90話-2、東の異変
「……おや?」
満月の光と長年の終止符を打つべく、最後の実験を開始してから、約三時間以上が経過した頃。秋国がある東の方角から、遠雷を彷彿とさせる痛々しい衝突音が連続で轟き出し。
体に振動を感じる、一際大きな轟音が辺りに鳴り響いた後。脳裏に不穏が過ぎる静寂が戻り、フクロウの穏やかな夜鳴きだけしか耳に届かなくなった。
「なんだあ、今の音? また秋国でなんかあったのか?」
「妙ですね。今宵は外出禁止令が敷かれているので、外には見張り役の
先月。雪女の
クロと
唯一外に出ていた辻風も、満月の光をも遮断させた大氷塊を目の当たりにしており。今回もまた、秋国から遠く離れた山奥で異変を察知してしまい、全員の心がざわめき始めていた。
「だとすればだ。その楓君が、誰かと交戦していると考えるべきだろうね」
「しかねえだろうけどよお? 天狐様に張り合える妖怪って、かなり限られてくるんじゃねえかあ?」
「そうだね。天狐様ともなれば、上から数えた方が早いだろう。しかし楓君の場合は、何もかもが未知数なんだ」
「未知数って、なんでだ?」
会話を交わす度に、新たな疑問を生む
「本人から聞いた話なんだけどもね。楓君は、戦闘経験がほとんど無いらしいんだ」
「あ? そうなのか?」
「うん、あくまで本人談だけどね。けど、実力自体は相当な物だと予想出来るよ」
「何故、そう思えるのですか?」
辻風のみ知り得る情報に、気になり出した癒風も質問に参加すると、語り口が忙しくなってきた辻風は、前を見据えていた顔を二人へやった。
「なんでも楓君は、仲間達とよくリクリエーションをやっているらしくてね。それで、そのリクリエーションの内容が、またどれも凄いんだ」
「はあ、リクリエーション。で? その内容はなんなんだ?」
「大体が、楓君一人対約百人規模の枕投げやドッチボールといった、まったく勝ち筋が見い出せない孤立無援戦さ。しかし楓君
「相手が百人規模の……」
「枕投げやドッチボールを、全戦全勝……?」
内容自体は、仲間達との和気あいあいとした戯れ事に過ぎないが。
温泉街が始まってから二十四年以上もの間、百人規模の相手に一度も勝ちを譲らなかったという、不確定ながらも信憑性のある情報が、二人を圧倒させていく。
「だがよ、兄ぃ? 相手は、あの天狐様だぜ? 多少の忖度はあるんじゃねえかあ?」
「いや。互いに忖度無し、能力を使い放題な本気の戦いらしいよ。だから決まって最後は、楓君と仙狐様達の一騎打ちになると言っていたね」
「ま、マジか……。天狐様と仙狐様のガチバトルって、想像すらつかねえなあ」
「ただの枕やボールが、体を容易く貫きかねない凶器と化しそうですね……」
千年以上生き続け、神通力を獲得した神にも等しき地位に居る天狐と、仙術を獲得した仙狐との戦いともならば、想像の範疇を軽く超えており。
二人は考えを放棄した白い頭の中で、安直で簡素な戦いの図しか描けなくなっていた。
「癒風のそれも、あながち間違いではないかも……、ん?」
癒風の返答を、辻風が肯定しようとした矢先。何かを視界に捉えたであろう辻風の顔が、東の方角へ戻っていく。
「ん? どうした? 兄ぃ」
「東の空が、赤く光っているような……」
「東の空って、やはり秋国がある方角ですね。今度は一体、何が起きているのでしょうか?」
「高い山をいくつか挟んでいるせいで、状況がまったく伺えないね。まあしかし、秋国全体には、楓君とぬらりひょん様が結界を張ってくれているから、被害自体は無いかと思、う……」
辻風が話している途中、青白い闇に染まっていた森と辻風の全身が、瞬く赤に染まり出し。何かを見て絶句した辻風の顔が、夜空を仰いでいく。
