3話-1、永秋の手伝い
女天狗のクロに向かうよう
辺りを見渡してみると、左右の壁際に沿って本棚が設置されており、書物が隙間なくギッシリと詰まっているのが目に入った。
部屋の一番奥の壁には、温泉街を一望できそうな大きい窓があり、その窓の前に社長が座っていそうな立派な書斎机と椅子が置かれている。
その椅子に見合わぬ背丈をしたぬらりひょんが、ふんぞり返りながらちょこんと座っていて、キセルの煙をふかしていた。
「来たか花梨よ。少し話があるから、この握り飯を食いながら聞いてくれ」
そう言ったぬらりひょんは、書斎机の上に置いてある二つの大きなおにぎりを花梨の前に差し出した。
おにぎりを見て腹がすいてきたのか、空腹を忘れていた花梨の腹から、子犬の鳴き声みたいな腹の虫が小さく鳴る。
「おにぎりっ! ありがとうございます!」
湧いてきた空腹が我慢出来なくなった花梨は、両手におにぎりを鷲掴み、満面の笑みで勢いよく食べ始めた。
「それでだ花梨よ。電車内で、大体の事は出来ると言っていたな? 明日からここ「
「んっ……、いいですよ! 温泉旅館でも働いた事がありますし、掃除、接客、マッサージ。なんでも任せて下さいっ!」
既におにぎりを食べ終えていた花梨は、指に付いている米粒まで平らげ、ぬらりひょんの質問に即答した。それを見て、呆気に取られたぬらりひょんが話を続ける。
「食うのが早いなお前さんは……。まあよかろう。それじゃあ手始めに、夜七時に解放する「
「へーい」
ぬらりひょんが叫びながら手を叩くと、扉からボサボサ頭で、目がギョロっとした子供ぐらいの背丈をした妖怪がぞろぞろと入室してきた。
総勢で十人のあかなめと思われる妖怪達は、ぬらりひょんの書斎机の前に整列して、物珍しそうな表情で花梨の姿を見始める。
「こいつらが風呂掃除を担当している妖怪あかなめだ。あかなめ達よ、こいつが例の人間だ」
「秋風 花梨です! よろしくお願いします!」
花梨は自己紹介をしながら一礼し、あかなめ達もそれに続いて一礼を返す。
キセルの煙をふかしたぬらりひょんが、二着の服を花梨に差し出しながら口を開く。
「これはお前さんの作業服だ、受け取れ。風呂掃除用と接客用の一着ずつだ。急な事だからこれしか用意できておらん。後で予備も支給するから待っててくれ」
「おおっ、カッコイイ! ありがとうございます!」
ぬらりひょんに差し出された作業服を持ってみると、それなりに生地が厚いものの、思っていたよりもだいぶ軽い。
全体的に濃い赤色をしており、作業服を広げてみると、左胸に黒の刺繍で『永秋』と書かれていた。
風呂掃除用、接客用、どちらの作業服も七分丈であり、動きやすそうなイメージを持った花梨が、ニコッと微笑む。
「それと最後に。ここにいる間はワシの事を『さん』付けではなく、ぬらりひょん『様』と呼べ。いいな?」
「様、様……。わかりました、ぬらりひょん様!」
「うむ、よろしい。風呂掃除が終わったらワシの所に報告しに来い。それじゃあ、あかなめ達よ。花梨を秋夜の湯に案内せい」
「へーい、こっち」
支配人室を後にするあかなめの一人が、花梨に向かって手招きをしてきて、それに従って早歩きで後を追った。
部屋を出る前に、ぬらりひょんにお礼を言いながら一礼して支配人室を後にし、目の前にある中央階段を降りて一階へと向かう。
一階まで降りて目的の露天風呂に向かう途中、客にぶつからないよう注意しながら辺りを見渡した。
女天狗のクロが言っていたように、和食と中華がメインで、それらを食べている妖怪達で溢れ返っている食事処。
大小様々な大きさのベッドがあり、一際大きなベットで、四人の女天狗が巨体な妖怪の身体をほぐしている姿が伺えるマッサージ処。
そこを通り過ぎて奥に進んで行くと、少し開けた場所に出る。
その開けた場所から更に、三つの大きめの出入口があり、左側が『温泉(サウナあり)』、中央が『岩盤浴』、右側が『露天風呂』と、矢印が振られた看板が設置されている。
