2話-2、一年間お世話になる温泉旅館

 先を進んでいたぬらりひょんに追いつき、気を取り直して並んで歩き始めると、ぬらりひょんが再び各建物の説明を続けた。

 その説明をよそに、花梨は何もかもが初めての光景に目を奪われていて、その説明をまったく聞かず、辺りを歩いている妖怪達の姿を目で追った。


 所々に穴が空いており、傘の中から一本だけ人間のような足が生えている一つ目のから傘小僧。

 大事そうにザルを抱え、その中に入っている小豆を丁寧に洗っている小豆洗い。


 強ばっている赤い顔から、鼻がピンと真っ直ぐ伸びていて、カランコロンと長下駄を鳴らしている天狗。

 全身が緑色のせいか、黄色いクチバシが一際目立ち、重そうな甲羅を背負っている河童。


 建物の間にある木箱の上では、簡素な和服を着ていて尾が二つある猫が、前足を舐めて顔を綺麗に洗っている。


 口をポカンと開けながら見渡していると、どこからともなくケタケタと不気味な笑い声が耳に入り、今度はその笑い声の主を探し始める。

 空を見上げてみると、建物と建物の間に黒い紐が繋がっており、そこにズラっと並んでぶら下がっている提灯が一つ、すきっ歯を見せつけながらニヤついていた。


 たまに建物の方に目をやると、純白の着物を着た女性らしき妖怪が客に甘味を提供していたり、首が長く伸びている舞妓を思わせる風貌をした妖怪が、客に着物の着付けをしている姿が伺えた。


 どこを見ても人間の姿は見当たらず、目に入るのは妖々しくも不気味であり、異形の姿をした妖怪達だけであった。

 頭を空っぽにして辺りを見渡していたせいか、気がつくと丁字路の突き当たりまで来ており、目の前には駅から見えた例の建物が佇んでいる。


 ここに来るまでの間、ぬらりひょんはずっと建物の説明をしていたようで、ようやく説明を終えたぬらりひょんが、ドヤ顔をしながら花梨に感想を聞いてきた。


「―――っというワケだ。どうだ? すごいだろう?」


「……へっ!? あっ、す、すみません……。ずっと妖怪さん達の姿を見ちゃってたんで、説明をまったく聞いていませんでした……」


「なにぃ!? ……ったく」


 そうボヤいたぬらりひょんが鼻をふんっと鳴らし、眉をひそめてキセルの白い煙をふかす。

 そして、一度咳払いをしてから目の前にある大きな建物に向かい、勢いよく手をかざした。


「まあいい! だが、この建物の説明はちゃんと聞いていろよ。目の前にある建物こそが、この温泉街の顔とも言える温泉旅館「永秋えいしゅう」! 今や妖怪の楽園とも称されている温泉旅館だ!」


「はぁ〜……。駅からも見えてたけど、近くで見ると迫力あるなぁ」


 ぬらりひょんが説明した温泉旅館「永秋えいしゅう」と呼ばれた建物は、間近まで来ると、限界まで見上げないと屋根が見えないほどの高さがあった。

 壁は全て木造で作られているが、所々から太くて頑丈そうな鉄骨が見え隠れしている。


 入口には、赤いのれんに金色の文字で永秋と書かれていて、そこからほころんだ顔をした妖怪が出てきたり、楽しみにしてたと言わんばかりのワクワク顔の妖怪が出入りしている。

 花梨が笑みを浮かべながら永秋を眺めていると、横から不敵に笑うぬらりひょんの声が聞こえてきた。


「それでだ花梨よ、お前さんはここで一年間暮らしてもらうことになる」


 ぬらりひょんの言葉に驚愕した花梨は、震えた手で永秋を指差し、永秋とぬらりひょんの顔を交互に見返しながら口を開いた。


「わ、私、ここに住むのっ!? 本当に!? うわぁ〜っ、夢のようだ!」


 ぬらりひょんは満足気に「うむ、いいリアクションだ。それじゃあ、中に入るぞ」と言い、花梨を永秋の中へと案内する。


 のれんをくぐると、靴箱がズラリと左右の壁を覆い尽くしていて、靴や草履が敷き詰められた状態にあり、この旅館の繁盛具合が想像出来た。

 歩きながら奥に進むと、やっと空いている箇所を見つけ、自分が履いている靴をその中に入れた。


 更に進むと玄関が終わり、「裸足の方はここで足を拭いて下さい」と書かれた看板が設置されており、その周りには清潔に保たれたタオルが束で置かれている。


 その看板を通り過ぎると、右側にカウンターがあり、人間の女性らしき人物が立っているのが見えた。

 花梨は「あっ、人間もいるのかな?」と、少し淡い期待を持つも、正面まで来て全体像を見てみると、見た目は人間っぽいけど、やっぱりこの人も妖怪さんかなぁ、と、少し残念な気持ちになる。


