45話、まだ打ち明けたくない、人間の過去(閑話)

 鮮烈な青さを誇っていた青空が白く色褪せていき、明るいオレンジ色に染まりつつある、午後四時半頃。


 ショッピングモールからあやかし温泉街に帰ってきた三人は、この前看病をしに来てくれた妖怪達に、お礼の品を配り回っていた。

 どうしても今日中に配り終えたいと言って聞かない花梨は、秋国山と木霊農園こだまのうえん牛鬼牧場うしおにぼくじょう魚市場難破船うおいちばなんぱせんを目指す為に、ゴーニャと共に一反木綿にまたがり、夕焼け空へと浮かび上がる。


 その二人の大いにはいしゃいでる姿を、支配人室のカーテンの隙間から伺っていたぬらりひょんは、花梨達が夕焼け空に溶け込んでいくのを確認すると、座っていた椅子を書斎机がある方へ回す。

 そして、極度の疲労がこもったため息をつくと、留守番を任されていた女天狗のクロが、熱くて渋いお茶を差し出してから口を開いた。


「はい、ぬらりひょん様。お疲れ様でした」


「おお、ありがとさん。今日は色々とすまんかったな、お前さんも相当気疲れしただろう?」


 ぬらりひょんのねぎらいの言葉を耳にすると、鼻でため息をついたクロが腰に手を当てる。


「本当ですよ……。ぬらりひょん様から、よくメールが来るなって思っていた矢先、『花梨がそっちに電話をするから、大急ぎで祖父に変化へんげして対応してくれ!!』ってメールが来たもんですから、度肝を抜かされました」


「すまん、それは完全にワシのせいだ。申し訳ない」


「別に大丈夫ですけど……。突然の事だったもんですから、どんな接し方をしていたのかド忘れしちゃいましたよ」


「本当にすまんかった。……それにしてもだ」


 茶柱が立っているお茶をすすったぬらりひょんが、袖からキセルを取り出し、詰めタバコを入れ始める。


「花梨には随分と、的を射た事を言われてしまったもんだ」


「ど真ん中じゃないですか。花梨に「実は妖怪か何かなんじゃないの?」って言われた時は、口から心臓が飛び出るかと思いましたよ」


「あれは正直ワシも本当に焦った。実はもう、花梨は全て分かっているんじゃ? と、肝を冷やしたわ」


 詰めタバコに火をつけたぬらりひょんは、大きくキセルを吸い、いつもより重く感じる煙を書斎机の上に吐き出し、気の抜けた表情を天井に向けた。


「なるべくなら、満期終了間際に真実を伝えようと思っていたが、時期が早まるかもしれんな」


「そうですね。花梨にはどこまで伝えるつもりなんですか?」


「無論、最初から最後まで全部だ」


 手で顎を抑えたクロが、何かを思案するように目線を上げる。


「最初から……。花梨が建設途中のここで生まれたところ、からですかね?」


 クロの質問に対し、天井に向かいキセルの煙をふかしたぬらりひょんが、静かにうなずく。


「だな。あの時は本当にビックリした。出産予定日よりだいぶ早く陣痛が来た紅葉もみじが、「病院まで持たないっ!! もう無理っ、生まれるーーっ!!」って急に大声で叫んだもんだから、工事がストップして騒然としたもんだ」


鷹瑛たかあきが一番面を食らってましたよね。オロオロしながら半べそかいて、泡を吹いてたっけ」


「最終的には、気絶寸前まで追い込まれていたな。確か、その時に助産婦じょさんぷをしたのは雹華ひょうか釜巳かまみ、だったか?」


 その二人の名前を聞き、当時の記憶が蘇ってきたのか、クロは肩を震わせながら苦笑いをした。


「そうです。生まれたばかりの花梨を受け止めた雹華が、家族である二人より泣いて喜んでいましたよね」


「そうだったそうだった。終いには「この天使みたいな子を私にちょうだいっ!!」って、わめいとったよな」


「ええ。二人は全力で拒否してましたけど、結局しばらくの間、雹華と釜巳が花梨を独占して離そうとしませんでしたからね」


 昔話に花が咲き始め、朧げだった当時の記憶がどんどんハッキリ鮮明になっていき、二人の顔に自然と笑みが零れる。

 キセルを吸い終わったぬらりひょんが、吸い殻を灰皿に入れると、再び詰めタバコ入れ始めた。


「そこから雹華がカメラを使うようになっていったんだよな。事あるごとにパシャパシャ撮っては全て現像し、毎日のように写真を綴じ込んだファイルを、鷹瑛と紅葉に渡しておったもんだ」


「ですね。当時居た奴ら全員にも配るもんですから、皆楽しみにしていましたよ」


「ああ、懐かしいな。……あの時は本当に楽しかった。毎日飽きもしないで、二人に大食い対決を仕掛けては惨敗していたぬえ。イタズラで二人を妖狐に変化へんげさせ、クスクスと笑っていたかえで。隙あらば三人を驚かせていた首雷しゅらい。その日の作業が終われば、自前の酒をしこたま飲ませようとしていた酒羅凶しゅらき酒天しゅてん。他の奴らも毎日お祭り騒ぎをしていたな」


