85話-6、夢の中に出てきた名前

 持ち上げられやすいように、猫又と化した花梨が両前足を挙げると。

 待ち侘びていたゴーニャが、花梨の体をやんわりと抱き上げ。右手を脇の下に入れ、左手を尻の下から背中まで回し、安定した体位を取らせた。


「ちゃんと服を着ちゃってるから、モフモフ感が味わえないけど。思ってたよりずっと軽くて、体全体が温かいわっ」


「ゴーニャの体も、すごく温かいよ。それにこの体勢、すごく落ち着くや」


「よかったっ。抱っこの仕方は、これで合ってたみたいね」


 生涯で初めて抱っこされた花梨は、妹に包まれてリラックスし出し。表情をぽやっとさせ、耳を外側に向け、垂れた二本の尻尾を大きく揺らし始めた。


「それになんだか、バラの香りがするなぁ。シャンプーの匂いかな?」


 猫又の姿になり、嗅覚が鋭くなったせいか。ゴーニャの金色の長髪が、外から流れてくる風でたなびく度に、柔らかなバラの匂いを発して鼻をくすぐっていく。


「ゴーニャ、ゴーニャ。後で私にも花梨を抱っこさせて」


 後でとは言わず、今すぐにでも抱っこをしたさそうにしているまといが、ジト目をキラキラと輝かせ、鼻をふんふんと興奮気味に鳴らす。


「いいわよっ。それじゃあ花梨っ、日向ぼっこをしてみる?」


「そうだね、してみよっか」


「ニャら、わっちもしようかニャ」


 日向ぼっこをする前から、糸目をしぱしぱさせ始めた莱鈴らいりんが、口をクワッと大きく開け、あくびをする。


「莱鈴、抱っこしてもいい?」


「香箱座りで寝たいから、丁重に断るニャ」


「むう、残念」


 ゴーニャ達の背中を追う莱鈴に、素っ気なく断られると、不服そうにしている纏の眉間に浅いシワが寄り、口を軽く尖らせた。

 その短いやり取りをよそに、ゴーニャ達は陽の光で暖められた縁側に着き。足を伸ばして座ったゴーニャが、花梨の体だけ太ももの上に乗せ、脇に手を通したまま一息ついた。


「花梨っ。その体勢で大丈夫かしらっ?」


「うん、すごく楽だよ」


「そうっ、よかったっ」


 いつもより大きく見えるゴーニャの顔がほくそ笑むと、花梨も微笑み返し、太陽が頂点へ向かっている青空を仰いだ。

 現在の時刻は、十一時前ともあり。燦々さんさんと降り注ぐ秋の陽光は、強いながらも心地よく。店内に居てほどよく冷えた花梨達の体を、外側からじんわりと温めていった。


「うわぁ〜……、なにこれ? 信じられないぐらいに気持ちいい〜……」


「そんなに?」


 ゴーニャのすぐ隣に座った纏が、瞬時にとろけた表情になり、夢心地の世界へ旅立った花梨の言葉に反応する。


「……もう、さいっこうですよぉ。纏姉さんも、後日試してみたらどうですかぁ〜?」


「やってみたいけど黒猫になりそう」


「わっちは分からんが。黒い毛ニャみは陽光を効率良く吸収するから、至福の気持ち良さらしいニャよ」


「そうなんだ。じゃあやる」


「ニャら、あの首輪はお前さんらにやるニャ。取り扱いに注意して、予定がニャい日にでも使うニャよ」


 突拍子もない莱鈴の提案に、纏のジト目が僅かに開き、空へ仰ぎ直した顔を莱鈴へ戻す。


「いいの?」


「元々、廃棄しようとしてた首輪だからニャ。タダでくれてやるニャ」


「そう、分かった。ありがとう」


「あれ、花梨っ? かりーんっ」


 纏と莱鈴の会話に一区切りがつくや否や。右隣から、ゴーニャの不思議そうにしている声が聞こえてきたせいで、纏は目をきょとんとさせ、ゴーニャ達が居る方へ顔を移した。


「ゴーニャ、どうしたの?」


「ふふっ、花梨が寝ちゃったのっ」


 声を細くして、何度も花梨を呼んだ理由を明かしたゴーニャが、大人びた苦笑いを浮かべた顔を下げる。

 その横顔を追い、纏も花梨へ視線を向けてみると、花梨は早々に陽光の暖かさに負けていたらしく。ゴーニャに抱えられたまま、静かに寝息を立てていた。


「気持ち良さそうに寝てる」


「ねっ。今度、私も猫又なって日向ぼっこをしてみようかしらっ?」


「ゴーニャの毛並みは、どんな色になるんだろうね」


「花梨はオレンジ色の毛並みになったから、私も髪の毛と同じ金色になるかもねっ」


 寝ている花梨の邪魔にならぬよう、ひそひそと会話に花を咲かせ、互いにどんな毛並みになるのか予想しつつ、己の猫又姿を頭に思い描いていく二人。

 そして、しばらく会話を続けていく内に、ゴーニャと纏もうつらうつらとし出し、四人揃って眠りの世界へ落ちていった。




