39話-1、闇に堕ちた代償
灰色の淀んだ雲が温泉街の空を覆い、黒ずんだ暴風が窓ガラスをガタガタと音立たせている、朝八時頃。
花梨に抱きしめられて寝ていたゴーニャが、汗が吹き出しそうな寝苦しい暑さと、窓ガラスのざわめきとは別に聞こえてくる音で目を覚ました。
自分の意思とは関係なく起こされたせいか、目を開けようとするも、まだ寝足りない
しかし、花梨の温もりがいつもよりかなり熱く感じ、妙な違和感を覚えると、抵抗してくる瞼に強く抗ってこじ開けていく。
やっとのことで目を開けるも闇は晴れず、ゴーニャは暗い視界の中。自分の顔が花梨の体と密接しているのを悟り、反射的に甘えるように頬ずりをした。
すると、闇の中で苦痛が入り混じる呼吸音が聞こえてきて、不思議に思いながら顔を上げると、そこには顔を歪め、苦しそうにしている花梨の表情が目に映り込んだ。
「……花梨っ?」
ゴーニャが寝ぼけ眼で問いかけるも、花梨から返ってくるのは、過呼吸と思わせるほど早くて浅い呼吸と、時折混ざった声にならない悲鳴だけであった。
「どうしたの花梨っ? ねぇ、ねぇってば」
「ハァハァハァ、フゥフゥ……、うっ……!」
様子がおかしい花梨に、体を揺さぶりつつ再び問いかけるも結果は変わらず、不安と焦りがだんだんと込み上げていく。
花梨の全身はかなり熱く、所々が痙攣を起こしており、なんかしらの異変が起きていると困惑し、ゴーニャの視界が涙で霞んでいった。
「花梨っ、花梨っ!? ど、どうしよう……、クロっ、クローーっ!!」
慌てて布団から飛び出して女天狗のクロを呼ぶも、扉の前にいたハズのクロの姿が無く、がむしゃらに扉を開けて廊下へと飛び出した。
隣にあるクロの部屋の扉を両手で叩きながら呼んでも返答は無く、誰もいない廊下内に、ゴーニャの声だけが反響して消えていく。
ぬらりひょんもクロも居ない今、過去に散々味わってきた身近に頼れる者がいない孤独感が、ゴーニャに容赦なく襲い始める。
そのせいで正常な判断が出来なくなったゴーニャは、どこにいるのか分からないクロを探しに、中央階段へと駆けていった。
宿泊所がある三階に下り、左右正面に別れている三股の廊下を見渡してみるも、観光や温泉目的で各々の行動を始めている宿泊客のみで、クロの姿はどこにもなかった。
二階に下りて娯楽施設を覗いてみるも、マッサージ機の稼働音が聞こえてくるだけで、人はほとんどおらずガランとしている。
一階まで下りて食事処に駆け寄ってみるも、料理の仕込みや、朝食を作っている最中の女天狗達の姿だけであった。
途方に暮れたゴーニャは着ているTシャツをギュッと掴み、滲んでいた涙が青い瞳から零れ落ち、頬を伝ってふわふわな赤い絨毯へと落ちていく。
どこを探してもクロがおらず、為す術が無くなると、何度
すると、紅葉が映える秋国山に続く左側の道に、こちらに向かって歩いてきている、申し訳なさそうな表情をし、何度も頭を軽く下げているクロ。
それを許容するように手を横に振り、苦笑いしているカマイタチの
やっとの思いで希望の光を見つけられたゴーニャは、流していた涙が玉のように大きくなり、地面に点々と落としながらふらふらと、二人の元に近づいていった。
クロが頭を下げながら辻風に謝っている中。遠くから来る、大粒の涙を流しているゴーニャを目にした途端、緩んでいた表情が神妙な面立ちに変わる。
「どうしたんだゴーニャ、何かあったのか?」
「花梨が……、ヒック、花梨がぁ……」
言葉足らずな助けを求める声がクロの耳に届くと、隣に立っている辻風と前に居るゴーニャを両手で抱え上げ「飛ぶぞ、掴まってろ」と言い、漆黒の翼を広げて空へと飛ぶ。
そして、自分の部屋の窓から
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三人して花梨の部屋に駆け込み、ゴーニャがおおよその花梨の状態を説明した後。
