42話-2、街へ一時帰宅

 ぬらりひょんと共に、ショッピングモールへ行くことになった花梨とゴーニャは、街に戻る為、温泉街にある地下鉄へと続く階段を下りていた。

 足を滑らせないよう気をつけつつ地下鉄のホームまで下り、辺りを見渡してみるも、初めて来た時と景色は変わっておらず、相変わらず静寂だけが佇んでいた。


 懐かしささえ感じるジメジメとした空気。階段から差し込む光が、宙を舞っているホコリを照らす薄暗いホーム。

 不意に、どこかで雫が水たまりに落ちたのか、ピチョンと澄んだ反響音が木霊する。


 そのまま灰色に染まった白線の内側に立ち、静かに待っていると、突風を走らせる電車がアナウンスも無くホーム内に進入してきて、停車すると目の前にある扉が開いた。

 行き先は表示されていないものの、ぬらりひょんの「来たな、乗るぞ」と安心できる言葉を聞き、花梨とゴーニャも後を追って電車へと乗り込む。 


 三人が乗車したと同時に扉は閉まり、ゆっくりと電車が動き出す。大きな振動で体がふらつき、足を取られながらふっくらとした席に腰を下ろした。

 前に居たゴーニャの体を持ち上げ、自分の太ももに座らせると、横に座ったぬらりひょんが、袖からキセルを取り出しつつ口を開く。


「そういえば、ゴーニャは代えのドレスが無かったんじゃなかったのか? 今着てるのは、どう見ても新品のドレスにしか見えんのだが」


「ああ、これは私が妖狐に変化へんげして、タオルを変えた物なんですよ。どうですか? ちゃんと再現出来てますよね」


「そう言う事か。うむ、いいんじゃないか?」


 ぬらりひょんの素直な感想に、花梨がふんわりと微笑む。そこから特に弾んだ会話も無く、電車は揺れながら先に進んでいく。


 そこからしばらくし、花梨が何気なく対面にある黒く色付いた窓に目をやる。窓には鏡のようにぼやっと、自分達の姿が半透明に浮かび上がっていた。

 しかし花梨は、その光景に多少の違和感を覚える。眠たそうに首をカクンとさせては、頭を上げるゴーニャ。そして、そのゴーニャを抱えている自分の姿。

 何度見ても窓には二人分の姿しかなく、隣に居るキセルの煙をふかしているぬらりひょんの姿は、映っていなかった。


「あれっ? 窓にぬらりひょん様の姿が映ってないや」


「んっ? ああ、もう人間達がいる方に来たか。ワシは妖怪だからな、映らなくて当然だ」


「へぇ~、そういうものなんですねぇ。キセルの煙まで映ってないや、不思議だなぁ」


 率直な疑問を呟いた花梨は、再び窓に映っている自分の姿を見直してみる。


 座敷童子のまといから貰った、緑色の勾玉のネックレスや、妖狐に変化してこしらえたゴーニャのロリータドレスは窓に映っていた。

 窓に映る映らないの条件がイマイチ分からなかった花梨が、頭を悩ましていると、電車のスピードが徐々に落ちていき、黒く色付いていた窓の風景が、薄暗い地下鉄のホームに変わる。


 電車が止まる前にぬらりひょんが席を離れると、その姿を見た花梨も、寝ているゴーニャを抱えながら立ち上がる。

 停車すると音も無く扉が開き、ヒンヤリとした冷たい空気が漂うホームに降り立ち、駅事務室に続く、石の壁が覆われた通路を進んでいった。


 突き当りにある古びた木で出来た扉を開くと、花梨にとって、全ての始まりとも言える駅事務室へとたどり着く。

 扉を閉めてから前を向くと、部屋の片隅にあるテーブルを囲い、乗務員の制服を身に纏った二人の人間らしき人物が椅子に座っており、その内の一人が花梨に目を向けると、ニッと見覚えのある笑みを送ってきた。


