54話-4、重大な事に気がつく人間

 腹痛に苦しむ乗務員から黒革のカバンを渡され、偽物の駅員から偽物の乗務員に昇格した花梨は、不本意に託された電車の運転という重大な任務を背負いつつ、コソコソと歩きながら一階の三番線ホームへ足を運ぶ。

 極度の焦りから景色が歪んで見える道中。裏の派遣会社ぬえで仕事をしていた際、電車の運転の仕方と、あらゆる情報を血眼になりつつ必死に思い出し、霞んでいる当時の記憶を蘇らせていく。 


「運転のやり方は、ハンドルを引けば発進、押せばブレーキ……。扉の開閉は車掌スイッチを押す……。アナウンスは確か、自動アナウンスだったよなぁ……。あとは~あとは~……! そうだっ! 終着駅に着いたら、落し物が無いか全車両のチェックをしないと……」


 苦渋を飲んでいるような表情をしている花梨は、歩ませている歩幅を狭め、手の平に雑なへのへのもへじを描いては飲み込み、来たる最悪の事態に備え、培った技術と知識を思い出していった。

 そして、大勢の人達が電車を待って並んでいる三番線ホームに着くと、花梨も電車が来るのを待つ為に、ホームの先頭部分へ向かっていく。


 その際にも、他の駅員に顔を見られないよう帽子を限界までかぶり、流れる地面を見据えながら前に進み、こうべを垂らして電車がホームに入ってくるのを待った。

 しばらくすると、ホーム内に電車が来る事を知らせる音楽とアナウンスが鳴り響き、聞きたくなかった音楽を耳にした花梨は、全身に凍てついた緊張が走り、鼓動が快速電車よりも早まっていく。


 早まる鼓動が特急電車に変わる前に、気持ちを落ち着かせようとし、浅い呼吸を何度も繰り返していると、自分が運転する事になる電車が突風を巻き起こしつつ、ホーム内に進入してきた。

 一寸の狂いもなく停車すると、先ほどまで電車を運転していた乗務員が降りてきて、待っていた花梨に向かい、明るく微笑みながら敬礼をしてきた。


「次、頼んだぞ」


「りょ、了解しました。頑張ります」


 怯えている花梨は声質を極力低め、あくまで男性を装って返答し、顔を地面に向けたまま敬礼を返し、運転席に乗り込んだ。

 すぐさま扉を閉め、黒革のカバンを運転の邪魔にならない場所に置き、運転席と周辺をチェックし始める。


 扉の横に、全車両の扉を開閉する為の車掌スイッチがある。運転席には、引けば電車が発進し、押せばブレーキが掛かるワンハンドル・マスコンが、花梨の事を待っていた。

 車内アナウンスをする為のマイクはあるものの、どうやら電車が発進すれば、自動で車内アナウンスが始まる仕組みになっていた。

 必要事項の確認を終えると、底無しの不安から解放されたのか、安堵のこもった大きなため息をつく。


「よかったぁ~……。私が運転していた時と何も変わってないや。これならいけるぞ! あとはカーブのタイミングと、電車をピッタリ駅に止めるだけだっ」


 懐かしささえ感じる景色を目の当たりにし、当時の記憶を完全に思い出すと、心に余裕すら芽生え始め、強張っていた表情がだんだんと和らいでいった。

 そして電車が発進する合図として、ホーム内に違う音楽が流れると、花梨はすぐに窓から顔を出し、ホームに居る人達の様子を確認する。


 乗客が全員電車に乗り込み、駆け込み乗車をしてくる人がいないか目視し終えると、顔を引っ込め、車掌スイッチの『閉』ボタンを押し、全車両の扉を閉めた。

 そのまま前を向き、大きく深呼吸をしてから、Tの字のワンハンドル・マスコンを両手でしっかりと握り、まずは四分の三程度後ろに引いた。 


 すると、止まっていた電車が揺れながらゆっくりと動き出し、徐々にスピードが加速していく。

 ある程度の速度になると、車内アナウンスが自動で流れ出し、そのアナウンスを耳にした花梨は、ワンハンドル・マスコンを限界まで引き、ほっと息を漏らす。


「よし、運転操作はバッチリだ。えっと、この駅は次の駅との間隔が短いから、すぐにブレーキを掛けないとっと」


 そう独り言を呟いていると、終わったばかりの車内アナウンスが再び流れ、次の駅が近い事を電車に乗っている乗客と、運転している花梨に知らせる。

 車内アナウンスをしっかりと聞いた花梨は、ブレーキを掛ける為に、ワンハンドル・マスコンを両手で徐々に倒していく。


 ブレーキが掛かり始めたのか、車輪から金属が擦れる甲高い音が途切れ途切れに鳴り出し、電車のスピードが少しずつ落ちていった。  

 後ろに流れていく景色の中に、次の駅のホームが映り込むと、ワンハンドル・マスコンを微調整しながらホームに進入し、寸分の狂いも無く電車を停車させる。


 電車が完全に止まった事を目視すると、車掌スイッチの『開』ボタンを押し、全車両の扉の片方を一斉に開けた。

 何事の問題も無いか確認する為に、窓から顔を少しだけ覗かせ、駅のホーム内を見渡してみると、自分が運転していた電車からゾロゾロと乗客が降りていき、今度はホームで待っていた人達が電車に乗り込んでいった。