――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――




 一足早く眠り就いた花梨は、『座敷童子堂』や『建物建築・修繕鬼ヶ島』、茨木童子の酒天しゅてんと人魚の里へ行く道中でも見た、夢の続きを見ていた。

 視界は明るい闇に包まれていて、一向に晴れないでいる中。闇の果てから、二人の反響する声が近付いてきた。


「よし、六日目も決まり! それで最終日は、みんなで一緒に『牛鬼牧場』に行って、またピクニック大会をやらない?」


「おっ、いいなぁ! 秋国が本格的に始動したら、出来る機会が減るだろうから、やるなら盛大にやろうぜ!」


「もちろん! 準備をしないといけないから、午後からやるとして。あっ、そうそう。たぶん、バーベキューも並行してやるでしょ? そうしたらさ、大食い対決もやらない?」


「大食い対決か。そろそろいい加減、ぬえさんに負けそうな気がするんだよな」


「だよねぇ。前回のケーキ大食い対決は、ほとんど僅差だったもんね。やる前に体を動かして、うんとお腹をすかせておかないと」


「だな。……ああ、もう十二時前か。そろそろ寝ようぜ」


「そうだね。っと、扉の鍵を閉めたか確認してこないとっと」


「おいおい。帰って来た時、鍵が開いてたんだろ? 物騒だから忘れんじゃねえぞ?」


「うーん……、確かに閉めたはずなんだけどね。おかしいなぁ」


 不思議そうに女性がボヤくと、一つの軽い足音が遠ざかっていく。その間に、男性が「一応、窓も見とくか」と呟き、重そうな足音が鳴り出した。


「うっし、ちゃんと閉まってる。しっかし、雪が全然止まねえな」


 憂鬱そうな男性の声に、『シャッ』という短い音が後を追う。数秒すると、女性が部屋に戻ってきたのか。

 再び足音が聞こえてきて、一旦止まり。『パタン』という音を挟み、明るい闇が突然黒みを帯びていった。


「扉の鍵、しっかり掛かってたよー」


「おお、あんがとよ。おっと、石油ストーブも消しとかねえとな」


「窓は確認した?」


「したした。ちゃんと閉まってたぜ」


「そう。ありがとう」


 入念に戸締りした事を確認すると、『ガサゴソ』と両隣から音が鳴り、数秒すると収まっていった。


「うっはー、冷たーい。んじゃ、お父さん。おやすみ」


「おう、おやすみ。“紅葉もみじ”」


 お父さんと呼ばれた男性が、女性を紅葉もみじと呼び返し、闇の中に耳鳴りが混じりな静寂が訪れ。

 何も無くなった世界に、二つの寝息だけが聞こえ出し。やがてその寝息も、闇の彼方へと遠のいていった。




――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――




「……う〜ん。あれ?」


 闇が横に裂け、ようやく色付いた景色が拝めたかと思いきや。花梨の視界に映ったのは、猫又と化した己の前足が二本。

 その先にある、狐の大きな尻尾に、巫女服を着たゴーニャの両足。そして真正面には、夕日色に染まった深い紅葉の森。

 全ての景色を認め、寝ぼけていた脳の処理が追いついてきた頃。そこで花梨は、初めて自分が寝落ちしていた事を理解した。


「……寝ちゃってたんだ、私。また夢の続きを見てたようだけど、今回は全部ハッキリ覚えてるや」


 忘れないようにと思い返すは、夢の中に出てきた紅葉という名の女性と、お父さんと呼ばれた男性の、聞き覚えがあり過ぎる会話ややり取り。

 『牛鬼牧場』でピクニック大会を開く事や、男性の口から出てきたぬえという名前。扉と窓の戸締りや、石油ストーブを止めた事まで。


 鮮明に覚えていた夢を、最初から最後まで記憶に刻み付けると、なんだかモミジっていう名前、とても懐かしい響きがするなぁ。と思いにふけ、夕焼け空を仰ぐ。

 更に、それに、どこか他人には思えない感じがするし。名前を聞いた時、心の底からホッとする暖かい安心感があった。と視線の先にある景色に黄昏、ピンク色の鼻からため息をついた。

 秋の風にたなびくヒゲや、猫耳が垂れていくと、鵺さんって、きっと私も知ってる鵺さんだよなぁ。今度会った時、モミジという人を知ってるか、聞いてみようかな。と心に決め、猫特有の大きなあくびをクワッとついた。

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