「おー、花梨じゃんかー。こんな所で会うなんて珍しいねー。元気になったみたいでよかったー」


「その声は……、みやび?」


「そだよー、よく分かったねー」


「ほー? そいつが例の人間か!」


 隣に居たもう一人の乗務員が反応して立ち上がると、その乗務員の足元から渦を巻くように白い煙が現れ、またたく間に体を覆っていく。

 白い煙はすぐに霧散し、中から図体が大きく、全身がクリーム色の毛皮に覆われたイタチらしき妖怪が現れた。 


 身長は二メートル前後はありそうで、突然でかくなったせいか、天井が低くなったような錯覚を覚える。上半身だけ緑色の甚平を着用しており、右目には黒い眼帯をしている。

 その眼帯から古い大きな切り傷を覗かせている顔は、イタチと狸を足して二で割ったような面立ちをしていた。


「初めましてだな! 俺ぁ辻風つじかぜ兄ぃの弟、薙風なぎかぜって言うんだ。よろしくなあ!」


「あっ、初めまして! 秋風 花梨と言います、よろしくお願いします! 今は寝ていますが、こっちが秋風 ゴーニャです。薙風さんは、以前からお名前だけは伺っていました」


「兄ぃが言った通り、礼儀正しいねえ! あ~、そうだ! 俺達が店を開けてる間に、兄ぃがとんだ迷惑を掛けたみたいで申し訳ねえ」


 薙風が反省の色を込めた表情をしつつ、太い剛毛で覆われている頬をポリポリ掻くと、花梨は初めて薬屋つむじ風に行った時の記憶を鮮明に思い出し、思わず苦笑いを返す。


「い、いえっ。あの時はちょっとビックリしちゃいましたけど、私は全然気にしていません」


「そうかあ? それならいいんだが……。ったく、あの馬鹿兄ぃめ。こんな可愛い子に鎌を突きつけるなんてなあ」


「か、かわっ……。そ、そそっ、そんな事ないですよっ」


 不意に褒められた事に対し、花梨は頬と耳を真っ赤に染め上げ、否定するかのようにブンブンと手を横に振った。

 あたふたしている花梨をよそに、薙風は黒い鼻で大きなため息をつくと、太い手で握り拳を作り、その拳を花梨に突きつけながら話を続ける。 


「だが安心してくれえ! 馬鹿兄ぃはしっかり椅子に括り付けて、癒風ゆかぜと一緒にボコボコにしといてやったからな! なぁーっはっはっはっはっ!」


 穏やかではない後日談を聞いた途端、花梨は振っていた手をピタリと止め、顔中と指先をヒクつかせつつ、つ、辻風さん……。あの後、色々と大変だったんだなぁ……。と、心中を察する。


