67話-5、七百戦錬磨達のちゃんこ鍋
その目にも止まらぬ鋭い突き出しが、流蔵と花梨の胸元に突き刺さると同時に、両者の体はくの字に曲がり、土俵の外へ吹っ飛んでいく。
周りに居るギャラリー達の壁を遥かに越え、地面に落下して転がり続け、勢いが止まると両足で天を仰ぎ、地面に落としていった。
先ほどまで、土俵の上で死闘を繰り広げていたハズなのに対し、気がついたら雲が流れている空を眺めていた花梨は、口をポカンとさせ、丸くなっている龍眼を数回瞬きをさせる。
「……あれ? なんで寝てるの、私? ……まさかっ!?」
呆気に取られていた脳の整理が追いつき、敗北を確信し、泥にまみれた上体を慌てて起こした瞬間。
「ひ、引き分けッ! 引き分け--ッ!!」
大勢のギャラリーが囲っている土俵から、
「……えっ? ひ、引き分け?」
流蔵に敗北したと確信していた花梨は、まったくの予想外である勝敗に、再び脳の整理が追いつかなくなり、唖然とする。
そして、体中に付着した土汚れを手で払いながら立ち上がり、遠くに見える土俵を目指して歩き始めた。
未だに状況を把握していないまま、短い凱旋に就くと、土俵を囲んでいたギャラリー達が左右に別れ、拍手と共に花梨を厚く出迎えてくれた。
「あんな熱い相撲初めて見たぜ、嬢ちゃん」
「流石は西の無敗、ナイスファイト!」
「惜しかったなあ! もうちょいで流蔵に勝てたってのによお!」
「あっ、ど、どうも、どうもです。ありがとうございます」
今まで浴びた事のない激励の雨に、花梨は柄にもなくたじたじとなり、逐一ギャラリー達にお辞儀をしつつ、土俵へ上がっていく。
土俵に上がると、先に凱旋を終えていた流蔵の姿があり、花梨の理解が追いついていない表情を見るや否や、無垢な笑顔を見せつけた。
「おう、お前さん。お疲れやで」
「流蔵さん、お疲れ様でした。あの、私が負けたんじゃないんですか?」
「いや、同時に土俵外に吹っ飛んだんや。だから、引き分けらしいで」
「同時に!? そうだったんですね。私だけが吹っ飛んだんだとばかり思ってました」
ようやく全ての状況を把握出来た花梨は、納得した表情を浮かべるも、すぐにその表情を歪ませる。
「でも引き分けかぁ~。また流蔵さんに勝てなかったや~、悔しいっ!」
「なに言っとるんや。ワシの連勝を初めてストップさせたんやで? もっと胸から誇らんかい」
「そうですけども……。あ~あ、連戦するとなると、あの長い列に並び直さないといけないのかぁ」
「待て待てお前さん。もう逃げられないで?」
「えっ?」
意味深な発言をした流蔵が、ワンパク気味に口角を上げ、目線を辺りに移しながら話を続ける。
「聞こえんか? 周りに居る挑戦者達の声が」
「周りに居る、挑戦者、たち?」
龍眼をパチクチとさせた花梨も、土俵を隙間なく囲っているギャラリー達を、ゆっくり見渡し始める。
その中には、称賛の拍手を送る者。勝敗に納得がいかず、二人に再戦を望んでいる者。今までの相撲のやり取りを振り返り、熱く語り合う者達。
しかし、数多の野次に混じりポツポツと、とある事を望む者の声が湧き出してきた。
「西の無敗! 今度は俺と勝負してくれ!」
「いーや、俺が先だね! 俺とやってくれ!」
「おい、並べ並べ! 今日は西の無敗と相撲が出来るぞ!」
「……え、えっ? 嘘でしょ? この流れって、まさか……」
周りを飛び交い始めた不穏な野次に、既に答えが出ている嫌な予感が頭に過ると、それを決定づけるように流蔵が、小刻みに震えている花梨の肩に手をポンと置く。
「諦めるんやな、お前さん。もう全員の闘争心には、すっかりと火がついとるわ。さあやるで、終わりが見えない交代制相撲対決リレーをな」
「ま、マジかぁ……。絶対に前よりも長くなるじゃんか……」
「せやな。ここからは、どっちがより多く倒せるか勝負しようや」
現在の時刻は、まだ昼前。お腹はすいていないものの、途方にない戦いを予想し、肩を重く落とした花梨が、ヤケクソ気味に空を仰いだ。
「ぬおおおおおっ!! 体力が続く限りやってやるーーー!!」
「ふっふっふっ、吹っ切れおったな。さあて、ワシも気合入れてやるでー! 全員掛かって来いやーーッ!!」
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
敵同士だった二人の無敗がタッグを組み、ゴールが勝手に遠ざかっていく戦いに明け暮れた、夜九時頃。
温かな陽の光を注いでいた青空は、すっかりと深い闇に染まり、天然のプラネタリウムが開園していた。
夜空に架かる天の川。その天の川を絶え間なく渡り続けている、数多の流星群。
その天然のプラネタリウムの下で、河童の川釣り流れがある河川敷では、夜空の星々と対抗するかの様に、相撲をしていた猛者達が点々と簡易の囲炉裏を作り、火を起こし始める。
そして火の勢いが強まると、囲炉裏の上に大きな鍋を置き、各々が用意した具材を投入していった。
地上の疑似の星空に紛れ、地面に突っ伏している花梨。ちょこんと座っている座敷童子の
