92話-6、それぞれの時間(閑話その③)

 数十年の時を経て、満月の光に打ち勝ったカマイタチ三兄妹こと辻風つじかぜ薙風なぎかぜ癒風ゆかぜは、店を一週間ほど休業し。

 疲れ切った体を存分に休めた後。ぬらりひょんと共に『居酒屋浴び呑み』へ来て、借りた個室で打ち上げをしていた。

 今宵は今までのねぎらいの意味を込めて、ぬらりひょんの奢りともあり。テーブルには、隙間なく埋め尽くされた料理群が並んでおり。

 各々酒を持つと、ジョッキやグラスを当てて乾杯し、祝福の酒を喉に流し込んでいった。


「ふう〜っ。久しぶりに飲んだけど、やはり最高だね。いくら飲んでも足らなそうだ」


「ぷはあっ! ああ〜、すきっ腹に効くなあ〜。さあ、食うぞお!」


「ぬらりひょん様。今夜は我々の為に、打ち上げを企画して頂きまして、誠にありがとうございます」


 三人の中で、一番酒が強い辻風が二杯目に手を伸ばし。酒を飲みながら料理を食べ出す薙風。そして熱燗を嗜み、ぬらりひょんへの礼も忘れていない癒風が、一人頭を深々と下げた。


「なに、気にするな。ワシの事はいいから、心ゆくまで飲み食いしてくれ」


「ありがとうございます、ぬらりひょん様」

「ありがとうございますッ!」


「ちなみに、今日は無礼講だ。何をされようとも、行き過ぎた文句も甘んじて受け入れる。ワシに対して鬱憤があれば、好きなように晴らしてくれ」


 無礼講と聞くや否や。いの一番に、ぬらりひょんへ感謝を述べた癒風の丸い獣耳が、ピクリとおっ立つ。


「では、早速ですがぬらりひょん様。秋風様が病に倒れた時、辻風お兄様が診察に伺いなされましたよね?」


「花梨が? ……ああ、あの時か」


 そことなく怒りを感じる癒風が切り出した話は、かつて数ヶ月前、満月が出た日の翌日。早朝から、女天狗のクロが『薬屋つむじ風』に訪ねて来て。

 高熱及び、後頭部を激しく殴打された花梨を診察するべく、部屋まで行った事があった。


「その際、八つ当たり紛いで辻風お兄様を殺めようとしましたよね?」


「いいっ……!?」


「その話を聞いた時。私は酷く憤慨し、鎌で八つ裂きにしてやりたいと思いました。ですので、ぬらりひょん様? 先の件に関しまして、辻風お兄様に非礼のお詫び申し上げて欲しいのですが、よろしいでしょうか?」


 愛嬌と気品のある面立ちながらも、反論を許さぬ強烈な圧に、無礼講だと言ったぬらりひょんは後悔しながら目を泳がせ、顔を強張らせていく。


「ぶ、無礼講だからってよお……。まるで容赦無えなあ、癒風……」


「……その話。私も具合が悪くなるから、なるべく控えて欲しいね」


 元はと言えば、花梨が初めて『薬屋つむじ風』へ訪れた時の事。

 花梨と会話をしている途中。満月の光を浴び過ぎたせいで辻風の体に発作が起こり、花梨を鎌で襲い掛けてしまったのが全ての始まりで。

 後日、話を聞いた薙風と癒風に天誅を下され。花梨を診察している際、ぬらりひょんにその話を蒸し返され、危うく消されそうになった経緯があった。


「いや、癒風の言う通りだ。あの時は、ワシも状況をほとんど把握していなく、錯乱していたからな。そして、ゴーニャの説明により、我を失うほど怒り狂ってしまった。辻風に向けた怒りは、完全なる八つ当たりで間違いない。皆の上に立つ者として、恥ずべき行為だ」


 激情が先行し、過去の過ちから目を背けず認めたぬらりひょんが、「なので」と続ける。


「謝罪はなるべく早い方がいいと、事を起こした次の日に、辻風の元へ行き済ませている」


「えっ? ……そうなの、ですか?」


「……本当なんですかあ? それ」


「悪いね、癒風。二人には黙っていたけど、実はそうなんだ」


 明かされた真実をにわかに信じ難いと、怒りが収まり目を丸くさせた癒風や、後に続いた薙風の言葉に追い、辻風がやんわりと割って入る。


「あの時は、ほら。癒風も私を想って荒んでいたから、その状態でぬらりひょん様が現れたら、一悶着起こると思ってね。なるべくなら、そっとしておいて下さいと面会を断っていたんだ」