今回は、露天風呂の『秋夜の湯』を掃除に行く目的があったので、あかなめと花梨は露天風呂に続く右側の出入口に入っていった。
少し進むと十五段ほどの階段があり、そこを登ると露天風呂の入口らしき物が複数目に入る。
足を運びつつ、入口に貼り付けられている看板を確認してみると、健康の湯、美の湯、泡の湯と書かれていた。
健康の湯を見て花梨は、妖怪さんも腰痛になったり風邪をひいたりするのかな? と、想像を膨らませて首を
突き当たりを左に曲がり少し進むと、あかなめの一人が「ここ」と言いながら立ち止まり、目的の秋夜の湯の看板を指差した。
『夜七時より解放』と、書かれた看板の横を通り過ぎ、中に入っていくと『混浴により「男は左」「女は右」より入場』と、別々に分けられた脱衣場の入口が現れた。
あかなめ達は全員男のようで左側から、花梨は右側から入場し、風呂掃除用の作業服に着替えて露天風呂がある方に向かっていった。
露天風呂に出ると、相当な広さがある風呂より先に、紅葉で彩られた鮮やかな山々が目に入る。
花梨はその景色を目を奪われていると、後から入ってきたあかなめに「夜は、山がライトアップされて本当に綺麗」と、軽い説明を受けた。
花梨はもう少しの間、景色を堪能したかったが、目的の仕事である風呂掃除を始めることにした。
風呂のお湯は既に抜かれており、すぐに掃除に取り掛れる状態だったので、デッキブラシやスポンジ、洗剤を探そうとした矢先、一人のあかなめから声を掛けられた。
「それじゃ、秋風さん。汚れた箇所の舐め掃除お願い」
「えっ!? な、舐めて掃除するんですか!?」
いきなり声を荒げて叫んだ花梨にビックリしたあかなめは、半歩後ずさりして「あっ」と、声を漏らしながら手を叩く。
「そ、そうだ。人間は掃除のやり方は違う……。掃除用具一式は脱衣場の「従業員専用」と書かれた扉の中にある」
「よ、よかった……。ちゃんと掃除道具があるんだ……」
舐め掃除をせずにすんだ花梨は、ほっと一安心しながら脱衣場へと向かい「従業員専用」と、書かれた扉を探し始めた。
右側を見てみると、突き当たりにその扉があるのが分かり、扉を開けて中からゴム手袋、デッキブラシ、スポンジ、長いホース、バケツ、洗剤をチョイスし、それらを持って露天風呂に戻る。
あかなめ達が誤って洗剤を舐めないよう、辺りにあかなめがいない事を確認し、床を水で濡らして洗剤をたっぷりと撒き、デッキブラシで掃除を始めた。
掃除をしている途中、あかなめ達の掃除のやり方が気になり、チラッと横目で確認してみると、文字通り長い舌でベロベロと舐めて掃除をしていた。
風呂の底、湯口や湯道、排水溝、風呂桶、椅子、流し台と、あらゆる所を長い舌で丁寧に汚れを舐め取っている。
それを見た花梨は、それで綺麗になるんだろうか……。と、不安に思っていたが、いざ終わってみると、舐め終わった箇所は景色が映り込むほど綺麗になっていた。
自分が掃除した箇所よりも綺麗になっていることに対し、少し負けた気分になって火が付いたのか、負けじと力を込めて床を磨いていく。
花梨を合わせて十一人いた事もあり、広い風呂場にも関わらず一時間程度で掃除が終わり、今度は脱衣場の掃除に取り掛かる。
花梨は、雑巾とタオルを駆使して脱衣場にある棚を掃除し、あかなめ達も舐め掃除で順々に棚と床を綺麗にしていった。
男女の脱衣場の掃除も四十分足らずで終わり、夕方の四時前には秋夜の湯全ての掃除が終了した。
「秋風さん、掃除上手。予定よりも一時間以上早く終わった」
「ありがとうございます! あかなめさん達には敵いませんよー」
「そう? 嬉しい。じゃあ、ぬらりひょん様に報告お願い」
「了解です、お疲れ様でした!」
そう言った花梨は、私服を脇に抱え、早足で客を避けながら支配人室に戻っていった。
