75話-8、度し難い初々しいやり取り

「花梨さん、もう出来上がりましたよね?」


「え〜っと、まだみたいですね。あと二分で焼き上がるので、もう少しだけ待って下さい」


「あと二分、ですか。待っているのが、こんなにも長く感じるだなんて……」


「ふふっ、それだけ楽しみにしている証拠ですよ」


「うう〜っ……」


 花梨から各材料の用途と、クッキーの作り方を教わった人魚の翡翠ひすいが、自らクッキーを作り始めてから約四十分後。

 ようやく焼ける段階にまで至り、既にミトンをはめて今か今かと待ちわびている翡翠が、花梨の顔色をうかがいつつ、オーブンと交互に見返していく。

 そして、残り一分前。二人してオーブンを凝視し出すと、背後にある入口から「すまん翡翠! 寝坊した!」と聞き慣れぬ荒々しい声が聞こえてきたので、花梨と酒天しゅてんが同時に入口へ顔をやった。


 目線の先に居たのは、紅蓮の炎を彷彿とさせる真っ赤なロングヘアーで、夏空が似合いそうな褐色肌。

 つり目の中にある、ルビーを思わせる活力に溢れた赤眼。寝起きなのか、真紅の一枚布がだらしなくはだけていて、細い右肩が露になっている。

 そんな、やんちゃで姉貴肌が強そうな面立ちの女性が、後頭部に手を当てながら入口の前で立っており、清々しい苦笑いで「いやぁ〜」と続けた。


「昨晩、飲み過ぎちまってよお。早く寝たんだけど、起きたらもう昼下がりで―――」


 遅れた理由を聞かれる前に言い出した女性が、花梨達を視界に捉えるや否や黙り込み、寝ぼけ眼を数回まばたきさせる。


「あれ? そこに居るのはもしかして……、酒天か?」


「そうっスよ。相変わらずマイペースっスね、紅柘榴べにざくろは」


 酒天が己だと認めるも、紅柘榴べにざくろと呼ばれた女性は立ち呆け、唖然とした眼差しを送ったまま。

 が、数秒すると理解が追い付いてきたのか。紅柘榴の赤眼が見開き、「お、おっ、お〜っ!」と弾んだ声を発しつつ、酒天の元へ歩み寄っていった。


「酒天〜! なんでこんな所に居んだよー! 奇遇どころの騒ぎじゃねえぜ!」


 まるで久しぶりにあったかのような口振りで、酒天の肩に腕を回す紅柘榴。


「この方の護衛を兼ねた付き添いで、ここまで来たっスよ。花梨さん、こいつがさっき言ってた紅柘榴っス」


 流れるがままに自己紹介を迫られるも、身構えていた花梨は背筋を正し、「初めまして、秋風 花梨といいます。よろしくお願いします!」と丁寧に言い、頭を下げた。


「あ〜、あんたが例の。俺は紅柘榴って言うんだ。よろし―――」


「紅柘榴ーっ!」


 紅柘榴と認めた女性も自己紹介を始めるも、翡翠の弾けた呼び声が割って入り。その声を耳にした三人が、目を丸くさせながらカウンターへ顔を移す。

 そこには、クッキーが乗っている天板を持った翡翠がおり、エメラルドに似た瞳を無垢に輝かせていた。


「おお、どうした翡翠? 珍しくそんなにはしゃいでよ」


「ほら見て、クッキー焼いてみたの!」


 今までの翡翠とはかけ離れた興奮具合でいて、嬉々と歩み寄って来ては、天板を紅柘榴にグイッと近づける。

 そんな翡翠の言動に、紅柘榴は全てを察したようで。「おっ」と興味を持った短い反応を示した。


「早速菓子の作り方を教えてもらったのか? 見た目はうまそうじゃねえか」


「そうそうっ、花梨さんに教えてもらったの! まだ味見はしてないんだけども、食べてみて!」


「んじゃ、せっかくだし一枚貰うか。どれどれ〜」


 終始透明でワンパクな声で喋っている翡翠の催促に、紅柘榴は怯む事なくクッキーを一枚摘み、口の中に放り投げる。

 噛むとサクッとした気持ちのいい音が鳴り、味を確かめる為に咀嚼そしゃくをすると、紅柘榴の表情が柔らかくなり、「うん」と呟いた。


「すげえな翡翠。めちゃくちゃうめえぞ、これ」


「本当? 本当っ?」


「ああ、本当だ。何枚でも食えるぜ」


 作った者に対して、この上なく嬉しい感想を何の恥ずかし気もなく口にした紅柘榴が、クッキーをもう一枚摘む。

 初めて作ったクッキーを、もっとも親しい人物に美味しいと言われ。確かにその感想を耳にした翡翠は、どのランプの光源よりも明るい表情になり、満面の笑みを浮かべた。


「よかった! 嬉しいなぁ」


「マジでうめえぞ。食わせてやるから口を開けな」


「あっ、ありがとう。……ん〜っ! 美味しいっ!」


 紅柘榴にクッキーを食べさせてもらった翡翠が、再び目と口をギュッとさせ、パタパタとその場で足踏みをし出し、天板に乗っているクッキーを踊らせる。

 あまりに美味しそうに食べている二人を見て、食欲が湧いてきた花梨も、そわそわし出して「私も食べてみていいですか?」と翡翠に断りを入れた。


「是非! 酒天さんも食べてみて下さいっ」


「ありがとうございます! では、一枚だけ」

「あたしも食べてみたかったんスよね。それじゃあ、いただくっス」