「あの時に戻って、またバカ騒ぎをしたいですね」


 物思いにふけるぬらりひょんが、ギィッと椅子を音立たせながらもたれ込む。


 続いていた明るい過去話がピタリと止まり、キセルの白い煙で出来た薄い霧が立ち込める室内に、重苦しい静寂が訪れる。

 話が進むにつれ、思い出してきた楽しさに溢れる記憶が途切れ、とある場面に差し掛かったせいで、お互いにそれを口にするか悩んでいた。 


 いつかは話さないといけない内容であるが、今はまだその時ではないと勝手に決めつけたぬらりひょんが、固まりかけていた静寂を破る。


「……十七年もの間、ワシとクロが架空の祖父に化け、交互にお前さんの事を育てていたんだぞ、っと花梨に打ち明けたら、いったいどんな反応をするかの?」


 静寂を破った発言を聞き、下げていた頭を上げたクロが、僅かながらにほくそ笑む。


「「へぇ~、そうなんですねぇ」とか、いつもの反応をするんじゃないですか?」


「ふん、花梨らしい。案外、「すみません、実はもう全部知ってました」とか、逆に驚かされるかもしれんぞ?」


「ふふっ、そりゃあ怖いですね」


「だな。……しかしそうなってくると、自ずと鷹瑛と紅葉の最期さいごを聞いてくるだろうな……」


 和やかに溶けていく空気が再び、ぬらりひょんの言葉で黒く凍てつき、お互いの表情に暗雲が立ち込めていく。

 その話のせいで、先ほど静寂を断ち切れなかったクロが、「……ですね」と、掠れた相槌を打つ。


「温泉街プレオープン前日に、あんな悲劇が起きるなんてな……」


「……ええ、凄惨せいさんたる光景でした」


「ワシらが駆けつけた時にはもう、紅葉は事切れておったが……、鷹瑛にはまだ微かに息があった。まだ助けられたかもしれないのに、ワシは二人を見捨てて、花梨だけを助けてしまった……」


「でも、あの深い傷では、もう……。それにその言い方ですと、全てぬらりひょん様が悪いと勘違いされてしまいますよ? あれは、鷹瑛の意思でもあったじゃないですか」


 フォローをしているクロをよそに、ぬらりひょんは奥歯をギリッと噛み締め、キセルを握っていた手に力が入り、小刻みに震え出す。

 途方に無い怒りと、やり場の無いやるせなさ、己の無力さを込めつつ息を吸い込み、震えが移ったため息を吐き出し、鼻水が溜った鼻をすすった。


「いや、力が無かったワシが全て悪いんだ。……この事を花梨に全て打ち明けたら、ワシは花梨に嫌われてしまうだろう。それだけは絶対に嫌だ……。十七年間育ててきた、愛娘である花梨だけには、嫌われたくない……」


 返す言葉が見つからないでいたクロは、口を開いて何かを喋ろうとする仕草をするも、言葉が詰まった口を閉ざし、黙ったままうつむいた。


「だから、この事を花梨に説明するのは……、もう少しだけ後にさせてくれんか? 時が来るか、切っ掛けが向こうから歩み寄ってきたら、必ず花梨に説明する。……だからもう少しだけ、待ってくれ」


「花梨に早く明かしてほしいっていうのが、私の本音ですが……。ぬらりひょん様がそう言うなら、私はそれに従いますよ」


「すまん、恩に着る」


 神妙な面立ちでいるクロが腕を組み、蔑んだ目をぬらりひょんに向ける。


「温泉街にいる初期メンバーの奴らからも、かなりのクレームが入っているんですからね。早く花梨と普通に接したい、と」


「初期メンバーって……、後から来た奴から数えた方が早いじゃないか」


まといみやび流蔵りゅうぞう飯笥みしげー鍋笥なびげー硬嵐こうらん洗香あらか以外の奴ら、です」


 クロが嫌味を込めつつ指を折りながら数え、初期メンバー以外の面子を改めて言うと、ぬらりひょんが眉間に深いシワを寄せる。


「分かっとるわ。後でワシが直々に行って頭を下げ、説明してこよう」


「お願いします。そうだ、花梨達の今日の夜ご飯は、味噌煮込みうどんでいいんでしたよね?」


「ああ、ゴーニャが食いたそうにしておったからな。うんと美味いヤツを頼む」


「了解です。それでは、失礼します」


 夜飯の確認を済ませたクロは、空になっている湯飲みをお盆に乗せ、軽く一礼してから支配人室を後にした。

 そのクロの背中を見送っていたぬらりひょんが、座っている椅子を窓がある方へ回転させ、カーテンの隙間から覗いている夕焼け空を見上げ、目を細める。


「花梨よ、本当にすまない。もう少しだけ、ワシに時間をくれ……」


 ゆらゆらと天井に昇る白いキセルの煙が、夜のとばりに染まりつつある夕焼け空に重なると、紫が濃い色へと染まり、支配人室内に広がっていった。

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