57話、違和感のある温かな夜飯
台風の目である女天狗のクロが、奇行を繰り広げてから支配人室を去った後。
花梨とゴーニャは露天風呂の一つである『炭酸泉の湯』に浸かり、至福のひと時を過ごしていた。
弾ける泡の音が絶えない露天風呂に浸かっている間にも、姉妹は片時も離れずに寄り添い、互いの心に温かな幸せを満たしていく。
そして、一時間ほどして幸せが満ちると露天風呂から上がり、濡れた体をタオルで拭き合いながら私服に着替え、自分達の部屋に戻る。
静寂が佇んでいる廊下を歩き、部屋の前まで来てから扉を開け、テーブルの上を覗いてみると、そこには我が家を思い出すような家庭的な料理が並んでいた。
具材が大きくカットされているも、
マヨネーズがしっかりと絡められている細切りの大根やキュウリ、ハムが盛られた大根サラダ。そのおかず達を纏める、白い湯気が昇っている大盛りのご飯と、長ネギと豆腐の味噌汁。
目から入る情報も、鼻に入り込んでくる匂いも食欲をくすぐってくる料理の数々に、花梨はにんまりとしながらテーブルの前に腰を下ろす。
「う〜ん、どれも美味しそうだ。美味しそうだけど、どこかで見た事があるラインナップだなぁ」
「そうなの?」
「うん。確か~、間食が好きな方のおじいちゃんが、よくこれと同じ物を作ってくれていた気が……。まあいいや、いただきまーす!」
「いただきますっ!」
抑えきれない食欲に打ち負けた花梨は、深く考えるのを止め、気持ちを瞬時に食事モードへ切り替える。
夜飯の号令を高らかに唱え、箸を手に取り、熱々の湯気が昇っている肉じゃがに箸を伸ばした。
肉じゃがの具は、乱切りされたニンジン。四等分にカットされ、大きいながらもホロホロとしているじゃがいも。
大量にある豚バラ肉や、食べやすいようにと結ばれている糸こんにゃくがあり、ニンジンを箸で掴んで口の中に入れる。
大きくも柔らかいニンジンを噛み砕くと同時に、ご飯と合いそうなまろやかな甘みが、口の中にじんわりと広がっていく。
その甘さの中に、薄口で味付けされた醤油ベースの
崩れないよう口に運んで噛もうとするも、勝手にどんどん崩れていってしまい、中は熱かったのか、口をすぼめつつじゃがいもを冷ましていく。
「アチチッ、ハフハフハフッ……。んっふ~、じゃがいもも美味しいっ! しかし、味付けもおじいちゃんのと似ているなぁ」
「花梨っ、他の料理もとってもおいしいわっ」
「ほほう、どれどれ。うんっ、大根サラダは野菜がシャキシャキしているし、マヨネーズも多くて、んまいっ。ほうれん草の胡麻和えはっと。……んっ、これもおじいちゃんの味付けに似てるや」
花梨の度重なる発言に、ゴーニャは目をパチクリとさせながら話を続ける。
「じゃあ、花梨のおじいちゃんも料理が上手なのね」
「そうだねぇ、どれも本当に美味しかったよ。唐揚げやとんかつ。
祖父が作った料理の味を思い出してきた花梨は、食事中にも関わらず腹の虫を豪快に鳴らし、とろけた表情をしつつヨダレを垂らす。
そして、今まで
味噌汁をすすった花梨は、そういえば、ここに来て初めて食べたカツ丼や、他の料理。ちょくちょく出てくる唐揚げも、味付けが似てた気がするなぁ。と、思い返していく。
更に、確か、料理はクロさんが作っているんだよな。後で、誰から教わったのか聞いてみよっと。と心の中で決め、目の前に並んでいる料理を完食していった。
姉妹は声を揃えて「ごちそうさまでした」と言うと、食器類を一階にある食事処に運び、返却口に入れる。
そのまま部屋には帰らず厨房を覗いてみると、奥で仕事をサボってパイプ椅子に腰をかけ、何かのパンフレットを眺めてニヤついているクロの姿を見つけた。
そのあられもない姿を発見した花梨は、近くに居た女天狗に一言断りを入れてから厨房に入り、クロの元へと歩み寄っていく。
「クロさーん」
「どの店にするか迷うな~。行きつけの店にでも……、んんっ!? ど、どうしたんだお前ら、こんな所まで来て」
「お疲れ様です。今日の夜ご飯、とっても美味しかったです!」
「お、おお、そうか。そりゃよかった。そう言ってくれると作った甲斐があるってもんだ」
クロが珍しくニッと笑うと、花梨も微笑み返してから本題に入る。
「それでなんですが、一つ質問があるんですけど、いいですかね?」
「質問? なんだ」
「クロさんって、とっても料理が上手じゃないですか。いったい誰から教わったのかなぁ~って、思いまして」
花梨の何気ない質問に対してクロは、勘づかれない程度に体を小さく波立たせ、
焦りが隠せないでいる瞳を
「ど、独学だが……。なんでそんな質問を?」
「いやぁ~、私のおじいちゃんが作った料理と、クロさんが作った料理の味付けがとても似ていたんで、ちょっと気になっちゃいまして」
「ゔっ……!」
頬をポリポリを掻いている花梨が、少々恥じらいつつ理由を明かした反面。クロは危機感を抱いているのか目の焦点が定まっておらず、
ここで悟られるのはマズイと言わんばかりに、挙動不審になっているクロは、自らを落ち着かせるように大きな咳払いを何度も放ち、あくまで冷静を装いながら口を開く。
「ぐ、偶然だろう。たまたま味付けが似てただけ、それだけさ」
「ですよねぇ。料理のラインナップもすごく似ていたんで、デジャブでも感じちゃったのかな?」
「きっとそうだ。お前、疲れてるんだろう? さっさと寝ちまいな」
「う~ん……、分かりました。それじゃあ、おやすみなさいクロさん!」
「おやすみクロっ」
「ああ、おやすみ」
花梨は言い包められた感を頭に残しながらも、まだ汗が滴っているクロに挨拶を済ませ、厨房を後にして自分の部屋に戻っていった。
今日出てきた料理を思い返しつつ歯を磨き、私服からパジャマに着替えると、二人は仲良くテーブルの前に腰を下ろし、日記を書き始める。
今日は、急な予定が入ってしまった
駅事務室の見張りは、基本的に二人一組かそれ以上でやるらしいので、人間の姿に化けた
人間か妖怪さんかを判別する為の合言葉があって、その合言葉とは「どこまで?」だ。それを言って、駅事務室に入って来た人が「秋国まで~」とか、「
流蔵さん
放っておくワケにもいかないので、本物の駅員さんにバレないようにしながら、お母さんを探しに行ったんだ。
地下二階、地下一階、地上二階と必死になって探して、二階を探し終える前に、ミキちゃんのお母さんを見つける事ができたんだ!