ぬらりひょんに秋夜の湯の掃除が終わった事を報告するついでに、自分も舐め掃除をさせれそうになった事も苦笑いしながら伝える。
「ふっふっふっ、危ないところだったな」
「笑い事じゃないですよ、本当にビックリしたんですからね」
文句を言っている花梨をよそに、肩を震わせてるぬらりひょんが、壁に掛けられている時計に目をやった。
「ふむ、四時ちょっと過ぎか。上等上等。じゃあ次はマッサージでもやってみるか?」
「マッサージですか? やります!」
「そうか、じゃあマッサージ処の場所は分かるな? 女天狗達には電話で知らせとくから、接客用の作業服に着替えて行ってこい」
「了解しました!」
次の仕事の手伝いが入ると、一度自分の部屋へと戻り、接客用の服に着替えて一階にあるマッサージ処へと駆け足で向かっていった。
マッサージ処の近くまで来ると、一人のボーイッシュ溢れる女天狗がおり、花梨の姿を視認すると手招きをしてきた。
「君が秋風君かな?」
「はい! 秋風 花梨です! よろしくお願いします!」
「元気があっていいねー。マッサージ経験あるんだよね? じゃあ、一番右端にいる人のマッサージをしてもらおうかな」
「あの女性の方ですね、了解です!」
女天狗から指示を出された花梨は、舞子を思わせる風貌の女性の所に向かい、その女性に一声掛け、足から指圧マッサージを始めた。
「お客様、どこか痛い箇所はありますでしょうか?」
「あ〜、首が凝っているからぁ、そこを重点的に頼もうかしらねぇ~」
「首ですね、承知いたし、ま……あれっ? ……首が、長っ……ッ!?」
客の首に目をやると、マッサージを始める前は普通の長さだったのに対し、いつの間にか首がやたらと伸びている。
その首を追いかけて真上に目をやると、マッサージをしているハズの客の顔と目が合い、作業をしていた手がピタッと止まり、声の出ない悲鳴を上げた。
花梨の恐怖に染まった表情を見た客が、ニタニタしながら喋り始める。
「うふふふふ〜、やっぱりぃあなたぁ~、ぬらりひょん様が言っていた例の人間ねぇ~。良い表情だわぁ~」
「く、首っ長、ひ……ろ、ろく……ろくろ首、しゃん?」
「当たりぃ~。着物をレンタルしているお店をやっているのよぉ。そのうちぃ、私のお店にも来てもらおうかしらぁ〜」
「は、はひっ……」
「うふふ〜かわいい〜。じゃあ〜首のマッサージぃお願いねぇ~」
ろくろ首から注文が入るも、不意打ちを喰らった花梨は、体が恐怖で固まりうまく動かせずにいた。
なるべくマッサージに専念しようと深呼吸を数回し、気持ちを落ち着かせながら再びマッサージを開始する。
しばらくすると体が言うことを聞き始め、長い首を首根から頭の方まで二時間掛け、ゆっくりと優しく揉みほぐしマッサージを終えた。満足そうな表情をしているろくろ首が口を開く。
「ふう〜とっても気持ちよかったわぁ。ありがとうねぇ、えっとぉ……」
「あっ、秋風 花梨と言います!」
「花梨ちゃんねぇ〜。そのうちぃ、私の店のお手伝いもよろしくねぇ〜」
「はいっ、分かりました! ご利用ありがとうございます!」
ろくろ首を見送りながら一礼をすると、先程の女天狗が花梨に歩み寄ってきて声をかけてきた。
「お疲れ、遠くから見てたけどいい接客対応だったよ」
「ありがとうございます! 最初は驚いてまともにマッサージが出来ませんでした……、すみません」
「いいよいいよ、終わりよければ全てよしさ。客足も途絶えてきたし、ここはもう大丈夫かな。ベッドのシーツを取り替えたら、ぬらりひょん様の所に戻って報告してきな」
「了解です! お疲れ様でした!」
仕事を終えた花梨は、先程までろくろ首のマッサージをしていたベッドのシーツを新しい物に取り替え、女天狗に報告してから、ぬらりひょんの元へ再び戻っていった。
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