「おい、兄ぃ? あんたは一体、今何を見てるんだあ?」
「途方にもなく巨大な火柱が……、夜空を、穿っている……」
「巨大な火柱!? 何故、そのような物が……?」
「……さあね。あの火柱が、交戦中の敵が放った攻撃なのか、楓君が放った物なのか、皆目見当もつかないね……」
ただただ呆気に取られ、目を見開き、口をだらしなくポカンと開ける事しか出来ない辻風。
薙風と癒風も、外に出て状況を確認してみたかったものの。二人して薬を飲んでいなく、仮設研究所内から辻風が実際に見た情報を、頼りにする事しか出来ないでいた。
「一応、携帯電話は持ってきたけどよお。ぬらりひょん様に電話してみるか?」
「いや、それはやめておこう。もしかしたらぬらりひょん様も、戦闘に加わっている可能性が無くもないからね。明日、全ての真実をぬらりひょん様から聞いた方がいいと思うよ」
「お、おお、なるほどなあ。だったら、やめとくか」
好奇心に打ち負けた薙風の提案を、辻風が最もな理由を添えて断ると、火柱が収まったのか。煌々と瞬いていた赤い光が収まっていき、森は元の青白い闇を纏っていった。
しかし、それも束の間。その青白い闇すら薄れ、本当の闇に染まり。更なる異変をいち早く見ていた辻風は、両手を軽く広げていた。
「なんだか、雨の匂いがしますね」
「秋国がある方面では、既に豪雨が降っているようだね。厚い黒雲に覆われて、満月を隠されてしまったし。こちらでも、ポツポツと霧雨が降り出しているよ」
「マジかよ!? それ、俺達にとってもマズイじゃねえか!」
「おまけに、今度は空が連続で白く光っているね。たぶんあれは、稲光かな?」
辻風の言う通り。漆黒の森と、闇を纏った辻風の全身が、予想が正解だと応えるように白く瞬き。そして、遅れて大気を揺るがす遠雷が鳴り響く。
しかし、遠雷の音は絶えず鳴り響いていて、未知なる不安が最大限に煽られていった。
「おいおい……、もう三分以上は雷が鳴ってんぞ? 秋国は、本当に大丈夫なんだろうなあ?」
「火に、雨や雷といった天候を操る妖怪……」
体を撫でるように打ち付ける衝撃と、耳障りな遠雷の音に慣れ出した頃。合間を縫い、ぶつくさと呟き始めた癒風に、薙風が「あ?」と反応する。
「癒風、どうした急に? 思い当たる妖怪がいんのかあ?」
「ええ。
「ああ、なるほど。そう言われると確かに、似たり寄ったりな現象が起き続けているね」
「って事はよお? あの暴雷雨が吹き荒れてる場所に、酒呑童子様まで居るってのかあ?」
憶測の域でしか語れず、連絡手段も自ら閉ざし、辻風の様子しか見守れない薙風と癒風が、鉄板越しの先にある秋国へ顔をやった。
「はたまた、
先ほどから、いち早く新たな異変に気付き、見た景色を二人に伝えていた辻風が、今度は素に近い反応を示し、目を丸くさせる。
そして視界に入る漆黒の森に、だんだん青白い光が帯び出していき、遠雷の音も嘘の様にピタリと止んだ。
「おい、兄ぃ! また何かあったのか!?」
「……いや。いきなり黒雲が霧散して、暴雨と雷が止んで、静かになってしまったよ」
「それはつまり、戦闘が終わったという事でしょうか?」
「だと、いいんだけどもね」
辻風の祈るような呟きを最後に、三人は少しの異音も聞き逃さないよう黙り込み、辺りに目を配る事に専念し出していく。
が、五分、十分待てども新たな異変は起きず。更に十分経った頃にもなると、三人は流石に戦闘が終わったのだろうと察し、同時に安堵のため息をついた。
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