感動の再会だったなぁ。ミキちゃんがお母さんに会えた時、私も思わず嬉しくなっちゃったや。
そして、ミキちゃんとお母さんと別れ、私も駅事務室に戻ろうとして振り向いた瞬間、何かに軽く胸を押されてね。
なんだろう? って思って下を見てみたら、腹痛にうなされている乗務員さんが、黒革のカバンを私の胸に押し当てていたんだ。
そこからなぜか、私がその人の代わりに電車を運転する事になったんだよね……。いやぁ、焦った。あの時は本当に焦ったよ。
でも、そこの路線は何回か運転した事があったし、死に物狂いで運転の仕方を思い出して、頑張って終着駅まで運転する事ができたよ!
で、本題はここからだけど、一部分はあまり思い出したくない。
一つ言える事があるとすれば。私はちゃんと、ゴーニャを幸せにする事が出来ていた。
ゴーニャはとても眩しい笑顔で、私と一緒にいるだけで、これ以上の幸せはないと言ってきてくれたんだ。
とても嬉しい言葉だった。酷く冷めた私の心を、強く熱く打ちつけてきた言葉だった。改めて救ってあげたいと決めたばかりだったのに、いつの間にか私の心が救われていたよ。
ゴーニャが幸せになれて本当によかった。これからも、私の妹であるゴーニャを幸せにしてあげたい。ゴーニャの幸せは、私の幸せだ。
花梨が静かに日記を書き終えると、一生懸命になって日記を書いているゴーニャに視線を向け、温かな笑みを浮かべる。
しばらくその様子を黙って眺めていると、ゴーニャが「書けたっ!」と声を上げ、日記を高らかに掲げた。
「ゴーニャも書けたんだね」
「うんっ! ほとんど寝てたから、十行ぐらいしか書けなかったわっ」
「ふふっ、ずっと寝てたもんね。さてと、
日記を書き終えた二人は、その日記を一緒にカバンの中にしまい込み、カーテンと共に窓を開け、提灯の灯火に包まれている温泉街の景色を覗き込む。
壁や建物の屋根の上、妖怪が
「来そうにないから、二人で寝よっか」
「うんっ、そうしましょ」
二人でそう決めると、そそくさと布団の中へ潜り込む。ゴーニャが花梨の体をギュッと抱きしめると、花梨も応えるように、ゴーニャの体を優しく抱きしめる。
体がだんだんと温かくなり、睡魔に襲われて瞼が重くなってきている中。まだ起きていたのか、ゴーニャの小さな声が耳に入り込んできた。
「花梨っ」
「……んっ、どうしたの?」
「花梨は今、幸せ?」
「私が、幸せ?」
「うんっ。駅事務室で花梨に質問されてから、私も気になっちゃって」
ゴーニャが無垢な笑顔で質問を投げかけてくると、花梨も微笑みつつ、ゴーニャの頭を優しく撫でた。
「私も、ゴーニャをこうやってギュッてしている時が、一番幸せだよ」
「ほんとっ? 嬉しいっ! じゃあ私達は今、とっても幸せなのねっ!」
「そうだね、ずっとこうしてたいや」
「私もっ! かり~んっ」
姉妹は満面の笑みで本音を語り合い、温かな表情を保ったまま「おやすみ」と言うのも忘れ、幸せを共有しつつ夢の世界に落ちていった。
―――同時刻、クロの部屋。
花梨達が厨房を去った後。いたたまれない罪悪感に駆られているクロは、自室にある風呂に浸かっていた。
浴槽の
「あ~あ……。
先ほどの反省会を一人で始めると、再び暗い大きなため息をつく。
「お前の母親である
そのまま壁に寄りかかると、天井を見上げてふわっと口角を上げた。
「よう紅葉、聞いてるか? 花梨の奴、お前の味付けの料理は美味いって言ってたぞ。よかったな。本当は、お前が花梨に料理を作ってやれればいいんだがな……」
クロの寂しさと悲しさを含んだ独り言が、湯気で白く霞んでいる浴室内に反響し、壁に溶け込んでいく。
そのクロの独り言に返答するように、天井に溜まっていた一滴の雫が、浴槽に落ちてピチョンと音を鳴らした。
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