48話-2、一日限りの仕事仲間
二人は先ほどまで居た店内に戻り、
不意に入口の引き戸が開き、「おーっす」という、まだ眠気を含んだ声と共に、背中に翼を生やした一人の女性が店内に入り込んできた。
「おお、
八吉の慣れ親しんだ会話を耳にしたゴーニャも、扉の方へ目を向ける。そこには、八吉が着ているような赤いハッピを身に纏い、大きなあくびをしている者がいた。
寝起きなのか、寝ぐせが目立つショートヘアーで、青みを帯びたツンツン頭。八吉と同じくねじり鉢巻きをしており、面立ちはどこか花梨に似た男勝りな印象を垣間見せている。
その
「今日一日だけここで働く店員が、どうしても見たくってね。だけどさ八吉、今日来るのって人間って聞いてたけど……。その子、どう見ても妖狐だよ?」
「ああ、今はちょっとした理由で妖狐に化けてんだ。ゴーニャ、紹介してやる。こいつは神音っつう名前で、ウチの店員の一人だ。お前も自己紹介してやれ」
「わ、わかったわっ」
見知らぬ者の出現に、やや臆したゴーニャは、一旦髪飾りを外して元の姿に戻る。大人の妖狐から小さな少女の姿になると、神音に青い瞳を合わせ、そのままペコリとお辞儀をした。
「は、初めましてっ! 秋風 ゴーニャです! 今日一日、よろしくお願いしますっ!」
「ええ~、いきなり小っちゃくなっちゃった。う~ん、可愛いねえ。私は八咫烏の神音だよ。よろしくね、ゴーニャ」
「よ、よろしくお願いしますっ!」
「あ~、そうかしこまらなくていいよ。丁寧に対応されるの苦手なんだ。もっと気楽にしな」
自己紹介を終え、目が覚めてきた神音にそう言われると、ゴーニャは緊張が少しだけ
二人の自己紹介を腕を組みながら聞いていた八吉が、「うんうん」と
「よーし! これから接客の仕方の説明を始めるぞ。その前に! 神音、悪いが客役をやってくれ」
「ああ、研修の最中だったんだ。いいよー」
「んじゃあ外に出て、扉の前で待機しててくれ。俺が合図をするから、そうしたら中に入ってくれな」
「オッケー」
指示を出されて快諾した神音が、体を思い切り伸ばしつつ振り返り、もう一度大きなあくびをしてから店を後にする。
神音の背中を見送ると、八吉はレジの棚からとある物を二つ取り出し、背筋をピンとさせて立っているゴーニャに差し出した。
「ゴーニャ、これを持て」
「これは?」
ゴーニャが手に持った物は、一つはなんの変哲も無い鉛筆。もう一つは全体が青い長方形で、紙が数枚挟まれている伝票クリップであった。
「伝票と鉛筆だ。接客する時に必ず使うから、大事に持ってろよ。よし、神音ー! 入ってきてくれ!」
軽い説明をした八吉が扉に向かって叫ぶと、入口の前にいる影が音を立たせながら引き戸を開け、扉の前でもあくびをしたのか、目に涙を浮かべている神音が店内に入り込んできた。
二人の前まで歩み寄ってくると、何をすればいいのか分かっていないゴーニャが、説明を促すように視線を八吉に
「客が来たな。それじゃあ一連の流れを説明するぜ。まず初めに、客が来たら目の前まで行って『いらっしゃいませ! 何名様でしょうか?』って聞いてくれ」
「え、えと……。いっ、いらっしゃいませっ! なっ、……何名様でしょうかっ!」
極度に緊張しているのか、頬を赤らめてぎこちなく叫んだゴーニャに、神音は苦笑いをしつつ人差し指を立て、しどろもどろでいるゴーニャに向ける。
「一名だな、次! 客を席まで案内するんだが、これは人数によって案内する席が変わってくるんだ。一名だったらカウンター席に。それ以上の人数であれば、テーブル席に案内してくれ。今回は一名だからカウンター席ってワケだな。なら『一名様ですね、カウンター席にご案内します』つって、空いてる席に案内してくれ」
「い、一名様ですねっ! カウンター席にごっ、ご案内しますっ!」
「ガッチガチだなあ~」
苦笑いが増した神音がそう言うも、ゴーニャの耳に届いていないのか、ぎこちない足取りでカウンター席に向かっていく。