「本当であれば、お前さんらにも早く謝罪を入れたかったんだが。無理にすれば、逆上して関係に埋められぬ亀裂が入ると、辻風に止められていたんだ」


「は、はぁ……。そうだったん、ですか……」


 来なかったのではなく、癒風達との関係まで失わせたくなかったという、辻風とぬらりひょんによる苦肉の策だと知らされ。

 考えうる現状の中で、最適解に近い行動に移していた二人の話を聞き、癒風の華奢な肩がストンと落ちた。


「言われてみれば、確かにそうですねえ。こいつ、怒ると見境が無くなるからなあ」


「……反論の余地がございません。ですが」


 ぬらりひょんに対しての、怒りは無くなったものの。止めていたのであれば、落ち着いた頃に話して欲しかったと、癒風のふくれっ面が辻風を捉えた。


「辻風お兄様は、私をなんだと思っているのですか?」


「誰にでも自慢が出来る、最高の妹だと思っているよ」


「まあっ!」


 場の空気を和まそうと、嘘偽り無く癒風を褒めてみれば。イジられたと思いながらも、ほんのりと頬を赤らめた癒風が、頬を更にプクッと膨らませた。


「はっはっはっ。本当に、兄を想い慕う誇らしい家族だ。辻風よ、お前さんも嬉しいんじゃないか?」


「ええ。顔が自然にニヤけるほど、嬉しがっています。ありがとう、癒風。私を想い、ぬらりひょん様に申し出てくれて」


「もう致しませんからねっ。次からは、辻風お兄様に追求してから申し出る事にします」


 お礼を言えども、癒風の機嫌は直らず。「ふんっ」と言いながら顔をそっぽへ向けた。


「でも、ちゃんと申し出てくれるんだなあ」


「そこが、癒風の好きな所だよ。そして、いつまでもこんな私に愛想を尽かさず、二人がずっと私の傍に居てくれたからこそ、対月光用の特効薬が完成したんだ。二人共、今まで本当にありがとう」


 今日、ぬらりひょんが打ち上げを開いた本題へ、唐突に入った辻風が、二十数年の感謝を込めて頭を下げる。

 当然、身構えていなかった薙風と癒風は、目を大きく見開いており。二人して顔を見合わせた後、柔らかくほくそ笑んだ。


「いきなりずりいぜえ、兄ぃ。そういうのは、締めにしろってんだあ」


「そうですよ、辻風お兄様。そう急に改めてられたら、何も言い返せなくなるじゃないですか」


「ごめんごめん。でも、早く言いたかったんだ。心の底から愛してやまない君達にね」


 誰も壊す事が出来ない、固く結ばれた家族愛を垣間見たぬらりひょんが、年相応の笑みで見守り、静かに「うんうん」と二度うなずく。


「私達は、血を分け合った家族。言わば一心同体です。辻風お兄様に愛想を尽かすなんて、何が起きようとも絶対に有り得ません」


 しみじみと心の内を語り、左胸に手を添える癒風。


「だなあ。そんな事、想像すら出来ねえぜえ」


 過去。発作が起きた辻風に、鎌で右目を斬られて視力を失うも、その事について触れなかった薙風が、大口を開けて唐揚げを頬張る。

 その最悪な出来事に、辻風もあえて話題に出さなかったのだろうを感付き、潤み始めた瞳を笑みで隠した。


「君達が私の兄妹で、これ程幸せに感じた事はないよ。ああ、嬉しいなぁ」


 最高のひと時をツマミにして、あらかじめ頼んでいた冷酒を啜り、至福のため息を漏らす辻風。


「いやはや。見ているだけで、羨ましいとさえ思う程の兄妹愛よ。胸がジーンと温まってきたぞ」


「その兄妹愛を引き裂こうとしたのは、どこのどちら様でしょうか?」


「ぶふぉっ!?」


 殺伐とした空気から始まり、美談で締めようとするも。素っ気ないジト目をした癒風が蒸し返して、全てをぶち壊して台無しにし。

 完全に不意を突かれたぬらりひょんが、焼酎を霧状に吹き出しては、苦しそうに咳き込み始めた。


「だぁーっはっはっはっ!! 話が振り出しに戻っちまったぜえ!」


「はっはっはっ、この際だ。せっかくの無礼講だし、我々もぬらりひょん様に文句を言っておかないかい?」


「ええ、是非そうしましょう」


「ゴホッゴホッ……! ったく、何が文句だ。酒の席になると、所構わずワシをいじくり倒すクセに」


 ボヤキで対抗するも、ぬらりひょんの顔はどこかほがらかでいて、むしろそれを求めていたんだと、満足気に腕を組んだ。


「お前さんらと、またこんなやり取りが出来る日が来るとはな。首を長くして待っていたぞ」


「ええ、私もです。最後にぬらりひょん様と飲んだのは、もう二十年以上も前ですからね。懐かしいなぁ」


 温泉街初期メンバーの中でも、特に古株で、ぬらりひょんの百鬼夜行にも欠かさず参加していた辻風が、遠い過去を見ている目を天井へ仰ぐ。


「少ししたら特効薬の大量生産を始めますので、また少し忙しくなりますがあ。飲み会は、前の頻度で出来ますから、いつでも誘って下さいねえ!」


「その都度、何か申し出ますのがご容赦下さい」


「ああ、構わん構わん。前みたいに、ボロクソに言ってくれ。だが、せめて飲んでいる時だけにしてくれよ?」


「ええ、心得ております」


 冗談交じりに念を押すも、癒風は立場を弁えた上で、さも当然のように答えては、先の件は許しますと代弁した笑顔を見せた。


「うむ、よろしい。ではだ! 前代未聞の偉業を成し遂げたカマイタチ三兄妹に、ワシから一言では言い表せぬ多大なる感謝の意を込めて、カンパーイ!」


「乾杯」

「カンパァーイッ!!」

「乾杯」


 予告無くいきなり始まった乾杯の音頭にも関わらず、三人はぬらりひょんの『ではだ』と言った時点で、各々酒を手に持っており。

 綺麗に掲げては、寸分の狂いも無く一気に飲み干し、同時に至福のため息をつく四人。

 そして、ぬらりひょんへの文句と笑いが絶えない打ち上げは、夜が更け切っても続いていった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る