73話-9、その力、みんなの為に(閑話)

 二度と拝みたくない悪夢を終わらせ、極寒甘味処ごっかんかんみどころへ入ったクロ達は、雹華ひょうかを安置で寝かせるべく、スタッフルームに向かおうとしている最中。

 意識を取り戻してしまったのか。雹華が「うっ……」と詰まった声を発し、開くはずのない重い瞼がゆっくりと開いていった。


「……クロ・・、ちゃん?」


 黒春くろはるで眠らせたはずなのに対し、すぐに起きてしまった雹華を認め、クロは驚いて目を見開くも、すぐに表情を戻して温かな笑みを送る。


「悪い、起こしちまったか。お前、店のシャッターを開けたまま店内で寝てたんだぞ? だから危ないと思って、店の奥に移動させ―――」


 雹華の心に傷を植え付けぬよう、嘘でこの場を凌ごうとするも、雹華は一粒の涙を右目から零し、青い唇を歪ませた。


「……クロちゃん。あなたって、とても優しいのね」


「おいおい、なにも泣く事はないだろ?」


「……ごめんなさい、クロちゃん。私、覚えているの。私が満月の光に侵されていた時の事を、全部」


 雹華の息が詰まる告白に、クロは絶句し、思わず口を噤んだ。同時に、雹華が涙を流した理由も理解してしまい、安易な嘘をついてしまったせいで、逆に心を痛ませていく。


「最悪な悪夢を見ていた気分だったわ……。意識はあるけど、体は誰かに乗っ取られて、やりたくない事をやらされ続けていた……。そんな、今すぐにでも死にたくなるような悪夢だった……」