一つの空いている席を指定し、温かい目で見守られつつ案内し終えると、いつの間にか厨房の入口に立っていた八吉が、「ゴーニャ、次の説明をするから厨房に来てくれ」と指示を出してきた。
その指示を耳にしたゴーニャの体に、再び大きな緊張が走り、狐の耳と尻尾をピンと立たせ、顔を強張らせながら厨房へ駆けていく。
電気が点いたままの厨房に入り、辺りを見渡すと、すぐ左側で八吉が銀色のラックに寄りかかっており、ゴーニャと目が合うや否や、親指を立ててラックを指差した。
視線をラックに向けると、親指の先にはタオルウォーマーがあり、その中には、袋詰めされた大量の黄色いおしぼりが敷き詰められている。
「次の説明に入るぞ。ラックにオーブンみたいなのがあって、その中におしぼりが入ってるのが分かるな?」
「うんっ、いっぱい入ってるわっ」
「よし、次はその下を見てくれ」
説明を続ける八吉が、親指をタオルウォーマーがある下の段に向けると、そこにはウォーターピッチャーという水を入れる透明の容器が数個あり、中には氷水が入っている。
ウォーターピッチャーの横には、大量のコップが積み重なっていて、更にその横に、お盆が数枚立て掛けられていた。
「氷水が入っている容器とコップがあるだろう」
「うんっ、あるわっ」
「よし。んじゃあコップに水を入れて、おしぼりと一緒に客の所に持っていってくれ」
「わかったわっ!」
八吉から次の指示を出されると、ゴーニャは指示通りにコップに水を入れ、タオルウォーマーから温かいおしぼりを一つ取り出し、お盆に乗せる。
そして、ややおぼつかない足取りで店内へと戻り、静かに待っていた神音の隣まで来て立ち止まった。
「そいじゃあ次な。『おしぼりとお冷です』って言って、客の前に置いてくれ」
「お、おしぼりと、お冷ですっ!」
「ありがと~。なんだかだんだんと、愛嬌のある接客対応がクセになってきたよ」
差し出されたおしぼりの封を開け、眠気覚ましに顔を拭いた神音にそう言われると、心なしかゴーニャの緊張が少しだけ和らいでいき、思わず笑みを浮かべる。
褒められたと思い、狐の尻尾をパタパタと揺らしていると、背後に立っていた八吉が、「よーし!」と声を上げた。
「次は『ご注文が決まったら、お声を掛けてください』だ! 言ってみろ」
「ご注文が決まったら、お声を掛けてくださいっ」
気持ちが落ち着いてきたのか、ゴーニャが噛むことなくスムーズに説明すると、神音はニカッと笑い「了解~」と言葉を返す。
「いい調子だぜ、ゴーニャ。さてと、神音。適当にメニューを決めてくれ。んで、決まったらゴーニャに声を掛けてくれるか?」
コップの水を口に含んでいる神音が指示を出されると、口からコップを離してコクンと
そのまま、鼻歌を交えつつメニュー表を手に取り、数秒眺めてからゴーニャに向けて手を挙げる。
「店員さーん」
「ほれ、呼ばれたぞゴーニャ。ここでさっき渡した伝票と鉛筆の出番だ。客が注文してきたもんを、その伝票にキチンと書き込んでくれ」
そう説明をされたゴーニャは、巫女服の袖にしまい込んでいた伝票と鉛筆を慌てて取り出し、いつでも書けるように構え、聞き逃しがないように狐の耳を限界まで立たせた。
「皮とつくねを一つずつ」
「皮と……、つくねを、一つ、ずつ……」
「書いたな。でだ、焼き鳥類の注文を受けた際は、必ず聞いてほしい事があるんだが―――」
八吉が説明を続けようとすると、ハッとしたゴーニャがピコピコと耳を動かし、自信満々の表情で割って入る。
「それはわかるわっ、塩かタレね!」
「お、そうだぜ! 流石は常連客だ、んじゃあ早速聞いてくれ」
正解して嬉しくなったのか、得意げな顔をしながら鼻をフンッと鳴らし、意気揚々とした金色の瞳を神音に戻した。
「塩とタレがございますが、どちらにしますかっ?」
「えーっと……。じゃあ皮は塩、つくねはタレでお願い」
「皮は塩っ……、つくねはタレっ……、ですね。わかりました、少々お待ちくださいっ!」
