無いよう頼むぞ。無論、撮影は厳禁だ。声も極力出さないでくれ」


 注意事項を挟んだぬらりひょんが、本殿の奥へと誘導する妖狐の元に歩き出したので、湧いてきた好奇心を質問に変えられなかった花梨も、その背中を追っていく。

 ぬらりひょんの言葉通り、静寂が際立つ列に並び、背後から聞こえる賑やかな喧騒が遠のいていく中。神社って、色んな御神体があるけど。妖狐神社は、どんな御神体を祀っているんだろう? と心の中で呟き、そっと左側で視線を逸らす。


 通路の光源は、全てロウソクかと思いきや。壁付け用の小さな火台に、妖しく揺れる狐火が居座っており、本殿の奥へ行く皆を見守っていた。

 右側には、窓らしき通気口が等間隔に設置されているものの。全て高い位置にあり、目の細かな木の柵が設けられていて、外から中を覗き込む事は出来なくなっている。

 通路自体は狭く。余裕を持って三列、ギリギリ四列になれるか否かの幅。特に目立った装飾はなく、一般的な神社と比べても差異は見受けられない。

 しかし、空気は外に比べるとやけに澄んでいて、音を立てずに一歩進めば、不可思議で柔らかな感覚が肌を撫でていく。


 花梨達の前後を成す列も、どこか言いようのない空気に当てられて、かしこまっているのか。物音一つ発さず、誰もが静かにしている。

 奥へ歩む度に緊張感が増していき、一秒が五秒にも十秒にも感じる通路を進み、約数分後。

 ふと耳をすますと、心が洗われるような透き通った鈴の音色や、まだ記憶に新しい笛の音。小鼓と鳳笙ほうしょうらしき音も混ざりはじめてきた。

 どうやら神楽は佳境だったらしく。各音色が止むと共に、控え気味な拍手が沸いては鳴り止んでいった。


 少しすると、列の流れが気持ち早くなり、前へ前へと進んでいく。そのまま流れに乗ると、狭かった通路が急に終わりを迎え、一際開けた場所に出た。


「わぁ〜……」


 息を吐きながら声を漏らした花梨が、口をポカンと開けつつ顔を仰ぎ、本殿内部を見渡していく。

 正面。御神体だと思われる、尊厳深くも慈愛に満ちた面立ちで前を見据える、人の体を持った狐の巨像が佇んでいる。

 正面下。目の縁に隈取くまどりのような、紅を点け足して狐らしさを強調した天狐のかえでが居た。

 服装は、いつもの清楚な巫女服ではなく、漆黒の巻纓けんえいの冠をかぶった小忌衣おみごろもであり。今は休憩中のようで、静かに正座をしている。


 まるで、自然と一体化したように微動だにせず、次の神楽を待っている楓のやや後ろ左右。

 右に、鳳笙を持つ仙狐の金雨きんう。左に、小鼓を横に置いた仙狐の銀雲ぎんうんが居て、共に楓と同じ隈取を施し、同じ体勢で休憩していた。

 その、火柱を思わせる狐火の光に照らされた二人を挟んだ背後。服装は、普段と変わらぬ巫女服を着た、妖狐のみやびを筆頭にし。

 龍笛班と三番叟さんばそう鈴班に分かれた妖狐達も、次の神楽に備え、集中した様子で正座をしている。


 運良く最前列を取れた花梨達は、ピンと張り詰めた空気を感じつつ、列を詰めていく。前に居たクロ達が立ち止まると、花梨達も歩むのを止め、その場に立った。

 次の瞬間。楓が神気だけを一気に解放し、火柱と化した狐火を大いに揺らしては、瞬く間に本殿内部を気で満たしていった。

 無論、花梨も神気を感じ取ったらしく。神気に三度当てられた花梨は、まただ。また、薄い膜が体に当たった感覚がしたや。この感覚、一体なんなんだろう? と考えようとするも、突如と鳴り出した三番叟鈴の音色が、思考を遮った。


 全員の注目を集め、無音の間を置き。再び三番叟鈴が『シャン』と鳴り、本殿内部に響き渡っていく。

 そして三度目の音色が鳴ると、楓が片膝立ちをし。四度目の合図で立ち上がり、金雨の鳳笙、銀雲の小鼓が加わり、楓が妖々しく舞い始めた。

 艶やかな腕を横へ滑らせば、幾重にも連なる光の薄線が腕の軌跡を追い。足を床に叩きつけると、煌めく粒子が足元からふわりと舞い上がり。

 緩やかに回転すると、清流を彷彿とさせる可視化された風の線が現れ、煌めきを纏った楓と共に舞っていく。


 体を軽く動かせば、観客の目を奪い。音を立たせれば圧倒させ。しゃなりと回れば、皆が無意識に息を呑む。

 一連の動作で皆を虜にした楓の舞いは、誰しもが簡単に真似出来る動きであるが、浮世離れした舞を見逃さまいと、誰一人として瞬きすらしておらず。

 ため息混じりの呼吸をしていて、天狐の神楽を目に、脳裏に焼き付けていた。


 一分にも感じる短さのような、永遠にも感じる五分後。龍笛の音が遠のき、小鼓の音が消え去り。鳳笙の残響が薄れ、最後に三番叟鈴が余韻を締めた後。

 息を乱さず舞い続けていた楓が、神楽の終わりを告げるかのように、一言も発さず正座をした。

 しかし、観客は何が起こったのか分かっていないようで。一秒、五秒と沈黙を貫き、十秒掛かり、神楽が終わったのだと理解が追い付いてきた頃。

 終了を惜しむ拍手が疎らに聞こえてくるが、神に対して失礼な行為に値すると察し。賞賛の意を込めた二礼二拍手一礼をして、本殿内部から退場していく。


 花梨も、その一人で。なるべく音を立てずに拍手をしていて、出来る限り丁重な二礼二拍手一礼をし、列の流れに逆らう事無く本殿内部を後にする。

 が、顔は舞台の方に向いており、楓達の姿が見えなくなるまで離す事はなかった。

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