 心の内を明かした雹華の涙が、大粒の物へと変わり、左目からも溢れ出す。


「知らない誰かを殺そうとした。二人に言いたくもない事を言って、不快な思いをさせちゃった……。永秋えいしゅうを壊そうとしたし、ぬらり―――」


 悪夢と例えた現実を羅列し出し、大切な二人まで殺そうとした事を言いかけようとするも、隣で聞いていたぬえが、雹華の冷たい口を咄嗟に手で塞ぐ。


「それは、お前のせいじゃねえよ。全部満月が悪いんだ。お前も被害者だし、気にする必要なんざ一切ねえ。今すぐ寝て忘れちまえ」


「鵺の言う通りだ、雹華は一切悪くない。黒春をまともに食らったから相当眠いはずだ。そのまま寝て、起きたら普段通りに振る舞えばいいさ」


 鵺の説得に乗っかり、クロも後を追って雹華を言い聞かせ、安心させる為にりんとした笑みを浮かべる。

 その心が温まる二人の説得に、雹華は更に涙の量を増やすも、どうやら納得まではしていないようで。口を塞いでいる鵺の手を、弱々しく振り払った。


「でも、でもっ! 温泉街をあんな有り様にしちゃったし、クロちゃんと鵺ちゃんには、とても酷い事をしちゃったのよ!? もう、みんなに合わせる顔がないわ……!」


「心配するな。ぬらりひょん様も全て分かってるし、雹華を責める奴なんか誰もいないさ。もしそんな奴が居たら、私達が納得するまで言い聞かせてやるよ。なあ、鵺?」


「当たり前だ。そんな輩が居たら、私達がボコボコにしてやる。それと、どんな事があろうとも、私達はお前の味方だ。何かあったら、必ず守ってやるよ」


 絶対の安心感を与えるべく、罪悪感ごとへし折る勢いで拳を鳴らし、ワンパク気味に口角を上げる鵺。

 そんな二人の言葉に、底無しの不安を抱えていた雹華の心が若干救われ、開いていた雹華の青い目が、だんだんと細まっていく。


「だけど……! ……いや。何から何まで、迷惑をかけてごめんなさい。本当にありがとう、二人共……。この恩は、絶対に、忘れ、な……」


 がんじ絡めだったしがらみが少しだけ払われ、感謝を述べようとするも、黒春の深い眠気に耐えられなくなり、抗う事もなく眠りに就いていった。

 雹華の寝顔はとても穏やかであり、「すぅ、すぅ」と立てている寝息には、どこか安堵のある気持ちがこもっていた。


「めっちゃ気持ち良さそうに寝てんな。雹華が安心したようで何よりだぜ」


 雹華の寝顔を覗いた鵺は、鼻からため息を漏らしつつ、ポケットにあるハンカチを取り出し、頬を切れ切れに伝っている涙をぬぐい出す。


「ああ、よかったよ。雹華はとても心優しい奴だ。起きてからも今日の出来事を気にさせないように、サプライズを用意しておかないとな」


「なんだよ、サプライズって?」


「それは、後でのお楽しみさ。次の満月が出た夜は、花梨の部屋が騒がしくなるぞ」


 何かを企んでいるクロが声を弾ませて言うと、鵺に向かって陽気なウィンクを送り、店の奥へ足を運んでいく。

 クロの企みに予想すらついていない鵺は、「ああ?」とボヤいて首をかしげるも、後頭部に両手を置き、渋々クロの後を付いていった。




――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――




 温泉街全体を巻き込んだ第三の満月から、一週間が過ぎた、朝九時半頃。


 黒春の効果がようやく切れた雹華は、クロに起きた事を電話で伝えた後。開店に向け、いそいそと準備を始めていた。

 本当は起きた直後にぬらりひょんの元へ行き、謝罪しようとしていたものの。

 クロに強く止められ、『一旦店を開いてくれ』と頼まれ、仕方なく起きたばかりの体で準備を進めつつ、仲間達に謝りを入れていた。


 そして、開店十分前。店の外にあるテーブルを拭いていると、「おーい! 雹華ー!」と大きな声が聞こえてきたので、声がした方へ顔を向ける。

 視線の先には、こちらに向かって飛んで来ているクロがおり、目の前に降り立つや否や。無邪気な笑顔を見せつけた。


「よう、雹華。体の方は大丈夫か?」


「おはようクロちゃん、お陰様でね。全然ダルくなくて、スッと起きれたわ。それでなんだけれど―――」


 いち早くぬらりひょんの元へ行きたい雹華は、表情を曇らせながらその旨を伝えようとするも、クロは「おっと」と遮り、先に口を開く。


「ぬらりひょん様の所には、店が閉店してから行ってくれ。ぬらりひょん様にも言ってあるから、心配しなくていいぞ」


「えっ? ……そう、なの?」


 まさかと思って問い返し、目をぱちくりとさせる雹華。短い説明で雹華を言い包め、しっかりとうなずいたクロが腕を組む。


「ああ、夜を楽しみにしててくれ。それと、一つお願いがあるんだ」


「お願い? 何かしら?」


「それはだな―――」


「雹華さーん!」


 クロが説明をしようとした直後。クロの背後から、賑わっている温泉街の喧騒を跳ね除ける、一際大きな呼び声が飛んできた。

 その懐かしささえ覚える声を浴びた雹華が、体を少し横にズラし、永秋へ続く大通りを覗いてみる。

 開けた視界のやや遠方に、大きく手を振っている花梨の姿と、ゴーニャと手を繋いでいる座敷童子のまといがおり、こちらに向かって歩いて来ていた。


「か、花梨ちゃん!?」


 溺愛する人間の姿を認めるも、雹華が発した言葉には、困惑と一抹の不安が宿っており。一気に見開いた青い瞳が、泳ぎながら地面に下がっていく。

 そんな雹華の素振りを見て、心境を悟ったクロは、落ち込んでいる雹華の肩に腕を回し、凛としている顔を耳元に近づけていった。


「安心しろ。お前は一週間の間、用事があって出掛けてた事になってる」


「私が……?」


「そうだ。それにこの前の出来事については、花梨達は何も知らない。もちちん温泉街の奴らもな、何も覚えてなかったよ。だからお前は、いつもの調子で振る舞ってくれ。それが私からのお願いだ」