「よしよし、完璧だ。この調子で、あと十四駅も頑張ろう!」


 今ので確たる自信がついた花梨は、次の駅も難なく電車の運転をこなしていく。

 二駅、三駅と運転を重ねた頃には、周りの景色を楽しむ余裕さえ出てきたが、気を緩めることなく運転にいそしみ、自分の今の仕事を全うする。


 カーブに差し掛かる前に、電車のスピードを緩やかに落として曲がっていき、駅の近くにある鉄橋の上に来れば、更にスピードを落として徐行運転に切り替えていく。

 トンネル内に入ると、特等席でしか味わう事が出来ない珍しい景色を独り占めしつつ、頻繁にハンドルを操作してトンネルを抜けていった。 


 そして、トラブルが起きないまま終着駅に着くと、花梨は精神的疲労が溜まったため息をつき、疲れた体を預けるように壁にもたれ込んだ。


「ふう~っ、なんとか終着駅まで着けたや。あとは、落し物が無いか全車両をチェックして、報告をしに、しに……。うん? ほう、こく?」


 一息ついた花梨は、これからやるべき流れを確認していると、最後に言った自分の言葉に多大なる違和感を覚える。

 その違和感を深く探っていくと、そういえば私、本物の乗務員じゃないんだよな。このまま報告しにいったら、マズイんじゃないか……? と、思案して眉間にシワを寄せていく。 


 元々花梨は、電車を運転する為に必要な国家資格である、『動力車操縦者運転免許』を持っておらず、鵺の会社で働いていた時も、もちろん持っていなかった。

 バレたら一大事になる事を察すると、元気が戻りつつあった顔が青ざめていき、自分が今、しでかした事の重大さに気がつき、慌てて身を屈める。


「ど、どうしよう……。どうするんだ、これ……? と、とりあえずトイレに逃げよう!」


 まともな思考が出来なくなった花梨は、顔がバレないよう帽子を思いっきり深くかぶり、全速力で近くにあるトイレに走っていく。

 人が行き交うトイレの前まで来ると、今の姿で女性用トイレに入るのは更にマズイと判断し、顔を赤らめつつ男性トイレに入り込んだ。


 そして、空いている個室トイレに早足で駆け込み、鍵をしっかりと閉めると、脱力しながら洋式トイレに座り込み、酷く歪んでいるしかめっ面を手で抑えた。


「こ、ここからいったいどうすれば……。せめて、妖狐に変化へんげできる葉っぱの髪飾りがあれば、今着ている制服を別の服に変えられたんだけど……。あれは駅事務室に置いてきたリュックサックの中だし……」


 動揺で、頭の中が真っ白に染まっていく中、ど、どうする? 考えろ……。ダッシュで洋服屋に行って適当な服を買うか……。それとも、コスプレと称してこのまま電車に乗るか……? いや、それはリスクが高すぎる……。と、浅く考え込み、焦りを募らせていく。

 必死になって良い案がないか思考を張り巡らせるも、全てにそれ相応のリスクがあり、窮地に追いやられた花梨は、乾いたため息をつきながらこうべを垂らした。


 しかし移した目線の先に映り込んだ、首から下げている勾玉のネックレスが妖々しい光を見せると、「……あっ」と声を漏らす。


「そうだ! 座敷童子に変化へんげすれば、服が白い着物に変わるし、姿も子供っぽくなるからバレずに電車に乗れる! よし、ならば早速……」


 座敷童子のまといから貰ったネックレスのお陰で、暗雲が立ち込めている頭の中に一筋の光明が差し込むと、すぐさま座敷童子に変化する為に、「座敷童子さんいらっしゃい」と唱える。

 すると、どこからともなくポンッと音が鳴ると、トイレの壁と天井が一気に高くなり、白い着物を身に纏っている小さな座敷童子の姿になった。


「よかったぁ~……。これでバレずに帰れるや。黒革のカバンを渡してきた乗務員さんには悪いけど、早く駅事務室に戻ろっと」


 座敷童子に変化した花梨は、トイレの個室からこっそりと抜け出し、周りに居る人達にバレないようコソコソと隠れつつ、男性トイレから出ていった。

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