8話-7、締めのラーメン
午前中に会った時よりも、酒の匂いが強くなっている花梨を背負って廊下を歩いていると、耳元で「ふっ、ふふふっ……、うふふっ……」と、笑いを堪えているような花梨の声が聞こえてきた。
「な、なに不気味な声で笑っているんだ? 気持ち悪いぞ」
「いやっ、あの、ふふっ……。クロしゃんの翼が、私の体に擦れてくしゅぐったくってぇ……」
女天狗という妖怪で、背中に漆黒の翼を生やしているクロは、悪巧みを思いついたのかニタァと笑い、背中の翼を花梨の体を撫で回すように、ゆっくりといやらしく動かし始める。
それに抵抗ができず、我慢ができなくなった花梨はクロの肩を強く握りしめ、逃げるように背中でうずくまり、涙を流しながら下駄笑いを廊下に響かせた。
悪党の様な笑みを浮かべて楽しんでいるクロは、惜しみながらも花梨の部屋に着いてしまい、笑い過ぎて腰が抜けている花梨をそっと畳の上に寝転がし、脱衣場へと向かう。
そして、既に掃除を済ませていた風呂場に行き、蛇口を捻って浴槽にお湯を流し始めた。
「かりーん、さっさとその酒臭い体を洗っちまいな。頭と体用の洗剤を置いといたから、好きに使え。あっ、洗濯用の洗剤は後で夜飯と一緒に持ってくるから、脱いだ服は洗濯機の中に入れといてくれ。私が代わりに洗濯しといてやるよ」
「ひゃ、ひゃい……」
そう説明したクロが部屋から去っていくと、花梨は、まだ翼で
壁に寄りかかりつつ、もそもそと服を雑に脱ぎ捨て、乱雑に床に散らばっている服を拾い上げ、洗濯機に放り込んでから風呂場に入る。
蛇口からお湯が流れている浴槽内を覗いてみると、お湯はまだ全然溜っていなかったので、先にシャワーを浴びて頭と体を洗うことにした。
椅子に座ってからシャワーの蛇口を捻り、ちょうどいい温度のお湯が出てきたのを確認すると、シャワーヘッドを壁に引っ掛け、全身
そのお湯で顔を洗い、酒のせいで眠くなっていた頭を覚まし、髪の毛が充分に濡れたところで一旦シャワーを止め、クロが置いていった黒い容器からシャンプーの液体を手に取り、手に少し馴染ませてから髪の毛を洗い始める。
クロにおんぶされていた時にも感じた、心が安らぐバラの匂いがふわっと浴室内に広がり、酒の匂いを打ち消しながら上塗りしていく。
念入りに髪の毛を洗ってシャワーで洗い流した後、シャンプーよりも濃いバラの匂いがするコンディショナーで、髪の毛にこびりついている酒の匂いを完全に消し去る。
そして体も同じように、バラの匂いを纏わせながら隅々まで丹念に洗い、シャワーで洗い流した。
洗い終わった頃には、酔いもある程度覚めてきた。浴槽内を覗いてみると、お湯が満杯に張っていたので蛇口を止め、温泉街に来てから初めてただのお湯に浸かった。
浴槽からお湯が溢れ出し、一瞬だけできた滝を見て、ふと自分のアパートで風呂に入った時の事を思い出し、「ふふっ」と、ほくそ笑む。
「はぁ〜……。お湯だけのお風呂って、なんか逆に新鮮に感じるや〜……。気持ちいいなぁ」
適温のお湯に包まれながら、何も考えずに白い壁や天井、たまに目の前を通り過ぎる湯気をぼーっと見て、時間の流れを忘れていると、遠くから部屋の扉の開く音が聞こえてきた。
一旦はその音を無視するも、今度は間近でクロの声が聞こえてきて、忘れていた時間の流れを無理やり思い出される。
「かりーん、テーブルの上に夜飯置いといたからなー。洗濯も始めてハンガーも置いといたから、ちゃんと後で干しとけよー」
「あっ、はーい! ありがとうございます! ……さてと、上がろうかな」
花梨は風呂から上がるのを惜しみつつ、風呂の栓を抜いてから上がり、脱衣場に置いておいたタオルで体を拭いた。
その途中、洗濯機が音を立てて稼働している姿を見て、自分は今、アパートにいるような錯覚を起こし、秋国にいる事を忘れそうになった。
体から湯気を昇らせながら部屋へと戻り、今日の夜飯を予想しつつ、テーブルの上に目をやる。
まず初めに、大型の丼ぶりが目に入る。次に、山盛りになっている大量の白髪ネギ。その横には、分厚くて脂身の多いチャーシューが五枚。
白髪ネギの山の後ろに隠れているメンマ、
白髪ネギの山を囲むように、粒状の背脂が浮いている醤油スープの湖があり、その中には、ウェーブがかかっている大盛りの中太麺が沈められている。
その存在感を誇る醤油ラーメンの横に、風味を変える為の黒コショウの容器と、大量のすりおろしニンニク、レンゲと箸が供えられていた。