「まさか、全員に聞いてくれたの?」


「ああ、鵺と一緒になってな。全員が全員、気がついたら寝てたって、口を揃えて言ってた。だからお前が、気にする必要なんて何も無いんだ。全部忘れちまえ、なっ?」


 雹華が寝ている間、全ての経緯を簡潔に明かすと、クロは花梨にも見せているような母性ある微笑みをし、雹華の頭に手を置いた。

 自分の為に、クロと鵺が動いてくれていた。その事実だけでも、雹華は心の底から嬉しくなり、瞳に僅かな涙を滲ませていく。


「あなた達って、本当に優しい人達ね……。私は恵まれていて、とても幸せ者だわ」


「何言ってんだ、お互い様だろ? 困った事があったら、いつでも言ってくれ。必ずお前を助けてやるからな」


 心強くもあり、頼り甲斐になるクロの後押しに、雹華は左胸に温かな物を感じ取り、華奢な笑顔をクロに送った。


「本当にありがとう、クロちゃん。何かあったら相談するわね。もちろんクロちゃんもよ? 一人で抱え込んじゃダメだからね?」


「ああ、分かってるさ」


「うん、約束よ。それじゃあ、いつもの私に戻るわね」


 雹華がそう宣言した途端。目にも留まらぬ速さで店の奥へ駆け込み、あっという間に姿を消した。

 そして花梨達が店の前に到着すると、左手にビデオカメラ、右手にデジタルカメラを構えた雹華が店から出てきては、花梨の前に立ち塞がる。


「雹華さん、ものすごく気合が入ってますねぇ……」


 挨拶を交わす前に先制された花梨が、慣れた様子で苦笑いを浮かべる。


「久々だから当たり前でしょ!? さあっ! 枯渇した花梨ちゃん成分を補給するわよっ!!」


「わ、私の成分って、一体……」


 新しく出てきた単語に花梨は一瞬怯むも、当たり前の様に受け止めてしまい、なされるがまま写真を撮られていく。

 久しぶりに鳴り出したシャッター音は、夕暮れ時になるまで止まる事はなく、その間に四人は、それぞれの楽しい時間を過ごしていった。




――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――




 日はすっかりと落ち、提灯の淡い光が温泉街を包み込んでいる、夜八時半頃。

 至福のひと時を過ごした雹華は、重い足取りで永秋の四階にある支配人室を目指し、中央階段を上っていた。


 二階に着けば、娯楽施設から和気あいあいとした、活気ある声と様々な環境音が飛び交い。三階に着けば、先ほどの空気は一変し、静寂が佇む空間が雹華を出迎える。

 そして四階に着けば、ぬらりひょんが居るであろう、立派に構えている支配人室の扉が現れた。


 その扉の前まで来た雹華は、胸に置いている手に、緊張を表す早い鼓動を感じ取っている中。一度、左右に伸びている廊下を見渡してみる。

 が、当然誰も居なく、そのまま顔を扉に戻し、小さなため息をつき、躊躇いがある右手を扉にかざし、二度ノックする。

 すると、扉の先から「入れ」という短い声が聞こえてきたので、雹華は「失礼します」と返し、扉を開けて中へ入っていった。


「お疲れ様です、ぬらりひょん様」


「おお、雹華か。お疲れさん」


 扉を静かに閉め、体を前に向けた先に居るは、書斎机の前でキセルをぷかぷかとふかし、部屋内を薄っすらと白に染め上げているぬらりひょんの姿。

 雹華は歩みを進め、ぬらりひょんの近くまで来ると、深々と丁寧にお辞儀をし、頭を上げる。


「ぬらりひょん様……。この前の満月の日に、多大なるご迷惑をおか―――」


「おっと、それ以上は言うんじゃない」


「―――えっ?」


 来て早々、雹華は満月の日にしでかした行為の謝罪を始めるも、ぬらりひょんが割って入り、そのまま話を続ける。


「クロと鵺からも聞いとるし、ワシも千里眼で覗いていたから、全ての経緯を知っとるよ。いいか、雹華。お前さんが謝る必要は一切無い」


「し、しかし!」


「しかしでもない。お前さん自身が、満月が出た日には何もしていないんだ。そう気に病むな」


 雹華に謝る隙を与えず、棘のない柔らかな口調で説得したぬらりひょんが、年相応の笑みを送る。

 それでもなお雹華は、謝らないと気が済みそうにもなく、透き通った青い目線を床へ落としていった。


「……ですがやはり、一度謝罪をしたいんです。でないと、この申し訳ない気持ちを、ずっと引きずる事になりますので……」