 鮮やかな青色の着物を着ており、横からは見えなかったが、背中には漆黒の翼が小さくたたまれている。

 頭には黒くて小さく、丸い兜巾ときんをかぶっている。顔はキリッとしていて気高そうな印象を受け、髪の毛の色も翼と同じく漆黒で腰辺りまで伸びていた。


「こいつは永秋の女将をやっている女天狗の「クロ」だ。おいクロ、こいつが例の人間だ」


「この子か、女天狗のクロだ。よろしく」


「『秋風 花梨』と言います! 一年間よろしくお願いします!」


 花梨は第一印象を悪くしないよう、ハキハキと元気のある声で自己紹介をしながら一礼をした。横で見ていたぬらりひょんが話を続ける。


「クロには一年間、お前の世話を任してある。分からない事があったらクロに質問するといい」


「そういう事だ。お前が住むことになる部屋に案内するから、付いてきな」


 花梨はここで一度ぬらりひょんと別れ、今度はクロに案内されて、赤いふわふわの絨毯が敷かれた中央階段を上がっていく。

 二階まで上がると、クロがこちらを振り向いて腕を組みながら説明を始めた。


「二階は主にお客様の娯楽施設だね。マッサージ機があり、卓球もできたり、小さなゲームセンター、カラオケなんかもある」


「へぇー、私がいるところの温泉や銭湯の施設に似てるなぁ」


 周りを見渡してみると、一つ目小僧達が楽しそうな表情をしながら卓球をしていたり、全身が毛むくじゃらの妖怪がスロットをやっている姿が伺えた。

 奥の方がカラオケ施設になっているのか、コブシの効いた演歌が微かに聞こえてくる。


「当たり前さ、人間の温泉旅館を参考にしているからな。ちなみに一階は温泉、露天風呂、サウナ、岩盤浴、マッサージ処、食事処なんかがある。三階に行くよ」


 説明終えて三階に向かうと、賑やかだった二階とは打って変わり別世界に来たような感覚におちいる。

 静寂に包まれた空間で、三股に別れた通路には様々な大きさの扉がいくつもあり、それがずっと奥まで続いている。


「三階はお客様が宿泊する為の場所さ。部屋はざっと百五十以上ある」


「百五十! そんなに!」


「ああ、温泉街を満喫したい客が大勢いるからな。妖怪の大きさも様々だし、それに合わせていくつも部屋があるのさ。少し待ってるから部屋番号を覚えてきな。そのうち、ここの手伝いもするんだろうしさ」


「分かりました!」


 そう言われた花梨は、カバンからメモ帳と筆記用具を取り出し、メモを取りながらなるべく音を出さないように走り始める。

 大小様々な扉があるもどんどんと頭に叩き込み、すぐに全百五十部屋の部屋番号と場所を覚え、クロの元に戻っていった。


「覚えてきました!」


「早いな! 十分も経ってないが、大丈夫なのか?」


「はい、覚えるのは得意なので!」


「ほう、優秀じゃないか。それじゃあ四階に行くよ」


 『ここより先、従業員以外立ち入り禁ず』の看板を横切って四階に上がると、煌びやかな装飾を施されている扉が目に入り、その上には『支配人室』と書かれた札が貼られていた。


「この支配人室がぬらりひょん様の部屋さ。ちなみに四階は従業員の為の階だ、寮みたいなもんだね。お前の部屋はこっちだ」


 花梨は、右側の通路の一番奥にある左側の扉の前に案内され、扉を開けて室内へと入る。

 室内は八畳ほどの広さで畳が敷かれており、部屋の正面と右側の壁に四角い大きな窓が付いている。


 部屋にはベット、四角いテーブル、小さい冷蔵庫が既に置いてあり、必要最低限の生活は出来るようになっていた。


 部屋の左側にも扉があったので中に入ってみると、脱衣所になっていて洗濯機と洗面化粧台があり、その部屋の左側の扉を開けると風呂場、右側の扉の先は洋式のトイレがあった。


「温泉旅館の角部屋でベット、テーブル、洗濯機、冷蔵庫があって、風呂トイレ別で部屋代無料!? マジか、何この夢のような物件……ここで永住したい……」


「荷物を置いたら、ぬらりひょん様がいる支配人室に行って来いよ。それじゃあ私は仕事に戻るからな」


「あっ、はーい!」


 そう叫んだ花梨は、クロが立ち去る前に一言お礼を言い、ずっと持っていたカバンを部屋に置いてから支配人室に向かっていった。

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