「お酒が残っている体には、嬉しい夜飯だなぁ。しかし、すごい量の具だ。こりゃあ食べ応えがあるぞ〜。いただきまーす!」
夜飯の号令を唱えた花梨は、まずはレンゲを手に取り、背脂が浮いているスープをすくって口に入れる。
見た目通りに油分が強く、味付けも濃い醤油ベースのスープながらも、酒が入っている今の花梨にとっては、若干の物足りなささえ感じた。
次に白髪ネギの山を少しズラし、下で眠っていた中太麺を呼び起こす。
部屋には自分一人しかいないので、大量の中太麺を箸で取り、息を数回吹きかけ、豪快な音を立たせながら勢いよく麺をすすった。
「んっふ〜。お店とかで食べると遠慮しがちになっちゃうけど、やっぱりラーメンはこうやって食べるのが一番美味しいや」
ウェーブがかかった中太麺は、スープを絡めつつ口の中へと一緒に入り込み、麺と共に口の中で大渋滞を起こす。
合間合間に、肉厚ながらも非常に柔らかいチャーシューを一気に頬張り、アクセントとしてメンマやワカメ、トロトロの黄身が堪らない煮卵を挟む。
ほぼ生の白髪ネギは、ゴマ油が絡められているせいか、やや黄金色に染まっており、おツマミ気分としても楽しめた。
麺を半分食べてから、黒コショウやすりおろしニンニクを投入し、風味が一気に変わったラーメンを堪能しつつ、にんまりとしながらスープも含めて完食した。
「ぷはっ。ニンニクが効いていたせいか、勢い余ってスープも飲み干しちゃったや。まあいいか、美味しかったし」
満足気に呟くと、食器類を全て一階にある食事処に返却し、自分の部屋へと戻る。
部屋に戻ると同時に、洗濯機が、ピーッ、ピーッと洗濯が終わった事を知らせる音を鳴らした。
その音を聞いた花梨は、鼻歌を交えながら洗濯物を取り出し、クロが置いていったハンガーに通し、風通しのいい窓の上にあるカーテンレールに掛けていく。
洗濯物を干し終わり、歯を磨きながら窓から居酒屋浴び呑みがある方角を見てみると、
その子分が慌てて店内に戻ろうとすると、今度は
「しゅ、酒天さんまで……。扉どうするんだろ……」
その一部始終を見ていた花梨は、口をヒクつかせながら二人の安否を心配しつつ、歯磨きを終えると、いつもの日記を書き始める。
今日は、居酒屋浴び呑みという店で仕事の手伝いをしてきた!
その店で初めて出会ったのは、茨木童子の酒天さんだ。店の中をこっそりと覗いている時に、いきなり後ろから声を掛けられたからビックリしたよ。
酒天さんに店長に紹介すると言われ、半ば強引にスタッフルームまで連れて行かれたけど、そのスタッフルーム、酒の匂いがすっごくってねぇ……。鼻がひん曲がるかと思ったよ。
店長は、とても大きくて怖くて乱暴な酒呑童子の酒羅凶さん。本当、ただひたすらに怖かった……。
手というか、足が出るのが早くてね。酒天さんも蹴っ飛ばされて、豪快に吹っ飛ばされてきたよ……。
あの蹴りを食らって、ほぼ無傷っていうのも驚いた。やっぱり、妖怪さんの体はとても頑丈だ。
最初の仕事は、ここ
いやぁ、どう考えても無理でしょ……。なんで先に、荷車を用意してくれなかったのかなぁ……。
そこで飲めと言われて渡されたのが、赤いひょうたんに入っている
でも、同時にものすごい力がついて、持てなかったビールケースの山が羽のように軽くなったんだ! まるでスーパーマンにでもなったみたいだったよ。あれは面白かったなぁ。
それが終わると次に、今まで行った事のある店に配達をしに行ってきたんだ!
定食屋
配達が終わって居酒屋浴び呑みに戻ると、
いやぁ、あれはもう……、思い出すだけでヨダレが……。また食べたいなぁ……、いや、食べる! 絶対に食べる!
午後の仕事は、お店で新しく出す予定の、酒羅凶さんが丹精込めて作ったお酒の味見と、酒蔵の拭き掃除だった。
お酒にも色んな見た目と味があるんだなぁ、ちょっと興味が湧いてきた。最後に飲んだ
「今度あのお店に行く時は、お客さんとして行きたいなぁ。いや、でも酒天さんともまた働きたい。しかし、いつ店長の蹴りが飛んでくるか……」
頭を悩ませている花梨は、鈍く光る赤いひょうたんを見ながら今度、居酒屋浴び呑みに行く時は客として行くか、仕事の手伝いをする為に行くか悩みつつ、携帯電話の目覚ましを七時十分にセットし、答えが出ないままベッドに潜り込む。
温かい布団に包み込まれている中、なんとしても答えを出したいと思うも、強い眠気に襲われてそのまま夢の世界へと落ちていった。
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