 喜びの感情が爆発している翡翠が天板を向けてくると、花梨と酒天もクッキーを一枚ずつ手に取り、半分だけ齧る。

 すかさず残りの半分も口に入れ、味を確かめてから飲み込むと、二人は途端に驚かせた顔を見合わせた。


「このクッキー、私が作ったのより美味しくないですか?」

「花梨さんには申し訳ないっスけど……。あたしも、そう思っちゃいました」


「まあっ。そんな、恐れ多いです!」


 予想を遥かに上回る二人の高評価に、翡翠はおろおろとするも。花梨は今漏らした感想を肯定するべく、狼狽えている翡翠に顔をやり、ふわりと微笑んだ。


「いえいえ、本当のことを言ったまでです。翡翠さん、お菓子作りの才能がありますよ」


「お菓子作りの才能、ですか?」


「はい。実はクッキーって、作るが案外難しいんですよ。サクサクにならなかったり、生地が水っぽくなったりと。翡翠さんが作ったこのクッキーは、すごくサクサクしてて、完璧に近い理想のクッキーでした。なので、もっと自信を持って下さい」


「完璧……、理想っ! わっ、あっ、えとっ!」


 さり気なくクッキーをもう一枚摘んだ花梨が、翡翠の才能を見抜いて後押しするも。当本人は困った様子で右往左往していて、どうすれば分からないまま紅柘榴へ助けを求めた。


「ど、どうしよう紅柘榴。私、すごく褒められちゃった!」


「はっはっはっ、困ってる困ってる。いいじゃねえかよ、素直に喜んでおけって。な?」


 ついでにクッキーを一枚摘んだ紅柘榴が、翡翠をなだめるように、頭をそっと撫で始める。

 普段から撫でているのか。慣れた手つきで優しく撫でると、困惑していた翡翠の表情が落ち着きを取り戻し、されるがままに瞳を閉じていく。

 傍から見ると、まるで親子のようであり、初々しいカップルに見えなくもないやり取りに、花梨と酒天も釣られてほくそ笑んだ。


「翡翠さんと紅柘榴さんって、本当に仲が良さそうですね」

「紅柘榴が男っぽい見た目をしてるから、だんだんカップルに見えてきたっスよ」


 この場で唯一、紅柘榴と冗談を交わせる酒天が、頭の中で思った事をそのまま口にすると、紅柘榴は口角を緩く上げ、にやけている赤眼を酒天に送る。


「カップルか、悪くねえな。俺の翡翠、めちゃくちゃ可愛いだろ? 俺が男だったら、マジで結婚してたと思うぜ」


「ふにゃっ!?」


 さも当然の如くカップル宣言をした紅柘榴が、男勝りな笑みを花梨達に見せつけ。話の流れで彼女と化した翡翠は、白魚のように透き通った頬を瞬く間に火照らせ、顔全体が赤く染まっていく。


「と、突然にゃに言ってんのよ、べにじゃくろっ!」


「ほーら見てみろよ、翡翠のこの可愛い反応をよぉ。こいつのこういう所が好きなんだよなあ、俺」


「ふぇあ……。うっ、うう〜っ……」


 からかっているワケでもなく、裏表を隠している訳でもなく、率直で素直な意見をストレートにぶつけ、再び翡翠の頭を撫で回す紅柘榴。

 両手が塞がっていて為す術がない翡翠は、混乱して目がぐるぐると回り出すも、頭を撫でられるのは満更でもないようで、徐々に大人しくなっていく。

 酒天の冗談から始まり、だんだんと紅柘榴がエスカレートしていき、二人が本格的にカップルに見えてくると、静観していた花梨は、このままだと、キスまでしそうな勢いだなぁ……。と決して表に出してはいけない流れを頭の中で思い、口をそっと噤む。


 が、話を切り替えないと、本当にやりかねないと直感した花梨は、「んんっ」と大きな咳払いをし、色付いた場の空気を振り払った。


「そ、そうだ紅柘榴さん。紅柘榴さんも、お菓子作りをしてみませんか?」


「菓子作り? ああ〜、そうだな。俺も店をやるからには覚えねえといけねえし、やってみるか」


「あっ! なら、私が教えてあげる!」


 花梨から話を持ち出したものの。再度落ち着きを取り戻した翡翠が率先して割って入り、鼻をふんすと鳴らす。


「お、じゃあせっかくだし頼もうかな。よろしく頼むぜ、翡翠先生」


「先生……! うんっ、ビシバシ教えてあげるから、覚悟しててね!」


「へぇ~、今日の翡翠はいつにもなく燃えてんじゃねえか。こりゃ、真面目にやらねえと火傷しそうだな」


 翡翠の華奢な肩に手を回し、キッチンに向かっていく紅柘榴を眺めていた花梨が、同じく二人の背中を見送っていた酒天と顔を合わせ、お互いに緩く苦笑いをする。


「傍から見ると、本当にカップルにしか見えないっスね」


「ですねぇ。まあ、それほど仲がいい証拠ですよ、きっと」


「そうっスね。じゃあ、あたし達もキッチンに向かいましょうか」


「はい、そうしましょう」


 花梨と酒天にしか交わせない感想を静かに言い合うと、二人して持っていたクッキーを齧り、再びキッチンへ戻っていった。

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