★73話-6、堕ちた先に見せる微笑み

「ごめんなさいね、ぬえちゃん。あなたにはもう、微塵の興味も無いの」


 素っ気なく文字を連ねたように語った雹華ひょうかは、迫る楕円形をした黒煙のボールに向かい、左手をかざす。


「だから、消えてちょうだい」


 淡々とした口調で死の宣告を言い渡すと、螺旋の如く渦巻く吹雪を左手から出し、無表情を薄ら笑いで上塗りする。

 竜巻にも似た吹雪は先を広げて突き進んでいくと、飛んで来た黒煙のボールを瞬時に凍らせ、勢いが死んでしまったのか。空中で制止して地面へと落下していった。


「はあっ!? それも凍らせんのかよ!?」


 圧縮を解除しても、黒煙は氷牢に囚われたままで。鵺はヤケクソ気味に両手を広げ、新たに出した黒煙の空間で渦巻く吹雪をやり過ごそうとする。

 が、まだ広がり切っていない黒煙の空間の前に、突如として巨大な漆黒の竜巻が出現。

 その漆黒の竜巻に衝突した吹雪は軌道を無理矢理変えられ、黒と白が混ざり合い、灰色の竜巻へと色を変えていく。

 そのまま全ての吹雪が竜巻に飲み込まれると、やがて回転が緩やかになっていき、吹雪と共に消滅していった。


「……今のは、クロがやったのか?」


 最早、怒り狂ったクロの助け船は無いと踏んでいた鵺は、黒煙の空間を解いて夜空を仰ぐ。

 すると、鋭い眼差しをしたクロと顔が合い、クロは一度雹華に視線を向けた後、鵺に戻して左目でウィンクをした。


 何か意味がありそうなウィンクを認めた鵺は、……まさかあいつ、実はキレてねえのか? じゃあ、さっきの流れは一体……? と目を細める。

 雹華の動向を横目でうかがいつつ、たぶん、クロの事だ。なんか考えがあってキレた演技をやってんだろ。なら私は、それに乗っかってみっか。という考えに至り、息を大きく吸い込んだ。


「おいクロ! てめえまでキレたらシャレになんねえんだよ! なんべんでも言ってやるが、マジで黒風くろかぜだけは使うんじゃねえぞ!」


「あいつはぬらりひょん様と花梨を殺すって言ったんだぞ? 怒らない方がおかしいだろ? 殺るって言うからには、先に殺り返すまでさ」


 普段通りの様子で返してくるも、その中に全身をつんざいてくる殺意を含んでいるクロに、こいつ、キレてないんだよな……? あのウィンクは、そういう意味なんだ、よな……? と不安を募らせつつも話を続ける。


「おい、雹華はてめえの親友だろ? あいつだって、ある意味被害者なんだ。それを忘れんじゃねえ。ぜってえ殺すんじゃねえぞ?」


 二人の事を想って念を押すも、クロは言葉を返さず黙ったまま。しかし、もう一度だけ左目でウィンクをし、雹華に顔を向けた。

 確信が持てる二度目のウィンクに、……大丈夫だ、あいつはキレてねえ。けど、キレた演技をしてる意味がわかんねえな。と思案し、両拳を前に構える。

 クロと雹華の姿を交互に見て、私は、あまり余計な手出しをしない方がいいか? なら、様子見で一旦身を隠すか。と結論付け、全身に黒煙を纏い、辺りに広げていった。




――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――




 先ほどよりも大規模な黒煙を目視したクロは、今のウィンクで、私が怒ってない事が伝わったっぽいな。と判断し、安堵のため息を漏らす。

 視線を雹華へ戻すと、黒春くろはるは速度が遅いし、少しの風でも散ってくから、至近距離で放つか、先に辺りに充満させておかないと意味がない。さて、どうしたものか……。と、頭を悩ませていく。

 こちらへ向かって来るツララ、斬撃、吹雪を躱しながら、竜巻で雹華の逃げ場を無くし、上から黒春を流し込む。これでいってみるか。と決め、テングノウチワを右下から左上に全力で振り抜いた。