辻風が苦しんでいる花梨の検査を
同時に、花梨の脇に挟んでいた体温計が、ピピピピピと計測が終わった事を知らせる音を鳴らし、辻風が体温計を取って数値を見た瞬間、表情を歪ませた。
「四十℃ちょっと、か。人間にはかなり高い数値だね。それに、消えつつあるけど全身が傷だらけじゃないか……。頭には一際目立つ大きい傷もある。これはたぶん打撲痕だろう。更には筋肉を酷使し過ぎたせいか、体のあらゆる箇所で痙攣が起きている。高熱はこのせいだと思うが……、はて、いったい何をしたらこんな事に……」
通常、筋肉の疲労から伴う発熱は、上がったとしても三十九℃前後であるが、更に上をいく四十℃という高い数値が辻風の頭を悩ませる。
あらゆる面を想定して頭の中で治療法を模索していると、その思考を邪魔するかのように、着ていた白衣を誰かにグイッと引っ張られた。
「辻風っ、花梨はどうなっちゃうの……? 大丈夫よねぇ……?」
「んっ、ゴーニャ君か。大丈夫、心配いらないよ」
「……ほんとっ?」
辻風がゴーニャの不安を和らげる為に、口元を緩ませてからコクンと
「ああ。花梨君には前に、
言葉を濁らせた辻風が、依然として苦しんでいる花梨に目を送る。
「君の右頬のアザもそうだけど、どうしてここまでに至ったのか経緯が知りたい。事によっては、他の治療も視野に入れないといけないからね。クロ君、ゴーニャ君、何か知っているかい?」
「それは是非ともワシも知りたいな」
辻風の質問に対し、不意に割って入ってきた重圧のある返事に、三人の体に大きな波が立つ。
その三人が、恐る恐る第三者の声が聞こえてきた方に視線を向けてみると、そこには腕を組み、扉に寄りかかりながらこちらを睨みつけているぬらりひょんの姿があった。
「ぬらりひょん様、帰ってたんですね」
ぬらりひょんの鋭い眼光に当てられ、ゴーニャと辻風が臆している中。平静を装っているクロが口を開く。
「ああ、ついさっき帰ってきた。遠くでお前さんが二人を抱えて窓から入っていったのを目撃してな。何事かと思って来てみれば……」
ぬらりひょんが心配そうな眼差しを花梨に向けた後。威圧感を宿した眼光をクロに向ける。
「クロよ、ワシがいない間に何があった? 知っている事を全て話してもらおうか? 辻風は今すぐ花梨の治療を始めてくれ」
「は、はいっ!」
恐怖さえ覚える眼光で体が硬直し、恐怖を増幅させる言葉で硬直を無理やり解かされた辻風が、花梨にあげた癒風の壺を探し出し、急いで治療に取り掛かる。
その辻風と花梨の事を気に掛け、チラチラと横目を送っているぬらりひょんが、再びクロに問い詰める。
「で、何があった?」
「え~っと……、ですねぇ」
「……私が、悪いの」
正直に話してぬらりひょんの逆鱗を殴りつけるか、はぐらかしてこの場を凌ぎ、ほとぼりが冷めた後に一人で怒髪天を浴びるか思案していると、しゅんとしているゴーニャが唐突に割って入る。
「その言い方だと、お前が悪い風に捉えられちまうぞ」
「だって、本当の事だもの……。私が
「あっ、それは言っちゃ……」
既に話をはぐらかせようと考えていたクロは、ゴーニャの後戻りが出来ない発言により叶わなくなり、手で顔を抑え、諦めのこもったため息をついた。
ゴーニャの意味深な発言で話が跳躍し、面を食らって口をポカンと開けたぬらりひょんが、眉間に小さなシワを寄せる。
「ゴーニャよ、いきなり過ぎて話がまったく見えてこん。分かるように説明してくれないか?」
「……わかったわっ」
全ては自分のせいにより始まった悪夢だと思い込んでいるゴーニャは、事を穏便に済ませる手立てを考えているクロをよそに、昨日起こった最悪な出来事を説明し始めた。
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