注文を承ったゴーニャが、微笑ませた表情で八吉の方へ振り返ると、八吉はウィンクしながら親指を立て、褒め称えるような笑みを送る。
「いいぞ。ちなみにだ、その伝票に席番号を書いておくと、後でどの客に料理を出すのか迷わなくて済むぜ」
「席番号……。どういう風に書けばいいのかしら?」
「簡単だ。店の入口から一番手前の席が一番。そこから二番、三番と奥に続いていくんだ。これはカウンター席、テーブル席共に言える事だな。神音は四番のカウンター席に座っているから、伝票の右上に『四-カ』と書いといてくれ」
「よんか~……。それって、四番のカウンター席って意味でいいのよね?」
多少不安げでいるゴーニャが首を
「だぜ! ちなみに、三番のテーブル席なら『三-テ』とかだな。どうだ、覚えやすいだろ?」
「うんっ! これならわかりやすいわっ」
「オッケー! じゃあ、最後は一気に説明しちまうから、また厨房に行くぞ」
伝票の右上に『四-カ』と記入したゴーニャは、今まで教わった内容を全て頭の中で復唱しつつ、八吉の後に着いて再び厨房へと向かっていく。
そして、今日
「それじゃあ最後の説明だ。さっき書いた伝票は、磁石を使ってここに貼り付けてくれ。俺や他の店員がそれを見て、初めて料理を作るからな」
「伝票を、ここに貼る……」
「んでだ。料理が出来次第伝えるから、料理と伝票を一緒に各テーブル席やカウンター席に運んでくれ」
「料理が出来たら、伝票と一緒に料理を運ぶ……」
ゴーニャがぶつぶつと呟いている中。全ての説明を終えた八吉が、怪しく口角を上げ、腕を組んで壁に寄りかかる。
「これで大まかな接客対応の説明は以上だ! どうだ、少しは覚えられたか?」
意地悪そうに質問をされたゴーニャは、「う~ん……」と唸りつつ目を泳がせるも、意を決して口を開いた。
「えと、最初に、店に入ってきた客に何名様ですかと聞く! 一名ならカウンター席、二名以上ならテーブル席に案内する! 次に、おしぼりとお冷を持っていく! ご注文が決まったら、お声を掛けてくださいと言う!」
息が続かなくなったのか、一旦言葉を止め、大きく息を吸い込んだ。
「客に呼ばれたら伝票と鉛筆を持って、注文を聞いて伝票に書く! 焼き鳥類の注文なら、塩かタレかも聞く! ……で、伝票の右上に各席の略名を書く! ……えと、伝票を白いボードに貼る! 料理が出来たら、伝票と一緒に各席に持っていく! ……ど、どうかしらっ!?」
「うおっ! ま、マジかっ!? 結構流した説明だったのに、一回で全部覚えちまったのか……」
正直なところ、一つだけでも覚えていてくれたら御の字だと思っていた八吉は、ゴーニャの記憶力に驚愕し、口をあんぐりとさせる。
少しの間呆けた後、頭のどこかでゴーニャの事を甘く見ていた自分を猛省し、心の中で己を何度も責め立て、深い自己嫌悪に
一通りの反省を済ませると、目の前で返答を待っていたゴーニャに、申し訳なさそうに歪めた表情を向けた。
「すまねえゴーニャ。普段のお前を知っていたから、本当にビックリしたぜ」
「えっ、なんで謝るのかしら?」
「いや、謝らねえと俺の気が済まねえんだ。申し訳ねえ。ゴーニャ、お前はもう子供なんかじゃねえ。立派な大人で、すげえ奴だ」
「な、なんかよくわからないけど、ありがとっ!」
自分はなぜ褒められているのか理解していないゴーニャは、複雑な心境ながらも、素直にその言葉を受け止めて、微笑みながら狐の尻尾をぶんぶんと振り回す。
「よーし! それじゃあ応用を兼ねて、もう一回やるか?」
「うんっ! まだ不安な箇所がいっぱいあるから、何度でもやらせてちょうだい!」
「いい心構えだぜえ! なら、今度は俺も客役をやるかなあ。よし、店内に戻るぞ」
「わかったわっ、店長っ!」
ゴーニャの嬉しい言葉に当てられたのか、俄然やる気が湧いてきた八吉の足取りは軽く、ご機嫌に鼻歌を交えつつ店内へ戻っていった。
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