 それを合図に、雹華の周りの黒い風が発生。そのまま分厚い大暴風が吹き荒れ、巨大な漆黒の竜巻へと形を変えていく。

 一瞬、体ごと持っていかれそうな狂風に、雹華は片腕で顔を隠す。しかし、中はすぐに無風になり、恐る恐る腕を下げていった。

 視線の先には、斜め上へ太い線を描いている闇が深い壁。その壁をなぞるように顔を上に持っていくと、夜空にはテングノウチワを仰ぎ、淡い桃色の何かを出しているクロの姿。


 隙を突いたクロが放っているは、少しでも触れてしまえば、何をされようとも一瞬間は眠りに就いてしま『黒春』。

 だが、雹華が見たかったのは『黒風』であり、拍子抜けした雹華の目が細まっていく。


「それ、黒風じゃないでしょ? ふざけているの?」


「いいや、こっちは大真面目さ。悪いが、眠ってもらうぞ」


「眠る? ……ああそれ、黒春なのね」


 眠るという単語に、クロの思惑に感付いた雹華は、目前を覆っている渦巻く闇の壁に目をやり、桃色の天井が迫る夜空に戻した。


「これで私の逃げ場を無くしたつもりのようだけど、甘いわね黒四季ちゃん。黒四季ちゃんが何でも切り刻めるように。今の私は、何でも凍らせる事が出来るのよ」


「なに?」


 ハッタリがましい雹華の言葉に、クロは眉をひそめ、テングノウチワを振っていた手を止める。


「信じられないって顔をしているわね。いいわ、見せてあげる」


 そうぶっきらぼうに言った雹華が、四方を遮る厚い闇の壁に左手をかざす。


「バカッ! それに触るんじゃ―――」


 雹華の予想外な行動に、クロは思わず素に戻り警告をした途端。ピキンという澄んだ単調的な音が、クロの警告に割って入った。

 ほぼ同時に、目に映り込んだ信じがたい光景に言葉を失い、黒い瞳を限界まで見開いていく。


 視界内にあるのは、闇の狂風と黒春すら覆い尽くし、水のように固まってしまった分厚く堅固な氷の壁。

 先ほど、鵺の黒煙を凍らせている場面を見ていたが、まさか自分の風まで凍らされるとは、想像すらしていなかったクロ。

 頭の中が真っ白になるも、本能的に何か危険を察知したのか。慌てて後方へ飛んで距離を取り、凍てついた風氷の牢に囚われている雹華を見据える。

 目先に映ったのは、満月の光を浴び過ぎて完全に堕ちてしまった、禍々しい笑顔を浮かべている雹華であった。


「黒風を見せてくれないなら、もう黒四季ちゃんにも用は無いわ。黒四季ちゃんの技、真似させてもらうわね」


 わざと次の攻撃を宣言した雹華は、右手に生やしていた氷の剣を解き、両手を自由にさせる。

 そして右手を軽く数回振ると、純白の華奢な両手を、遠くまで離れたクロにかざした。


「この吹雪は、しつこいわよ?」


 口角を妖しく上げた雹華が放つは、うねりを上げた五本の凍てつく大旋風だいせんぷう

 鞭のようにしなる白い大旋風は、蛇を彷彿とさせる動きでクロの元へ異なる角度で迫り、食らいつこうとする。

 クロも二本の黒い旋風で応戦し、二本の白い大旋風を打ち消すも、残りの三本に掠めるように触れられ、呆気なく凍らされていく。


 常軌を逸する大旋風に追われているクロは、風まで凍らされるなら、私の分が悪すぎる。……流石に、炎までは凍らされないよな? と予想し、テングノウチワを振り抜き、もう一本の大旋風を相殺。

 上空から叩きつける勢いで落ちてきた大旋風を躱し、なら、黒夏くろなつも使っちまうか。と決め、振り返りながら急停止し、テングノウチワを後ろへ大きく振りかぶった。


「お前も加減が出来てくれよ。黒夏!」


 願望を込めつつ技名を叫び、テングノウチワを真横に一閃。その軌跡から二本の煌々こうこうと燃え盛る炎の竜巻が現れ、太陽のように温泉街を照らす。

 空中で灼熱の竜巻、凍てついた吹雪の大旋風が衝突し合うと、風をも凍らせた大旋風が竜巻に飲まれ、勢いを無くしていく。

 縦横無尽に駆けていた大旋風が全てのみ込まれると、役目を果たし終えたのか、それとも熱を失ったのか。灼熱の竜巻も徐々に細くなっていき、音も無く消滅していった。


 黒夏に手応えを感じたクロは、いける。私はまだ、雹華に対抗出来る。なら、全ての風に黒夏を付与するか。と活路を見出し、再びテングノウチワを振って追撃を開始。

 次にクロが放ったのは、灼熱の炎を纏う風の斬撃。普通の斬撃より速度は劣るものの、雹華が追加で出してきた大旋風を真っ二つに切断。

 形、炎の勢い、スピードを保ったまま雹華へ目掛けて飛んでいき、やや離れた地面に衝突すると、けたたましい火柱を何本も上げ、周りの氷を溶かしていった。

 その周囲を赤く照らす火柱の熱を避けるべく、左手で顔を覆った雹華が、逃げるように後方へ飛び、火柱から距離を取る。


「……まるで大道芸みたいな天狗ね。これは黒夏かしら? 流石にアレを食らったら溶けちゃうわね。なるほど、あくまで黒風は出さないんだ。……絶対に出させてやるわ」


 熱に弱く、技の威力を認めた雹華は次の行動を起こす為、一定の距離を保って様子を窺っているクロに顔をやり、大きな一度ため息をつく。

 全神経を研ぎ澄まし、今度は長くも細い息を吐き出すと、普段花梨達に見せているような、温かみのある笑みをクロに送った。


「黒四季ちゃん。私ね、どうしても黒風を見てみたいの。だけど、見せてくれないのなら……」


 まるで最初から満月の光に侵されていないような、いつも通りの口調で語る雹華に、クロは虚を衝かれて怯んでしまい、テングノウチワを振り抜こうとしている手を止める。

 次に雹華は、空いている両手を夜空にかざし、平和でありふれた日常に垣間見せる微笑みを見せつけた。


「この温泉街を、跡形もなく潰してやるわ」

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