 表情、態度、仕草。全てから罪悪感が滲み出ている雹華に、ぬらりひょんは「ふむ……」と口にし、右手を顎に添える。


「お前さんが抱えている、その筋違いな罪悪感、相当根深いようだな。なら、罪滅ぼしをさせてやろう」


「罪滅ぼし、ですか?」


 オウム返しで問い掛けた雹華に、ぬらりひょんは小さく頷いて答えた。


「そうだ。その前に一つ、聞きたい事がある。それに答えてくれ」


「聞きたい事……、なんでしょうか?」


「お前さんほどの用心深い奴が、どうして満月の光を浴びてしまったのか。その経緯が知りたいんだ」


「それは……」


 ぬらりひょんが気になっている質問に、途中で言葉を濁した雹華が、目線を再度床に落とす。


「あの日、お店は午後早くに閉めたんです。そして店内で売り上げ計算をしていたんですが、少しだけ金額が合わなかったんです。それで、ずっと計算し直していて、気がついたら夜になっていまして……。慌ててシャッターを閉めようとしたら、知らない人に手を掴まれて……、そのまま大通りに放り投げられて……」


 当時、誰も知らない経緯を語り出すも、声がだんだんとか細くなっていき、やがては語り口が止まってしまった。

 短い沈黙が続き、雹華が次の言葉を発しない事を察したぬらりひょんは、「なるほどな」と沈黙を破り、鼻からため息を漏らす。


「お前さんは集中すると、周りが見えなくなる節がある。根詰めすぎるのは体に毒だぞ? 合間にきちんと休憩を挟まんか」


「……そうですね、すみません。以後、気をつけます」


「ふむ、よろしい。それじゃあ、お前さんの罪滅ぼしの内容を言うぞ。心して聞け」


「……はい」


 未だに謝罪が出来ておらず、落ち着かない心境でいる中。雹華は青い唇を軽く噤み、瞳を閉じてぬらりひょんの言葉を待つ。


「お前さんの力は、あまりにも強大で目に余るものがある。なのでその力を、この温泉街の為に。温泉街の仲間達を守る為に。そして、花梨達を守る為に使ってもらいたい」


「……えっ?」


「だから雹華よ。次の満月が出る日に、花梨の部屋へ来い。ワシらと共に花梨の部屋に泊まり、温泉街と仲間達、花梨達を守ってくれ。それが、お前さんの罪滅ぼしだ」


 ぬらりひょんが罪滅ぼしの内容を明かすも、雹華は理解が追いついておらず、丸くさせた目を瞬きさせるばかり。

 が、『花梨の部屋に泊まれる』という単語が、頭の中一杯に埋め尽くされると、瞬きしていた目が見開き、「ええっ!?」と声を荒げた。


「わ、私なんかが、花梨ちゃんの部屋に泊まってもいいんですかっ!?」


「なんだ。その様子だと、一度も泊まった事がないようだな」


「……はい。流石に迷惑だと思っていましたので、なんとか踏み止まっていました」


「お前さん、変な所は真面目なんだな……」


 普段は花梨の気持ちを一切考えず、行き過ぎた愛情に身に任せて暴走し続け、満足しても止めない雹華。

 そんな暴走魔である雹華にも、ほんの僅かな自制心があると分かり、ぬらりひょんは戸惑いつつも、キセルの白い煙をふかした。


「まあ、よい。花梨にその事を先に伝えといたんだが、かなり喜んでいたぞ。たまには普通の日にも、花梨の部屋に遊びに行ったり泊まったらどうだ?」


「ほ、本当ですかっ!? 花梨ちゃん達と遊んだり、お部屋でお泊りぃ……。ウフッ、ヌフフフフフ……」


 罪滅ぼしの内容を聞き、言質を確かに取った雹華は、謝る事は二の次以下となり、とろけたにやけ面に両手を添え、たらっと鼻血まで出す始末。

 いつも通りを通り越し、来たる未来に酔いしれ始めた雹華に、ぬらりひょんも安心し、釣られて静かに笑い出す。


「ふっふっふっ。やはりお前さんは、そっちの方がよく似合っとる。次の満月の日が来たら、温泉街と仲間達、花梨達をよろしく頼むぞ」


「はいっ! 必ずや温泉街とみんなの事、花梨ちゃん達をこの手で守り通してみせますっ!」


 部屋に入ってきた暗い雰囲気から一転し、元気が有り余った宣言をした雹華に、ぬらりひょんはほくそ笑み、書斎机に向かっていく。

 その書斎机からとっておきの酒やツマミを取り出し、責任感に満ち溢れている雹華に声をかける。

 そして、そのまま小さな飲み会が始まり、当本人にも気がつかせぬまま、残っているしがらみや罪悪感を全て振り払っていった。

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