 そして、適当な会話を数分した後。駅事務室を見張っている二人に手を振りながら扉を開け、駅の構内に出ようとした瞬間。

 扉の隙間から肌を刺すような冷たい風が入り込んできて、全身に凍てつく風を浴びた花梨が、体を大きく波立たせ「うわっ、さぶっ!」叫び上げる。


 鳥肌を立たせつつ慌てて扉を閉めるも、一緒に冷たい隙間風に当てられたゴーニャが、「へっぷち!」とクシャミをし、温もりを求めて花梨の体に抱きついた。


「しゃ、しゃむい……」


「あー、ごめんねゴーニャ。起こしちゃったか」


「すっかりと忘れておったが、こっちはもう冬だった……、へ、へっ……、ぶぇっくしょい!!」


 隣でキセルの煙をふかしていたぬらりひょんも、豪快なクシャミを放ち、体をブルッと身震いさせる。

 誰も防寒着を用意せず、薄着で来てしまった事を後悔している中。半ば諦め気味の花梨が、リュックサックから妖狐に変化へんげできる小さな髪飾りを取り出した。


「仕方ない。私が妖狐に変化して、みんなの分の防寒着を用意しますね」


「うむ、すまんな」

「ありがとっ、花梨っ」





 ――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――






 温かな防寒具を着た三人は、改めて構内へ出て辺りを見渡す。そこには、和服を身に纏っている妖怪の姿はどこにもなく、見渡す限りに人の波が歩き回っている。

 構内を駆けるサラリーマンや、学校の制服を着た学生。これから出掛けるのか、旅行ケースを牽いている家族連れや、周りの流れに逆らいつつマイペースで歩いている老夫婦。


 昔の花梨にとっては日常的な光景であったが、長い間、妖怪達が蔓延はびこる温泉街で暮らしていたせいか、目の前を行き交う人の波に違和感を覚えていた。


「はえ~、どこを見ても人しかいないや」


「当たり前だ。とは言っても、この人混みの中にも相当数の妖怪が紛れ込んでいるがな」


「えっ、そうなんですか?」


 いつの間にか後頭部の出っ張り部分が引っ込み、人間の姿になっていたぬらりひょんが、小さくうなずく。


「時代が移り変わっていき、我々妖怪達も、時代に合わせて生き方を変えていったからな。まあ、昔ながらの生活をしている者も少なからずはいる。だが、大体は人間に変化へんげをして暮らしているがな」


「へぇ~、妖怪さんも色々と大変なんだなぁ」


「うむ。それよりも、用事を済ませるんじゃなかったのか?」


「あっ、そうだった。それじゃあ先に私のアパートに行って、携帯電話の領収書を取りに行きましょう」


 久々に見た人混みのせいで、用事をすっかり忘れていた花梨は、抱っこしているゴーニャとぬらりひょんと共に、前を行く人混みの波に混じり、出口がある方面へ歩いていった。





 ――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――





 懐かしい喧騒から遠ざかり、自分が住んでいるアパートに戻った花梨は用事を済ませる前に、いつもお世話になっている大家に声を掛ける為、大家が住んでいる101号室のベルを鳴らしていた。

 しかし不在なのか、いくらベルを鳴らしても大家が出てくる気配はなく、ベルから手を離した花梨がゴーニャに顔を向ける。


「ゴーニャの事を紹介したかったんだけど、大家さん出ないなぁ。どこかに行ってるのかな?」


「おおや?」


「うん、このアパートで一番偉い人だよ」


「へぇ~、支配人、だったかしら? ぬらりひょん様みたいな人ね」


「まぁ、意味は合ってるかな。仕方ない、今回は諦めて領収書を回収しちゃおう」


 ゴーニャと手を繋いだ花梨は、階段下にあるポストが並んでいる場所に足を運ぶ。寂れたポストの前まで来ると、自分が住んでいる部屋番号が振られたポストを開ける。

 二ヶ月以上放置していたのにも関わらず、ポスト内にはチラシ類が一切入っておらず、花梨宛の封筒や手紙だけが入っていた。


「え~っと、携帯電話の領収書はっと……。おっ、二枚あった。……あっぶな! 明後日までに払わなかったら、携帯電話を止められるところだった……」


 安堵のため息をついた花梨が、携帯電話の領収書をリュックサックにしまい込む。そして、ゴーニャを抱っこしてからアパートを離れ、近くの電柱でキセルをふかしながら待機していたぬらりひょんと合流をした。


「お待たせしました。それじゃあ次は、コンビニに行きましょう」


「うむ、んで、その次がお目当てのショッピングモールだな」


「です。ゴーニャに似合う服があるといいなぁ~」


 一つ目の用事である、携帯電話の領収書を回収した花梨は、甘えるように頬ずりしてくるゴーニャの頭を優しく撫でる。

 そのまま、白い息を吐きながらぬらりひょんと会話を楽しみ、駅の近くにあるコンビニとショッピングモールを目指し、住宅街の道を歩き始めた。

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