陽気な鼻歌を交えている流蔵が、囲炉裏の周りに串を通した川魚を差している中。地面に倒れてピクリとも動かない花梨が、豪快な腹の虫を辺りに轟かせていく。
「づかれだぁ~……、おながずいだよぉ~……」
「お疲れやで。まさか、七百戦以上になるとはなあ」
「前の倍以上じゃないですかぁ~……。流蔵さんってば、よく身体と体力が持ちますねぇ……」
心身共に限界までくたびれている花梨の言葉に、串を通した川魚を差し終えた流蔵が、元気が有り余っている笑みを花梨に向け、地面に腰を下ろす。
「まだまだ行けるで。が、ここは明かりがまったく無くて危ないから、今日は終いやな」
「まだ行けるんですね、すごいなぁ」
素直に称賛した花梨が、鉛のように重い体を起こし、周りに点在する同じ光景に顔を移した。
「皆さん、何をやっているんですか?」
「ちゃんこ鍋を作っとるんや。各々が勝手に鍋と具材を用意し、今日の戦いを振り返りながら鍋をつつく。今ではすっかりと当たり前の光景やな」
「ちゃんこ鍋っ! うわぁ~、楽しみだ! みんなで食べるちゃんこ鍋とか、絶対美味しいに決まってるじゃないですか」
「せやな。お前さんが居れば、美味さ倍増やで」
「ふふんっ、最高の笑顔で食べてやりますからね!」
そこから花梨は、地蔵の如く一言も喋らず、流蔵が用意したちゃんこ鍋を凝視し、出来るのをひたすらに待った。
しばらくすると、鍋の蓋に空いている小さな穴から、完成が近い事を知らせる、一筋の白い湯気を昇り始める。
その細くも勢いよく昇る湯気を見逃さなかった花梨は、飢えている顔を流蔵にバッと向け、湯気に向かって指を差した。
「流蔵さん、流蔵さん! もう食べ頃じゃないですか!?」
「焦るな焦るな。急いでもちゃんこ鍋は逃げへんで。まあしかし、今回の具材はすぐに火が通るやろうし、もうええやろ。んじゃ、開けるで~。今回のちゃんこ鍋は―――」
ヨダレを垂らしている花梨に、あえて意地悪するよに焦らしている流蔵が、鍋の蓋に手をかけ、蓋を開ける。
すると、中に溜まっていた湯気が一気に広がり、辺りを纏っている闇に溶け込んでいった。
「川魚と野菜をふんだんに使った、塩ちゃんこや」
大きな蓋が開き、中身が
その鍋の中には、グツグツと煮えた
一口大に斜め切りされた長ネギ。火が通り、やや萎びている春菊。味が染みているのか、出汁の色が移っている分厚い大根。
薄っすらと半透明になっている、白菜やキャベツ。これでもかというぐらいに、山盛りで投入されている大量のもやし。
一センチ幅に切られたニンジン。煮えられてもなお、しっかりと形が残っているシイタケやエノキ。煮崩れを一切起こしていない豆腐。
そしてその合間にあるは、今回の主役である川魚達。舐めるように全ての具材を確認し終えた花梨が、「うわぁ~っ!」と弾けた声を上げる。
「具沢山だっ! もう、目から入る情報全部が美味しいや~」
「見たことが無い食べ物があるわっ。おいしいのかしら?」
「流蔵、川魚は何が入ってるの?」
川魚の種類の判別がつかなかった纏が、流蔵にジト目を向けて質問をする。
「アユ、イワナ、ウグイ、カジカやな。本当はイトウも入れてやりたかったんやが、今日は釣れんかったわ。シャケを入れても美味いが、川魚縛りというワケで入れんかったで」
「流蔵さん! 早く、早く食べましょうよ~」
「しゃ~ないのお。ちと待っとれ」
待ちきれないでいる花梨が催促すると、流蔵は苦笑いを返し、割り箸と取り皿を花梨達に配り始めた。
配り終わると、全員が声を綺麗に重ねて「いただきます!」と夜飯の号令を唱え、割り箸を一斉に鍋へと伸ばす。
花梨は何も考えず、アユと白菜、大根をそそくさと取り、まだ熱い湯気が昇っている、脂が乗ったアユを口の中へ入れた。
「アチチッ……、はふはふはふ。ん~っ! このアユ、子持ちで卵がたっぷり入ってる! 食感が楽しい~、んまいっ!」
アユの腹の部分を豪快に齧って
煮込まれる前に素焼きをされていたのか、焼いた時にも感じる香ばしい風味が先に現れるも、卵の食感と濃厚な旨味が上書きし、コクと奥深さを足していった。
「ニンジンが甘くておいひい~っ」
「大根が出汁を吸ってて絶妙」
「かあ~っ! イワナもうんまいわ~! 先に素焼きしといたから、身が崩れんし脂も出てくるし、さいっこうや」
唸りを上げた流蔵が、大ぶりのイワナに
もう一匹のイワナを齧ると、箸を止めずに食べ進めていた花梨に目をやり、箸をカチカチと鳴らした。
「お前さんら、おかわりはぎょーさんあるで。遠慮しないで、どんどん食い」
「おかわりっ! 分かりました、全部食べますっ!」
「はっはっはっはっ! いい食い意地や、ワシも負けんでー!」
満点の星が流れる夜空の下。その中で人工の星々を作り出している猛者達は、時間の流れをすっかりと忘れ、無我夢中で塩ちゃんこを食べ進めていった。
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